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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

日本の常識

2010年06月16日 | プンプン
 先日、友人からの誘いで、ある女子高で催された公開授業を参観しました
 その授業は、高校1年生を対象とした国語科の授業の一環で、「告白」という映画についてディベートをする、というものでした
 授業(4回シリーズで、その日の授業が最終の授業でした)の進行は、民間初の校長として話題になった元和田中学校長、藤原和博氏。こういう授業自体が、その学校ならではの斬新な試みで、とても興味深いものだったのです

 たまたまその日は、その映画の監督、中島哲也氏と、主演女優である松たか子さんもその授業に参加されるということで、映画関係者とテレビ局の方も入り、学校の中はカメラやマイクを持った人たち、いかにも「業界人」という出で立ちの「PRESS」の腕章をつけた人たちでごった返していました。
 会場となった学校内のおしゃれなカフェテリア。にぎやかなフォトセッションの時間も終わり、生徒達も席に着き、歓声で迎えられた監督や松たか子さんも入られ、いよいよ授業が始まるぞ・・・という時
 私はふっと左手のほうが気になり、目をやると・・・二人の若い女性の姿が目に入りました。
 彼女達はとてもおしゃれで軽快なパンツ姿。おばさんである私のイメージの中にある、いかにもテレビや映画の関係者・・・という装い
 ただ、何とも不快感をそそられたのが、クチャクチャとガムを噛んでいること そして何より仰天し、眉をひそめたのが、カフェテリアの壁にぐるりと設置されたテーブルとして利用するためのカウンターに座り・・・組んだ足をブラブラとさせていたことでした

 ガムに関しては、現代では歯医者さんも奨励する「歯に良いガム」もあることですし、昔のように一概に「悪」とは言えないのかもしれません
 とは言え、これから高校生が国語の授業を始まろうとしているところ、です。モデルさんがポーズをしているわけでも、タレントさんがバラエティー番組の本番に臨もうとしているところでもありません
 彼女達の前にいるのは、授業を受けようとしている高校生です。そして、その場に立ち会っている人達は、それぞれの立場は違っても、神聖な(私は、つねに人が学ぶ場は神聖である、と考えています)学びの場にお邪魔をしている・・・にしかすぎません。
 それを思えば、彼女達二人の様子は、どう考えても正しい行為とは思えません

 とにかく、その若い女性二人が平気で腰掛けているところは「椅子」ではなく、カウンターであるということ。日頃、生徒達がそのカウンターを利用し、ジュースを飲んだり、パンを食べたりしてる場所なのです。彼女達は、そのことをどのように考え、そこに平気で座る、という行為をしているのか??私はよく理解できませんでした

 授業は始まろうとしていました。私は、彼女達が気になり・・・そして、だんだんと腹が立ってきて、心の中で怒鳴っていました。
 「ねえ、ちょっとあなた達 いったいあなた達は、どんな了見でカウンターに腰をかけてるの?そこは、生徒達がテーブルとして使っている場所でしょう
 その時の私の心の中の映像・・・私がキッと目をつり上げて女性達に注意。シーン替わって・・・次のシーンは、しらーっとしらけた顔をした若い女性が、顔を紅潮させて怒鳴るおばさんをギッと睨み、謝りもせず、ハッとする様子ももちろんなく、ゆっくり無表情のままで、のろのろと降りる・・・というものでした

 その時です
私の後ろの席に座っていた男性が席を立ち、彼女達のほうにツカツカと歩いて行かれました。そしておっしゃったのです。
 「君達、どこに座ってるんだ そこは椅子はなくてテーブルなんだ。すぐに降りたまえ

 ブラーボー すごい 
そうです。その通りです。意気地のない私は、心の中で怒鳴るだけで、実際にはその女性達に何も言えませんでした。でも、やっぱり社会人として言うべき言葉でした
 彼女達は、自分の行為の誤りを認め、謝罪し、あらためて自分達の常識のなさを恥じ、学ぶべきだったのです!(そういう様子は微塵も感じられませんでしたが)

