まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

戦争を子ども達に伝える必要性

2015年08月06日 | う゛う゛ー
 戦後70年の今年、例年の夏以上に、メディアでは戦争のことが扱われているように思います。
 この状況は決して日本国内だけではなく、世界で「終戦後70年」が大きく取り上げられるのは、太平洋戦争終結、という意味だけではなく、第二次世界大戦として考えれば、確かに今年は多くの国々にとって「終戦後70年」であるからです

 私は、家族とともに「終戦後50年」の節目の8月を、インドネシアのジャカルタで迎えました。
 当時主人は単身赴任中。10歳の息子、7歳の娘は、ジャカルタの熱い熱い空気の中で、「独立50周年」を迎えた大祝賀ムードを、肌で感じました 
 「Hari Merdeka(独立の日)」の8月17日(日本が無条件降伏をした2日後、です)の意味を、夫と二人で、小学生の我が子達に、順を追って話したことを今でもよく覚えています。
 「そうだったんだね・・・だから、あの田舎で会ったおじいちゃんは、僕達に『君が代』を歌ってくれたんだね・・・」
 「だから、旧市街のジャカルタには、オランダみたいな建物があったんだあ・・・」
 夫の駐在3年間の間に、子ども達がインドネシアを訪れ、そこで見たもの、聞いたことの諸々が、この日の話によって、彼らの頭の中でつながっていき・・・そして、いろんなことを感じ、考える機会になったなあ、としみじみと感じました。

 先日、NHKの調査で、広島と長崎に原爆が投下された日を知らないという日本人が7割にのぼる、ということを知りました。中でも、広島、長崎というその地でも、その日がわからないと答えた人が3割いた、ということは驚きでした。

 私は、比較的幼い頃から、両親の影響で、こういう歴史や社会的な動きに関しては深く興味を持つタイプだったと思います。
 昭和33年生まれの私達は、まだかろうじて、「親や祖父母の戦争体験」を聞くことがありました。思えば、私はまだ、戦後わずか10数年で生まれたのですからねえ・・・

 政治的にはどうであれ、戦争には勝者も敗者もない・・・と私は感じています 我が子を持つことになり、あらためてそれを実感するようになりました。
 18歳で初めてアメリカに短期留学をした時、「戦争の話題は避けるように」とアドバイスを受けました。たぶん、それはつたない語学力では、自分の考えや思いを十分に伝えることは不可能、という理由からのアドバイスだったのでしょう。
 でも、ホストファミリーのお父さんが、海軍の退役軍人であったことで、退役軍人家庭のピクニックにも頻繁に参加し、結果的にいろいろと戦争の話題にもなりました。
 そんな時「命の尊さ」という観点からは、戦勝国も敗戦国も関係はないと思う・・・と、その日に話したこと、話してもらったことを思い出し、いつまでもベッドの中で天井を見つめ、感じていましたねえ・・・若い日の、ピュアな感覚です・・・

 現在は、美しい青い海が観光財源となっている太平洋上の島々には、激戦地が少なくありません。二本軍玉砕と言われる島々でも、実際には、敵軍にも夥しい戦死者がいたのです。

 今のお母様達の多くは、子ども達に「美しいもの」「楽しいもの」「ハッピーなもの」はたくさん教え、経験させますが、「みにくいもの」「怖ろしいもの」「目をそむけたくなるもの」は見せず、教えず、「辛いこと」はなるべく回避させようとする傾向にあると思います人 その理由は、それは自分達も楽しくないから・・・のようです

 この間「今この瞬間も、食べるものがなく、死んでいく子ども達が世界中にはいるのよ」と教室の子ども達に話すと、「なんで食べるものがないの?お店屋さんだって、いっぱいあるじゃん」と、とても不思議な思いを持った表情で言われました。まさに、その通りですね。私は、その子の瞬時の反応をとても新鮮に感じ、「教えないこと、伝えないことの罪」を強く感じたのでした。
 なぜなら、その時の子ども達が、一生懸命に、自分達の知らない話を聞こうと前のめりになっていることが伝わってきたから、です。

 子どもに伝えるべくことはたくさんあります 伝わる言葉を探し、子ども達が理解できるように伝える義務が大人にはあるのです そして、あらためて大人の私達も、真実を学び、感じ、考える必要があるのではないでしょうか

   

 
 
