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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

季節感のない生活?!

2009年09月02日 | う゛う゛ー
 9月に入り、すっかり秋になりましたねえ
毎年この時期は、急に朝夕が涼しくなり、日が暮れてからの蝉の声が虫の声に変わって・・・秋の訪れを実感します。
 
 これは、夏の終わりの頃に、いつも私が考えることです・・・

 「セミの声がうるさくってさあ、何だか早くに目が覚めちゃって・・・
 真夏、早起きをしてしまう夫がよく言うセリフです 確かに・・・真夏の朝、外が明るくなって、眠りの浅くなった時間帯に、セミの大合唱を意識してしまうと、その大音量に二度寝をさまたげられてしまう・・・
 夫の文句がよくよく理解できます 私もしばしば蝉の声で目覚め、そんな日は、早朝から洗濯を済ませることになります。そんな日はいつも、ベランダでお洗濯を干しながら、私は考えてしまうのです・・・

 蝉時雨・・・
 蝉のこえ・・・
昔から、季語にもなるくらい、夏の風物詩として日本人には親しまれ、また尊ばれ、セミの声は「昆虫」以上の意味を持って受け入れられてきました
 時代が流れ、日本のセミが巨大化し、それによって鳴き声が大きくなり、私たちに害をもたらすようになった?! そんなわけではありませんね。
早朝の大合唱はさておき、都会のセミの声は、現代では様々な大音響にかきけされることのほうが多いかもしれません。にもかかわらず、私たちがセミの声を、時には邪魔者のように感じてしまうのは何故でしょう?

 エアコンやクーラーのない時代、私たちは窓を開け放ち、部屋の中を通り抜ける風を楽しみました 
 その風が生ぬるい夏の風であっても、窓辺に風鈴を吊し、その音色で涼しさを「感じた」ものでした
 
 昔・・・人は涼を求めて、いろいろな工夫をしたものです。打ち水もその一つ。打ち水は、ここ数年の省エネブームのおかげで、その効果がうたわれ、あちこちで奨励されています
 私が子どもの頃の昭和30年代後半、まだまだ打ち水は一般的でしたよ。
我が家は、大阪市の南側、堺市という町にありました。堺は、戦国武将の時代には頻繁に登場する自治都市で、歴史の教科書にも登場する古い町です
 豊臣秀吉や千利休のゆかりの地ですが、残念ながら太平洋戦争中、町のほとんどが空襲で消失してしまって、今では趣のある町並みはあまり残ってはいません。
 
 私の生家の3軒先にはお豆腐屋さんがあって、夕方近くになると、私は祖母と一緒に家の前の打ち水用に、そのお店の井戸水をいただきにいったものです
 水を打つ、という行為も、何とも言えず楽しいもので・・・ひしゃくですくった水を、ぱーっと円を描くように撒くと、水滴が広がってキレイなんです
 今、こうして書いているだけで、その「様」を思い出し、それだけで涼しい気分になり・・・今日のように涼しい初秋の気温の日には、その気分を思い出すだけで行く夏を惜しんでしまいます
 
 そうです 私たちは、昔、さまざまな工夫をしていたのですよね。
実際に涼しくする、室温を下げる、体温を下げるという直接的なことはできないまでも、せめて涼しく「感じられる」工夫をたくさんしてきたのでした
 
 窓を閉め切り、自分にとっての適温に設定した室内は、自分にとってのパラダイスです。
 自分の好きな音を聞くこともできますし、好きな画像をみることもできる・・・ 好きなものを食べ、好きなことをする・・・ それが、現代生活の中では、当然のこととして手に入れられるようになりました。
 となると・・・
自分のパラダイスである空間や時間を侵すものは、すべて自分にとっては心地悪いもの、になってしまった・・・ 「音」もまさにその一つでしょう