 しかし、彼女達は・・・私が頭の中で思い描いたシーンと全く同じように・・・詫びるわけでもなく、ハッとするわけでもなく、恥じる様子もなく、「おっさん、あんた、だれ?うっせーな!」のような悪意ある一瞥をしただけで・・・降りました。
 そして、驚いたことに、ちゃんとその下にあった「椅子」に腰掛けたのでした(なんだ、座るイスが足りなかったわけじゃなかったんじゃない・・・あなた達は、わざわざイスに座らず、テーブルに座ったってことね・・・)

 私はその男性の行為に感動しました
(じつは、彼は私と夫の親しい友人です。まだ幼いお嬢さんの優しく、そして厳しいパパです。私はその瞬間、まだ幼い彼のお嬢さんのことを思い浮かべました。きっと彼女は、この立派のパパのもと、美しく、正しい行為を行える素敵な日本女性に成長されるに違いない、そう確信したものです
 
 私はその日のことを思いだし、あらためて「常識を学ぶ、常識を身につける」ことの重要さを再認識しています。
 もしかしたら、あの日、私が心の中で罵倒していた彼女達も、実際には大変優秀な仕事人かもしれません 有能で、その道の将来を背負って立つ人材かもしれないですね。
 でも そうであればよけいに、彼女達の非常識な行為はあまりにもったいない・・・見知らぬ人から、多くの人の面前で、注意される・・・言いかえれば「君達、常識がないよ」と発表されたようなものなのですから・・・

 彼女達は、残念なことに、日本人としての常識を学ぶ場に恵まれなかったのでしょう
 ほとんどの場合、様々な常識、美しい所作、正しい言葉使い等、人は子どもの頃から「家庭生活」の中で、両親を通して自然に学んでいきます。
  お行儀良く振る舞いましょう。
  正しく、美しい言葉で話しましょう。
  食事はきれいに食べましょう。などなど・・・
 ナイフ、フォークを上手に使いこなすことを覚えるよりも、まずは正しいお箸の使い方を。流暢に英語を話す前に、正しい日本語が使えることを。
 
 国際化が進んでいく世の中だからこそ、日本人としての常識をしっかりと身につけ、立派な国際派になることが重要なのではないのかな?と私はいつも思っています
 外国語が堪能な無国籍人は、決して立派な国際人とは呼べない、とは思うのですよね・・・
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怒ってくださいよ、お母さん。

2009年03月13日 | プンプン
昨日、電車に乗っていると、ドアのところに立っている母子2組を見つけました
何かのおけいこの帰りらしく、どちらの親子も、きちんとこざっぱりとした格好をしていて、親の手にはいかにも手作りらしいおけいこバッグがありました。
 ところが、年長さんくらいに見える彼女達(子どもは、女の子でした)は、ドアが開くたびにふざけて手を出したり、足を出したりして、キャッキャ騒ぐのです
 電車の中でふざけていること自体、私は気に入らなかったのですが、それにも増して、危険だなあ、と気になりました 実際、ドアが閉まる時に、何度も子ども達の手や足があたり、それを感知してドアが開きます
 母親達は、必死に?!おしゃべりに興じ、時々「○○ちゃん、ダメでしょ」「やあねえ、そんな悪いことしちゃあ。やめなさーい」  う゛―、おわかりになるでしょうか、このママ達のブリっこ的な叱り方
 本来は、すたすたと歩いていって、子ども達にも、親にもガツンと注意すべきなのかもしれませんが・・・さすがに私にはそのガッツがなく、見ているとムカムカと腹が立つので、違う車両に乗り換えました

 子どもは大抵、親が見ていなかったり、親が何も注意をしないと、必ず誰かと一緒に、調子に乗って平気で悪いことをします
 それがどんなに不道徳なことか、それがどんなに危険なことか、の真髄がわかっていたとしても、「私だけ、ぼくだけじゃない」というズルい思いが頭をもたげ、強気になるのでしょう
 まさに、悪ふざけであり、興味本位でやってのけるのです。
これは、どんなに真面目と言われる子どもでも、多かれ少なかれ、この傾向があるものです

