まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

秋の浄瑠璃寺 - 私の辛い思い出

2005年10月06日 | う゛う゛ー
 紅葉の京都、奈良… きっとみなさんには、それはそれはロマンチックなイメージがあるでしょうね。ここ数年、JR東海が流すコマーシャルでは、春爛漫の京都、錦秋の京都がすてきなメロディーとともに現れ、大人の旅心をくすぐります。
 大阪出身の私にとって、京都や奈良は「ご近所」という意識。それは距離的にすっかり遠くなった今でも同じで、それほどのありがた味はなく、きれいだなあとは思っても、それ以上のものは湧きません。
 そんな私をも魅了したお寺、秋の浄瑠璃時。そのお寺には、ちょっと辛い思い出があります。
私は大学卒業後から3年間、英会話の学校で子供に英語を教える仕事をしながら、ボランティアのクラブに所属し、同年代の人達と一緒に、さまざまな活動をしていました。
 自治体によって様々だと思うのですが、多くの市町村には、公立私立両方で、知能的に少し発達の遅れた人達が簡単な作業をして、社会参加をする、という施設があります。当時、私のボランティアクラブでは、そういう施設の人達と一緒に、3ヶ月に1回の周期で実施される施設外でのアクティビティーに、お手伝いというかたちで参加していました。春はピクニック、夏はプール、秋は遠足や運動会、冬はボーリング…など。
 私の苦い思い出…それは、紅葉真っ盛りの浄瑠璃寺に行った時の事でした。あいにくその日は雨。バスに乗り組む時点から、雨は本格的に降っていました。それでも、施設の人達は、朝からとってもうれしそうで、バスの中でもおおはしゃぎ。私はじゃんけんゲームで負けた罰ゲーとして、行きのバスの中で「小さい秋みつけた」を歌い、拍手をしてもらった事をよく覚えています。
 じつはその日の私…どう考えても、雨の日の遠足には不適切な装いでした。というのも、前日は朝早くから名古屋出張で、そのために着て行った「フレアスカートに下ろしたての高いヒールのパンプス」姿。運悪く、帰宅も深夜になってしまいました。すでに雨が降ってきたので、私は翌日の遠足は中止、とふみ、郊外の自宅には戻らず、大阪の中心部に住んでいた叔母の家に泊まったのでした。
 ところが…あったわけです。今考えても、あのフェミニンな格好は、あの日には似つかわしくない代物、さぞかし非常識なやつだと顰蹙だった事でしょう。

 ところで、その浄瑠璃寺。本当に趣のあるお寺なんですよ。とても美しいお庭のある、奈良と京都の県境にある小さなお寺でね。その日は、お天気さえ良ければ、きれいなお庭でお弁当を食べる予定でしたが、あいにくの土砂ぶりの雨。施設の人達にとても理解の深かった当時のご住職は、座敷きを開放してくださり、私達はそこでお弁当を食べました。そろそろお弁当の時間が終わるかな、という頃になって、急に雨は小降りになり、いよいよ陽も射してきたのです。紅葉した木々、葉っぱからしたたる雨のしずくが、急に出てきた強い陽射しに照らされて、それはそれはきれいなのです… そうなると、座敷きに座っているのはもったいない!みんなはご飯もそこそこに、外に出てみたい、外に出よう!という雰囲気満々でした。実際、何人かの施設のメンバーは、お弁当もさっさと食べ、外に飛び出そうとしているではありませんか。
 咄嗟に頭に浮かんだこと…「きゃー、早く行って、私のあの新しい靴、どこかに片付けておかないと、慌てて出ていく人達に、きっと踏んだり、くちゃくちゃにされちゃうよー…」私は慌てた素振り見せず、ニコニコと座敷きを立ち、縁側に歩いていきました。私は、そこ縁側の上がり框のところに、お気に入りの真新しいパンプスを脱いだからでした。案の定、そこにはすでにたくさんの人、人… 私は内心「あーあ、今一歩遅すぎた…きっと私のパンプスは無惨にも泥まみれになっているんだな…」
 ところが、私を待っていたのは、想像だにしなかった光景でした。そこにいた4、5人の施設の人達の会話が聞こえてきました。

「きれいな靴やあな… バスで歌うとた(歌った)ねえちゃんのんやで… こんなに高いくつ、転べへんのかなあ… 大丈夫や、きっとねえちゃんは上手に歩くさかいに転べへん(転ばない)ねんで… そやそや!ははは… ふふふ… へへへ…」
 そして… 
「なあ、こんなきれいな靴、踏まれたら大変や… きたのーなったら(汚くなったら)、ねえちゃんかわいそうや… そやそや、ねえちゃん、呼んでこーか?(呼んで来ようか?)… ねえちゃん、ゆっくりご飯食べてんねんもん。おいといたりー…(ゆっくりご飯を食べているのだから、そのままにしてあげよう) 僕らで、ちゃんと踏まれへえような、別んとこに置いといたらええやん!… せやな、そうしょー、そうしょー… 」

 そう言うと、その中の一番年長の一人が、うやうやしく私のパンプスを持ち上げ、濡れ縁の下にいれました。中の一人が、ポケットからティッシュを取り出し、泥を拭いてくれました。それは、誰が汚したのでもない、本人の私がぬかるみに入って汚したところでした。
 大事に大事に、心をこめて縁の下に置かれた、真新しいパンプス。私には、それが「傲慢の塊」に見えました…

 みなさんは、この時の私の気持ち、おわかりになるでしょうか。

決して大袈裟ではなく… あの日、私の中で大きく何かが動き、心にたくさんの針が刺さり、そして、何かが変わったな、と今でもそう思っています。
 優しさの意味、本当の優しさ、人の心、真心、誠意… 言う事、書く事は簡単ですが、人は心でそれを実感するまでは、その本当の意味を理解する事は出来ないのではないか、やっぱりそう思っています。
コメント
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