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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

楽しむ、楽しい、という感情

2015年01月08日 | にこにこ
 「楽しくてしかたがなかった」「本当に楽しめました」青山学院大学の初優勝に終わった今年の箱根駅伝。駅伝翌日の4日、5日、6日と、日本テレビ系列のチャンネルでは、何度も青学の監督とランナーの姿を目にしました。
 そんな彼らの口から頻繁に飛び出した「楽しかった」という言葉。たぶん、10区間を走った全員が、マイクを向けられた時、1度はこの「楽しい」という言葉を発したはず、です。

 私は、ここ数年、スポーツ選手から多くこの「楽しい」という言葉を聞くようになった、と感じていました。スポーツ選手というものは、古今東西を問わず、基本的にはどんなスポーツの選手であっても、毎日苦しい練習を積み上げ、その成果、結果として立派な成績を残していくものなのではないか、と思っています。
 今ではすっかり運動から遠ざかり、文系人間になってしまった私ですが、50歳になったのをきっかけに、トライアスロンに挑戦するぞと決め、0からクロールと自転車を習い、一応は複数回、オリンピックディスタンスのレースは完走しました
 さすがに、レースに挑戦していた時には、ランニング練習を欠かさず、頻繁に泳ぎ、大井ふ頭でバイク練習もしました。
スポーツ選手と比較にはなりませんし、そんなことをしたら非難ごうごうになりそうですが それでも、真面目に頻繁に練習をしていた当時は、多摩川べりを走っていると、「このまま、いつまでも気持ち良く走れる気がする」と思ったり、プールの中では勝手に手足が動き、息継ぎをすることも無意識でしたし、風を切って走るバイク練習は気持ち良く、坂を登って必死な時も、「この登りを制すれば、あとは気持ち良く下れるのだ」とわくわくしたものです。

 おっと 話を戻さなくてはいけません。
じつは、本来の性格が生真面目な私は、オリンピックやワールドカップクラス級のスポーツ選手達が、試合後のインタビューで「そうですねえ。すごく楽しめました」というようなコメントをすることに違和感を持っていました。「君達は日の丸を背負って出場しているのならば、楽しむとか楽しいなんて感情や言葉は不謹慎だ」なんてね。

 でも、今回、青山学院大学の10人の選手達が「楽しくてしかたがなかった」と表現していたように、苦しい練習を積み、抜擢され、ひのき舞台で自分のイメージ通りに力を100%発揮している!と実感できている時は、本来は「笑いが止まらないほど楽しいのではないか?!」と思えるようになってきました たとえ、母校の襷というプレッシーの中であっても、過度な優勝への重圧をかけられることなく、のびのびと自分の持てる力を発揮できているという状態・・・楽しいのでしょうね

 箱根駅伝に限って言えば、10区間の特性を考えた上で、その区間にフィットした選手を監督が吟味し、抜擢をする、ということ自体、その選手、そのランナーの走りや人となりを「認めている」ということ、ですね。その10人のランナーは、監督から一人一人の「個、ありのまま、特性」を認められた上で、「がんばってこいよ!」と背中を押されている・・・
 そして、ケガでの故障を乗り越えたり、辛く厳しい練習を積み上げたり、十二分に努力をした選手達は、認められ、ステージにあがっている・・・
 やっぱり、楽しいのですね。決して不謹慎なんかではなく、十分な努力の上の「その瞬間、その状況」がすこぶる楽しいのでしょう

 つい、どんなことでも自分の仕事に重ね合わせて考えてしまいますが、この「楽しい」と言い続けた青山学院大学の駅伝選手達と監督の姿は、親と子の関係にも置き換えることができる場面が多々あるのではないでしょうか?
 過度の期待やプレッシャー、我が子の適性を考えない親、我が子を認めず、常にないものねだりをする親・・・18歳から22,3歳の駅伝ランナー達がそうであったように、3歳から6歳の子ども達も、ひたむきにがんばっています。
 中学受験に向かう12歳も、高校受験に向かう15歳も、大学受験に向かう18歳以上の子ども達も、やっぱり、がんばっているはず。

 ひのき舞台に上がる時。心地よい緊張はあっても、辛さや頑張りを経験したからこその、すべてを突き抜けたからこそ味わえるような「楽しさ」がある・・・素敵ですね


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最近、驚いたこと

2014年11月30日 | プンプン
 あるイヴェント会場でのこと。
美しく色づいたイチョウ並木は、人で溢れ返っていました ひと月前、紅葉にはまだ少し間のある時期に訪れた時には、何とも趣のある通りだ・・・と、のんびりと眺めることができたのですが・・・

 恒例のイヴェントでは、今年もたくさんのお店が並んでいました。全国各地の「おいしいもの」を紹介するお店は、どこも大行列。やっとお目当てのものをゲットするのにも一苦労です。
 私は、ある列に並びながら、混雑した会場を眺めていました。すると、2歳を少し過ぎた程度の小さな小さな女の子が、なかなかのスピードで歩き、その後ろをイヴェントスタッフのジャケットを着た中年の男の人が困った表情で追いかけている?ついて歩いている? 何とも不思議な光景でした。

 幸か不幸か食べ物にありつくまでには、まだまだ時間があったので、その興味を引く光景を引き続き眺めていると、どうもそのチビちゃんは迷子らしく、そのスタッフが抱っこしようとすると大泣きをし、仕方なく、その人は彼女を自由にさせている・・・らしい
 そのうちに、通りかかった女性グループが「やだあ、まだ親が見つからないのねえ・・・あの人、まだあの子の相手をされてるわあ」と話していたので、この奇妙な鬼ごっこは、かなり長い時間、続いていることがわかりました。

 私がその様子を見始めてから5分以上経った頃、一人の若い女性が近づいてきました。
「こんなところにいたんじゃない どこ行ったのかと思っちゃったわよ。」その言葉から、彼女はそのチビちゃんの母親だと想像できました
 でもね、彼女はその後、私にとっては、本当に意外な言葉を発したのでした
「私、向こうの〇〇に並んでたんです。もう、すんごい列で・・・まいったわあ。こういうイヴェントって、子ども連れが多いじゃないですか。そんなこと、わかったことなんだから、親子で並んでる人を優先にするとか、並んでる間、子どもを見てくれるスタッフを用意するとか、そういうことを考えてもらわないと・・・次回から、お願いしますよー

 私は一瞬、この人は何を言っているのだろう???と、完全に度肝を抜かれてしまいました。
 そして、やっとその驚愕から思考がもとに戻り・・・この人は「お世話をおかけして、申し訳ありません。私がその子の母親です」とか「すみませんでした。その迷子は私の娘です」のような、詫びの言葉、感謝の意を表しただろうか?と、まじまじとそのママをあらためて眺めてしまいました。正直・・・宇宙人を見る気分でした

 百歩譲って・・・このイヴェントに「アンケート」があり、今後の参考意見として、良かったこと、困ったことなどを書き、残していけるのであれば、彼女が発した言葉は、「一つの貴重な意見」として、立派に意味を持ったことでしょう。この人が言った通り、子ども連れの客が多いのは事実ですからね。

 でも・・・この場合、この母親が迷子になった我が子を見つけ、預かってくれたスタッフに対し、真っ先に言うべきことは自分の意見ではなく、「すみませんでした」であり「ご迷惑をおかけしました」であり「お世話になって、ありがとうございました」だと思います。それが、社会人としての、親としての礼儀であり、常識だと思います

 世の中、いくら時代がかわっても、もちろん、こういう母親ばかりではないことは、重々承知しています でも、やはり「自分のことしか考えていない」母親が増殖していることは事実です 
 自分の子どもがかわいい(他人の子どもよりも)、なるべく楽に子育てがしたい(子育ての苦労は避けたい)、こういう気持ちはいつの時代も同じです。でも、それでも尚、一歩家から外に出れば、多くの人達の中で自分が、自分の子どもが生きていることを忘れてはいけないでしょう。
 少なくとも、親として見られている自分、子どもの手本となるべき自分、であることを、常々意識していれば、きっと過度の我がままや暴言や愚行は、自然と避けられるのではないか、と思っています

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新幹線でのできごと

2014年09月21日 | にこにこ
 新幹線の車内販売・・・どんなイメージをお持ちですか?
そもそも、新幹線に乗ることがないから、イメージさえない、という方がほとんどかもしれません
 月一の帰省のため、私は毎月、東海道新幹線を利用します。片道2時間半の間には、大抵、1度は車内販売のコーヒーを飲みます。昔と違って、今では車内販売のコーヒーも、すてたものではありません

 その車内販売。
売っているものは同じでも、売り手、つまり、ワゴンを押しながら「お弁当にお茶、サンドイッチ、ホットコーヒーはいかがですか?」と乗客に声をかけるお兄さんやお姉さんによって、かなり印象が違ってきます頻繁に乗るようになると、一人一人の「ワゴンを押すスピードや売り声」によって、その人の人柄や、その日の気分・・・なども見えてくるようになります。
 ディズニーリゾートのアトラクションのキャストなどとは違い、売り子さん達のセリフ?はすでに決まっているようですから、「今日の人の売り方は面白かった」なんてことはありません。でも、言うことが決まっているからこそ、その人の個性が見えてくるのかもしれません
 
 すこぶる愛想が良くても、ちっとも心がこもっていない人。言葉に「言霊」がないので、売り声と満面の笑顔だけがワゴンと共にむなしく通り過ぎます。
 仏頂面で、声にも張りがなく、仕事だから仕方なくやってます・・・みたいな売り子さんもいます。
 口を開けないで話すから、「おえんとうに、おや、あんどいっち、おっとおーいはいああ・・・」みたいに、何を言っているのかよく聞こえない、という人もいます。
 まあ、誰だって新幹線の車内販売が何を売りに来ているか?は知っているので、それでも困りはしませんが・・・
もちろん、本当に気持ちの良い売り子さんも大勢いて、それがほんの一瞬でも、ワゴンが通っていく時には、「旅気分」を味わえ、心和む時もあります

 今月の月初め、私は父の介護施設の方と午前中に面談のお約束があったので、いつもよりもかなり早い時間の新幹線に乗りました 駅でサンドイッチを買って乗ったので、できればすぐにコーヒーを買い、朝食を済ませたいと思っていました。
 ところが、新横浜を過ぎても来ず・・・やっと来たかと思ったら、何と!あっという間に通り過ぎてしまったのです 要するに、いつもの「お弁当にお茶・・・」という声が、全く聞こえなかったうえに、通り過ぎていくワゴンのスピードも、まるで急ぎ足で歩いている人のゴロゴロのスーツケースのようでねえ・・・さすがにその速さでは、後ろ姿に声をかけることもできませんでした

 何だかガッカリしてしまい・・・とにかくサンドイッチだけを食べ始め、ワゴンが戻ってくる時、待ち構えて買いましょう、と決めました。
10分ほどしたら、帰ってきました、帰ってきました。でも、やっぱり今度もスピードは新幹線並みで、売り声は「ささやき」級。
 すると、彼女が通り過ぎたあと、車両の前方(ワゴンがすでに通ってきたところ)に座っていたオバサン達が彼女を追いかけてきました そして「ホットコーヒーをください」と声をかけたのです。
 彼女がバックでオバサンの席まで戻っていこうとしたら、今度は、また次の人が席を立ってきて「ジュースか何かはありますか?」とたずねられました。すると彼女は「オレンジジュースがございます。ホットコーヒーとジュースですね」と答えました。
 ・・・と、その男性は「ちがいますよ。僕はあの人達とは違う席です」と言い、席に戻っていきました。スピードが速いのはワゴンだけではなく、お嬢さんは何に対しても慌て者のようでした。
 
 要するに、私と同じように、「買い物をしたかったけれど、彼女に声をかけられなかったお客が複数組いた」ということでした。私もその一人、ですからね、勇気を持って彼女を呼び止めなければ、少なくとも、その車両だけでも3組の人が欲しいものが買えず、彼女自身、3組ものお客様をみすみす逃したことになります

 ホットコーヒーをオバサン達に、オレンジジュースをオジサンに販売した彼女は、私の席あたりまで進んできましたが、またまた勢いよく通り過ぎて行きそうだったので、私は大きな声で「お願いします」と叫びました。彼女は、ハッとしてワゴンを止めました。

 ホットコーヒーを注文し、彼女が紙コップに入れて私の前に差し出した時、私がコーヒーの回数券で払おうとパスモの入ったカードケースを取り出したとたん、彼女はすかさず「現金のみとなっております」と言うではありませんか。
 私は、「いえいえ、私はパスモを出そうとしたんじゃないのですよ。回数券をお出ししますね」と声をかけると、彼女は真っ赤になり、失礼しました、と言って、回数券を受け取り、1回分をちぎってくれました。

 私は、意地悪を言うつもりは毛頭ありません。文句を言いたいわけでもない・・・
彼女が仕事に慣れていない新米さんで、羞恥心も克服できず、余裕を持って車内販売に臨めていないことはよくわかりました。だからこそ、一日でも早く、立派な車内販売員さんになってもらいたい と心から思ったのです。
 とにかく、現時点では最低限、「お客様を相手に仕事をするなら、客を立ってこさせて、注文を受けないといけないような仕事の仕方」は改めるべきですし、回数券の時も然り、焦らず、心の中で深呼吸でもして、お客様に相対することを覚えないといけない、とも思いました。

 何だかね、私は、彼女の手を握り、「大変なお仕事よね。きっと揺れている車内ではコーヒーを入れるもの大変でしょう?横柄なお客様もいるかもしれない・・・でも、がんばって あなたはもう、このお仕事のプロなんだから、がんばらないと!応援してるわ」と言いたい気分になってしまったんですよねえ・・・

 もちろん、お仕事中の彼女に、そんなことは言いませんし、手も握りませんでしたよ。ただ、彼女がコーヒーの回数券を返してくれる時、言ったのです。
 「私ね、あなたが先頭車両のほうに向かって通っていらした時、本当はコーヒーをお願いしたかったのよ。でもね、お声がかけられなかったの。私が思うには、きっと、あなたがワゴンを押すスピードが、ちょっと速いんじゃないかしら。お声も少し小さいし・・・ね、だから、さっきの女性も男性も、あなたをわざわざ追いかけていらしたでしょう?ちょうどあなたが席の横を通られた時には、お声をかけられなかったのだと思うのよ、速すぎて。私もそうだったもの。」と言いました。

 私は、彼女がどんな反応をするのか?は、想像できませんでした。ただ、お節介であったとしても、どうしても言っておきたい、と思ったのでした。
 すると・・・です。

 彼女は私に残りの回数券を返してくれたその後、しっかりと私の顔を見て、「すみませんでした」と言ったのです。
注意されたことがきっと恥ずかしかったのでしょう、耳まで真っ赤にして・・・でも、その声のトーンと彼女の眼差しが、決して拗ねたり、適当な受け答えをしているのではなく、ということが伝わってきました そして、その後は、「教えていただいた、ありがとうございました」と言って、頭を下げられたのです。
 
 正直、その行動は「意外」でした。そう、嬉しい「意外」でしたねえ・・・
『ああ、このお嬢さんは、まっすぐに育てられたのだろうなあ』と思いました。
親や、先生や、周りの人の言葉に素直に耳を傾け、それを受け止め、かけられた言葉に感謝をする・・・なかなか出来ることではありません。
 世の中、老若男女を問わず、大抵、人は「誉められる、賞賛される」ことは嬉しいことで、日頃は仏頂面をした人でも、評価されれば口元がほころびます
 でもその一方で「注意を受ける、叱られる」ということに対しては身構え、顔がこわばり、多くの場合には「ムカッとする」ものです。親の場合は、それが自分の子どものことであれば、その「ムカッ」は一層つのるようで、ほとんど心の中では「でも」と言い訳を考えるものでしょう。

 けれど・・・
「注意を受ける、叱責される」ということは、本当は人として成長できる大きなチャンス、なのですよね・・・その場では、当然、気持ちは良くありませんし、もし周りに人がいたならば、恥ずかしいという強い思いも湧いてきます。
 けれど、人は単純に「知らないから、間違ったことをしたり言ったりしている」場合も多いですし、「まあいっかの精神で、画竜点睛を欠く残念な行為を自分に許していること」もありますよね。
 しっかりとマイナスを指摘されることで、「そうだったのか」や「やっぱり、詰めの甘いことはやめよう」などなど、自分がちょっと上等になれる・・・ステキなことだと思います。

 人から評価を受けたいため、人から誉められたいためにがんばることも大事なことですが、自分自身が常に向上心を持って生きていく、ということは、人間としての値打ち、品格を上げる尊い行為だと思います

 きっと、このワゴン販売のおねえさんは、幼い頃から「きちんと叱ってもらい、そのつど、成長してきた」素敵な女性なのだろうな、としみじみと思いました。だからこそ、受け入れがたいかもしれなかった私からのアドバイスに、至極素直に反応してくれたのだろう、と実感したのです。

 最近の子ども達は、グダグダと母親にうるさく言われることは多くでも、ピシャリとお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんに叱られた経験が少ないようで、自分が今、「注意されている」「叱責されている」ということにさえ気づかず、平気で笑っていたり、ほとんど堪える様子もない・・・ということが多いです
 白紙で生まれてきた子達が、叱られることもなく、ちょっとしたプラスの行為だけで大層に誉められ、ご満悦で育っていくとしたら・・・行きつく先は「傲慢で、我がまま。学習意欲のない、成長できない人間」になっていくのは目に見えています

 次にワゴンが回ってきたのは、あと数分で新大阪に到着する、という時でした。
降りるための身支度をしている私に、笑顔で会釈し、「ゆっくりと」ワゴンを押していく彼女を見た時、私は本当に嬉しい気持ちになりました。
 ガンバレ 応援しています 彼女の後姿に静かに声をかけました。


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海で見かけた親子、いろいろ

2014年08月21日 | う゛う゛ー
 お盆の休みに海水浴に行ってきました とは言え、私はビーチパラソルの下のデッキに座り、本を読んでいただけで、水着には着替えはしたものの、結局、今年も泳ぎませんでした
 毎年、夏の終わりにある3キロの遠泳大会に出場する夫の練習のため、本番の前の週に海水浴に行くのがここ数年の恒例行事になっていて、私は毎年、夫が泳いでいる間、浜辺でじっくりと「親子観察」をするのがとても気に入っているのですよねえ・・・

 いやいや、今年も楽しませていただきました
まず、最初に私の目に留まったのが「オロナミンちゃん」。3歳から4歳という年齢の女の子でね、真っ黒なビキニ姿の、今時ママと一緒でした。私が初めてその子に気づいた時、彼女は腰に手を当てて、オロナミンCを飲んでいて・・・何だかその姿が愛らしく・・・  そのあとは、彼女を秘かに「オロナミンちゃん」と命名し、ずっと彼女を観察しました。

 オロナミンちゃんは果敢に波打ち際に行き、キャーキャー言いながら遊んでいます 彼女とママの「真っ黒加減」から見て、たぶん、頻繁に海に遊びに来ているのでしょう。ただ、彼女の遊んでいる姿からは、決して「海に慣れているから楽しそう」という感覚ではなく、遊ぶことが楽しくて仕方がない、遊び上手な子ども、というふうに見えました
 ママが砂浜に上がってしまってからも、オロナミンちゃんはイチゴみたいな小さなバケツを持ち、砂を入れてきたり、海水を入れてきたり、何度のママのところと波打ち際とを行ったり来たり・・・次々と遊ぶ内容を替えてはキャッキャとはしゃいでいます。寝そべるママの足に砂団子を積み上げたり、海水をママの足にかけては乾いた砂を振りかけたり・・・すこぶる楽しそうなのです

 その一方で・・・
次に目に留まったのが、3兄弟とパパ、ママの5人組。全員が長袖の黒いUVケアのシャツ姿。日焼け対策は万全です 今の陽射しは強いですからね。子ども達の日焼けは侮れません。親の無知が、幼い子ども達の「日焼けと言うヤケド」を引き起こすのですから
 3兄弟は、7歳、5歳、3歳、というところでしょうか。3兄弟は、まずはお昼ごはんを食べ始めました。その日は大層風の強い日でねえ。ビーチパラソルは、砂浜に埋めるだけでは飛ばされそうで、海の家のオジサン達は、深く掘ってパラソルを立てるだけではなく、別に飛び防止になる裏ワザを一緒に埋めてくれていました

 黒シャツ家族は、ご自分達のビーチパラソル持参。でも、裏ワザはないので、結局はパパがずっと手で支えることになりました。3兄弟は行儀よく並んで座り(ド・ミ・ソ、という感じ)、ママが一人ずつに配ったおにぎりを手に持ち、ママの「さあ、どうぞ」の合図で食べ始めました
 食べ終わると、ママがウエットティシュ―を一人ずつに配り、手と口元を拭き終ると、ママが差し出すゴミ袋に捨てます。大荷物でちょっとびっくりしましたが、ママのバッグはドラえもんのポケットのように、いろんなものが出てくるようでした
 ド・ミ・ソ君は、両腕に浮き輪を付け、ママに促されていざいざ海へ

 でも・・・波がやってくると大慌てで逃げ、茫然と波打ち際に立って、なかなか海には入っていきません それを6,7回繰り返したでしょうか・・・すると、ママはパラソルを支えるパパのところに戻ってきて、小さなバケツとスコップを持ち、再びド・ミ・ソ君のところに戻りました。
 どうも、海に入るのは諦めたようです (風は強かったのですが、幸い、その日の波は決して高くはありませんでした)ママとド・ミ・ソは、波打ち際からかなり離れたところで砂山を作り始めました。
 
 小一時間ほどして、再び私がオロナミンちゃんを見た時には、何と彼女は午前中とは違う水着を着て、またまた遊んでいました どうも、海の家でママとお食事をした後、お色直しをしたようでした。
 ド・ミ・ソ君とママは、お昼ごはんの時と同じように並んで座り、ウエットティシュ―で手を拭いていました。そして、ママが順番に配った小袋のお菓子を食べようとしていました。

 上手く言えませんが・・・私は、何とも切なくなってしまったのです・・・
きっと、本当はド・ミ・ソ君達も、十分に海水浴を楽しんでいたのだと思います。とても嬉しそうな笑顔でしたから。遊ぶ様子は違っても、ちょうど同じくらいの年に見えるオロナミンちゃんとド君は、楽しい時間を過ごしていた・・・
 でもね、やっぱり私はどちらが「良い」とか「悪い」ということではなく、「海での時間を満喫する」という意味では、ド・ミ・ソ君のママには「言いたい」と思うことがたくさんありました。
 
 ド・ミ・ソ君のママは、たぶん「マッチは危ないから、絶対に触ってはいけませんよ」と怖い顔で教えいるのだろうなあ、と思いました。マッチは、確かに発火のために使う道具です。でも、発火のためにこすり合わせなければ、そのままでは決して危険ではないものです。マッチそのものを禁止しなければ、息子達はマッチ棒を並べ、自由自在に形を作り、遊ぶ楽しみも味わえるだろうに・・・と思いました。
いやいや、私の勝手な思い込みからの単なる想像ですから、ド・ミ・ソ君は遊び道具が身近にない出先などで、上手にマッチ棒で電車を作り、遊んでいるかもしれません

 家庭それぞれの教育方針があります。また、その家庭そのものにもともと課せられた、代々受け継がれ守るべき格やレベルというものもあるでしょう。
でも、それらを十分に守りながら、それでも尚!子ども達の「人間的な幅を広げる」とでもいうのでしょうか、そんな豊かな育て方を求めれば、子ども達はもっともっと賢くなり、もっともっと楽しい毎日が送れるのではないか、と強く感じた出来事でした。

 電車に乗ると、ド・ミ・ソ君達はとてもお利口で、公共でのマナーをしっかりと守る良い子に違いありません もしかしたら、オロナミンちゃんは電車の中でも大はしゃぎで、靴のままで座席に座り、窓のほうを向いて座るのかもしれません

 すべての意味で「賢い子ども」に育てることは至難の業ですね でも、まわりのいろいろな家庭を見ながら、時にはご自分達の家庭教育や教育方針を見直し、その都度、TPOを鑑みつつ、マイナーチェンジすることも大事なのではないかな?と思いました


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品性、品格、考えさせられました。

2014年05月28日 | プンプン
 今年もホノルルトライアスロンの応援に行ってきました お天気にも恵まれ、すこぶる楽しい大会でした。

 さて、そのホノルルに到着し、飛行機を降りる時のこと。私は、何とも言えない情けない気分になったのでした
 それはね・・・
すでに機外に降りていった乗客達の「座席の汚さ」を見たから、です。
 枕は床に落ち、膝掛けのブランケットはくちゃくちゃ。使ったヘッドフォンは座席から落ちかかっていたり、座席前のポケットから半分飛び出してぶら下がっていたり・・・
 空っぽのペットボトルは座席に置き捨てられ、機内用のスリッパはあちこちに散らかっている・・・

 ホノルル空港到着のアナウンスで、もう気持ちはすぐに機外に向き、一刻も早くハワイの空気を吸いたかったのかもしれません。ナイトフライトで疲れた身体では、自分の座席を整える気分など微塵も生まれなかったでしょうか
 でもね・・・ほぼすべて、というほどの空っぽの座席の状態があまりにひどく、私は本当に泣きそうでした

 どうしてブランケットをたたもうと思わなかったのしょう?たたんだとしても、ほんの30秒ほどですよね。
 席を離れる時、たたんだブランケットの上に、ポンと枕を置くことは大儀ではないはず。ペットボトルだって、ちょっと持って出て、ゴミ箱に捨てればいいだけ。使ったスリッパも、座席下に揃えて置くなり、捨てるなり・・・

 私は、よく教室の生徒達に話します。
「あなたは、人から見られているのよ」と。幼い頃から「人の目を意識する」ことによって、自分の行い、言動に気遣うようになるから、です。
 わずか4歳、5歳の子どもだって、お利巧な子ども、賢い子ども、かっこいい子ども、というふうに人から見てもらいたい、という欲求はあるのですよ
 こういう意識によって「正しい行い」「きれいな言葉遣い」「美しい所作」は育っていきます。それが、ひいてはその子の「品性、品格」として育っていき、知らず知らずのうちに、恥ずかしい行為、みっともない行いに対する羞恥心や嫌悪感が生まれます

 誰が見ていなくても、誰がほめてくれなくても、自分の使った座席をきれいにして、その場を離れられる品性の高い人が、増えてくれればいいなあ、と心から思いました
 JALやANAの機内は、さすが日本人そう思ってもらえる、日本古来の高い品格、立派な文化が若い子ども達に受け継がれていくこと・・・子どもを育てる親、大人には、その責任があると思っています

 


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