 だからこそ
親がそれを見過ごしてはいけない、と思います。こういう悪ふざけをし、ましてやそれが人に迷惑をかけたり、危険だったりする時には、「火を噴いたように」叱らないといけません
 いつもは優しい笑顔のお母さんが、鬼の形相で怒った・・・こういう恐怖にも似た記憶、経験の積み重ねが、子どもにメリハリをつけさせ、しっかりとした「今はふざけても良い、今はふざけてはいけない」という「道徳スイッチ・マナースイッチ」を育てることになるのです

 教育的レベルの高いご家庭では、さまざまな面で子どもを躾け、厳しく苦言を呈していらっしゃる、とは思います。
 けれど、もしかしたら、そのポイントがちょっとズレているかもしれない・・・そんなことはありませんか?
 それに、ポイントがズレていなくても、母親が自分では厳しい苦言と思っていることが、子どもにとると、たんなるダラダラのお小言・・・になっていないでしょうか?

 ここ数年、私がよく苦笑してしまうこと、それは。「我が家は躾に厳しいです」とおっしゃるご家庭の子ども達が・・・
 「ママは、いつもうるさい!」と平気で言いうこと あまり、子ども達は「親の厳しさ」を実感していないようです。
 それは、お母様の厳しさが「空回り」している、ということなんですね、残念ながら

 一人っ子や、第1子のお子さんにありがちなことですが、いつも、親と同じ感覚で暮らしていたり(大人の中で、大人と同じように、という意味)、「お兄さん」「お姉さん」として、ある意味、親から一目置かれて暮らしている子達は、自分が幼い子どもである、という自覚がありません。
 すっかり、自分のことを「大人と同じような存在」だと思っています
 親も、子どもであることは当然わかっているものの、「大人と子ども、という大きな境目」を自覚していません。そのほうが、生活が楽だからです

 躾や家庭教育を真剣に考え、さまざまな本を読んだり、著名な育児評論家の講演を頻繁に聞く・・・というような人でも、この例外ではない、と私は思っています。
 それに、今の時代は「誉めて育てる」時代。こういう社会の流れの中に身を置き、家庭生活の中で「各人が居心地よく暮らす」ことを大事にすれば、親は気づかぬうちに、人を育てる立場における毅然とした態度(時として、横暴な、です)を忘れてしまっている・・・

 正直に申しあげて、ここ5,6年は、「ここぞ」という時に、大きな声でバシッと叱りつけるお母さんを見たことがありません。
 みなさん、かわいくチャーミングな声で「だめよ」とか「ほら、何してんの」程度のことしかおっしゃらない・・・ブーーーー、です

 子どもは、生まれた時から確かに「一個人」です。
しかし、実際には、大いに尊重されるべき「知能や知識や経験」を十分に持った大人ではありません。人間としては「一個人」ではあっても、まだまだ未熟で、未経験な生き物なんです
 白紙で生まれたわが子を、それこそ、人間的にも人格的にも、立派な「一個人」にするために、親は親になったその瞬間から、親としての自覚を持って、日々努力をし、わが子を毅然と教育していかなくてはなりません

 現代は、多くの幼稚園の先生、保育園の先生も、みな、子ども達と「お友達のような」関係を築き、フレンドリーに、穏やかな、差し障りのない?!毎日を送ります。
 家庭でも親たちは、子どもとの気まずい時間や葛藤は「自分自身を疲れさせることだから」という理由で、一様に優しく、声を荒げず、叱責することなく、「注意を喚起する」程度で和やかに暮らします。
 お母様方がおっしゃる「厳しい躾」は、時には自分を満足させるだけの自慰的行為にしか見えない・・・そんな気さえすることがあります

 子どもが大きくなった時・・・
 「いやー、あのママの(パパの)豹変ぶりはすごかったねえ・・・あのトーンで怒鳴られると、ああ、ママは(パパは)本気だな、と思ってすごく怖かった
 などと、懐かしい思い出として語ってもらえるような、そんな「かみなり」を落とす迫力・・・親としての心意気・・・私は必要だと思いますよ