 夏、夜明けが早いのは当然のことです。
朝は、5時になれば外はとても明るい・・・動物や虫達は、そういう自然と共存しています。セミ達が、夜明けとともに鳴き始め、活動を開始します。 
 もし私がエアコンやクーラーのない時代に50代を迎えていたとしたら??
セミの合唱で毎日朝早くに目覚めたとしても、きっと「夏は早起きできて、一日を長く使える・・・9月に入れば、あっと言う間に日暮れが早くなってしまうのだから・・・」と、今はうるさく感じてしまうセミの声も、短い命の夏の虫として、何とも愛しく感じたことでしょうね・・・

 世の中、どんどんと便利になり、人にとって心地よい生活が当然のものとなっていけばいくほど、人は「ロボット化」していき、頭の働きも鈍ってくるのではないか?と、最近、とみに感じています
 知恵を絞ったり、工夫などしなくても、物事を即座に解決する方法が山ほどあるのですから・・・
 
 たとえば・・・
出かけている途中でメールがきます
 「今、Aにいるのなら、Bは近いですね。もし時間があれば、ぜひ、Bに寄って○○を済ませてきてください
 それを名案だと思った私は、Bに立ち寄ることにします。ただ、予定にない寄り道のため、現在地からBに向かう電車等の経路がわかりません
 昔なら、一旦電車を下り、路線図とにらめっこをして、経路を考えなければいけません。同時に、どれくらいの時間がかかり、どの乗り換えが一番効率が良いのか?なども頭を使って考えるでしょう。
 ところが、今はそんな必要もありません 私は、Bに立ち寄って・・・というメールを読み終えたら、すぐに携帯電話でインターネットに接続し、乗り換えの案内ソフトを起動して、Bに行く経路をチェックするだけで良いのです
 そういうソフトは、複数の経路が表示され、ご丁寧にも出発や到着の希望時刻を入力すれば、時刻表も所要時間も、運賃も表示されます。私は、そういうソフトがあることを知り、その簡単な使い方を覚えれば、何の知恵を絞ることもないのです。
 間違いなく・・・私の頭の構造は、単純化されていくでしょう

 安眠を妨げたアブラゼミの大合唱はツクツクボウシの声にかわり、今では日盛りに聞こえるだけになってしまいました。
「つるべ落とし」の日暮れともなると、すでにスズムシやコオロギの声です・・・ 

 便利さに慣らされた私の脳みそは、残念ながらどんどんと悪くなっていくでしょう。
 せめて、心や感性だけはさび付かせず、身の回りの変化に敏感に、「五感」だけは色あせることのないようにしたいものです
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親子で「幸せ」を知る時間

2009年06月30日 | う゛う゛ー
『北イラク、クルディスタンのこの地アルビールに着いて一週間が過ぎようとしています。お元気でしょうか?
 こちらは連日午後には40度を超える暑さです。原油価格が上昇する中、砂漠の熱気は勢いを止めることなくコーランのように万人に降り注ぎ、僕の顔はとりあえず一皮ぶんだけは、ぼろぼろになって剥がれ落ちています。
 で、さすが戦傷外科病院ですね、三夜連続で四人の銃創患者が搬入され、完全な四肢麻痺の19歳女性の第四頚椎のど真ん中に、レントゲン写真は躊躇う事なく、ちびた蝋燭のような白い銃弾を写し出しました。
 また25歳の男の右足から貫通した弾丸は左の大腿動静脈を破砕して、出血性ショックで若い命を奪いかけていました。
 2002年、連夜繰り返される文字通りの戦闘のあくる朝、救急外来に必ず横たわる死体と嘆き悲しむ家族の姿を目の当たりにしていた、パレスチナ・ガザ地区での体験が蘇っています。
 久しぶりに、本当の危機管理という鎧を全身に覆って暮らしています。』

 いかがですか、みなさん?
この文章は、小説の一節でも、過去の戦地レポートの一節でもありません これは、まさに3週間前に、私の夫が受信した、高校時代の友人からのメールの一部です
 このメールを友人である夫に送信してきてくれた方は、日頃は日赤のドクターとして関西で勤務している方で、時々、このように海外の紛争地域に派遣され、戦地と化した派遣地で医療活動を行いながら、地元のドクターの教育、指導にあたり、医療技術の向上、ドクターの育成に努められています
 
