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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

読み聞かせの落とし穴

2008年10月27日 | う゛う゛ー
今日は歯科受診の帰りに、久しぶりに駅に隣接している本屋さんに立ち寄りました
 この書店は大きく、さすがに某有名私立大学のお膝元だけあり、専門書からマンガまで品揃えは豊富です。夕方近くだったせいもあり、本屋さんの中は学生の数が多く、熱心に立ち読みをしているようでした
 奥のマンガのスペースと、普通の書籍のスペース、ほぼ同数の学生がいて、これまたほぼ同じ熱心さで立ち読みしているところが、とってもおもしろいな、と思って眺めたものです

 そんな中、今日も、絵本や幼児向けの本のコーナーで、熱心に本を手に取っているママ達の姿がありました
 私は、どんな本屋さんに行っても、必ず幼児向けの本売り場をのぞいて、本ではなく、ママ達の様子に興味を持ち、ながめてしまいます
  お母様達が、どんなふうに本を手に取っているのか?
  どんな本を見ているのか?
  どれくらいの時間、その本をチェックしているのか?
とても興味があります。

 活字離れが叫ばれて久しい現代。
しかし、幼い子どもを持つママ達の「絵本熱」は、むしろ昔以上に高くなっているのではないか?と思えてなりません
 幼児向けの本売り場には、所狭しとカラフルな絵本が平積みにされ、書棚にもたーくさんの本が並んでいます
 私が幼い頃には、せいぜい日本の昔話やイソップ、グリム、アンデルセン童話くらいが関の山、でした。それを思えば、今は、本当にたくさん幼児向けの本が、世界中のさまざまな国からやってきています
 そのすべてを一日一冊読んであげたとしても、義務教育が始まるまでには読み終えないのではないか?と思うほどの数ですねえ
 
 こういう時代になるとともに、幼い子どもとの日課の中に「読み聞かせ」という親子の時間が浸透してきています。
 私がお目にかかる多くのお母様方は、子どもに必ずしている事として「読み聞かせ」をあげられます。
 きっと今では、この「読み聞かせ」は、教育レベルの高いご家庭の「子育ての定番」になっているのでしょう
 確かに、この習慣は、お子様とママ(パパ)との大切なあたたかいふれ合いの時間でしょうし、子どもの想像力や言葉の理解、言葉の発達のためには、本当に価値のある、効果的なものだと思います

 しかし
そういうお題目のような、表面的な?読み聞かせ効果ではなく、あらためて「果たして、私とこの子の読み聞かせは、本当のところは、子どもにとってのどんな時間になっているのだろう??」と、見直してみることも大切だと思うのですが・・・いかがでしょう。
 
 小学校受験のテストの中には、必ずと言ってよいほど、「お話しの記憶」「お話しの理解」という問題が出題されます
 学校側が、わざわざこの傾倒の問題を出題するには、どうしても知りたい「子どもの力」があるからでしょう。
 たとえば、その力とは、子どもの「聞く力」「理解をする力」です。
 しっかりと聞けているかどうか?
  聞いた内容を、理解できているのだろうか?
 先生が本の読んでいる間(テープでお話しが流れている間)、お話しを真剣に聞き、そして理解が出来ているからこそ、その内容を「記憶」することができるのですね。

 ところが・・・です。
私が、年長児になった子ども達に対して、試験のための学習の一環として、ではなく、もっともっと幼い段階、たとえば、年少児や、年中児の春あたりに、「記憶」してもらうためではなく、たんにお話しを聞いて楽しむ・・・という目的のために「読み聞かせ」をしてみると・・・
 きゃーーーーというような反応が常、なんですねえ
 きゃーーーー!という反応。それは、子どもが、普段から、よく耳にしているであろう日本の昔話を聞かせても、予想をはるかに超える「わかっていない」という返事が戻ってきて、愕然とします
 
 この反応には、大きく分けて、2つの原因が考えられます。
  ひとつは、子ども達が、毎日読み聞かせの時に読んでもらっているお話しは、とても幼い頃には「ノンたん」、その次には「ぐりとぐら」、その次には「はじめてのおつかい」、「エルマーのぼうけん」・・・のように、良い!と言われる幼児向け絵本ばかりで、昭和の30年代、40年代前半に育った子ども達のように、日本の昔話などはあまり耳にしたことがない・・・という場合。
  二つめは、とてもよく知っているお話しで、ママ(パパ)にもよく読んでもらっているけれど、聞いているだけで、わからないことがあってもそのママで素通り。だから、内容を聞かれても、よくわからない・・・でも、ぼく、そのお話しは空で言えるよ!みたいなもので・・・という場合、です。