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祖父母の甘やかし

2008年09月01日 | プンプン
 私は、我が子相手に、安易に「ごめん、ごめん」と意味なく謝る親が大嫌いです
 そんな親の子どもに限って、何かを忘れたと言っては母親のせいだと怒り・・・ 何か上手くいかないと癇癪を起こして母親をののしり・・・
 自分の意志が通らないと泣いて母親を叩き・・・
母親は、完全に我が子になめられ、馬鹿にされていることに気づかず、またまた、その我が儘で依頼心の強い我が子を相手にして「ごめん、ごめん」を繰り返します。

 先日、クラスの合間に昼食をとろうと、教室の近所の定食屋さんに入りました そこは、お昼休みのスーパーの方が来ていたり、近くで工事をしている方が来ていたり、買い物帰りの老夫婦が来ていたり・・・と、まさに雑多な客層のお店で、いつも繁盛しているようでした
 私が注文をした後、本を読んでいると、杖をついた老夫婦と、5,6歳に見える男の子が入ってきました。夏休みでおじいちゃん、おばあちゃんの家に来ている孫のようでした。
 お店の方が、ご夫妻のご不自由さを考慮して、「どうぞこちらに」と、比較的広いテーブルに案内されましたが、その孫、「こっちがいーい ねえ、おばあちゃん、こっち」と、隅っこの狭い席をほうへ、どんどんと行ってしまいました
 お二人は、「はいはい」と、とても入りにくそうに、杖を置いてから、席につかれました。

 今度は、おばあちゃんがメニューを開き、「あんたはラーメン?ラーメンでしょ」と声をかけたとたん、何を思ったか、急にその孫は・・・
  「ねえ、おじいちゃん、なんでこの店に来たの?この間、行ったじゃん。ほらー、あそこの横の店
 と怖い顔をして、身体を揺らして言います。おじいちゃんは・・・
  「どこのことだい?あそこの横って、どこの横?」
と孫の顔をのぞき込んで笑顔で聞くと、今度はその孫、完全に癇癪を起こして、  
  「あそこじゃん ママも一緒に行ったでしょ?!ほら、あそこ じーじのバカ なんでわかんないの
 孫は腹を立てて興奮し、半泣きになりながらこの問答を2,3回繰り返し・・やっと。
  「ほらー、プールの横の店じゃん」と叫びます。
 
 このあたりで、お店の人も、まわりの人も、孫が何かを言うだびに、あきらかに「なんだ、コイツ・・・」という顔をして、こっそりと見ていました。今度は横からおばあちゃんが・・・
  「ああ、あそこは遠いでしょう。今日は雨も降ってるし、ママもいないから、おじいちゃんとおばあちゃんでは、あそこまでは遠くていけないんだよ
と答えます。すると孫は案の定・・・
  「「あそこが良かった ここは、イヤだよ。あそこがいい あそこだと思ってたのに
と、訳のわからないことを言い始めました。

 そのうちに、ラーメンが運ばれてきました。おじちゃんは、小さなお椀に、ラーメンをよそってやり、孫に渡します。今度は・・・
  「なんでこんなところに入れるの そのままがいーい じーじ、これ、ヤダ
 とダダをこねます。ここでお決まりの、老夫婦そろっての・・・
  「ごめんごめん

 ほんと、いったいこの「ごめん」は、何の「ごめん」なんでしょうねえ

 次は「まずい」と言って怒り(この「まずい」という、とんでもない言葉にも反応せず、おばあちゃんは叱りもせずにウンウンと聞き流し・・・)、「食べたくない」と途中で止め、お椀の中の麺をかき回して遊び・・・(お箸だって、きちんと持てていません!)
 