 
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輪島塗のお箸が二膳・・・

2015年05月21日 | う゛う゛ー
 北陸新幹線開通で、一気に首都圏から近くなった石川県。
もともと、金沢は長年「行きたいねえ」と言っていた町でした。今まで何度も、貯めているマイル利用で行こうとしましたが、なかなか夫婦の仕事のタイミングが合わず、そのつど断念。今回、やっとその念願叶い、新幹線利用で行ってきました

 お昼前に金沢に到着。本当に近くなりました 昼食後は、夕方までしっかりと歩きまわり(帰ってから、距離を測るソフトを使ってみてみると、12キロ歩いていました)、主要な「見どころ」はほぼ訪れました。
 ゆったりとした、穏やかな時間の流れる町・・・それが私達夫婦が金沢に持った印象でした
新幹線の開通を機にリニューアルしたり、あらたに整備されたであろう建物や空間がたくさんあって、あっちもこっちも行き届き、ぴかぴか かと言って、もともと風土、文化ともに豊かな土地柄ですから、にわか仕立てのちょっと痛い空気?!というものもなく、本当に居心地の良い町でした 滞在中、何度も「前田家はすごいねえ」とか「さすが、加賀百万石!」と言葉にしました。(いやいや、石川県知事さんがご立派なのかな?)

 翌日は、朝から2時間かけてバスで輪島へ 私は中学生の頃に両親と訪れてから、ほぼ40年ぶり。その時に訪れた町の記憶はありませんが、輪島塗の工房を訪れ、製作工程を見学したことを、とってもよく覚えています 能登半島を一周したその時の旅では、九谷焼の工房、輪島塗の工房、金箔の蒔絵の工房を訪れ、まるで夏休みの自由研究のようですが・・・文化的なことが大好きだった父にとって、こういう全国の工房めぐりは、まさに教育パパの一環だったのでしょうね 
 幸いなことに、その思惑にまんまと引っかかった私は、今も自宅近くを歩いていても、何か町の説明があると立ち止まり、思わず読みふけってしまいます

 今回の輪島行きには、観光以外にもう一つの目的がありました。それは、夫の友人のご実家を訪ねる、というものでした ご高齢のお母様の一人暮らしとお聞きし、何が何でもお訪ねして、少し、お話し相手にでも・・・と考えたのです。
 とは言え、その夫のお友達に教えてもらった「お寿司屋さん」には行きたいし・・・お宅にお邪魔する前にお店に立ち寄り、「2名、カウンターでお願いします!」と予約をしました。
 お母様宅には、同じくご高齢のお友達という方が待っていてくださり、私達を車で郊外にある世界遺産まで案内してくださる手筈が整っていました 
 じゃあ、一緒にお寿司屋さんに行きましょうか!ということになり、4人で向かいました。
先に私達がお店に中に入り、4人になったのですが、大丈夫ですか?とたずねると、いきなり怖い顔で「無理無理」とすごい剣幕で言われ・・・急な変更を詫びながら、何とかならないかと再度お願いすると「2階に行って」と言われました。カウンターが4席空いていたので、「お二人はご高齢で、急な階段を上がられるのは難しいと思うのです。カウンター席でお願いできませんか?」とお聞きしましたが、「ちゃんとあんたらの2席はとってあったでしょ。とにかく、4人は無理。2階、2階」と繰り返すばかりで、舌打ちされ、睨まれ・・・ この会話も、実際には、途中で聞こえないふりをされたり、無視されたりで、決して字面ほどスムーズではなく・・・
 お年寄りお二人は、その場でオロオロするばかり。私は、何とも情けない気持ちでいっぱいになりました

 急な変更をお願いしたのは私達で、非は私達にあります。
確かに、お願いをしたのは2席で、その席はきちんと予約席として、意してくださってもいました。そういう意味では、お店のご主人に何の落ち度もありません。
 勝手かもしれませんが、ご一緒したのが地元の方で、高齢者お二人だったから、やっぱり「なんでこういう扱い?こういう応対?」と思ってしまったのです。

 結局、お二人にカウンター席に座っていただいて、私達夫婦は、2名で二階席を使う許しを乞うて、どう考えても杖をついて歩いているお年寄りには上り下りの出来ない急な階段を登っていきました。

 お寿司屋さんにご一緒しましょう、ということになった時、お二人は何度も、あそこは輪島では有名なお寿司屋さんで、本当においしいお店なのだと、自慢するように笑顔で話してくださっていたのです。
 そのお二人が、睨みつけながら声高に「2階!2階!」を繰り返すご主人の前で、どんなお気持ちだっただろうか?そして、どんなことを思いながら、カウンターでお寿司を二人で食べられたのか?