 前者の場合には、私が本を読み終え、子ども達にいろいろとたずねたところで、チンプンカンプンだったとしても、確かに頷けます。初めて聞くような話しであれば、日本の昔話は、時代も違うために、シチュエーションそのものが理解できないから、だからわからない・・・ということは十分に理解できます
 しかし、後者の場合には、そんなに頻繁に聞いてきていたお話なのに、どうしてほとんどと言って良いほど、詳しいことに言及すると、理解できていないのでしょうか?

 それはね。
「読み聞かせ」は、子どもにとって大変有意義なものである!と信じて疑わないご家庭が、気づいていない意外な「落とし穴」なんです・・・
 この落とし穴は、前者のご家庭にも起こりうること、です。なぜなら、私が子ども達に読み聞かせる本を「日本の昔話」ではなく、「はじめておつかい」のようなものにしたとしても・・・読み聞かせた後で、詳しく内容について聞いてみると、???のことが多いものです
 
 要するに。
読み聞かせる本が、すばらしいと評価の高い幼児書でも、絵本でも、昔からある日本のお話しでも、どんな種類の本であったとしても、子どもが聞いている「お母さんの読み聞かせ」が意味、内容の理解できる物語ではなく、単なる音の羅列の『呪文』としてしか聞こえていなかったとしたら???

 昔、私は「ふるさと」という歌を聞くのが、とても嫌いでした どうして大人は、こんなに酷い、怖い歌を歌うんだろう・・・と思っていました。
 はっ???と思われますか?
私は、「うーさーぎーおーいし・・・」という歌詞を聴いて、「ウサギを追う」とは思えず、「ウサギはおいしい・・・あの山のウサギはおいしい・・・」と理解していたのです

 「読み聞かせ」でも、じつは全く同じことが起こっているのですよ。
たとえば、桃太郎のお話。「おじいさんは、シバカリに・・・」これを、子ども達にたずねてみると・・・ 
 「おじいさんは、ぶーんって音のなる機械みたいなもので、芝刈りをしているんでしょ?」
 と言う子がたくさんいます。
 「おばあさんは、川へ洗濯に・・・」これは。
  「おばあさんは貧乏で、洗濯機がお家になかったんでしょう?」という具合。
 おばあさんが作ってくれた「きびだんご」に至っては、全く意味がわからない呪文、です。ですから、「きみだんご」と覚えている子もいますし、「きっびだんご」と言う子もいます(どうも、この子の場合は、歌の歌詞から、このリズムを覚えたようです)

 いかがでしょう?
おじいさんが、どこかの山で、わざわざなぜか芝刈り機で芝刈りをし、貧乏なために洗濯機が買えないおばあさんが、川で洗濯をしていると、川上(先生、「カワカミ」って、どこ?どこにあるところ?とよくたずねられます)から中に赤ちゃんの入った大きな桃が流れてきた・・・・
 ああー、支離滅裂なお話しです

 「読み聞かせ」は・・・子どもの想像力や言葉の理解、言葉の発達のために大変価値のあるもの
 どうでしょう?あなたのご家庭では、実際に、そうなっていますか?
 
 我が家では、子どもが幼い頃から、毎日欠かさずに「読み聞かせ」をしている!という親としての満足感ですっかり有頂天になり、豊かな家庭教育をしている「つもり」になっていませんか?