 私はもう、プッチンと来てしまっていて・・・何度も私の身体から幽体離脱?!したもう一人の私が、その男の子の席に行き、怒鳴っていました
 「ちょっとあなた もう一度、言ってみなさい 「まずい」って、何ていうことを言うの 世の中の食べ物に、まずいものなんてないのよ あなたの口に合わないものはあるかもしれないけれど、まずいものなんてないの 覚えておきなさい それに、あなたが食べずに遊んでいるラーメン・・・食べ物で遊ぶんじゃありません こうしている間にも、食べるものがなくて、死んでいく、あなたと同じ年の子ども達がいるのよ
 「おじいちゃまとおばあちゃまに謝りなさい 足がご不自由で、きっと杖をついて傘をさしながら歩くのはとても大変なはず。あなたも一度やってみてご覧なさい どうせあなたは、そんなことを考えもせずに、どんどんと歩いてきたんでしょう?お二人は、あなたのために、わざわざ雨に中を出てきてくださったのよ そんなことも考えることのできない頭なの?あなたの頭は帽子をかぶるためだけにあるのねえ しっかり、自分で考えてみなさい

 そして、幽体離脱した私の身体は、おじいさん、おばあさんにも怒鳴っていました
 「何を謝っていらっしゃるのですか?たった5,6歳の子どもに、こんな好き勝手なことを言わせておいて本当に良いとお考えなのですか?祖父母にも、教育、躾の責任はあるのです 年長者として、これから世の中を一人で生きていく孫に、教えてあげるべきことがたくさんありますでしょう なぜ、そういう責任を感じず、たんに甘やかすのですか?あなた達のかわいい孫が、物事を考えない、つまらない子どもでも平気なのですか?」
 「ものの道理を教えてやるべき大人が、こういして何もわからない子どもを好き放題させて良いのですか いけない時には、タイムリーに子どもを叱らなければ、子どもには「何がいけないのか?」は伝わりませんよ あなた達がやっていることは、祖父母としての責任放棄ですよ
などなど・・・

 どこの家でも、おじいちゃん、おあばちゃんは孫を甘やかし、教育、躾どころではありませんね
 今の時代、ひたすら、孫に嫌われないように、好かれるように、甘い甘い祖父母しか存在しなくなりました

 かわいそうなことに、現代の日本の子ども達は・・・
思慮が浅くて、我が子だけをかわいがり、自己満足の評価で、生まれたその時からおしっこも自分で出来ないオムツをした我が子を相手に「立派な一個の個性だ」と何でも認め、賢い子に育てるためにと知育ばかりにアンテナを張り、奨励するような両親に育てられ・・・そして、祖父母にも甘やかされて育つ・・・
 いったい、この子達は、どこで「まともな躾と家庭教育」を施されるのでしょう??? 

 結局、幽体離脱をしない私は、すっかり腹を立ててしまい、味のしなくなったランチをいただき・・・
 満面の笑顔で「ごちそうさまでした」とお店の方にごあいさつをし、店を後にしました。
 その祖父母と孫に、強烈な「イイカゲンニシロビーム」だけを送ることしかできませんでした
 お店でお食事をなさっていた方は、みな孫が騒ぐたびにギロリと一瞥していたので、多かれ少なかれ私と同じような思いを持たれた方もおいでになったのでしょう。

 私の娘は、「私、子どもが生まれても、絶対、ママには子どもを預けないわ だって、いちいち、すんごくうるさそうだもの」と言います。
 はっはっは 結構けっこう。それがイヤなら、完璧な躾を自分でしなさいよねと思ってしまいます。
 昔は「良い子」だった娘 すっかり脱皮?!を繰り返し、「良い子」はどこかに脱ぎ捨てられ、今は極々普通の大学生
 けれど・・・彼女が幼い頃は、私は本当にうるさく娘を育てました。
彼女が「母親」になった時、あらためて、その当時の「うるさい母の言葉の数々」を思い出し、しっかりと我が子に躾のできる母親になってもらいたいなあ、とひたすら願っています
 おばあさんになった私が、目くじら立てて孫を怒鳴らなくても良いように
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親は責任重大

2007年11月01日 | プンプン
 大騒ぎのKKくんは、単身、メキシコに行くとのこと 才能もあり、真面目に練習に取り組む熱意も根性もある彼のことですから、リードする人によっては、これからもっと、良い方向に導かれていくことでしょう
 ブログの中で、K一家の話題に初めて触れた時も、「好きでも嫌いでもない」と書きましたが、それでも今回の一連の騒動では、「親と子」「その関係」について、感じたり、深く考えさせられたりする、良い機会でした

