goo blog サービス終了のお知らせ 

まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

躾、せめて幼いうちは!

2006年04月04日 | プンプン
 春休みの観光地は、家族連れ、子供連れで賑わいます 横浜のさまざまな場所も、その例外ではありません
 港の見える丘公園、山下公園、外人墓地、元町、中華街・・・今では、みなとみらい地区も新しい観光スポットとなり、休日は観光客がいっぱいです

 そんな状況のもと、「走り回る子供達」「大声を出したり、奇声を発する子供達」のことが、いつもいつも気になってしまいます
 確かに、広い公園や、TDRのような場所で、子供達がすっかり興奮するのはよくわかります。そして、そういう場所で走り回り、飛び回り、大声ではしゃぐ子供達は、とっても愛らしいものです
 しかし、公共の場である駅の構内、レストラン、ホテルのロビー等、どう考えても「静かにすべきところ」で、そのルールが守れない、守れない我が子を叱らない、そういうマナー違反の親子を、私は許したくはありません

 道徳心、という言葉が私語となりつつある現代の若者達 公共の場でのマナーは、多様化してる?と、大人のほうが認識すべき時代なのでしょうか?
 電車の中でしゃがむ、食べる、飲む、お化粧する、着替える・・・公共の場は、今では「移動するための、自分の空間」のように理解しているようです 食べたいから食べる、飲む、時間がないから着替える、お化粧をする・・・そこに他人の目は意識すべきものではないらしい。他人の目があったところで、それが何?ということらしい
 程度の差こそあっても、今の子供達は、そういうことが何となく若者にとっての当たり前の行動、として受け入れられているようです

 いずれ・・・どんな家庭の、どんなに厳しい躾を受けた子供も、世の中がこうである以上、純粋培養されることはなく、育っていきます 要するに、家庭から一歩出れば、「今の若者」として育っていくものなのでしょうね
 こういう状況の中で生きていかなければならないのであれば、せめて幼い時期には徹底した躾をし、公共のマナーを教え、守らせなければいけないと思われませんか?

 傍若無人に振る舞うことが、一種の「若い証」である、と言うのであれば、せめてスイッチを持つ子供に育てて欲しいと思います

 正しいマナーを知っている、というのと、正しいマナーなど知らない、というのでは、天と地ほどの差があります
 日頃は、若者として、仲間と傍若無人に振る舞っていても、「大人として振る舞うべき時」には、しっかりスイッチの切り替えをし、立派な社会人としての行動がとれるように、幼い時期には徹底的に道徳心、公共でのマナーなど、教える必要がある!
 私はそう思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「子供なんだから・・・」は許されない?!

2006年01月16日 | プンプン
 昨日の日曜日、私は主人と一緒に新年会に出席しました
 今は退職され、悠々自適に暮らす主人の大学時代の恩師を囲むこの新年会は恒例のもので、参加者は上は60代、下は30代 昨年までは、先生のご自宅で延々と行われていた会でしたが、古稀を迎えられる今年を一つの節として、先生のご自宅に近いレストランで催されることとなりました 
 気のおけない会だったせいか、子供連れで参加されているの方もチラホラ 会場はとても会場はとても賑やかでした

 レストランのドアを開けると、みなさん一様にすっかり大学の研究室にいた頃のように気分はワープするらしく、参加者はたとえ子連れであっても、一歩中に入ったとたん、久しぶりに会う懐かしい先輩、後輩の面々と話を始めます。
 年齢差が大きく、顔見知りでないという場合には、名刺交換などもあり、思い出話だけではなく、仕事の話にも花を咲かせているようでした。
 そんな雰囲気の中、最初は親にくっついていた子供達も、次第にその場の雰囲気に慣れ、良くも悪くも、どんどんとリラックス そのうちに、躾の悪い子?!は、調子にのり始めます
 私はあくまで部外者ですから、にこやかにお話を聞いたり、雑談をしたりしながらも、子供達、その親達の様子を見ていますと・・・いやいや、いろんな親がいるものです
 我が子がちょっと羽目を外していると見ると、すぐにとんで行って、叱り、諫める父親、母親もいれば、ほとんど会がおひらきになるまで、一度も子供の世話をしようとしない親もいる・・・ たまたま、父親は同じ大学、同じ学部、同じ学科の卒業生ということですから、そういう意味での教育的レベルは同じはず。しかし、子供はおもしろいくらいにいろいろなのです

 そんな中、今回、私がとても気になったのは、調子に乗って騒ぐ子供達ではなく、「口の悪い子供」でした。
 たいてい、こういう会の参加者の中には、とても子供好きの人がいるものです 我が子でなくても、上手に子供の相手をして、たちまち子供達になつかれ、人気者になるような・・・やはり、昨日もそういう方が数人おいでになりました。中でも、大人気の「やさしいおじさん」が一人
 ところが、そのおじさんに相手をしてもらっていた幼稚園の年少さん?年中さん?くらいの子供・・・最初はケラケラ笑ったり、話したりしていたのですが、そのうちにその人にすっかり慣れてくると、突然、大きな声で節をつけて
「はーげ、はーげ、はげちょろりん
と歌い始めたのです。その子につられて、そばにいた妹と思しき2歳くらいの女の子も、まわらない舌で、「はーげ、はーげ・・」と連呼 確かに、髪は少々薄くなり、真っ黒の髪がフサフサ状態ではありませんでしたが、お見受けするお年から考えると、当然のことでしょう。

 最初その男性は、おどけた様子で「このー、おじさん、怒っちゃうぞ!」などとプンプンと怒る真似などをしていましたが、そのうちに真顔で「まいったなあ・・・」と苦笑。すっかり調子に乗って、いっこうにやめない状況になってからは、不愉快極まりない、という表情でした

 その様子を、遠くで気づいたお母さん。まわりで談笑していた人に、全く悪びれず、
「いやだわー、うちの子ったらあ ○○さんにあんなこと言って。(どうも、同年代で以前から十分に面識があるらしい)あの子ったらね、いつもあんなふうなのよー。人を笑わせるのが上手いって言うのかしら 幼稚園でもそうなの。先生、笑ってらっしゃるのよ、いつも。どうも、コマーシャルとかで覚えちゃったらしいんだけど、髪の薄い人を見ると、あんなふうに歌うのよ。私も、思わず笑っちゃって・・・

 ちょっとちょっとお母さん。あなたが笑ってどうするのですか?
とってもご優秀な頭をお持ちのお母さんのはず それなのに、どうしてそんなに悠然と笑っていられるのでしょう?万が一、ご自分と「やさしいおじさん」が同窓生、親しい仲であったとしても、やっぱりこの状態は間違っています

「どうせ子供なんだから、幼いんだから、したり、言ったりしたって仕方ない」というのは、大間違いでしょう。たとえ子供でも、幼くても、してはいけない事、言ってはいけない事は、しっかりと親に教えられるべきです 親も、子供にわかる言葉で伝える責任がある、そう私は思います。

 私が子供の頃、「バカって言ったら、言ったほうがバカなんだよー」などと、ちょっと意味不明のフレーズを、決まって言ったことを思い出します。今でも時々、クラスの中で子供同士がこの言葉を使っているのを耳にして、こんなに時代が変わっても、子供は同じことを言うのだなあ、と、ほのぼのとした気分で聞いたことがあります
 しかし、考えてみれば、あの意味不明のフレーズも、じつは、
「バカ、という言葉は、なぜかと言うことははっきりとはわからないけれど、とにかく、言ってはいけない言葉なんだよね
ということを、子供ながらに理解していた言葉だったのですね

 保育園や幼稚園などで、子供が団体生活を始めるようになると、まさに「言葉は凶器」ということを、子供達は身をもって経験することになります いやなことを言われて怒髪天を衝くほど腹を立てたり、自分がいやなことを言って、大事なお友達を傷つけたり・・・
 幼い頃から、親がしっかりそういうことを理解し、社会性を育てるという意味だけではなく、子供自身のために、教えていかなければいけない、そう思っています
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由が丘の勘違い親子

2005年12月13日 | プンプン
 先日、友人と一緒に、自由が丘で昼食をすることになりました。その後、娘の学校の講演会があったので、私達はゆっくりとランチを楽しむ、というのではなく、ささっと済ませるランチでした 私達がその日に入ったのは、たまたま、待ち合わせ場所の目の前にあった今流行の自然食の定食屋さん。そのお店、前回の保護者会の時にはなかったお店ですから、きっとここ3,4ヶ月でオープンしたお店なのでしょう 私達が入った時は、まだ正午少し前でしたので、店内はがらんとしていましたが、ほんの数分後、近くのビジネスマン、OLさんで、ほぼ満席になりました。

 さあここで、今日のブログの主役が登場。
見るからに教室帰りの装いの母子でした。ママの手には紺色に刺繍のおけいこバッグ。子供はかわいいワンピース。入ってきたとたんにママ、「あら、混んでるわねえ。子供も一緒ですから、なるべくゆっくり出来るテーブルをお願いします!」ですって。この時点で、私と友人はすでに「???」状態 もし、常識ある母親であれば、この時間、ビジネスマンが多いお店には、子連れで来ること自体、控えたでしょう。
 それでも、お店の方はいやな顔もせず、席に案内しました。するとそのママ、すかさず、お隣のテーブルの椅子の上に荷物とコートを躊躇なく置いたのです。それを見た店員さん、さすがに咄嗟に何か言おうとすると、それを察したママはキッとした顔になり、怖い声で「いらしたら空けますから!」と言われました。もう、私と友人は平常心で食べ続けることができなくなり、身体全体を耳にして、憤りの思いで黙々と箸を進めました お店の方が、その親子の注文を聞いて厨房に戻られるやいなや、次のお客様が入ってこられて、親子の隣の席に近づきました。ママは、その人達をギロリと見てため息をつき、置いた荷物を自分の椅子の背に・・・
 次には何をしたと思います?「さあ、○○ちゃん、お手々を洗いに行きましょう!そのままでお食事をいただくのは、ばっちいものね!おりこうちゃんは、ちゃーんとお食事の前には手を洗うのよね!」
 げげげ!何ですって?お隣のテーブルとその親子のテーブルの間のスペースは、決して広くはありません。奥の席に座ったお嬢さんを通路側に連れだすだけで、3回はお隣のテーブルにぶつかり、そのたびに、お水がこぼれました 当然、そんなことをママは意に介さず、さあさあ、行きますよ、などと猫なで声で子供に話し続け、洗面所へ消えました 
 友人はさっと顔を上げ、怒髪天をつくかと思われる様子でひと言「私、あのママに怒鳴りそう!今日のランチ、消化しないかも・・・」私も同じ気分でした
 戻ってきた母子、当然、おとなりのテーブルのお客様に「何度も申し訳ございません!」の一声もなく、またまたがたがた、ごそごそと着席。今度は、娘の膝にナプキン替わりのハンカチを乗せるのに、ママが立ったのです・・・まあその後は、お嬢さんはケチャップで遊んだ?!だけで、ほとんどまともにオムライスを食べませんでした。それでもママは叱ることもなく、「あらまあ、もういいの?疲れちゃったかな?じゃあ、ママがいただくわ!」とパクパク。とは言え、二人分を全部完食、とはいきません。食べ散らかしたお皿を引きにきてくださったお店の方に「ごめんなさい、食べ散らかして・・・」のようなお詫びの言葉もありません。

 私達二人は、楽しみにしていた高3最後の講演会の前に、完全に血圧上がり、消化不良、精神不安定になりました それにしても、結構生息しているのですよねえ、自由が丘あたりには、こういう「勘違い親子」が・・・
 良識のある、教養豊かな、品格を感じさせる素敵な親子とは、決してこういう種族ではありません ちゃんと他人のことを思いやる優しい心と機転、その場で臨機応変に対応出来る賢さ、決して装うのではない、自然ににじみ出る品格を持った人達は、こんな人達ではありませんよね。

 あー、それにしても、私はこういう親子を見ると、本当にムカムカしてしまいます。今、これを書きながら思い出していたら、また腹が立ってきました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねえ、勘違いママさん!