 子どもを育てていく上では、「読み聞かせ」に限らず、どんなことでもそうなのですが。
 言われたことだけを深い理解もないままに実行し、それをやっているというだけで、自分が教育レベルの高い親だと自負している・・・これは大きな誤解であり、単なる自己満足に過ぎません
 
 中には、「我が家の読み聞かせ」の行為は、「親子の大切な時間」というところだけに価値を置き、それ以上のものを望んでいないですよ!と、おっしゃっるご家庭もあるかもしれませんが、やはりそれは言い訳でしょう 「親子の大切な時間」を望まれるのであれば、もっともっと、価値の高い、楽しい時間があるはずですからね。

 読み聞かせは、字の通り、読んで聞かせる、という行為だけでは、子どもにとっては呪文に過ぎないものです。
 それが、ベッドやお布団に入ってからの習慣であれば、本当に睡眠への導入剤であり、一つの儀式、の意味しかないでしょう
 
 おじいさんが柴刈りに・・・と何度か読んであげたあとで・・・
 「ねえ、ママが言っている『おじいさんはシバカリにって、どんな意味だと思う?』
 と話しを始め・・・
 『昔はね、今みたいに、お台所には便利なガスがなくってね。みーんな、小さな枝に火を点けて、大きな火になってから、もう少し大きな枝を持ってきて・・・』
 と教えてあげると、きっと子ども達は驚くでしょうねえ

 そして、次の日、お台所を覗きにきた時に、言ってあげればどうでしょうか。 「ママは、こうしてお湯を沸かせるけれど、桃太郎のおじいさんは、お湯をわかずだけでも、柴に火をつけないといけなかったのよね。ママは、山に柴刈りに行かなくてもいいから、うれしいわ。昔の人は大変!」・・・・
 
 これで、やっと、子どもの「想像力」が育っていき、語彙も増え、お台所や火、昔の暮らしなどもにも興味が広がっていくかもしれないですね これも、親のリードしだい、です
 さあ、あなたの「読み聞かせ」は大丈夫ですか?

 

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子どもはお気の毒

2008年09月15日 | う゛う゛ー
 今日は朝から、夫と二人で横浜国際プールに泳ぎに行きました 夫の出張中に、私が2ビート泳法をマスターしたので、是非、実際に泳いでいるところが見たい、という夫の申し出があったのです
 私も、この「習いたてほやほや」のこの時期は、少しでも頻繁に泳ぎ、しっかりと身につけるほうが良いと感じていますので、二人でいそいそと出かけました
 横浜国際プールは、50メーターの公式プールです。前回、7月に行った時には、やっと息継ぎができるようになった直後で、50メーターを泳ぎきることができず、必ず40メーターあたりで立って、あらためて残りを泳ぎました。
 しかし今日は、全く息も苦しくなく、2ビートもしっかり板に付き、問題なく泳げるようになっていました 夫からも、何度も驚愕と賞賛の言葉をかけてもらい、生まれて初めて、クロールで1000メーターを泳ぎました

 その後、昼食をし、寄り道をして帰ったのですが、最後の寄り道はお買い物でした。今日は車で出かけていたので、いつものスーパーではなく、駐車場の大きなスーパーに行きました
 あれやこれやと買い物をして、駐車場まで戻ると、そこに事前精算機・・・そこに来て初めて、90分間の無料駐車のためには、入り口でもらった駐車券に、レジで承認印が必要であることを知りました
 私達は、またB1の食料品売り場へ・・・その旨をお話ししようとサービスステーションに行ったところ、何と、目の前には、私のバッグが置かれているではありませんか

 そうなんですね
私は、ショッピングカートにレジカゴを乗せ、自分のバッグを、押し手のところに引っかけたのでした。
 ところが、山ほど買い物をし、両手にあれこれ持ってしまったために、ショッピングカートをカート置き場に戻す時、すっかり「引っかけたバッグ」のことを忘れてしまっていた?気にも留めなかった?のでした
 幸いにも、ご親切な方が、すぐにカートに引っかかったままのバッグを発見し、サービスステーションに持っていってくださった、ということでした
 夫は呆れましたし、私自身も、何とマヌケな行動か・・・と反省するやら、情けないやら・・・

 決してバッグを忘れた言い訳ではなく・・・案外、そういうことってありませんか?
 忘れ物だけではなく、たとえば・・・
  とても大事なものを買いに行き、ふっと他のものを見て、それに一生懸命になって、肝心のものを買い忘れて帰って来た・・・とか。
  わざわざ何かを部屋に取りに行って、目についたものを片づけたりして、取りに行ったはずのものを持ってこなかった・・・とか。
 お恥ずかしながら、私のような粗忽者は、しょっちゅう、そういうことがあるのです でもね、自分でしでかした「お恥ずかしいこと」ですから、「バカねえ、私ったら・・・」などと苦笑するだけで、それを人から咎められたり、叱られたり、注意を受けたりすることはありません。

 でも、それが自分の子どもがしでかした「オマヌケ」だったとしたら、どうでしょう?
 もし・・・私がショッピングカートに、大切なお財布やクレジットカード、各種鍵まで入ったバッグを忘れてきたように、幼い頃の私の息子や娘が、同じように「同様のもの」が入ったバッグを掛けたままで忘れてきたとしたら???
 きっと私は、タイムリーに叱らなくてはと思い、決して穏やかに、などではなく、ビシッと大声で言うことでしょう
 「もー、あなたは何やってんの ボンヤリしてちゃ、ダメでしょ 中には何が入ってんの?言ってご覧なさい いらなもの?ゴミ?違うわね お財布、お家の鍵 そうね 無くなったら、どうなるの?あなたも困るし、家族みんなが迷惑するのよ わかってるの??何をボンヤリしているの しっかりしなさい、しっかり ほんとに・・・呆れちゃうわ

 みなさんは、どうですか?
私はね、いまでこそ、子ども達が20歳を過ぎたので、こんな叱り方をしなくはなりました。でもね、言いますよね、母親って、こういうことを・・・
 それに、さっき私が自分のセリフとして書いたことは、何一つ間違ってはいないですし、その通りなんですよね。だから、忘れた子ども達は、当然のこととして、親から、このように叱られるべき?叱られても仕方がない!・・・わけです。

 でも
今回の私のように・・・親でもあるんです。ちょっとしたことで、注意力が散漫になって、ふっと大事なことを忘れたり、抜かしたりしてしまうこと・・・
 そして、オトナである自分がやると、こういう「ポカ」は苦笑で済ましてしまうのです 時には、お友達とのお茶の時の「笑い話」として提供することもあったり・・・

 オトナは、理不尽です
私は、自分の子ども達が大きくなった今、あらためてこういうことに気づき、彼らにはもう怒鳴らなくなりました
 そして、心からの愛情を持って、本心から・・・
 「見つかって、本当に良かったねえ。安心したでしょう?
 「あらあ、無くしてしまったの・・・びっくりしたでしょう?まっ、仕方ないじゃない。ここで、ああだこうだって言っても出てくるわけじゃなし・・・でも、また、気を付けてね。みんながこのことで、かなりの迷惑するんだもん
 ・・・のように、まずは、相手の凹んだ思いをわかった上でのコメントをするように心がけるようになりました。

 言って当然のこととは言え、怒鳴っていた頃には、ついつい子ども達は・・・
 「だって・・・」
 と、まずは言い訳をしようとしていた彼らも、「大変だったわねえ!」とか「さぞかし驚いたでしょう?」と、辛かったり、悲しかったりする自分の思いを察して言葉を話されると、とても素直になれるようで・・・
 「本当にごめんね ボンヤリしていたばっかりに、こんなことになってしまって・・・」
 と、素直に謝ることができるものなんですね・・・

 私は、小さな子ども達でも、気持ちは同じだと思いますよ。
決して、子どもを甘やかすわけでも、迎合するわけでもありません ただ、頭ごなしに怒鳴るのではなく、まずは、「相手のつらさ」を感じてあげ、それに対して心を向けてあげることです。
 諭したり、注意したりするのは、その後からでも遅くないですものね

 それにしても・・・
あのバッグ、出てきて良かった
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子どもの心をキャッチしていますか?

2008年07月28日 | う゛う゛ー
 子どもの心をキャッチする・・・これは、とてもむずかしいことですが、親子関係の中で、最も大切なことでしょう
 「親が相談に乗ってくれなかった」「勉強しろ、とばかり言われて、鬱陶しかった」「親に見捨てられたと思った」「大きなことをして、親を困らせたかった」etc.etc.
 いったい、何をふざけたことを言っているのだ・・・だいたい、いくつになって、そんな子どもじみたことを言っているんだろう?・・・勉強しろ!くらい言って当然だろう・・・おまえなんて死んでしまえ、くらいはカッとしたら言うでしょう・・・親を困らせたい?ふざけんな
 これははぜーんぶ、至極当然の「親のつぶやき」です。私だってそう思います

 でも・・・私は、ことの善悪という判断とは全く違う次元で、ほんのちょっと、思うことがあるのです

 子どもに届かない親の言葉は、どんなに語ったとしても、それは無言に等しいし、子ども側が実感できない親の愛情は、どこかで子どもが親に求めているベクトルとは違っている・・・ 
 愛しているぞと叫んでも、子どもが愛されていると実感できないとしたら・・・その愛情は空回りの虚しいものです・・・

 きっと、そういう親子は、本当にずっとずっと昔に、ボタンの掛け違いをしてしまい、それに気づかぬまま、全く悪気なく、大きな間違い、大きな罪を犯してしまっているのでしょう。
 もしかしたら、ボタンの掛け違いに気づいたとしても、もう、今さら面倒で、元に戻していくのは億劫だ・・・と感じた親もいるかもしれません そして、そんな時には、かけ違ったボタンをたぐり寄せる努力をしなかった自分を正当化するために、もう子どもは大きくなっているのだから、とか、今さら時間は巻き戻せない、とか、もっともらしい言い訳をしているかもしれません

 子どもが小さい頃は、よくこんなことがありますよね。
 「ねえママ、あのね、ぼくね・・・あのね、ぼく、今日、幼稚園でね・・・」
 子どもは話し始めますが、ママは夕飯の支度を急いでいて、真剣に聞こうとはしていません。子どもが、ママの後ろを付いて、話そうとします。とうとうママは言います。
 「○○ちゃん、あのね、今ママは、晩ご飯の支度をしていて、急いでいるの。だから、ちょっと待っててね。あとで、そのお話し、教えてね
 でも・・・ほとんどのお母さんは、「あとで、そのお話」を聞いてくれることはありません
 お母様がスケジュール通りにしたかった夕飯の支度を終えて、お母様のイメージした通りの時間に夕食を囲むことができたら、ママはもう、子どもが「あのね、あのね・・・」と、ママの後ろを付いてきて、わざわざ言おうとしていた、ということさえも忘れてしまっている人が多いものです

 塵は・・・積もれば山となります。
でも、たった1回だけ、子どもが語りたかったことをお母様がパスしてしまっても、山、にはなりません。
 しかし、悲しいことに、こういうお母様は、たった1回だけパスをしてしまうのではないのです 確信犯なんですよ・・・
「あとでね!」は、便宜上語られる慣用句で、その子達は知っています。
「ママに、「あと」はないんだよ・・・」ってことを
 
 この子ども達の、ママに聞いてもらえなかった残念な思いは、積もっていき・・・山となります。
 本当にお母様が忙しい時には、絶対に子どもには待たせるべきです。子どもは、王子様や王女様ではないのですから、大人が大事な用を済ませないといけない時には、ちゃんとそのことを理解して、待たなければなりません
 けれど、ちゃんと子どもが待った後は、当然、必ず、待てたことを誉め、真剣に子どもが話したかったことを聞いてあげなければ・・・子どもは、待った甲斐がありません

 以前、中高生のカウンセリングをした時、男女を問わず、多くの中高生は言いました。
 「先生、うちのお母さんは、昔から自分が言いたいことは目一杯言うクセに、オレが(私が)話したいと思った時には、必ずってほど聞かないんだ。『何言ってんのよ、そんなつまんないこと!』とか、「そんなこと言っている暇あったら、勉強しなさい!」とかさ。ホントは、オレのことなんて、どうでもいいんだと思うよ。」
 
 私は、身につまされる思いがしました。
もし、4,5歳児が、中高生のような言語能力を身につけていたら、きっと同じことを言って、愚痴を言う子ども達は多いでしょうね。
 そして怖いことに、4,5歳児の頃から、こうして親に待たされながら、聞いてもらえなかった子ども達は、何と10年の長きに渡り、ずっとずっと、親に真剣に聞いてもらっていない、ということです・・・

 4,5歳の子どもが、親に聞いてもらいたいと思って一生懸命に語ろうとしていることは、たぶん、親にとれば「ほんの些細なこと」に違いありません。
 けれど、「是非、ママに(パパに)聞いてもらいたい」と思った「心」を踏みにじって良いわけはないでしょう

 中高生になった子ども達が、親に真剣に何かを語りたい時、聞いてもらいたいと言う時、彼らはきっと深刻な顔をして、まるで「渡る世間は鬼ばかり」の中のえなりかずきのように・・・
 「お父さん、僕、お父さんに折り入って話したいことがあるんだよ。忙しい時に申し訳ないけど・・・相談に乗ってもえらえるかな」などと、言うわけはないのです。
 あれは、大人が、勝手に描いた理想の息子像でしかありません

 親が、どれほど子どもからの「今、聞く時」という瞬間をキャッチできるか?
 キャッチしてやろうと、心を子どもに向けているか?
 これが、すべての鍵となるでしょうね

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個性ですか?変わり者ですか?

