goo blog サービス終了のお知らせ 

まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

笑顔は心で生まれるもの

2012年04月18日 | にこにこ
 先日、運転をしている時、自転車の前に子どもを乗せているお母様から、刺すような怖い一瞥を受けました。
 そこは信号のない三叉路。私は車に乗り、狭い通りから、大きな幹線道路に入ろうと、一時停止をしていた時のことです。
 自転車は、大きな幹線道路の歩道を走っていて、私が一時停止をしていた道と交差している道を通っていました。私が一時停止している狭い道の角には大きな建物があり、幹線道路の歩道を歩く人や自転車からは、見通しの利かない三叉路でもありました
 たぶん、そのお母様は、「この脇道からは車は出てこない」と思っていらしたのでしょうね(実際には、幹線道路に入るこの道からは、車が頻繁に出入りします)。子どもを乗せたその自転車が私の車の前を通り過ぎようとしていた時、すでに私の車は停まっていたので、決してその親子を危険な目に合わせたわけではありません けれど、母性本能でしょうか、それとも、日頃から自転車移動が多く、車に対して拒否反応があるのでしょうか・・・とにかく、そのお母様の一瞥には殺気立ったものがあり、思わず私は深々と頭を下げ、「ごめんなさい!」の意味で車の中から手をあげました

 春うららの日 まどから差し込む春の陽射しに心地よさを感じながら、あらためて「そのママの一瞥」を思い出し、いろいろと考えました。
 人の表情とは、とてもとても深い意味を持っていますねえ。そう思われませんか?
もしかしたら、その「一瞥ママ」は、日頃はとても穏やかで、お優しい人柄かもしれません 誰からも好かれる笑顔美人・・・でも、夜叉の面を想像させたあの恐ろしい一瞥からは、少なくともそんなお人柄は想像できませんでした

 私は今まで、このブログの中で、何度も「笑顔は大切」ということを書いてきたように思います 笑顔でいることの効果?効用?は、たくさんあると思います。
 たとえば、辛い時でも、無理に鏡の前で笑顔を作ってみたら・・・泣き笑いをしながらも、何となく力が湧いてきますし、わが子の愚行にカンカンに腹を立てた時も・・・1,2拍我慢をして、「あなたって、何てことするのよ!」と言いつつも、がんばって笑顔を作ってみると、少しだけでも怒りは治まり、バカたれ~と言ってのけられる などなど。
 今は、敢えて「高度なテクニックとしての笑顔」を考えてみましたが、普段から笑顔でいることは、自分を幸せにすることでもある、と思うのです。そして何より、お母さんの笑顔は、子どもを幸せな気分にさせる これが究極ですよね。

 長年の経験ですが、あまり笑顔のないママのお子様は、やはりあまり笑わない子どもですし、よく笑う、笑顔良しのママの子どもは、よく笑い、笑顔がチャーミングなお子様として育っています
 笑顔・・・本当に大事だと思います。きっと、笑顔そのものだけではなく、「笑顔でいようとしている」その意識こそが、その人を深く豊かにしていくのかもしれません

 先日、ホームで地下鉄を待っていると、大変ご高齢の女性がやって来ました。たまたま、私は気づかずに優先席のあるドアの列に並んでいたようなので、その場所を離れました。
 電車に乗り込むと、幸い、社内には空席が多くあり、そのおばあちゃまも無事に座れたようでした
しばらくすると、少し離れたところからでも、そのおばあちゃまのお声と思える声が聞こえてきました。
 「まあ、そうなのね。・・・そう、おばあちゃまのお家に行ってきたのね。良かったわねえ、きっとおばあちゃまは喜んでくださったわよね。だって、あなたはこんなにかわいいんだもの。ご自慢のお孫ちゃんよねえ・・・そう、次の駅で降りるの。そうなの。気をつけて帰ってね・・・」
 そのおばあちゃまのお声の途中で、かわいい男の子の声と、お母様と思える方の声が何度か聞こえました。
 「そうなんだよ。」
 「ねえ、おばあちゃんはね・・・」
 「はい、ありがとうございます!」など。
 きっと、隣り合わせた親子がおばあちゃまに話しかけられ、それに応えていた声だと思いました。その会話の声を聞いているだけで、ほのぼのとした気分になりました

