めずらしく、疲労困憊の私です



大阪の父、6月8日、大安吉日、無事に高齢者向けの介護付住宅に引っ越しをしました


とんでもない余談ですが・・・いずれ老いていく私達、です。何らかのご参考にでもなればと思い、敢えて、このブログに書かせていただきます。
父を然るべき施設へ!と考え、帰省のたびにあちこち足を運んで高齢者向けの介護施設を探し始めたのが1月。一口に「介護付施設」というような言い方をしますが、いろいろなタイプがあるんですよ。施設に入ったとたん、「みなで一緒に楽しく暮らしましょう!」というコンセプトからか、1週間のメニューや、毎日のアクティビティーなどがたくさん壁に貼り出されたようなところもあれば、全く普通のマンションと変わらない静かなロビーの施設など・・・これは、まさに入居者や、入居をさせようとする家族の「好み」で施設は選ぶんだなあ、と感じました。
今回、私が父のために選んだところは、典型的な後者の施設でした

いずれにしても・・・自分の親の生活を一変させる決断ですからね



しかしながら、今回の決断は老老介護の限界を感じ、断腸の思いで下した決断、ということではありません。決して詭弁ではなく「両親にとって、新しい世界へのステップアップを選択したい

ここで二人が「独立」した生活を始めることで、お互いに相手に依存することなく、負担を感じたり、感じられたりすることなく、それぞれにとってのより幸せな方向に進むための道を私が提示したい・・・それが今回の決断のはじまり、でした


あくまでも、これは私個人の考え方ですが。
夫婦間で「世話をする、世話をされている」という、ある意味での「主従の状態」をこれ以上続けていくのは、父、母、どちらにとっても、決して精神的に有益ではない、と考えました。
ひと時代までまでは、それは唯一無二の方法であった家族間での介護。でも、物理的な条件が揃えば、別の方法、違う選択肢もあるのだよ、ということを、発展的な思いによって、両親に提案したのです


50年以上、大事に育て築いてきたお互いを思う気持ちとは裏腹に、やはりもうぎりぎりのところに来ていたのでしょうねえ・・・快諾、とは言えませんが、父も私の提案に拒否の姿勢はありませんでした。進んで「行きたい」と言わなかった父、「行って欲しい」と言わなかった母・・・これが、両親の最後のお互いへの愛情だったのだろうなあ・・・と私は思っています

父も母も、一人暮らしは「初めて」の経験です

何度にもわたる施設の方とのミーティングで、父の性格、現在に至るまでの環境等をお話し、お仕事とは言え、父に心を向け、あたたかく接し、父の新しい生活をより良いものにするために!と、さまざまな工夫と努力をしてくださるでしょうが、そういう条件はそろっていても、やはり、父の生活は激変することは否めません

また、母にしても然り、です。
80歳になって、初めて一人の自由な時間を手にしたとしても、それを喜びと実感できるようになるまでには、大きな寂しさや不安、自分は十分にやってきただろうか?という自虐的な思いに打ち勝たなくてはならないでしょう。
それでも尚、私は、冷静にさまざまなことを熟考した結果、この新しい生活を両親に提示し、実現してもらうに至りました

これから少しの期間・・・最初はそれぞれに苦労はしても、やはり、この選択がきっと本当の意味で、両親があらためて「お互いを心底、愛しいと思える幸せな生活になる」と確信しています。
結果的にではあるにせよ、世話をする、世話をされる、という主従のある関係は、新しい生活にはありません

そして・・・
両親は、新しい生活を初めて今日で二日目。
すでに父は、「ここは、ジーサンとバーサンばっかりでかなわんわ!」「食事はおいしいか、ってか?そんなもん、お腹が空いて食べてるもん、おいしいもおいしないも、わからんな」などなど、ここ4,5年は聞いたことのない生来の性格からの「憎まれ口」を叩いています

つい三日前までは、時々、あらぬ方向を向き、うつろな目で私の姿を追っていた父は・・・どこかに退散していったのでしょうか・・・
母は、「夢も見ないで寝たわよ。朝まで目を覚ますことなく寝たのは久しぶり!」と話し、安堵の表情を見せています

もしかしたら。
父は私が完璧に




父は、現時点では新しい環境の中でアドレナリン全開



二人の生活が少し安定するまで、私の500キロの往復は続き、気の休まる日が来るのはもう少し先でしょうが・・・やっぱり、「両親の独立


