「節電」「せつでん」今や関東では、幼稚園児でもこの言葉を知らない子どもはいませんね。
「節電」は、ずっとずっと以前からその必要性が叫ばれ、その運動も続いていたわけですが、実際にはオール電化の集合住宅も増え、結果的に大きく電気に依存する生活に移行していたことは否めません

私の子どもの頃は、炊飯器といえばガスが中心でした。火力の強いガス釜は、おいしいご飯を炊くことは今でも有名です



いずれにしても、電気はまるで「空気」のように、私達の生活の中心に君臨していたのでした。
先日、恒例の介護帰省で大阪に行った私は、まず、新大阪駅について「大きな違和感」を感じてしまったのでした


町全体が節電生活に入った当初は、駅やスーパーが暗く、何となく沈んだ気持ちになったものですが、いつしかそれに慣れてくると、煌々と電気をつけているお店をみると「なんだ、この店は!電気の無駄遣いじゃないか

新大阪駅は、明るい


大阪で、どんなに節電をしてもらっても、関西電力から東京電力のエリアに電気を分けてもらうわけにはいかないので、暗くする必要性はありません。でも・・・節電生活の中で、すでに1か月近くを過ごしていると、あちこちのピカピカのネオンサインやめちゃくちゃ明るい駅にも、罪悪感を感じてしまうようになっていたのですねえ

人の「慣れ」というものは、そういうもの、です。
最初のうちは「



習慣をつけること・・・これは、子どもを育てていく上で、さまざまな場面で要求されることです。家庭教育の柱、と言えるかもしれませんね


昔から「早寝早起きの習慣」などと言われます。




ただ、こういう家庭教育の中で躾の一部として施される「習慣づけ」は、その多くがマナーやエチケット、健康維持に関するものです。
しかし、今回の「節電の習慣」は、幼いころから社会性を養う、社会貢献の一部として施されるもの、ですね

本来は、幼い子どもにこういうことを主眼とする習慣を身に着けさせるのは、実際にはなかなか難しいことなのですよ。けれど、子どもながらに関東の首都圏の子ども達は3月11日の地震を経験し、それぞれに直接的にその地震の影響を受けました。
そしてその後、繰り返し流される地震、津波のニュース映像で、子ども達なりに「確かな何か」を感じているのです

お父様、お母様方の中には、今回のことに限らず「悲惨な映像は見せない」という方がたくさんおいでになります。その意味はわかります。私も、そういう映像を、縛り付けるようにして凝視させる必要は感じていません。
でもね、「現実を知ること」「自分の身の回りで起こっていることを知ること」を知り、子どもながらにそれを理解する必要性は絶対にあります

見せない、聞かせない、経験させない・・・これでは、五感を通して学ぶチャンスを敢えて奪っているもの同然ですね

大切なことは、それを「どう伝えるか?」であり、そこが大人の手腕にかかるところです

お教室で、5歳の子ども達に・・・

と真顔で尋ねられます。私は一生懸命に・・・



と説明をすると、とても満足そうに、「えらいね

「節電」をする意味、その必要性を、各年齢の我が子達にわかるように説明をする知恵を絞り、良い習慣をつけてあげましょう。いつも私があちこちに書くように、せめて元気な私達が、この大きなマイナスから学び、プラスに転じていけるような実践を心がけなければいけない!心からそう思っています
