ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその218-サウルの息子(今年のアカデミー外国語映画賞)

2016年03月01日 | ヨーロッパ映画
今年のアカデミー外国語映画賞。

「ホロコースト」
アユシュヴィッツが有名である、ドイツ軍によるユダヤ人大量虐殺のことである。
この件については、第二次世界大戦の最大の汚点であり、人類史上ゆるすべからざる行為である。
以前このブログに投稿した「夜と霧」が、ホロコーストについてはドキュメンタリーで伝えることに成功している。
戦争と言う狂気が生み出した、この人類最悪の惨事を忘れてはいけない。
本日紹介する映画は、このホロコーストを扱った「サウルの息子」である。
ストーリーを紹介しておこう。

サウルは、ユダヤ人強制収容所の「ゾンダーコマンド」
ゾンダーコマンドとは、数ヶ月の延命をすることにより、収容所の清掃等を行なう、作業員である。
サウルはある日、死にきれなかった少年を、医師が絶命させるところを目撃する。
彼はその少年を、自分の息子と認識し、ちゃんとした埋葬をすることを誓う。
まずは、ラビと呼ばれる「ユダヤ人聖教者」が収容所にいることを聞きつけ、彼を探そうとする。
サウルは、収容所内を奔走し、ラビをひたすら探す。
一方、他のゾンダーコマンド達は、武装蜂起を計画、収容所からの脱出を計画する。
その計画に加わることになったサウルだが......

印象的なのは、ファーストシーン。
画面全体がほやけている。すわ、投影ミスかと思い、暫くみていると、奥から何人かの人達がやってくる。
彼らは、ちらばり、一人だけ画面の手前に進んでくる。
すると、ある位置でカメラのピントが正確に合う。
それが主人公「サウル」なのである。
なかなか面白い趣向であると思った。しかも、スクリーンサイズは今では滅多に使用しない「スタンダードタイプ(昔のテレビの4対3とほぼ同じ比率)」を採用している。
その後も、ピントのフォーカスはサウルに合ったまま。他の映像はサウルに近づかない限り、全てフィルターを使用したように「ぼやけて」いる。
このあたりは、サウルを中心に、彼の目線からストーリーを進めて行こうと言う、監督の意思が見て取れる。
ただ残念なのは、どうしてもサウルの心情に成りきれないことだ。
彼の目線から、物語を目の当たりにしても、彼の心情を汲み取ることは、私はできなかった。
かなり斬新で、けれんのある映画の作りは、監督の意欲、観客に対するアピールはできていると思う。
しかし、映画全体として、作りが浅く、どうしても納得のゆく作品として完成していない。
映画の後半については、現在公開中なので、割愛させていただく。
後半、ラストシーンについても、観客に対する訴えかけが無いように私には感じられた。
前々回紹介した「ディーパンの闘い」もそうだったが、もっと映画の作りが深く、主題を持った映画を作ってもらいたいと、今回「サウルの息子」を観て再度私は思った。
この映画は、昨年のカンヌ映画祭でパルムドールに次ぐグランプリを受賞している。
そして、昨日開催された、アカデミー賞でも外国語映画賞を受賞している。
アカデミー賞の外国語映画賞は、信頼に足りるもので、今までも多くの傑作を世に出すことに成功している。
私は、アカデミー賞の外国語映画賞は特に気にしている。
今回観た「サウルの息子」は前述のとおり、アカデミー外国語映画賞とカンヌのグランプリを受賞した作品である。観る方も、それなりの期待をして観る。
しかし、今回この映画を観た感想は「とても残念な出来」と言う他ない。
現在公開中なので、興味を持たれた方は、観ることをお勧めする。
しかし「過大な期待」はしない方が良い、と私は思っている。

2015年、ハンガリー製作、カラー、107分、監督:ネメシュ・ラースロー、第68回カンヌ映画際グランプリ、第88回アカデミー賞外国語映画賞