2005年11月01日 | プンプン
 今日、日吉の駅前の通りを歩いていると、急に私の前に小さな男の子が突進をしてきて、ぶつかりそうになりました。よくありますよね、こういうこと。背の低い私ですから、いつも視線はかなり低いところにあるのですが、さすがにいつも前方下を見て歩いているわけではないので、今日はその子姿は視野には入って来ませんでした。
 すると、まさにぶつかりそうになったそのとたん!男の子の後ろから、ちょっと離れて歩いてきた体格の良いママが、男の子に向って大きな声で言ったのです。
「ほら!前を見て歩きなさい!」
そして、二人は通り過ぎていきました

 え?何?それだけ? 私は、心底、驚いてしまいました。
私が思うに、そのママが何よりも一番先に言うべき言葉は、息子がぶつかりそうになった相手に「申し訳ございません!」や「すみません!」や「ごめんなさい!」のはず
 
 いやいや、今の時代、結構、こういうママ達は多いものです。
今日のそのママ、Aさんとしましょう。私はAさんをこう分析しました。そのAさんが息子に言った「ほら!前を見て歩きなさい!」は、一つのパフォーマンスだった、と思うのです。咄嗟にAさんは、まわりを歩いていた人達に「私は、こんなふうにとても小さな息子に対して、きちんと叱り、しっかり躾をしている母なのですよ!」とアピールするためにあの「セリフ」を言い、同時に、自分自身の気持ちの中でも「私は、躾けや教育に対して意識の高い母だわ」と、ちょっと悦に入る?!

 あー、Aさん、あなたは間違っています
躾をすることは大切なことです。何が良い事で何が悪い事なのか、そのつど、しっかりと教えることは確かに大事です。
 しかし、やがて社会人として育っていく子供の母親として、まずはあなた自身が立派な社会人として、正しい振る舞いをすることです
 いませんか?あなたのまわりに、こういう「勘違いママ」達… え?まっ、まっ、まさか!あなたがその勘違いママだなんてことは、ないですよね?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスコミへの思い

2005年10月29日 | プンプン
 静岡県清水市で、道路に飛び出したネコを避けるためにハンドルを切った運転手が、保育園児に突っ込む…という事故が大きく報道されました。半月ほど前のサレジオ学園前の事故といい、最近、歩行者に車が突っ込み、死傷者が出るという事故が頻発しています。
 さて、その清水市の事故。多くのモーニングショウで取り上げ、それぞれの番組で、コメンテーターと称する人達が、かって勝手にコメントを出していました

 「むー、この保育園児が渡ろうとして、車が途切れるのを待っていたところは、横断歩道だったのですか?」(確かに、真っ当な疑問、質問です)
 「ハイ、この場所は、横断歩道ではありません。」(質問に、短く答える)
 「近辺に、横断歩道はなかったのですか?」(ものすごく真面目に、尋ねる)
 「ハイ、それがあるんですよ。あの、この保育園児達が通う、まさに「その保育園」の真ん前に、横断歩道はあるんです。…どうぞ、このフリップをご覧ください!」(と、保育園の絵の真ん前に、大きく、太く、横断歩道が書かれている。リポーターは、得意げにそれを見せる)
 「あれー?おかしいじゃないですかあ。保育園の真ん前に横断歩道があった!それなのに、どうして保母さん達は、保育園の真ん前にある横断歩道を渡らなかったのでしょうねえ?」(眉間に皺を寄せ、こんな訝しい事はない、という顔をして)
 「そうなんです。どうぞ、もう一度フリップをご覧ください。…確かに横断歩道はあるのですが、ご覧の通り、まずは保育園の真ん前のひとつ目の横断歩道で、小さな道を横切り、次にまた、2つ目の横断歩道を渡ると、やっと、この保育園児が歩いていた道に出るのですね。ですから、園児達の目的地であった美術館側に渡るためには、保育園前の横断歩道を利用するとなると、3回、横断歩道を使って、道を渡らなければならなかったわけです。」(用意されたフリップによれば、保育園は、ちょうど三叉路が交わるようなところに建っていて、横断歩道は、その三叉路に引かれています。園児が歩いていた方向、つまり、三叉路の方向と反対の方向には、今回、事故があった大きな道を横断するための、横断歩道はありませんでした)
 「ということは…つまり、保母さん達は、3度、横断歩道を渡ることは面倒だから、という事で、敢えて危険を犯してまで、横断歩道のないところを、園児に渡らせようとしていた、わけですかあ…むー…それはちょっとねえ…責任感がないというかあ…」(いかにも自分が見識者、文化人、という顔で、常識的な事を胸を張って語る)
 
 何だか、私は見ていて、とってもイヤな気分になりました。
確かに、そのコメンテーターの言うように、保母さん達は、道路交通法という法規の前では、横断歩道を渡るべきだったのかもしれません。もし、これが何らかのかたちで裁判などで争われるようになれば、そこは保母側のウィークポイントとなるでしょう。
 しかし!
36名もの園児です。たとえ細い道とは言え、3度も道路を横断させるなど、至難のわざだと思います。お母様達ならば覚えがおありですね。わが子たった一人の手を引いているだけでも、道を渡るという行為が、どんなに大変であるかを…それを、幼い保育園36人、3度も道を渡る…危険度が増すだけです。当然の判断として、保母さん達は、目的地の美術館前、横断歩道のないところではあるけれど、たった1度だけ、車が途切れるのを待って、園児を横断させようとしたのでしょう。
 コメンテーターだった見識者…一度、36人は無理でも、5人の幼児を連れて、町を歩いてみたらいいのです。知識の豊富さや頭の回転の早さ、偏差値など、何の役にも立たない子供との時間を、五感で経験なされば、ちょっとは静かになるでしょうね
 
 最近、とみに私は思います。報道というものの責任、マスコミというもののあり方、ちょっと娯楽?に走っていないか?と。娯楽という表現があまりに不適切であれば、視聴者、読者の好奇心に照準を合わせ、悲しみという思いも含めた「楽しみ」の提供に走り過ぎていないか?
 電車事故が起これば、黒っぽい服を着ることだけで弔意を表し、実際には犠牲者の友人の声をあさり、時にはその生い立ち等も紹介して、「犠牲者という事実以上のもの」をそこで視聴者に提供する。衆議院選挙、靖国参拝…事実を伝えるだけには留まらず、文化人、教育者、俳優、ありとあらゆる人をコメンテーターとして召集し、あまり事実には関係のない事や、時には的を射ないゲストの意見まで放送する… 新聞でさえ、そういう傾向にあるようです。
 テレビというマスコミが、報道、ニュースも含めて、「テレビ、それはすべてエンターテイメントである!」という考えの元、そっくり色合いを変えるというのでは、それはそれで受け入れられるかもしれません。
 しかし、少なくとも、有識者を意識した新聞が、露骨に「自己主張」をしたり、読者の目を引くための奇をてらった活字を並べる事はあまりに可笑しく、悲しく、恥ずかしい

 10月18日の朝日新聞。新聞週間特集として、「新聞への私の注文」という別刷りがありました。「信頼される報道のために」という副題がついているその中に、ネット掲示板「2ちゃんねる」の管理人、西村博之氏がこんな事を書かれています。「…それでも新聞社が優れているのはファクトを集める能力だと思います…だから、新聞に求めるのはファクトを集める作業に特化してほしいということ」
 私がブルーになった清水市の事故報道は、新聞ではなくテレビではありましたが、私はこの西村氏の意見に、非常に強く賛同しました。事実だけを伝える、それこそが大切な事であり、そこから先は、ひとりひとりが感じ、考える事ではないのか?意見や感想まで、一元化された報道がなされるから、人は自分でものを考えるなくなる…という事も言えないだろうか?と。

 大変飛躍しているように思われるかもしれませんが、ここ数年、子育てにおいても、それことインターネットをフルに活用し、膨大な情報だけを集め、それを鵜呑みにして、自分で物事を考えずに子育てをする親が、飛躍的に増えてきているように思います。情報化時代に溢れる「子供に良いもの、子供に良いこと」ばかりを集め、それをそっくりそのまま実践しようとする…こうすれば、こうなる、これで、こうなる… ちがうんじゃないかなあ?
 子供は、頭ではなく、心、感性で育てるもの。わが子の寝顔を見ながら、何度も泣いて、笑って、腹を立てて、頭を抱えて、地団駄ふんで…それでも果敢に、一生懸命、心をこめて接していくこと。私は、それが子育てだと思っています

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする