まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

お掃除を修行にする

2011年12月20日 | う゛う゛ー
 じつは先日、お友達に誘っていただき、お寺の「年末のお掃除」のお手伝いに出かけました お寺のお掃除???正直、イメージが湧きません。お寺と言ってもねえ・・・鐘楼もある・・・境内もある・・・ご本堂もある・・・庫裏もある・・・仏像だってあるよな・・・などとあれこれ考え、よく年末のテレビのニュースで観るお坊さん達が作務衣姿で大きな仏像のすす払いをしたり、大きな梁を見上げて掃除したりということを思い描いて出かけました

 その日は、たくさんの方がお手伝いにいらしていました。私は心の中で「むー、みなさん、ご自宅のお掃除を上手になさる方なのだろうか・・・私のように『掃除は好きじゃない』なんて人はいないのだろうなあ・・・」と、とても場違いな思いがし、意気消沈してしまいました
 そんなうちに、お世話役の方からご説明があり、お掃除をする場所が振り分けられていきました。私はその誘ってくれた友人と、「前から詰めてお座りください」のお言葉に素直に従い、最前列に座っていたためか、「この一番前の列の方は、ご本堂のお掃除をお願いいたします」と言われました。
 さすがの私にもわかります。
お寺の中でも「ご本堂」は最重要な場所 仏様も安置されているとってもおごそかで、粗相のあってはいけないところ、に違いありません。いよいよ場違いな私です
 しかし、覚悟を決め、他の方達と一緒にご本堂に移動しました。ああ、その通りです・・・こんな「掃除嫌い」の私がいるには罰当たりなところ・・・
 けれど、そんな私だからこそ、何かそこに決まったことに意味があるような気がして・・・教えていただいたように、一生懸命に窓を拭きました

 最近の子ども達は、クラスの中で「テーブルに牛乳をこぼしたら何で拭きますか?」とたずねたら、ほとんどが「ティッシュ!」とか「キッチンペーパー!」とか答えてくれます。
 確かに、そうでしょうね。牛乳や生卵をお布巾で拭くと、匂いがついて、なかなか取れません。特にタンパク質の汚れは、あとあと何かになっちゃう?などと思うと、拭いてポイッと捨てられ紙で拭くことが一番気持ち良いかもしれません
 けれど、さすがに「お布巾」と「お雑巾」の違いがわからないとか、「うちはダスキンだから、雑巾は見たことないよ」と言われると、ちょっとだけ悲しくなります

 この日。
ご説明では、使う雑巾は4種類ありました 窓を拭く用のもの。腰から上の場所で使うもの。足の位置で言えば、くるぶしの上あたりからの腰あたりの場所に使うもの。そして、床を拭くもの、です。私はなるほどなあ・・・と思いました。
 でも、何にでも興味を持ってしまい、人とのふれあいを縁と考えている私の性格がこの日ばかりは仇となり?窓を拭いていても、あれこれと考えてしまいますし、ついついご一緒した人と話してしまう・・・
 ああ、この渕を面とりしたガラスは普通のものより高級だけど、やっぱりきれいなんだよなあ とか、たまたまお隣の窓を拭いている方とも、お子様の悩みをお聞きしたり・・・

 だからでしょうか、年配のとても品の良いおばあさまからお声がかかりました。
「そこの若い方。そうそう、黒いベストをお召になったあなたですよ 掃除機をお願いしてもよろしいかしら?」 
 まず、そこの「若い方」との呼び掛けに躊躇してしまいましたし(確かに、その方よりもかなり若いことは事実ですが・・・)、「掃除機をお願いする」で、もっと躊躇しました。
 何を隠そう、私は「掃除機をかけるという行為」が嫌いなのです 整理整頓は好きです。いろいろなものを整理し、片づけていくのは好きです。でも、なぜか、掃除機を出し、長いコードをバリバリと引っ張り出し、ホースの支度をして、バキュームする・・・これが嫌いなんですねえ・・・

 その方のお声には、不思議な威力があり「いえ、私はちょっと・・・」「私は適任ではありません」などと言える「隙」のようなものはありませんでした。
 私は歪んだ笑顔で返事をし、その方の後に続きました。にこやかにご説明をくださるおばあさま。私ははい、はい、とお返事をし、掃除機をかけ始めました。
 いつも家でするように、部造作にシューシューと・・・そして、壁のところまで来たら、掃除機を前後させ、掃除機の頭の部分をコツコツと壁に当てながら・・・すると、そのおばあさまは「ご自宅のお部屋でもそうなさっているかしら?きっと何度も掃除機をかけている間に、それでは壁に傷がつきますよ。それにね、壁は、家を支えれくれている大事な部分ですもの。大切に扱ってあげてくださいな」とおっしゃいました。
 私は、顔から火が出そうになりました。恥ずかしさで、身体中が熱くなりました 「申し訳ございません。そうですね。私はいつもこんなふうに掃除機をかけていました。ああ・・・そうですよね・・・」
 おばあさまは、相変わらずにこやかに、穏やかな笑顔で「では、こちらはお願いいたしましょうね」とおっしゃり、私のところから去っていかれました。
 私は夢か、現実か、わからなくなりました。あの方は、本当にいらっしゃる方なのだろうか?それとも、私の元に現れた、私を戒めるためにお言葉をくださった仏様???
 そう思えるほど、私には衝撃的なお言葉だったのです・・・

 「心を込めて」が私のモットーです。そう思って生きていますし、公私ともに、人にもそのようにずっとずっと伝えてきました。心を込めて人と接し、人と語り、陰口、悪口を言わず、心の目で見て、心からの言葉で語る・・・そうしている、と自負さえありました
 でも、嫌いな掃除機をかける時には、そんなことを考えたことがありませんでしたし、心を込めてお洗濯をし、心を込めてお洗濯を干したこともありませんでした。かろうじて、二人の子ども達が高校生の頃までは朝5時起きをして、二人のお弁当を子ども達が食べる時の様子を想像して、「心を込めて作っていた」だけでしたねえ・・・

 私はその後、「心をこめて」掃除機をかけました
いつもたくさんの人に踏まれ、たくさんの方達が座り、足やお尻を受け止めてくれている床に、いつもありがとうございますという思いを込めて、感謝の思いで一生懸命に掃除機をかけました。
 そのうちに、掃除機のホース、掃除機のノズルが、私の手と一緒になっている錯覚に陥りました。私の手が動くように、掃除機が動きました。私の手が、床のチリや埃をかき集めているような気がしました・・・私の感謝の思いは、そのままで私の手に伝わり、私の手となったホースに伝わりました。とっても、不思議な感覚でした・・・

 やっつけ仕事、という言葉があります。とにかく済ませる仕事、という意味でしょうか。私にとってもお掃除、お洗濯は、そういうものだったのだと思います

 あの日から2週間。
今でも、やっぱりお掃除は好きではありません あの仏様の化身?のおばあさまの言葉が深く心に刻み込まれ、私の手となった掃除機のホースの感覚・・・あの日の掃除機をかけていた床・・・すべて身体が覚えていますが、まだまだ自分の身についてはいないことは、本当に恥ずかしいことです。
 けれど、普段何気なく「こなす」家事にも、心を込めて取り組むと、全くその行為が違うものになり、家事以上の意味を持つものになる!ということ痛感しました
 
 そして、あの日のお掃除は、じつは「お掃除」ではなく「修行」であり、私が生きていく上での貴重な学びの時間だったのだな・・・と感じています



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