 2階の席に運ばれてきた、みんなが注文するというご主人お薦めの、地元のお寿司を前にしても、私はすっかり食べる気持ちが失せていました
あの、睨みつけていたご主人が握ったお寿司なんだなあと思うと、食べる前から、そこには「心」がないように思えてしまいました。きっと、手で握るお寿司だから、一層、気持ちが萎えたのかもしれません

 私も主人も下のお二人のことを気にしながら、ほとんど会話をすることもなく、砂を噛むような思いで「とても美味しいはずのお寿司」を食べました。
運んでくださるお店の方も、何となく居心地が悪そうで・・・でも、その方は私達のことを気遣い、下のお二人の食べているペースを教えてくださり・・・ ありがたく、申し訳ない思いでした

 お会計を済ませ、お店を出る時にも、ご主人はそっぽを向いたままだったので、その後ろ姿に「急なことでご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。ごちそう様でした。」とお声をかけました。
 帰り際に渡された輪島塗のお箸・・・ご主人お薦めのランチをいただくと、お土産にいただけるとのこと。そのお箸を持って、外に出ました。
申し訳なかったですねえ、と何度も詫びるお二人にお箸を渡し、車に乗り込みました その後は、努めてお寿司の事は忘れ、輪島の今昔物語を語ってくださるお二人に耳を傾けました

 言葉足らずは、心足らず・・・私がよく教室の子ども達やお母様方に話す言葉です。
恥ずかしさのあまりに「こんにちは」や「ありがとう」の言えない子どもはいます。少々常識に疎く、言葉の足りないお母様もおいでになります。
 でも、それが「仕事」となると話は違うよな、と私は思うのです 何か物を売る、とか、サービスを提供する、とか・・・それが仕事なのであれば、相手に対する「言葉」は、そのままで大切な仕事の一部ですよね。そして、心があれば、その心は、やはり思わず言葉となって出てくる・・・

 非は、私達にあります でもね、もしあの時「すみませんねえ、二人と聞いていたから、2席しか用意はありませんよ。4人であれば、2階のテーブルの席に行ってもらうしかないです。・・・え?お年寄りですか?いやー、事情はわかるけど申し訳ない。このカウンターの2席は、予約でとってある席でね。カウンターで4席ってのは無理なんですよ。」と言ってくださったら、きっと空気は違っていたことでしょう

 そのお寿司屋さんから、ほんのワンブロック先のお家に住んでいるお年寄りとは、お店の方は顔を合わせることはないのかな・・・一人暮らしのお年寄りでは、お寿司屋さんの常連客にはなり得ないから、大事には出来ないのかな・・・
 疑問はいっぱい残りました

 私達がお店を出る時には、カウンター席には2人の外国人客も座り、お寿司を食べていましたし、外に出ると、並んで待っている人達もいました。観光客に人気の、グルメサイトでも評価の高い有名店ですからね。お土産までいただけて。

 いただいたお箸、二膳・・・ 
何だか、本当にいろんなことを考えてしまう出来事でした。今週末も、きっと金沢や能登は、観光客で賑わうのでしょうね

 
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「おいしくない!」と言わせない

2015年04月14日 | う゛う゛ー
「おいしくなーい」「イヤだ」「きらい
これは、私の大嫌いな「子どもが発する3つの言葉」です。正直なところ、こんな言葉を日常から我が子が使っていて、どうして許せるのか?どうして捨て置けるのか、理解に苦しみます。
 その子の親は、よほど鈍感なのか、よほど子どもが発する言葉に興味がないのか、よほど言葉の意味を理解していないのか、そのどれかなのでしょう

 「おいしくないもの」なんて、この世の中に存在しない、と私は思っています。たまたま、その人の口に合わないだけ、ですよね。

 本当にこの言葉、この表現って、おかしくないですか? 
最近、あまり見なくなったように思いますが、以前、よく民放のテレビ局が「世界の珍料理」のような番組名で特番をやっていました
 爬虫類や昆虫、鳥類等、日本では食べる習慣のない食材を使った料理を芸能人に食べさせ、「こんなものは食べられない」とか「気持ち悪い」とか「信じられない」というようなコメントを発させて、みんなで大笑いをするという番組・・・ 確かに、私も地中の幼虫を生で食べておいしいとは思わないと思いますし、食べてみなさいと勧められたら、やはりかなり躊躇すると思います。

 でも、これはテレビ番組としての非常にレアなケース。普段私達は、近所のスーパーや市場、もしくは自宅や近所で栽培されたり、飼育されたりした野菜や食材を使って調理をしますね 買ってきたお惣菜でも、やはり同じこと、です。
 だから、それらは、誰かが誰かのために作ったもの。それがコンビニのお惣菜で、かなり機械化されて調理されていたとしても「人の口に入るもの」「食卓に並ぶもの」として存在しています。
 食べる人達に「おいしいね」と言ってもらえるように、作り手は調理しているでしょう。残念ながら「ママのお料理が下手」だったとしても、そこに悪意はない、ですよね。
 にも関わらず、「おいしくなーい」「まずーい」と子どもが言うことは暴言ですし、そんな心ない、間違った表現を許してはいけない、と強く感じています(自分が自分のために調理したものが、残念ながら失敗作で「ああ、おいしくなかったな、失敗だったわー」と自分自身で思うのは、あり、だとは思いますが)

 先日、とてもとても懐かしい人から、メールがありました 私の教室のホームページから、アドレスを見つけ出してくれた方から。
その人は今から35年前、私と一緒にアメリカ、カリフォルニア州のSquaw Valleyに、サマーキャンプに行った方でした 彼は当時、小学校3年生。私は大学を卒業して1年目の夏、仕事の一環として、子ども向けの海外で開催されるサマーキャンプに通訳兼お世話係として同行しました
 参加者の中で一番小さかった彼の事はとても気にかかりで、10日間の滞在の間、お洗濯は上手に干せているか?とか、夜はホームシックで泣いていないか?と、細々と世話を焼きました。
 とても健気にがんばる彼は、積極的にアメリカ人の子ども達と一緒にアクティヴィティーにも参加していました でも、たった一つだけ、彼の困ったところは・・・食べ物の好き嫌いが多かったところ
 朝、昼、夜と食事をするたびに、「ああ、これはおいしくない」「これは、まずい」と何度も言っていました。始めのうちは私もそれを黙って見ていたのですが、だんだんとその言葉が耳触りとなって、3日目あたりだったでしょうか、「頼りになるけど、けっこう怖いおねえさん」は、その子のテーブルに行って注意をしました。

 「いい加減にしなさい 毎日、あなたがおいしくない、とか、まずい、とか文句を言っている食べ物は、おいしくないわけでも、まずいわけでもありません じゃあ、みんなに聞いてみなさい。あなたが言っているように、みんなもおいしくない、まずいって思っているかどうか。」

 (ここで、あちこちから「ぼくは好きだよ」「私はおいしいと思う」という合いの手が入りました)

 「いい これも、これも、あなたの口に合わないだけ あなたは、自分のおうちでもおいしくないとか、まずいとか、お母さんが作ってくれたお料理に文句を言っているのかもしれないけれど、それは大間違いよ お母さんは、あなたのために心を込めて作ってくれてるの それに、あなたが嫌だっていって食べないお肉もお野菜も、一生懸命に苦労をして作ってくれている人がいるの そんなこともわからずに、気ままにおいしくないとか、まずいとか言ってはいけません。たった今から、「口に合わない」と言いなさい。それに、口に合わないってことは、わざわざ口に出す言葉でもないのよ。だって、それをおいしいって思う人がたくさんいるんだもの。口に合わないと思っているのは、あなたの勝手な気持ちなんだから

 添乗員さんや、日本人のコーディネーターさんから拍手が沸き起こりました
いやいや、思えば、22歳の小娘が、偉そうなことを言い放ったものです。この子の親が一緒だったら、憤慨したかもしれませんね。でも、当時の私はどうしてもこの子の言葉が許せなかったし、とても良い子なのに、家庭でそんな暴言が許されている、ということが残念にも思えたのでした。

 すっかりオジサンになった「元3年生」メールの内容は・・・
長年待ち望み、生まれたお子さんは小学校3年生。この春にクラス替えがあり、初めて一緒になるお友達と席を並べて給食を食べた時のこと。お隣のお友達は「今日のおかずはまずい このデザートはおいしくない」と文句ばかり言って食べたのだそうです。
 この子は間違ってる!と思ったご子息は、「僕はおいしいと思うよ、まずくなんてない 〇君の口に合わないだけだよ」と注意をしたんだ、と、夕食の時、お父さんに話したのだそうです。

 「・・・先生。何だか、僕は泣けました。35年も経って、あのSquaw Valleyのロッジの食堂でのことを、まるでついこの間のことのように思い出したのです。先生は仁王立ちで、怖い顔をして僕に注意をしていました。「口に合わないって言いなさい」「でも、わざわざ口に合わないなんて、言わなくていいの」ってね。あの日は、確実に今日につながっているんですね・・・」

 私も泣けました 
「元3年生」は、45歳のきっと立派なお父さんとなり「頼りになるけど、けっこう怖いおねえさん」は、57歳の子育てが終わったオバサンであり、幼児教室の先生になっています。35年前の自分の姿を想像すると、とても偉そうで恥ずかしいですが、それも今の自分につながっているのだなあ、と思うと、とてもとても感慨深いです。
 確かに、こうして親から子へ、子から孫へ・・・家庭での教育は、脈々とつながっていくのですねえ・・・
 
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「自分で気づく」ということ

2015年02月18日 | にこにこ
 「早くしなさい」母親は、一日に何度、この言葉を口にするでしょう
ぐずぐずと支度をし、保育園や幼稚園に遅れそうになる・・・おしゃべりばかりをしてしまったり、テレビにくびったけになって、いつまでも食事を終えられない・・・いつまでも寝ない、いつまでも起きない・・・等々
 そのたびに、「早くしなさい!」と怒鳴ったり、脅したり、諭したり。
 でも、何度も注意をしたところで、本人達が「早くしないと、どんな問題が生じるのか?」「どんな不都合があるか?」がわからない限り、いやいや、実際に早くしなかったことで痛い目に遭わない限り、「早くしないといけない」とは思えないものですね。

 たまたま、子どもに対して頻繁に口にする「早くしなさい」という言葉を例にとりましたが、子どもに限らず大人であっても、人はどんなことも、自分自身で「気づき」、それを意識しない限り、実践、実行は出来ないのだと思います。

 たとえば・・・「どんなに美味しいからと言って、食べ過ぎたら太るよ」と注意されても、やっぱり食べてしまう・・・でも、とても大事なお出かけの日、お気に入りのパンツを履こうとしたら、ギャー、チャックが上がらないーとなって、初めて「ああ、毎日、食べ過ぎてたからだわ」と気づき、やっと、その日からは最後のふたくち、三口を我慢するようになる・・・なーんてね。

 じつは今日、私はとても心に残る、深い話を聞きました。
それは、カトリック校に通う小学校低学年の子の言葉・・・ここのところ、ずっと続いているISILのニュース。その子のご家庭でも、子どもにも理解できるように伝えたり、お父様やお母様のお考えを話したりされていたようです。親としては、何とも不条理な行いの数々に憤り、言葉に出来ない腹立たしさを感じていた時、お嬢様はこんなふうに話したのだそうです。

 「学校でね、あの人達が『自分達の行いが、悪いことだって気づきますように』て毎日、お祈りをしているよ」と。

 この言葉を読み、私は、ああ、なんて深いんだ・・・と心揺さぶられました。
あの人達の行いは「悪」ですと言うのは簡単なことです。けれど、この言葉は、そうではないのですね。自分達の行いが「悪」である、と自分自身で気づけるように・・・祈る、というのです。

 思えば、日頃の生活でもそうですね。
自分の行いが、相手(他者)に対してどういう意味を持つのか?自分の言葉が、相手(他者)にどんな思いをさせる言葉なのか?
 こういうことに自分で気付き、意識、認識できない限り、ずっと人を傷つけたり、不快にさせたりするでしょう。それがたとえ悪意のないものであったとしても・・・です。

 私は、まだまだ幼いこのお嬢さんが、手を合わせ、一心に祈っている姿を想像します
大きな大きな悪の前には、この小さな子ども達の真摯な祈りがどんなに深くても、一朝一夕に届くとは思いません。けれど、それでもなお、子ども達の祈りの深さ、強さに心動かされ、そして「祈り」そのものが子ども達の心に与える大きな意味を感じています。


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楽しむ、楽しい、という感情

2015年01月08日 | にこにこ
 「楽しくてしかたがなかった」「本当に楽しめました」青山学院大学の初優勝に終わった今年の箱根駅伝。駅伝翌日の4日、5日、6日と、日本テレビ系列のチャンネルでは、何度も青学の監督とランナーの姿を目にしました。
 そんな彼らの口から頻繁に飛び出した「楽しかった」という言葉。たぶん、10区間を走った全員が、マイクを向けられた時、1度はこの「楽しい」という言葉を発したはず、です。

 私は、ここ数年、スポーツ選手から多くこの「楽しい」という言葉を聞くようになった、と感じていました。スポーツ選手というものは、古今東西を問わず、基本的にはどんなスポーツの選手であっても、毎日苦しい練習を積み上げ、その成果、結果として立派な成績を残していくものなのではないか、と思っています。
 今ではすっかり運動から遠ざかり、文系人間になってしまった私ですが、50歳になったのをきっかけに、トライアスロンに挑戦するぞと決め、0からクロールと自転車を習い、一応は複数回、オリンピックディスタンスのレースは完走しました
 さすがに、レースに挑戦していた時には、ランニング練習を欠かさず、頻繁に泳ぎ、大井ふ頭でバイク練習もしました。
スポーツ選手と比較にはなりませんし、そんなことをしたら非難ごうごうになりそうですが それでも、真面目に頻繁に練習をしていた当時は、多摩川べりを走っていると、「このまま、いつまでも気持ち良く走れる気がする」と思ったり、プールの中では勝手に手足が動き、息継ぎをすることも無意識でしたし、風を切って走るバイク練習は気持ち良く、坂を登って必死な時も、「この登りを制すれば、あとは気持ち良く下れるのだ」とわくわくしたものです。

 おっと 話を戻さなくてはいけません。
じつは、本来の性格が生真面目な私は、オリンピックやワールドカップクラス級のスポーツ選手達が、試合後のインタビューで「そうですねえ。すごく楽しめました」というようなコメントをすることに違和感を持っていました。「君達は日の丸を背負って出場しているのならば、楽しむとか楽しいなんて感情や言葉は不謹慎だ」なんてね。

 でも、今回、青山学院大学の10人の選手達が「楽しくてしかたがなかった」と表現していたように、苦しい練習を積み、抜擢され、ひのき舞台で自分のイメージ通りに力を100%発揮している!と実感できている時は、本来は「笑いが止まらないほど楽しいのではないか?!」と思えるようになってきました たとえ、母校の襷というプレッシーの中であっても、過度な優勝への重圧をかけられることなく、のびのびと自分の持てる力を発揮できているという状態・・・楽しいのでしょうね

 箱根駅伝に限って言えば、10区間の特性を考えた上で、その区間にフィットした選手を監督が吟味し、抜擢をする、ということ自体、その選手、そのランナーの走りや人となりを「認めている」ということ、ですね。その10人のランナーは、監督から一人一人の「個、ありのまま、特性」を認められた上で、「がんばってこいよ!」と背中を押されている・・・
 そして、ケガでの故障を乗り越えたり、辛く厳しい練習を積み上げたり、十二分に努力をした選手達は、認められ、ステージにあがっている・・・
 やっぱり、楽しいのですね。決して不謹慎なんかではなく、十分な努力の上の「その瞬間、その状況」がすこぶる楽しいのでしょう

 つい、どんなことでも自分の仕事に重ね合わせて考えてしまいますが、この「楽しい」と言い続けた青山学院大学の駅伝選手達と監督の姿は、親と子の関係にも置き換えることができる場面が多々あるのではないでしょうか?
 過度の期待やプレッシャー、我が子の適性を考えない親、我が子を認めず、常にないものねだりをする親・・・18歳から22,3歳の駅伝ランナー達がそうであったように、3歳から6歳の子ども達も、ひたむきにがんばっています。
 中学受験に向かう12歳も、高校受験に向かう15歳も、大学受験に向かう18歳以上の子ども達も、やっぱり、がんばっているはず。

 ひのき舞台に上がる時。心地よい緊張はあっても、辛さや頑張りを経験したからこその、すべてを突き抜けたからこそ味わえるような「楽しさ」がある・・・素敵ですね


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