2008年07月06日 | う゛う゛ー
「嫌なことはしない
「苦手なことはしない
「好きなことだけ進んでする
「上手で、誉められることだけする

 これは、今の子ども達の傾向です
私は、こういう子どもが育っていく陰には、「個性、個人を大事にする」という、現代の育児の柱となる考え方があるのではないか、と思っています。
 「我が子の個性を尊重する」いやー、かっこ良い響きのある言葉ですよね 親として、意識高く子育てをしているぞ、という気持ちになれますし、ちょっと上等な、スマートな親である気分が味わえます
 表現は適切ではないとは思いますが、「個性尊重」という言葉は、現代の子育ての「錦の御旗」のように感じてなりません。
 しかし、この言葉は、まさに「七色」だと思うのですよねえ、私は・・・

 たとえ子どもだからと言って、まるで親のお人形、親のおもちゃのように、存在を否定されるがごとく、親の横暴を甘んじて受けなければいけない、というのは断じて違うでしょう
 子どもには稚拙ながら、子どもなりの「思い」「気持ち」はあるのですから、それを聞いてももらえず、「黙って親の言う通りにしなさい」というのでは、あまりの子どもが気の毒です

 しかし、生まれて間もない頃から、「この子の~~~ところは、この子の個性なのだ」と決めつけ、社会的道徳や常識、慣習等を無視し、何ら軌道修正をすることなく、すべて受け入れ、認めている親・・・今は多いですねえ
 そして、そういう親に限って、「自分は進歩的な親である」という自覚を持ち、そういう自分の子育てに酔っているものです。
 でも・・・私は、増加しているそういう親子を眺めながら思います・・・

 案外、親は気づいていないのですが・・・時代は変わっても、子どもって、結構コンサバティブなんですねえ
 ちょっと「変わった子」に対しては敏感に反応し、その子のマイナスポイント(他の子ども達と比べて、少々特異に見える部分や言動、行動など)は、かなり仲間としては受け入れがたいもの、として感じるようです

 要するに、親が「個性」として尊重してきたようなもでも、時には子ども世界の中では「変なところ」としてしか受け止めてもらえないことがある・・・

 子どもとは残酷なものですから、何でもズバリとものを言うものです
 「○○ちゃんは~~だからイヤだ-
 こういうことを平気で言うことは良いとは思いませんし、当然、ご家庭で巨行く的指導は必要ですが、現実の子どもの世界では、こういう会話は日常茶飯事、ですよ
 大人が理想として考えるような・・・
 「○○ちゃんはね、~~ばダメだけど、でも、~~は良いから好きなんだ
 のような感覚は、まだまだ6,7歳という年齢では育ってはいません。そんなふうに、人を「総合的に評価する」という習慣は、もっともっと後になって育っていく感覚でしょう

 ですから、親に「個性」だと評価されて、家庭内では「何でもあり」「何でもステキ」という状態で育った子ども達は、結局は、子ども世界の中では「特異な存在」となっていくことは多いのですね・・・
 親は進歩的なつもりでご満悦でも、我が子が毎日生きている現実的な子ども世界では、結構子どもは困ったり、悩んだりしているかもしれない・・・その責任は、「親」にあるのですよね

 数回前のブログでも話題にしましたが、今のご両親は、子どもが幼い頃から、非常に熱心に知育教育に取り組まれます
 それは、芸術性の高いもの、運動能力向上のためのもの、脳開発的なもの・・・じつにさまざまです
 そして、もちろんそういうものはすべて、必ず、子どもの成長の上で、大きな役割を果たし、子ども達の肥やしになっていきます
 
 しかし、家庭生活、家庭教育の中でしか、培ったり、養ったりできない、というものもたーくさんありますよ
 「嫌なもの、苦手なもの、誉めてもらえないもの」にも、人はひたむきに取り組み、たとえ結果はどうあれ、自分の好みではないものに挑戦し、その過程からさまざまなものを経験して学ぶ・・・そういう「取り組みの行為」が、子どもにとって有意義であり、学びの基本となるんですよね
 もちろん、結果が伴えば、もっともっと素敵ですが・・・