 そして、その次の駅に着いたとたん、かわいい大きな声。
 「バイバーイ!元気でねえ。おばあちゃん、またねえー!バイバーイ!」
何とその男の子の声は、その子が車両から降りた後も続き、地下鉄が走り出してからも、その子がずっと叫んでいる声が聞こえました。
「おばあちゃーん、まったねー、げんきでねえー!また会おうねー

 私は、その時の様子を実際に見たわけではありませんが、笑顔で一生懸命に手を振る男の子の姿、そんな息子の様子を笑顔で見ているママの姿、身体をねじって、何とかホームに向けて手を振ろうしているおばあちゃまの姿・・・想像しただけで、胸が熱くなりました。

 私の母でもそうなのですが、日頃、あまり人と話す機会が多くなくい高齢者は、よく町で見知らぬ人に話しかけますね。そんなふうに話しかけられた時、反応は大きく二つに分けられます。笑顔でそれに応じる人と、露骨に嫌な顔をする人。
 高齢者の話が、短い挨拶程度ならば、ほとんどの人は「仕方がないなあ・・・」という感じで作り笑顔?!で応じていますが、どんどんと長い話になってくると、まあ、どんな人でも「ああ、大変なものに関わってしまったなあ・・・」と、少々億劫になるのは理解できます
 けれど、この日の母子は、自分達が降車する駅が近いこともあったからでしょうが、少なくともとても好意的に、そのおばあちゃまのお相手をされていたと思います。そして、そういうお母様の「本当の意味での優しい心」があったから、そのママの子どもである男の子も、いつまでも「げんきでねー!おばあちゃん、またねー!」という声がけになったのでしょうねえ。 よくお教室通いの優等生親子のが「さ、おばあちゃまにごあいさつは!!」とか「さようなら、は言わないの!」などと、聞いていて痒くなりそうな会話を耳します けれど、その男の子の「またねー!」の声は、そんな、子役的子どもの声ではありませんでしたし、優等生ママに言われて、機械的に発せられた挨拶の声でもありませんでした

 またねー・・・ でも、あの男の子とおばあちゃまは、二度と会うことはないでしょう。そして、もしかしたら、男の子は翌日になると、そのおばあちゃまと会ったことさえ忘れてしまうかもしれません。
 けれど、きっと、そのおばあちゃまの心には、大きな大きな温かい記憶となって、とても嬉しく豊かなものになったと思います。それも、あの日の男の子の「ママ」の、人間性としての優しさの賜物・・・だからこそ、男の子の中に自然に宿った「優しさ」だったのだと思えてなりませんでした。

 あの日、私は「笑顔とは、顔や表情ではなく、本当は心に現れて、それが顔や表情に伝わるものだったのだ」としみじみと思ったものでした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人の心は見えるもの

2012年03月06日 | にこにこ
  人の心は見える、人の心は伝わる・・・私は、常々そう思っています
このことはよく、小学校受験の模擬面接の時にも、大真面目に語ります。思ったことを、心を込めて語ってくださいね、と。なぜなら、アナウンサーや講演者でない限り、立て板に水、で話す必要などないのですもの とつとつと話したとしても、言霊のこもった言葉には、色合いも重さもあり、相手に必ず伝わるものですから

 これから小学校受験の面接に向かわれるお父様、お母様は、書店に並ぶ虎の巻を購入し、そこに書かれたひな型で練習を積まれます。
 歯の浮くような賛美の言葉を並べ、声が裏がえらんばかりに力が入り、前のめりになって語られる・・・でも、そこに「心」が伴っていなければ、それらの言葉は口から出た瞬間にバラバラと床に落ち、何の感動もない言葉達が床に散乱する・・・
 きっと、小学校受験の面接が終わると、先生方は踵が隠れるほどの色と重さのない賛美の言葉達を掃いて・・・苦笑しながら捨てられるのでしょう

 じつは、なぜ急に面接の時期でもないのに、こんなことを言いだしたのか、と言うと。
日曜日、三浦海岸で第30回三浦国際市民マラソンが開催されました 当日はあいにくの曇天。ときどき、ポツポツと雨が降ることもあり、決してマラソン日和とは言えませんでした。海岸線というコースは、海からの風をまともに受け、体感温度は真冬だったことでしょう 三浦海岸の気温5℃。天気予報は、この日はうそつき、でした

 30回の記念大会ということで、何とこの日は「サプライズゲスト」として、高橋尚子さんが招待されていました そうです、キューちゃんの愛称で呼ばれる元オリンピック代表選手のランナーです。
 私は、昔からこの人が嫌いでねえ・・・42,195キロ走った後に、必ず「楽しかったですまた走りたいです」と満面の笑顔で話すのを見ていると、いったいこの人には「疲労」という感覚はないのだろうか?とか、サバンナの動物じゃあるまいし、そんなに「走る」という行為が最上の喜びなんて、どんな感性なんだろう?とか、どうしても思ってしまったわけです
 でも、現役引退し、マラソンの中継車に乗られたり、スポーツイベントで解説をされたりしているのをテレビで観ていると、非常に冷静、かつ的確な解説をされ、表現力も豊かで・・・だから、何というのでしょうか、語られる言葉に「温度」があるように感じるのです・・・
 そんなことで、最近では、少々認識をあらためる?ひどいことは言わない!ようになってはきていました

 この日は、私は応援でした
10キロとハーフマラソンに出る仲間達をスタート時点で見送り、コーチと一緒に歩いていると、高いところに設営された放送ブースの中にいるキューちゃんを見つけました
 彼女は、自分の前をゆっくり進んでいくランナー達に向かって身を乗り出し、「がんばってー」「寒いですからねえ。しっかり体を動かしていってくださいねー」「いってらっしゃーい私もあとから追いかけますよー」「がんばれー」「しっかりー」と、全員がスタートし終わるまで、ずっとずっと声をかけているのです。
 その様子に、とてもひきつけられました。
ビニールシートのようなもので囲われているスペースにいらしたのですが、キューちゃんのところだけ、温度があるというのでしょうか・・・遠目にも、そこだけが違って見えました

 マラソンの大会やトライアスロンの大会に行くと、必ず「MC」の人はいて、スタートの時や折り返し、トランジションの時には声をかけてくれます。
 便利な日本語の「がんばれー」「がんばってー」です。でもね、残念ながら大抵の場合、「ああ、この人、ずっとずっとこうして『がんばれー』ばっかり言わないといけなくて大変だなあ・・・」という気分にしかならない「がんばれー!」を言われるのですよ。そこには、何の温度も重さもなく、「が」「ん」「ば」「れ」という音の羅列でしかない・・・

 でも この日の高橋尚子さんの「がんばれ」は、全く違うものでした。
その後、私は走り終えて帰ってくるお仲間達のために、おでんを温めることに一生懸命で(海岸からの風が強く、カセットコンロの火がすぐに消えてしまうのです)、高橋尚子さんがどうされたのかは知りませんでした。
 そろそろ10キロのランナー達が帰ってくる頃になって、初めて、キューちゃんも後を追っかけて、同じコースを走りに行ったことを知りました。
 そのうちに、10キロの人達が帰ってきて・・・おでんは大好評 吹きっさらしの海風の中、おでん番をした甲斐があったというものです そして、ハーフマラソンの人達も完走し、戻ってきました。

 それから20分。ハーフマラソンの制限時間が迫ってきました。2時間20分。結構、この時間設定は厳しいものがあり、マイペースランナーでは時間内での完走は難しい?と思われる時間です
 私のお仲間も、2名がまだゴールしていなかったので、「制限時間まで、あと3分」という頃になって、コースの沿道に観に行きました。
 すると、たまたま目の前のコース上に、ゴールとは反対方向を向き、一人一人のランナーに声をかける高橋尚子さんがいたのです
 キューちゃんは自分は早々とハーフの距離を走ってきて、ゴールはせず、ゴールまであと7,80メーターというその地点に立ち、ランナー達に言葉をかけていたのでした。
「あと3分。がんばれ、あと少し」「大丈夫ゴールできる!あとちょっと」「走れ!ダッシュダッシュ
「あと2分。よくがんばりましたね。あとちょっとですよ」「すごいです!あとちょっとです」「がんばれ!まだ間に合う!ダッシュ
「あと1分 間に合います!走って」「ガンバレガンバレ!あとちょっと!ダッシュ

 あと30秒、あと15秒、あと5秒・・・という時まで、ずっとずっとランナーに声をかけ、一人一人の顔を見て、必死に叫んでいました
 不覚にも・・・私はその様子をずっと見ていて、涙が出てきました・・・