 私自身、お恥ずかしながら政治には疎く、世界各地の紛争は、ニュースで知る程度の知識しかありませんが、一応、世界情勢には興味があり、「そこで人がどんな目に合っているのか?どうしてそんなことになっているのか?」は知っていたいと思っています
 しかし、実際に現地にいる方から、淡々と送られてくるその地の現状を知ってしまうと、私が悠長に「頭だけでの発想」から「世界の情勢には興味がある」などと言っていることは何とも情けないく・・・筋違いな、苦笑してしまうだけの「頭でっかち的思考」であることを思い知ります
 何度も書きますが。
上記の文章は、ついふた月ほど前までは、上京するたびに夫と会社の近所の青山でランチをし、銀座や六本木のお店でビールで乾杯をしていたドクターが書かれたメールです。

 夫は毎日、精一杯働きながらも、勤務時間前には会社の目の前のジムで泳ぎ・・・私は旬の味覚を調理し、雨のしずくに濡れたあじさいを玄関に飾り・・・みなさんは、愛するわが子にお気に入りの絵本の読み聞かせをしたり、保育園や幼稚園への支度の遅さに苛立ち・・・テレビでは、マイケルジャクソン氏の死因が云々され・・・麻生総理を取り巻く戦々恐々とした動きに興味を示し・・・それでも、日本では、平和に、静かに、時間が流れています

 私達がこうして平和の中で暮らしていると、どんなにニュースで映像付きの悲惨な世界情勢が伝えられても、残念ながら痛みは伴わず、画面の向こう・・・遠い遠いところの話しでしかありません それは、仕方のないことです。
 でも、時には、ほんの数分だけでも、事実を身近なものとして受け止め、自分の生活、わが子との生活の中の「何らかに役立てる」必要はあるのではないでしょうか?

 毎日の豊かな食事に感謝をしたり、教育がすべての子ども達に施される事実に感謝したり・・・それだけでも、意味のあることなのではないか?そう思っています
 
 幸せすぎて・・・幸せである実感のない日本の現代に生まれた子ども達。毎日、死と隣り合わせで暮らしている子ども達が、世界の中には確かにいるのです。
 時には、そんなことを子どもが知る!親が知らせる!そういう時間がなければ、親も子も、あたたかい温室の中で、ダラダラと無意味に時間の無駄遣いをしてしまうかもしれませんね

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車移動ばかりは禁物!

2009年03月30日 | う゛う゛ー
 昨日の日曜日、千葉県にある「エアロビクスセンター」に行ってきました 来る4月26日に開催される石垣島でのトライアスロンに向けて、チームで日帰り合宿と称し、スイム、バイク、ランの練習のため、コーチ達と一緒に出かけたのでした。
 こちらは、「生命の森リゾート」という広大な敷地内にある施設で、エアロビクスセンターの中には立派なプールやトラックがあり、春休み中の昨日は、首都圏の多くの中学、高校の運動部の生徒達が合宿に来ていました
 ただ、こちらはあくまでも施設の一部であり、この「生命の森リゾート」の中にはいくつもの宿泊施設、レストラン、研修施設、ゴルフ場、最近オープンしたらしい「ターザニア」という施設もあり(樹の上の冒険王国。木登りでもない、フィールドアスレチックでもない、自然共生型アドベンチャースポーツ&パーク、となっています。なかなか面白そうな施設だと思いますよ。)などがあり、いったいどこまでがこの施設内で、どこから先は一般の土地なのか、じつはよくわかりませんでした

 今日あらためて住所をチェックしてみると・・・千葉県長生郡長柄町上野、となっています。
 かなり広い県である千葉県です。千葉市、浦安市、銚子市、松戸市、柏市・・・と言われると、聞き覚えのある地名ですが、長生郡、と言われても、なかなかどのあたりなのかピンと来ません
 でも 確かに昨日、私は行ってきて、ほぼ一日をそこで過ごしたのです。大人に私が・・・です
 確かに行ってきたけれど、「千葉県だった」ということ、行きはアクアラインを通り、帰りは東関東自動車道を通った、というくらいのことしか覚えていません そう、大人である私が、ですよ
 なぜなら・・・早朝にマイクロバスで迎えに来ていただき、その後は品川で他のメンバーと合流し、車の中でワイワイと言っている間に現地に着いてしまい、帰りは、途中で夕食をして、またまたワイワイと、うとうと・・・の間に品川に戻ってきたから・・・なのでした。

 いやいや。私は本当に「まいったなあ・・・」と冷や汗が出る思いです そして、私はあらためて思いました

 これは、あるクラスでのひとこま、です。
  「この間の日曜日、どこかにお出かけをしたの?」
  「あのね、パパとママと一緒に温泉に行ったよ
  「まあ、ステキ どこの温泉に行ったの?何ていうところ?」
  「えーっとねえ・・・車に乗ってねえ・・・途中でジュースを飲んでねえ・・・わかんない
 
 そんな時、私は子ども達によく言います。
  「ねえ、ちょっと待ってよー。赤ちゃんじゃないんだから、朝起きて、車に乗って、ジュース飲んだら、温泉に着いた!なーんて、情けないことを言わないでえ あなたには、ちゃんと目と耳と口があるんでしょう?赤ちゃんみたいに、お腹がすいた、眠い、おしっこしちゃった・・・って、泣くことしか出来ないわけじゃないんだから、自分が何っていう温泉に行ったのかくらい、ちゃんと聞いておきましょうよー。ドラエもんのどこでもドアじゃあるまいし、車に乗って行ったとしても、必ず道を通って、どこかの町を通り過ぎて、ちゃんと名前のある温泉に行ったはずなんだから・・・そう思わない?」と。

 そして、保護者の方々にもお話をします。
 「自動車は、子どもにとってはたんに『自分の空間が移動しているだけ』ということを忘れないでいてくださいね。何か特別な働きかけ、言葉かけをしない限り、車の中では頭を使うこともなく、さまざまな刺激もなく、単純に自分な好きなことをしている間に、身体が移動した・・・というにすぎないのですからね。自家用車利用ばかりでは、公共の場でのマナーやエチケットなども学習する機会は少ないですし・・・

 でも、昨日のことでは、私自身が、まさにこの「空間移動」をしただけでした。昨日のことで私がわかっていることは、施設の名前、そこでやったことと、到着と出発の時間・・・くらいのものです これでは、私が苦笑をする子ども達と一緒のレベルですね・・・

 さまざまな便利さとは、「文明」であり、本当にすばらしいものですが、その一方で、人の思考力や判断力を退化させる?ことでもあります。
 
 調べてみると、生命の森リゾートに行くには・・・
東京駅からJR京葉線を利用し、蘇我という駅に行きます。そこでJR外房線に乗り換え、誉田駅まで行き、送迎バスを利用するそうです。東京駅からJR総武線の快速電車を利用すると、千葉駅まで行ってJR外房線に乗り換えるという方法もあります
 要するに、昨日の私は、早朝に起こされ、半分寝たような状態で車に乗り込み、パパの運転する車で目的地に到着・・・意気揚々と遊び始める子どもと一緒だった、ということです。

 車利用は、幼い子どもを連れて歩く時には、本当に便利なものですよね
 荷物が増えても、子どもが寝てしまっても、さほど大パニックになることはありません。煩わしい乗り換えで階段の上り下りをさせることも、待ち時間で飽きさせる心配もない・・・私も昔、娘が赤ちゃんの頃には、まだまだ幼い息子を連れて3人で電車で出かけ、冬でも汗だくになることが多々ありましたし、重い荷物を持ちながら息子の手を引き、手が千切れそうだと、その重さに泣きそうになることもしばしばでした ですから、車利用の便利さ、ありがたさは十分に承知しています。

 それでも尚。車というものは、やはり、子どもにとっては刺激や学びの少ない「空間移動の手段」であることを、親は十分に認識していなければならないでしょう。

 昨日の私は、お恥ずかしながら、仲間との楽しい会話以外は覚えていることの少ない「らくちん移動」で・・・今日は、久しぶりの自転車練習で、ガチガチに力の入った腕の筋肉痛に苦笑です。
 スムーズなトライアスロンのレースデビューのためには、まだまだ、自転車の練習に励まなければならない私。ひたすら、完走を目指し、がんばります

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子どもにも世界がある

2009年03月19日 | う゛う゛ー
 「先生、うちの子ったら、幼稚園でも近所の公園でも、お友達と遊んでいる時、いつも思ったことが言えずに、やられっぱなし、言われっぱなしになっているんです もう、見ていたら、イライラしてしまいます・・・」とおっしゃるご両親は少なくありません。
 そういうわが子の様子を、とても歯がゆく感じていらっしゃるご両親は、きっと子どもの頃、はっきりと「イヤ」とか、「止めて」を言えるお子さんだったのでしょうね。
 それとも・・・ご自分達も子どもの頃、今のわが子のように、ウジウジしたり、されるがままになっていて、いろいろと損をしたり、辛い目に合われた経験が多く、たからこそわが子には、毅然とした態度で臨んで欲しい!自分達と同じ悲しく辛い思いをさせたくない、と思っていらっしゃるのかもしれません

 いずれにしても、一番大事なことは、「親がどうさせたいか?」ではなく、張本人の子どもが「本当はどうしたいのか?」を知ることでしょう

 たとえば、4,5歳になっていれば、こういう考え方をしている子どももいます。
 「私はこんなふうにされるのはとってもイヤ だけど、ここでイヤって言っちゃったら、○○ちゃんは怒っちゃうかもしれないでしょう?私は○○ちゃんが好きだから、嫌われたくないんだあ
 もしそうであれば、「なるほどねえ・・・あなたは、そんなふうに考えていたのね」と優しく受け止めてあげた上で、親としてのアドバイスが必要でしょう。
 でも、親の心配通り・・・
 「ぼくは、泣くほど~~されるのはイヤ でも、どうしてもイヤって言えない
と思っているのであれば、どうしてイヤと言えないと思う?と話し合ったあとで、やっぱり、そのことを知った上でのアドバイスをしてあげなくてはいけないでしょう。
 「今は我慢できても、ずっとこのままだったら、きっと辛くなってくると思うよ。だから、お母さんは、そうなってしまう前に、『○○くん、ぼく、本当は~~されるのがイヤなんだ・・・』ときちんと伝えるほうが良いと思うわよ。」と。
 ただ、中には、「ぼく(わたし)は、ぜんぜん気にならないよ 別にイヤじゃないもん
 というような子もいるものです
そうであれば、わざわざ親が根掘り葉掘り聞き出し、事を荒立てる必要はないでしょう。
 そして、子どもがいよいよイヤだと思うようになった時に、初めて「やっぱり、イヤだって伝えるほうがいいとママは思うな」と教えてあげれば良いでしょう。

 まあ、親からすれば、何にも考えていないように見える子ども達も、じつはいろいろと考えているのですよ
 1歳の世界では1歳なりに、4歳の世界では4歳なりに、6歳は6歳なりに・・・です。
 そして、こういう幼年期は、人はそれぞれの生まれ持った性格によっては、イヤなことをはっきり「いや!」と言う子も、言えない子もいます。そして、言うタイプ、言わないタイプ、どちらが良いか?などはわかりません 
 なぜなら、人が生きていくということは、たとえ子どもであっても「人と関わり、人付き合いをして毎日を過ごす」ということですから、最善、最良の策は、その時の状況、その時の相手によって、いろいろと違ってくるからです
 まさに、子どもの世界の中でも、いろいろあるんですよ、大人の世界と同じように・・・

 私は、しばしば、クラスが始まる前や、ちょっとした雑談中に、子ども達から「相談を受ける?!」ことがあります。時には、相談というよりも、切実なつぶやき・・・の場合もあります
 「○○ちゃんは、この頃は私と遊ばずに、△△ちゃんと遊ぶようになったの。私、何も意地悪もしていないのに・・・△△ちゃんは意地悪な子で、私が「入れて!」って言ったら、○○ちゃんと二人で遊ぶからダーメ、なんて言うんだよ、先生 ○○ちゃんは好きだけど、△△ちゃんはあんまり好きじゃないから・・・どうしたらいいと思う、先生?」とか・・・
 「Aくんは強くて怖い子なんだ。いつもお砂場で砂をかけるんだ だから先生に砂をかけることを言ったら、Aくんは先生に叱られたの でも、Aくんはね、ぼくが先生に言ったせいで叱られたんだって、すごくぼくに意地悪するんだよ 意地悪すること、先生にいったらダメかなあ?」
 私が、ママにも話したの?と聞くと、「話した」という子もいれば「話してない」という子もいます
 大抵、アグレッシブなパパ、ママ(?!)のお子さんは、「話していない」チームの場合が多いです。子どもなりに、そういうアグレッシブな我が親にこの傾倒の話しを耳に入れたとたん、ことが大きくなるってことを、何となく感覚として理解していてるんでしょうねえ。そして「言わないほうが良いだろう」と自分で判断しているのでしょう
 こんな時は、私は毎週、「その続きのお話」を聞くようにし、子どものガス抜きをしてあげ、その上で、必要な時には順序立ててアドバイスをするようにしています

 いずれにしても、です。
是非、親がわかっているべきことは「子どもにも子どもなりの世界があり、彼らは日々その中で、幼いなりにいろいろと考えて生きているのだ」という事です
 親は、ついつい「わが子を中心」に考え、当然のことながら、わが子がイヤな思い、痛い思い、辛い思いをしないようにアドバイスをします けれど、すでに4歳児以降は、子ども達も「大人の世界とさほど違わない問題」等を抱えて暮らしているものです。単純に「善悪」だけでは判断できない時があったり、善悪だけで判断してしまうと、みながギクシャクしたり、みなが不幸になる場合もある・・・大人社会の、まさに縮図ですよ

 集団生活が始まると、わが子と「公園デビュー」のことで悩んでいた頃とはもう違うのです。子どもは、すでに「母と子」「親と子」という世界の外で、「自分の世界」を持って暮らしています。
 何でもかんでも親が「すべてを」知りたがり、知ることによって何にでも首を突っ込みたくなり、「わが子を中心にして考える」クセは、そろそろ終わりにしなければ・・・わが子が不幸ですよ、お母さん

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気持ちを伝える

2009年03月09日 | う゛う゛ー
 先日、一人で横浜駅に近いおそば屋さんに入りました 頻繁に行く、というわけではありませんが、もう10年以上も前からのお気に入りのお店で、おそばが食べたくなると、わざわざ、そこに出かけようと思うお店です
 すでに2時を過ぎて、ランチとしては中途半端な時間でしたので、幸い、待たずに入れました。
 店内は、その時間ともなればビジネスマンよりもご年配の方が多く、みなさん、のんびりとお食事をされているようでした。

 私のお隣の席には、70歳くらいの男性がおいでになり、お一人で天ざるを召し上がっていました。テーブルの上にはお酒の徳利もあり、まさに楽しみながらお食事をなさっているご様子でした そば屋でのお酒は、昔から粋で、おいしいのだそうです
 人がお食事をされているのを、ジロジロと見るのは決して良い趣味とは言えませんが、人を観察することが好きな私は、ついつい、電車でも、公園でも、レストランでも、ちょっと気になってまわりの人をこっそりと見てしまいます
 
 中でも、人が「お食事をしている様子」には、とても興味があります。なぜなら、人が「食べている」時は無防備とでも言うのでしょうか・・・その方の普段の生活の様子や、環境、お人柄のようなものまで見えてしまう、そんな気がするからです
 特に、一人で食べる時は、同席している方への配慮の必要もなく、まさに人は「素」の状態で「食べる」行為に没頭します。
 おそば屋さんのおじいさん。とてもおいしそうに天ぷらを食べ、そして、やっぱりおいしそうにお酒を飲まれていました
 私は自分が注文したおそばが来るまで、思わず「どうぞ!」と父にするように、お酌をして差し上げたい・・・そんな気持ちになりました
 そのうちに私のおそばがやってきて・・・私も「素」で、おいしくいただきました

 そのうちに・・・その方が席を立たれて、レジに向かわれました。
きれいに畳んで置かれたおしぼり、きちんと揃えて箸置きに置かれた割り箸・・・ レジから声が聞こえました。
 「いやー、おいしかったですよ ゆっくりと食べさせていただきました。ありがとうまた来ますよ。ごちそうさま!おいしかった
 そう言われた後、わざわざ厨房のほうに向かって笑顔で手をあげられ、出ていかれました。
 私まで、とてもうれしくなりました いつものおいしいおそばが、もっともっとおいしく感じられました

 こういう「ひと声」を、私は最近、あまり聞いたことがありません。
大阪育ちの私は、すぐに誰とでも話してしまいます 良くも悪くも世間で言われる通り、関西人、特に大阪人は、知らない人とでもフレンドリーに?!話してしまい、関東では疎まれる傾向もあるのでしょう
 私も例に漏れず、タクシーでは黙って乗っていることができませんし、いろんなお店でも、ほとんど黙ってお買い物を済ませてしまうことはありません
 それプラス、食好きの私は、お食事をする場所では必ず「おいしかったです ごちそうさまでした」とか、「こんなおいしい○○、久しぶりにいただきました。おいしかったです 本当にごちそうさまでした!」とか、「もう△△の季節なんですねえ。今日は初ものをいただきました おいしかったです!」とか・・・ 声をかけてしまいます。
 そういう私の印象を、「よくしゃべるオバサン」と認識されている方も多いことでしょう

 でもね。
私は、このおそば屋さんでのおじいさんの「ひと声」を聞いて、あらためて思ったのです。
 『やっぱり、このようにお声をかけることは、お互いにとって気持ちの良いことではないか』と・・・
 それが、「ごちそうさま」のひと声でも良いですよね。
ただレジを見て、黙々とそこに表示された金額をお財布から出して支払い、出て行く・・・これでは、あまりに殺伐としていませんか?
 もちろん、人には性格がありますから、引っ込み思案の人や、恥ずかしがり屋さんは、そんなにペラペラと人とは話さない、話せない、とおっしゃるでしょう
 でも、それでもなお、その方の「声にならないような密やかな声」の「ごちそうさま!」も、単なる支払い時の「ニコリ」でも、心がこもっていれば、必ず相手には伝わるもの
 
 私が、よくお顔を合わせる母子がいます。
私立の伝統校に通う低学年のお嬢さんとお母様。やはり、どこか少し近寄りがたい空気を漂わせています それは、その親子の品格であり、お嬢さんが制服を着てご近所を歩いている限りは、その近寄りがたさは学校の品格を表すものでもあり、凛としたその雰囲気に私は好感を持っています
 でも でも
たぶん(いえ、きっと!)その方も私のことを「よく顔を合わせる近所の人だ」ということは、認識なさっているでしょう。
 ところが、そのお母様はなぜか、絶対に会釈さえもなさらないのです 完全にお互いに顔を合わせてすれ違っても、そのお母様は全くそこには誰も歩いていなかったかのように、まっすぐ前を向いて進んでいかれます。
 むー、私は不思議でならないのです・・・
入らぬお節介ではありますが・・・きっとお母様がそうであれば、あのお嬢さんも、あっ、この人、知っている!と思う人相手にも、会釈をする女性にはならないでしょう。

 どうしてなんでしょうねえ・・・ほんのひと言、「おはようございます」と声をかけあうだけで、そこにあたたかい空気が生まれ、ほんの一瞬であっても、人と人との間に和やかな、柔らかい関係が築かれるのに・・・ 声を出して挨拶をしなくても、会釈だけでもやっぱり同じ空気は生まれるものです。
 あのお嬢様は、そういうことを知らず、いえ、感じる経験もなく、大人になっていかれるのでしょう

 話し好き、おしゃべりなお父様やお母様こそが良い親ですね、と言いいたいわけではありません
 でも、ちょっと人に気持ちを伝えることで、その場が豊かになる・・・その場が和む・・・その場が明るくなる・・・そんなことを、親の背中をみることによって、子どもが自然に身に付けていけたとしたら、こんなに素敵なことはありませんね
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