 子どもの個性、という言葉にカモフラージュされてしまう努力の回避や、無意識下での甘やかし、社会性の欠如など、現代の子ども達に関わる問題は山積です
 あなたの親子関係は、大丈夫ですか?
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人任せの教育

2008年05月26日 | う゛う゛ー
 今年は、新学期が始まって以来、天候不順とでも言うのでしょうか・・・雨がよく降り、台風並に風の強い日や、寒さのぶり返し・・・などなど、新入生にとっては、なかなか辛いスタートとなりました
 中でも、電車等の公共機関を利用して通学する小学生にとると、受難の年であったかもしれません

 しかしながら、「経験は成長の糧となる」というのが私の持論。
過酷な状況に置かれればおかれるほど、子ども達は「何とか自分の力で解決しよう」という知恵を働かせるものです。
 すぐに助けてくれる人が常にまわりにいる、という状況下で暮らしているからこそ、子どもはいつまでも逞しくならず、自分の頭でものを考えなくても大丈夫、とからだが認識してしまうのですね
 まわりに誰もいない、自力で何とかするしかない、ということになれば、必ず、子どもは自発的に考えようとするはずですよ

 パニックになるような状況のもと、最初は涙目だった子ども達も、あれこれと自力で対処していくうちに、知らず知らずのうちに知恵を働かせていくはず
 いつも私が教室の子ども達に言っていること。
 「あなた達の頭は、帽子をかぶるためだけにあるのではないのよ。頭は、中に入っている脳みそをしっかりと使わなくちゃ ちゃんと、自分の脳みそを使って考えなさい

 さて、そんな1年生。
がんばる子ども達とは全く違う土俵で、中には少々(かなり)トンチンカンな母親達は、方向違い?!の頑張りを見せます。
 今日は、東京と神奈川にある3つの小学校の父兄の話をご紹介し、少し苦笑しながら考えてみてください

 まずは一つ目。横浜のある私立校でのお話。
この私立小学校は、女子は一貫校ではありますが、男子には系列の中学は併設されていないため、全員が中学受験をする、という学校です。そして、女子は一貫校の形体はとってはいるものの、実際には多くが男子同様に外部の中学受験をします。 当然、この学校の志願者は、中学受験を前提としてこの学校を考えている、という父兄達です。
 4月。晴れ姿の入学式から約半月。新入生の保護者会が開催されました 緊張の第1回の保護者会が終わると、静かに座っていた母親達もホッ 保護者会の会場である1年生のお教室を出たとたん、ひそひそと話を始めます
 上にご兄弟、姉妹がおいでになる母親が、やはり話題の提供者です
どんな私立校でもそうですが、お母様方の中には必ず「情報通」と呼ばれる人が何人かいて、こういう人達は人好き?お世話やき?とでも言うのでしょうか、あちらからの情報、こちらからの情報を紡ぎ上げ、そこにご自分の経験や解釈をちょっと加えて、保護者会のような機会があると、必ず、リーダーシップをとって会話の中心になります
  「昨年のK中学への進学者は、ほとんどが○○塾に、1年生から通っていたのですって
  「最近はA中学の人気がないって聞きましたけど、△△さんというお親しい友人のお兄ちゃまのお話ですと、やはり、かなり頑張らないと大学受験は浪人を覚悟だそうです・・・」
  「O中学合格の鍵は、2年生からの○○教室の算数なんですって ××の通信教育もいいそうですよ
 それを聞いたお母様方は、多かれ少なかれ、そういう情報をしっかりと頭の中で整理し、帰ってご主人様にお話するのです。
 そこで夫に提供される話題は、校長先生や、学年主任の先生からのありがたいお話しではなく、帰り道で聞いた「塾や受験の話」が先行 すっかり興奮気味です。
 保護者会でいただいたレジュメも折りたたんだままで・・・教育方針や教育理念、6年間の展望、ご家庭で実践してほしい人間教育、などなど、実際には二度と真剣に見返されることなく、忘れ去られてしまうのです

 天の声 お母様、あなたはいったい、何のためにその小学校を志望したのでしょう?学校って何ですか?少なくとも、そこは中学受験のための予備校ではないはずですよ
 
 二つ目。東京にある共学一貫校の場合。
この学校でも、新入生の父兄のためのガイダンスが開かれました。どのお母様も緊張気味。
 しかし、その場の雰囲気に慣れてくると、校長先生の教育理念のお話、学校の歴史などのお話しになると、多少眠そうなご様子も見られます
 ところが、教務主任の先生にマイクが渡り、毎日の学習や教科についてのお話にかわったとたん、急に体が前に乗り出してきます。
  「・・・今年からは、体育の時間にはリトミック的な要素も取り入れて・・・国語の時間には、作文に力を入れます・・・生活科では、田植え、稲刈りなどに出かけ・・・」というお話し。

 帰り道では、多くのお母様方が唾を飛ばします。
  「どこか、良い作文教室をご存知ですか?」
  「少々お遠いのですが、私学の生徒達がたくさん通うリトミックに体操を取り入れたお教室がありましてね・・・」
  「○○という団体がありまして、田植えや稲刈りに連れていってくださるんです。お遊びって感じではなくて、退職なさった理科の先生が同行なさってね・・・」

 天の声 お母様、校長先生がお話しになった、この学校で最も大切にしていることを熱く語られた内容・・・覚えていますか?そして、そのお話を、子供に理解できる言葉で、帰宅後お話してあげることは出来ますか?何のための保護者会だったのでしょう

 三つ目のお話。今度は、女子の一貫校の場合。
この学校では、すでに入学前から、数回、新入生の保護者向けのオリエンテーションが行われていましたが、この日は、入学後、初めての保護者会。お母様方は、すっかり安堵の表情です 保護者会終了後、駅までの道を歩きながら、是非お茶をご一緒しましょう、と話がまとまります
  「・・本当に良かったですねえ これで12年間はもう安心ですもの。中学受験もないし、私達はのんびりと出来ますわね
  「主人とも話していますの。女の子なんだから、小中の頃は楽しく送ればいいって 大学受験に関しては、お利口してくれていれば良い推薦がいただけるでしょうし、がつがつ勉強のことを考えたり、勉強させたり・・・今はそんな必要、ないんですものねえ。」
  「ご近所のお嬢ちゃまはね、この2月に中学受験なんですよ。毎日遅くまで塾通いで、おかわいそう・・
  「お知り合いの方は、小学校3年生の夏休みに、ママとご一緒にイギリスに短期留学なさったんですよ いかがですか?ステキでしょう?」

 天の声 入学はゴールではありません。たとえ一貫校であっても、身も心も弛緩するのは禁物。入学と同時に、ご両親もその学校の父兄という看板を背負われたのですから、常に適度の緊張感を持つべきではないでしょうか?長い長い12年間のスタートです。最初が肝心ではないのですか?ここから気持ちを引き締める・・・違いますか?

 学校とは、「環境」です
 決して「勉強」だけをするところではありません。
『御校の教育方針、教育理念に感銘を受けました』『親子でともに学んで行きたいと考えております』・・・そう願書に書いたのは、薄っぺらい、合格したいがための「ウソ」だったのでしょうか?

 現代のお母様方は『ご自分で一生懸命に考え、工夫して、我が子に合った「人間教育」を考える』ということは苦手のようです
 もしかしたら、苦手というよりも、その必要性を全く認識せず、何でもスペシャリストと呼ばれる人達に預け「人任せ」にするのかベスト、と考える傾向が強い・・・のかな
 これでは、やはりお母様は子どものスケジュール管理をするだけの「マネージャー」に成り下がってしまいます

 繰り返しますが、学校は「教育的環境」です。勉強をしながら、その学校の教育方針の下、将来は次世代を担う社会人を育てよう、としているのです だからこそ、学校と家庭が協力しあい、双方がそれぞれの責任を全うしてこそ意味があるのではないでしょうか?

 伝統校、名門校、新設校、成長校・・・私立の学校にはそれぞれに特色があり、先生方と、多くの卒業生1人1人によってその学校を作り、支えています

 お子様にとって最も身近なお母様、最も影響を与える存在です。
どうぞもう一度、母としてのあなたの存在の意味を、あなたの母としての役割をじっくり考える機会を持ってみませんか?

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