 例の、彼一人で会見に臨んだ時の様子を見て、私は同年代の子を持つ親として、とても彼を痛々しく眺めました
 我が家の二人の子ども達は、すでに成人したり、成人を目前に控えたりしておりますが、大学生という立場もあり、まだまだ一人前扱いされることもなく、親の庇護のもと、大きな口を叩きながら、安穏と生活をしています
 親元を離れて暮らしている大学生ならば、もっと「一人で生きる」ということを意識もしているでしょうが、それでもなお、18歳から一人暮らしの学生生活をしていた主人の話を聞いていても、やっぱり学生は半人前

 しかし、KKくんは、「一家を代表して」話さないといけない立場に立ち、なおかつ、彼のリーダーであるべき父の非礼を詫び、父を擁護しなければならない・・・
 私は、あの時ほど「親の責任」という言葉を、ひしひしと感じたことはありませんでした

 KKくんがまともな言葉が話せないのも、敬語使えないのも、彼のせいではありません
 あの日、いつもの品のない、ギラギラ成金スタイルを改め、スーツにネクタイ姿で現れた彼は、精一杯、丁寧な言葉で話そうとしていたことがよくわかりました
 しかし、残念ながら彼には、丁寧に話すためのボキャブラリーがなく、その話し方も知らない・・・ あそこにいたのは、まさにKKくんの父親、だったではありませんか?
 彼を育てた父にも、そのボキャブラリーがなく、そういう話し方を知らないからこそ、3人の息子達も、何も知らない できない ・・・当たり前のことですね

いえいえ、世の中には、自分の親がどんな人間であろうと、ある意味、その親を反面教師として、立派に成長する子ども達もたくさんいるでしょう
 しかし、悲しいことにKKくん達のような、親子べったりの一卵性親子では、子どもが親以外の世界に触れ、学ぶ機会さえ与えられなかったのですからね・・・

 日頃、私が接しているご家庭は、K一家、K親子とは、遠く離れた世界の方々です。けれど、私が実感していること、それは、K一家、K親子とは全然違い世界に思われるであろうご家庭でも、実際には、全く同じことが起こっているのですよ ただ、本人達に、その意識がないだけ・・・と言えるかもしれません

 確かに、敬語は使える品格のあるご家庭でも、K一家とは全く違った意味での、「親のミスリード」はあるものです
 たとえば・・・
  KKくんの父親のように、自分の果たせなかった夢を我が子に託す。
  自分の歩いてきた道を唯一無二の最良の世界と信じ、それを我が子に辿らせようとする。

 深い深い愛情の名のもとに、親が我が子をミスリードし、結果的に子どもに可哀想な思いをさせてしまう・・・そんなことはよくあることです

 親の責任
私も一人の親として、常に考え、我が子と自分の時間や生活を、時には立ち止まり、客観的に見ることも大切でしょうね そして、自分を戒めたり、あらためて確認したり、そういうことを怠ってはいけないのでしょう。
 
 私は我が子をミスリードしていないか
私は・・・反省すること、たくさん・・・・あります

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危ない!だけでは不十分

2007年03月22日 | プンプン

 「ほら、危ない」という親の声。
あれあれ、まただあ・・・と私は思うのです 
 危ない、という声かけ、それは、わが子に「危険だ」と知らせる言葉です、よね 要は、この言葉をわが子にかけるとき、親はわが子の危険を心配して、それを回避させようと思うからの言葉ですね。
 たとえば・・・
  道路に飛び出そうとしたわが子に・・・
  濡れた床を走り出したわが子に・・・
  狭い高所でふざけるわが子に・・・
もし、こういう状況で「危ない」と声をかけるのであれば納得できます。確かに、自動車にひかれてしまう、滑って転んでしまう、高いところから落下して怪我をする可能性がある、からです。この親の言葉かけに、子供たちも咄嗟にわれに返り、びくっとして危険な行動をやめるでしょう
 しかし最近は、「危ない!」という言葉かけが果たして適切だろうか?と疑問に思うことがよくあるのです

 スーパーで買い物をしていると・・・
突然前方から「無人ショッピングカート」が突進してきます 無人?!そう、小さな子供が「遊びの一端」として、ショッピングカートを押しているのです。
 背が低すぎるので、カートの押し手に手は届いても、顔が上には出ない・・・カートは押せても、前は見えない、という状態
 「危ない」と親は叫びます。しかし、待ってください!
危ないのは「私」で、その子供ではありません
 スーパーという公共の場で、遊び心で勝手なことをしているそこ子は、危なくはありません。
 まあ、他にどんな瞬時の言葉かけができるのか?とたずねられれば、ベストの答えはなく、「危ない!」が一番手っ取り早い、と言われれば、一言もありませんが・・・(むー、「ストップ!」はいかがでしょう?

 首都圏では、全私鉄、JR、バスなとで共通で利用できるパスモやスイカのサービスが3月18日からは始まり、駅への入場は今後はタッチパネルが主流になっていくでしょう。それを思えば、これからはこういうことは減少するのかもしれませんが・・・改札口でよく見られる光景。

 自動改札機の切符の差込口に、親の乗車券である切符を入れたい入れたいとせがむわが子に、わざわざ切符を渡し・・・
  「はい、ここ、ここに入れて・・・上手」などと言っている、親バカ親がたくさんいます。あれも、乗客のスムーズな改札の流れを滞らせるとんでもない愚行です
 わが子がうまく切符を入れられず、それに気づかずにそのままで進もうとしたとき、「危ない」と親は言います。
 つまり、切符が差込口からきちんと入っていないため、機械が入場を認識せず、ゲートが突然左右から閉まってくる・・・まあ、確かに小さな子供はそのゲートに顔からぶつかってしまうでしょう
 しかし、だからと言って、とんでもない大怪我をする、というような大事に陥るとは考えにくいものです むしろ、ここでは子供の大怪我ではなく、実際にはそこで人の流れを止め、その親子の後ろをついて歩いている、先を急ぐ多くの人たちに迷惑をかけている、ということが問題にされるべきこと、そう思いませんか

 じつは昨日、私は大阪の実家で、両親と近くのレストランまで昼食に出かけました 
 帰り道、車椅子利用ということで、今では滅多に買い物をするために店に入ることのない父に、いろんなものを見せてやりたいと思い、ロフトに入りました。
 首都圏では、比較的バリアフリー化、ユニバーナルデザイン化が進んできていますが、大都市とは言え、大阪はまだまだです 同時に、そこに暮らす人々の意識も、車椅子などに対して意識が高いとは言えません。

 私が父の車椅子を押して歩いていると、人がどんどん平気で前から歩いてきます まあ、全国津々浦々、傍若無人化している若者のことを思えば、それも仕方のないこととも思うのですが、やはり何より大阪で残念に思うのは、小さな子供を連れた両親達の、ハンディキャップの人たちに対する教育意識の低さです。
 本来は、これから成長していく子供たちの社会性を高めるため、車椅子や盲人用の白い杖の人に出会ったら、「そういう人たちはなぜその状態になり、どんな不自由があるか?そこで、健常者はどのようにすべきか?」などを教える生きたチャンスです
 しかし、実際には、勝手に突き進んでくるわが子に向かって・・・
 「ほら、車椅子とぶつかる 危ない
そのひとことでおしまいで、すみません!のお詫びの言葉もなければ、当然、わが子への教育的な言葉かけもありません

 世の中には、危険がいっぱいです。
幼い子ども達が、そんな多くの危険にさらされている現状を思えば、わが子のことを最優先に考える、という親の姿勢は必然なのかもしれません
 しかし、それでもなお、私は「親の教育的姿勢」はとても大切だと思っています
 何でもかんでも「危ない!」だけで済まさず、今、わが子に何という言葉をかけるべきか?を考え、生活そのものを、もっともっと「子どもの学ぶ場」として捉え、子どもが多くのことを、タイムリーに肌で感じ、学べるチャンスを作ってあげてほしい、そう考えています

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