 この人は、真剣に目の前の人のことを応援してるんだ・・・
 この人は、本心から、がんばれ!と言ってるんだ・・・
 この人は、今自分の目の前を通りすぎる20キロ走ってきたランナー達に、深い愛情を持って語っているんだ・・・
 それが伝わってきました

 彼女の現役時代、「きっとこの人の脳ミソまで筋肉やねんわー」なんて、罵詈雑言で罵倒していたことを、心の中で何度も詫びました。

 たまたま夜、NHKを見ていると、笑福亭鶴瓶さんと一緒に、各地を訪問する番組に高橋尚子さんが出ていました
 岩手県大船渡市を訪れ、高橋さんは昨年の4月、陸前高田市にランニングシューズを届ける前に立ち寄った大船渡の海岸線で出会ったご老人のことを語っていました。
「私はあのおじいさんに会いたい。あの方の言葉に、大きな大きな力をもらい、あの時から、ずっと私はあの方のことが気になっていたんです」と話していました。
 昔の私なら、「ほらほら、また~」みたいなことを思ったのでしょうが・・・
 運よく、そのおじいさんと再開し、手を取り合って喜んでいる高橋さんを画面の中に見ながら、「やっぱり、本当に心のある言葉は、見えるよなあ・・・」と思ったものです

 お母さんがかける朝のひとこと「気を付けて、いってらっしゃい」も、本当にお母さんの心の底からの思いがあれば、単なる慣例的なあいさつ以上の意味を持ち、子ども達にその日一日の勇気と力を与えるでしょうね



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年、発想を変えてみる

2012年01月06日 | にこにこ
 あけましておめでとうございます
激動の2011年でした。何とか、今年2012年は、穏やかで、あたたかいニュースでいっぱいの年であって欲しい!と心から願っています

 さてさて。
年末は・・・日頃さぼっていることを、たーくさん片付けないといけない・・・というのが私の常、です あれもしなくちゃ!これもしないといけない!考えているだけで、胸が苦しくなります

 もともと、私は自分で自分にたくさんのことを課して、そしてそれを達成した自分を自画自賛するタイプでした そんなふうに、ずっとずっとやってきました。
 他人に評価されることも嬉しいですし たとえ他人からは十分に評価はされなくても、そんなふうに「がんばっている自分、がんばった自分」が好きなんですねえ・・・究極のナルシストだったかもしれません

 けれど、人生観が変わって以来、もうあまりそんなふうには思わなくなりました。
自分に無理難題を課して、自分で自分の首を絞め、時には忙しさのあまりに人に当たりちらし、青息吐息で達成し、そして自分を誉める・・・今はそんな馬鹿なことは止め、その「一瞬、一瞬」を大事にするようになりました
 目標は立てても、大きすぎる目標によって自分を追い込んでしまい、苦しくなるようなことはせず、今は、小さな目標をたくさん作るようにしました
 いきなり10歩先のことを目標にするのではなく、3歩先程度のことを目標にして、1,2,3・・・と、一歩ずつ進み、その過程を愛おしみ、楽しむようにしたのです。

 そんなことで・・・
昨年末、私には大きな変化がありました 自分でも驚いたのですが・・・
以前は、リストアップした「〇〇をする」「△△をする」が1つ終わると、それを線で消しました。そして私は必ず思ったものです。「ああ・・・まだこんなにもある・・・これだけ残ってる・・・いったい、いつまでかかるだろう・・・」そんなふうに思ったとたんにうんざりし、顔からは笑顔が消えました。イライラし、雑事や仕事を溜め込んだ自分を罵倒したり、腹を立てたりしていました
 当然、リストアップしたことをやっている時は気が急き、頭の中には「これからしないといけないことのリスト」がちらつき、気分はブルーでした。

 でも
昨年末は、発想を変えました。1つのことを済ませたら、「ああ、一つ終わったぞ 一つ、確実に終わらせることができた ああ、良かった」そう考えるようにしたのです。
 まだBもCもDもEも残ってるじゃないか・・・と思うのではなく、「A」をきちんと終えることができたー!無事に終わらせた、良かった良かった!と思うようにしたのです。
 すると、とっても気分が軽くなりました。そして、Aをやっている時は、自然とAだけのことを考え、慌てることも焦ることもなく、愛情を持ってAに専念できました

 これは、例のお寺のご本堂のお掃除の時に、「心をこめて一つのことをする」ということから、自然に会得したことかもしれません。
 実際に、Aに取り組み、Aを終えたら、すべきことは一つ確実に終わるのです。ところが、BもCもまだ残っている、と考えている時には、終わらせたAには心はない・・・ということ、ですよね。要するに、Aの時にはAのことを考え、Aを終わらせたらAを終えた!ときちんとAへの気持ちを完結すること・・・そして、あらたな気持ちでBに向かう!ということでしょうか。

 すると不思議ですよ。一つ、一つのことを終わらせる時、とても充実感があって、あたたかい気持ちになれます 気持ち良く次のことに移れるのです。これは、年末に限らず、どんな時に、どんなことをする場合も同じだと思います

 何だか、私は大きな真理を得た気分で・・・年末年始、帰省をした実家で、のんびりと座る暇もなく、あちこちに気を遣い、コマネズミノように働いた時も、今までのようにストレスは感じませんでした。(でも、大層疲れて戻ってきましたが

 どうぞ、みなさまも試してみてください こんなふうに気持ちの持ち方、発想の転換をするだけで、自分が楽になり、そして、すべてのことが好循環になりますよ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あきらめたママに、アッパレ!

2011年11月03日 | にこにこ
 少し前になりますが・・・
娘の学校当時のママ友と、行きつけのイタリアンにランチに行きました 娘達が幼稚園受験をしてから、今年で20年になります。ということは、その日、ランチをご一緒したママ友とのお付き合いも「20年」になる、ということです

 私は、中高大と一貫校で過ごし、10年間、ほとんど同じ顔ぶれの友人達と同じ学び舎で過ごしました ただ、残念ながら私は、結婚後は関東暮らしになったため、好むと好まざるとに関わらず、そこでプツリと同級生との縁が切れてしまいました
 当時、友人達はほぼみなあい前後して結婚をし、それぞれが子育てに一生懸命でしたので、なかなか簡単に会うということもなく、月日が流れました・・・

 かなり後になって知ったことですが
そのまま郷里の大阪で暮らしている友人達の多くは、我が子達を母校に通わせ、今度は「ママ友」としての新しいお付き合いを始めていました 「同級生+ママ友」という関係は、何と結束の固いことか
 私が久しぶりに同窓会に顔を出しても、頻繁に「ママ友」として顔を合わせている彼女達の前では、遠来の客として大事にしてもらっても、私はなかなか昔のように同じ話題で盛り上がる・・・ということは難しくなっていました

 と、前置きが長くなりましたが・・・
そんなこともあって、息子や娘の学校での「ママ友」は、私にとって、とてもとても大事なお友達です 同じ環境の中で共に子育てをし、喜びや悲しみを分かち合ってきた仲間であったり・・・中学受験を共に戦ってきた戦友?であったり・・・
 そして、すでに社会人となった我が子達 お互い、私達に残ったのは、曲がりなりにも子どもを育て上げた達成感と、気楽で気ままな「おばさん」の強烈な個性 こうなると、本当の意味で気の合うママ友は、何重にも重なった同じ価値観を持つ大事な存在です

 今、私立小学校や中学、高校に我が子を通わせ、ママ友と仲良くしながらも、ちょっとどこかで気の重いお付き合いをしている・・・というみなさまも、あと数年、親子で共に同じ環境で過ごせば、きっと貴重な存在になりますよ

 またまた脱線。
私は、そんなママ友と3人でランチに出かけました 表参道にある行きつけのお店は人気店で、いつも1時を過ぎても外で待っている人がいます。
 私達がテーブルにつき、ああでもない、こうでもない・・・と、メニューを手に話していると、お隣のテーブルに家族連れが案内されてきました 30過ぎのご夫婦と、まだ3歳にならないお嬢さんでした。パパ、ママはテーブルにつかれましたが、お嬢さんはご機嫌が悪く、ママに促されても座ろうとせず、いろいろと無理難題を言ってはママを困らせています
 お食事のメニューの前にドリンクメニューが渡され、お父様はそれをご覧になりながら、ママのほうに「君はどうする?」と尋ねられましたが、ママのほうはそれどころではありません お嬢さんに「じゃあ、ジュースをもらおうね。何のジュースがいい?リンゴジュースはあるかな?どう?オレンジがいい?」と話しかけても、お嬢さんはグズグズ言うばかり・・・

 正直なところ、私は少々厄介なことになったなあ・・・と思いました そこは、ファミリーレストランでもマクドナルドでもありません。気の合ったお友達と、美味しいものをいただきながら、ゆったりとした贅沢な時間を楽しむつもりで出かけてきたのに・・・食事の間中、このお嬢さんのグズグズの声を聞き、ちっともリラックスできず、想定外のイライラの時間を過ごさないといけないのか・・・とても気分が萎えました

 私達は一つ一つのお料理の話をしながらも、3人とも同じことを思っていたようです
私達も母親です。20数年前、幾度となく同じことを経験してきました。今は、大人だけの時間を当たり前のように過ごしていますが、みな、二人の子どもを育て、たくさんの子育ての泣き笑いを経験してきたのです
 だからこそ、子育て真っ最中の母親には寛容になりたい・・・とは言え、やはり、自分達の時間も大切にしたいとも思います 私達3人は、その二つを天秤にかけながら、メニュー片手に思案をしていたのでした・・・

 すると
お父様、お母様が席を立たれたのです。そして、お店の方に「すみません せっかく案内していただいたのですが、今日は諦めます。娘が静かにできない様子なので、出直してきます。この子の機嫌の良い時に、またお邪魔させてください」と告げられました。そして、私達のほうに会釈をして、店を出ていかれました・・・

 いやー・・・・意外でした。予想外の展開でした
私達は3人とも、その家族が外に出て行かれたとたん、「えらい あのママ、ものすごくえらい」と言いました。はからずも、3人同時に出た言葉がそれでした。

 はっきりとお顔も見なかったお母様でしたが、そのママのことが、とても愛しく思えました 思わずお店を飛び出し、そのお母様を追いかけ、「今度、ゆっくりとお食事ができる機会があるといいですね そんな日が少しでも早く訪れるように、私達も祈っていますよ」と声をかけたくなりました。
 私達は、運ばれてきたサングリアで乾杯をしました
 「あのえらいママの子育てが、これからも上手くいきますように
 心から、そう願いました

 なかなかできることではありません。
平日、どういう経緯で、あの親子がイタリアンランチを楽しもうとなさったかはわかりませんが・・・あのような機会が、頻繁にあるとは思えません そんな数少ないチャンスだったにも関わらず、あのママは、潔くご自分のチャンスを諦められました。
 その決断・・・お子様のためであり、また実際には、ご自分のためでもあったことでしょう あの状態のままで、お食事をされたとしても、ちっとも美味しくはなかったかもしれません。娘を騙しだまし座らせ、ご機嫌をとるためにあやし、お店やまわりのテーブルに気を遣い・・・そんな状況で食べる食事は、どんなにおいしいものであっても、食べた心地はしないでしょうね
 思えば、あのママは、あのような状況のもとでは「楽しい気分で食事のできない、まともな神経を持った賢い人」だった、ということですね。

 社会性に欠けるご両親の多くなった現代です
意識は常に「ご自分達が中心」というご家族が増え、公共の場であっても、マナーやエチケットは無視され、自分達が楽しむこと、自分達が満足できるようにする、という家族ばかりが目につくようになりました
 電車やバスの優先座席に平気で親子で座ったり・・・
 2,3歳の子どもに1席を与え、靴も脱がせず窓を向いて座らせたり・・・
 通路に平気でベビーカー2台を起き、気遣うこともせずにおしゃべりに興じたり・・・ etc. etc.
決して嫌味ではなく、「あなた達は、どういう神経でこういうことをしているのですか?」「なぜ、こういうことが平気でできるのですか?」と、真剣に聞いてみたい!とよく思います

 信仰心もない日本人は、何に対しても頭(こうべ)を垂れることなく、畏敬の念もなく、祈りも感謝もなく、その上、父権も地に落ち、祖父母も甘く、学校の先生までが「友達」のようになった今日・・・ただただ欧米の猿まねをするばかりで、日本語を大切にせず、古いものは悪しきものという考え方のもと、伝統ある固有の日本文化をどんどんと捨てて行き・・・
 私は、大真面目に『日本の将来はどうなるのだろう?』と憂いています
そんな中にあって、あの日の「自分の楽しみを諦めたママ」の決断、心意気、道徳心は、本当に尊いものに思えたのでした

 同じ価値観、社会観を持って子育てをしてきた私達3人。そんな私達だからこそ、14年間、同じ学校に娘を通わせることになったのでしょう あの日、私達3人は、何度も何度も、そのママのことを話題にしました。「本当にえらかったねえ・・・」その言葉しか浮かんできませんでした。とても愛情に満ちた、母親の先輩としての言葉でした

 あの日は、わけのわからないことを言い、機嫌の悪かったお嬢さんでしたが、きっとあのお母様に育てられるお嬢さんは、ステキな賢い社会性の備わったお嬢さんに育っていかれるだろう、と確信しています




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どーんと構える!

2011年07月08日 | にこにこ

 先日、初めて「ヨットの体験」をしました。
トライアスロンのお仲間は、非常に個性豊かで、趣味や好みも多彩です。そのおかげで、私はいろいろとその恩恵にあずかっているのですが、今回は「ヨットに乗りに来ませんか?」のお誘い。何にでも興味津々の私は、二つ返事で「行くー!行きます

 でも、私はおーきな誤解をしていたのでした
昨年あたりから、かなり大きいクルーザーに乗せていただく機会が多く、すっかりその「優雅さ」に味を占め、今回の「ヨットに乗りに来ませんか?」も「優雅にクルーザーに乗りませんか?」と同質のものとして勝手に受け止めてしまい・・・
 正直に告白すれば、「どのサングラスにしようか・・・」「どのサブリナパンツにしようか・・・」「Tシャツはどれがいいかなあ?」などとファッションチェックをしていたのでした
 そして当日。西宮駅に集合した他のお仲間も、大なり小なり、私と同じ誤解をしているご様子で
 私と夫は梅田の実家から20分弱で集合場所に到着しましたが、他のメンバーは、前夜から大阪泊。(前夜は、大阪のど真ん中生まれの夫が計画した、串カツのディープな大阪を体験 じつは、大阪出身の私も、ほとんど今まで足を踏み入れたことのないエリアで、私自身も大いに愉快な経験をしたのでした)大型ヨットの初体験にウキウキとした表情でした。
 
 この日のヨット体験・・・お誘いくださったのは、日本内外、数々のヨットレースに参戦されている強者(つわもの)。もちろん、私達もそれは存じ上げてはいたのですが、そもそも、「ヨットレース」や「レース艇のヨット」それ自体が、どういうものか?という認識に欠けていたのですよねえ・・・情けないことに・・・

 「今日はね、うちの艇のクルーのうち、一人だけには助っ人として来てもらったんやけど、せっかくの機会やから、あとは今日はみなさんにいろいろとお手伝いいただきますねえ。よろしくお願いしますー」とオーナーはニコニコ。
 男性陣も「それはねえ。当然、当然!何でも言ってよー」・・・とここまでは良かった。
 でも、メインのセイルを運ぶあたりから、「むー、もしかしたら・・・このでっかいセイルを自分達で張るってことね?!そこから始めて・・・海に繰り出して・・・そのセイルで風を受けて海を滑るように行くってこと・・・ヨットは風を受けて走るんだから、そのメインの操作はYさんがされるとしても、その補助はぜーんぶこの素人集団がするってことね・・・」と、みな、事の重大さを徐々に認識してきていました。

 でもでも・・・やっぱり女性陣は暢気なもので・・・Y夫人が運んできてくださった美味しそうな芦屋の新店の焼きたてパンにワーワー喜び、大好きなシャンパンや赤白のワインを眺め、まだまだ「クルーザー気分」でした

 普段は、日頃から練習を積んだ、息の合った10人のクルーで操縦し、レースに参戦しているYさんのその大型のヨット。曇天だったものの、風は十分にあり、神戸沖を快走。
 私達は雑談をしながらもいろいろとレクチャーを受け、だんだんと「ヨットの魅力」に引き込まれていきました。
 日頃は陽気なYさんですが、ヨットの上では全く違う顔に見えました。その顔は趣味に興じる顔ではなく、伝統ある企業のトップとして、日々戦っているYさんの顔なのだろうなあ、と思いました
 2年前、名古屋でトライアスロンメンバーの夕食会にゲストとして参加されたYさんが、あれよあれよという間に私達のチームに引き込まれ、たった3か月でレースの準備をし、全く問題なく4月の石垣島トライアスロンで完走されたこと・・・ ヨットの上でのYさんを見ていると、それが快挙でもなんでもなく、Yさんのバイタリティーと、とてつもない努力家であることに由来していることが十分に理解できました。
 そして同時に、はじめは「クルーザーに乗るレジャー気分」だったその日のお仲間達が、途中から皆、レース艇のヨットがスポーツであることをしっかりと受け止め、この日をまたとないチャンスとして、大いに「学習していること」を実感したのです

 私事ですが・・・私にとってのトライアスロンは、趣味やスポーツという意味ではなく、この「トライアスロンボーイズ&ガールズ」というチームだからこそ価値がある、と考えています 
 この一人一人のメンバー達は、それぞれに本当に「人間力」のある、すごく素敵な方達なんですよね・・・(ヨットのオーナーであるYさんを含め、この日にご一緒した方々は、日経ビジネスオンラインの「なぜ経営者は泳ぎ、漕ぎ、走るのか?」に取り上げられています)
 この日、私はあらためて、このヨットの経験を通じて、この人達の魅力に触れた気がしました

 この人達は、トライアスロンのレースで途中棄権をしたり、ご自分のお仕事の上でマイナスや、マイナスの結果に終わったことがあっても、決して文句や愚痴を言わない・・・プラス、マイナス関係なく、いつも経験や身の回りのことから何かを学び、それを自分の仕事や生き方に活かしている・・・けれど、そんなことを小難しく論じたり、唾を飛ばして熱弁をふるうこともなく、ニコニコとスマートに淡々としている・・・
 そして、一番素敵なことは・・・どんな時も、どんなことも「楽しんでいる」「楽しめる」ということなんです

 この日は、曇天でスタートした後、途中、南国のスコールのような雨に見舞われましたもちろん10人もが寝泊まりできるような大型のヨットですから、屋内に退避することも可能ですが、雨とともに強まった風を受け、それぞれに小さな「役割」もあり、のんびりと雨を避けて物見遊山気分とはいきません。そんな中でも、皆は指示された通りに動き、そしてワーワーキャーキャーとはしゃぎ・・・

 せっかくだから食べましょう!ということになり、すっかり「斜めに傾いて走行している中」でテーブルをだし、美味しいパンとサラダ、ハム、シャンパンとワインでランチをしました
 途中、頭を何度も屈めたり、男性陣は必死にロープをたぐったり、巻いたりしながらも、パンを頬張り、ワインを飲み・・・一度は突然の強風にあおられ、艇が急に大きく傾いた時、テーブルの上の食べ物や紙皿がざざーっと滑り出しました その時にも、全員がわーーーっと!と手を広げ、食材を守り?!ワインを守り!?大爆笑
 この時、私の頭の中に「どーんと構える」という言葉があらわれました
そして、ものすごく感動したものでした
 誰もワーッとかキャーとか言うこともなく、突然の不幸?!に狂喜したものでした。中でも、今年66歳になる華道家の女性は、半分お尻が海の中につかりながらも、「まあ、大変よ わたくし、おねしょをしたみたいになっちゃったわー」と笑顔。

 私はね、お友達自慢をしたいわけでも、私のヨット経験自慢をしたいわけでもありません 私は、是非ぜひ、この「どーんと構える」ことの大切さ、凄さと、「何事をも楽しむ」ことのすばらしさ・・・これを伝えたかったのです

 人が生きていく上で・・・
 親が子どもを育てていく上で・・・ こんなに大事なことはないのではないでしょうか
  何事にもうろたえず、動じず、ブレず、揺れず、「どーんと構える」。
  どんな時、どんなことも「楽しむ」。

 私はこの日、あらためて「人間力とか何か?」「人の魅力とは何か?」の真髄を、見た気がしたのでした。
 そして、私もこのお仲間達から学び、私自身もこういう「人間力」と「人としての魅力」を備え持った人となって、私のまわりにいる多くの方々に良い影響を与えていければいいなあ・・・と、強く強く感じた日でした



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする