田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

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信じた道を歩いて行こう

2010-05-22 07:03:34 | Weblog
まさに、そんな気持ちで穏やかな気持ちで過ごす私ですが、この言葉の持ち主、金沢栄東氏とのライブは、本日である!
やっと夢から覚められます。
‘発表’も‘練習’も、くそくらえ!のセッション♪(笑)
ある意味、ここから始まった、原点的栄東さんとのステージ。
もう12年にもなろうというのに、栄東さんとはデュオでもユニットでもバンドでもないんだな。
これからも、何かの指標になり続けるんだろう。
叱られに行って来ます。


5月22日(土) 学芸大学アピア40

 金沢栄東 with 田中眞紀子

   開 演  PM19:00
   料 金  前売2000円/当日2300円+ドリンク代
   競 演  ホーミータイツ・本家智樹・秋尾真喰


お待ちしてます!

学芸大学の朝日、再び  その3

2010-05-21 02:41:47 | Weblog
やっと、眠い病が治まってきました。
だいぶ普通の人な感じがする。。

第3部、ホンダリョウのドラムとのデュオ。
同業者の皆様は、ライブ本番のステージが始まった時、‘帰ってきた’とか‘戻ってきた’とかいう感覚になること、ありません?
リョウ君のドラムに乗せて歌い出した時、まさに‘この場所に戻ってきた’という安堵感に、この日初めて包まれたのだった。
1月のチバ氏レコ発の際のステージ経験が、安堵感の要因だ。

実はこの日、自分リハでもアピアでのリハでも‘米兵たちのイラク’がどうしてもまともに歌えなくて、こんなライブ上最大クライマックスでコケたらどーするんじゃ!という恐怖に苛まれていたのであるが、本番はまるで不安なく、最後まで半分神がかった感じでしたね、大袈裟だけど。
リョウ君の爆音ドラムもゆりかご状態。(笑)
感覚や感情の交信はスムーズで、何の心配もなく全身の毛穴から歌を放ってるような…
完全に物語の登場人物のところに私は存在していて、それは内容のキツさや歌唱の激しさとは相反する、穏やかでスイートな感覚であった。

しかしながら、そんなスイートな感覚は、アンコールの「朱になれ」で粉砕される。(笑)
もちろん、こちらからお願いしているのであるけれど、本番中、私がしていることといえば、怠雅とリョウ君という、この界隈の名うての美青年二人が放つ爆音から、我が歌を全力で守るってな感じでありました。
1部でも3部でも、それぞれのパートナーに気持ちが寄り添っていくというか、相手を活かし、自分も活かされたいという、それこそ和合の感覚が強かったが、アンコールは‘何よっ、うっさいわねっ!’てな戦う感じというのが本音で、後で聞くと、お客様の感想が賛否真っ二つ。
私が2人を制御できてない感じ、3つの個性が同時進行している感じを、良しと思うか駄目とするか。
まぁ、こればかりは、聞き手の好みもあるだろうし、正直、3人でどうあるべきか、まだわかんないや。

前にも書いたことがあるが、2人でやるのは何でも恋愛だけど3人は社会になるから、恋愛より難しいんだよ、というトシさんの言葉を深く痛感する。
ただ我々としては、練習したことはちゃんとやれていた。
この日の経験を土台として、この形も何か発展があれば面白い。
案外、わかんないでやる方が面白いのかもしれないな。私は何でも理性で制圧しちゃうからな。(笑)
自分で自分に強いている‘発表’の域を、意に反して脱してしまうのは‘有り’だ。
この日の「朱になれ」は、そんなところにいたのかな、と思う。



終わって、初めてのお客様や久しぶりに来てくれた人達のお相手をしていたら、何だか向こうの方で超盛り上がっている一団。誰のライブの打ち上げかしら~、っていうぼんやりした意識で眺めていたが、近寄ってみるとどうやら私のライブの打ち上げらしく(笑)、私がその一団に参加した時には、‘今日のライブは良かったって話はひとしきり終わって駄目出しタイムに移って’いたそうで、座った途端ああだこうだと四方八方からご意見を浴びまくる。
結局話は尽きないうえ、私ももう帰れない時間になっており、学芸大学駅前の居酒屋で朝まで。
こういうのは大抵、午前3時位で皆トーンダウンするもんだが、完全に寝ちゃった人以外は最後までしゃべりまくっていた。
あぁ、なんてばかで愛しい人たちかしら!(笑)

とにかく全力で頑張ったし、ある水準のところまでやり切ったというライブだったから、言ってくれることが全て、とっても素直に入ってくる。
というより、それらのご意見こそが、頑張った私への何よりのご褒美だ。
賛否の‘否’は全部‘次’への指南となる。
もうこれ以上は出来ることがないってくらい全身全霊でぶつかって行って、えいやっ!と山を飛び越えてみたら、放り出された所は残念なくらい平坦な道の途中で、どうやら私はこの道をまたまたテクテクと歩いて行かなければならないようだ。
けれどその道のある景色は、この5月の陽光のように、すがすがしく光り輝いている。
そんな感じだな、今は。

店員さんの‘まだ帰んないのかよっ!’て視線を受けながら店を出ると、もう日が昇っていた。
今年初めの年越しライブを思い出す。
あの時は、朝日と月が一緒に出ていて、きれいでしたよねぇ。
と、リョウ君がアーティスティックなことをつぶやく。
あぁ、函館くんもいて、今年は何か起こそうなんて話をしたね。
どうやら何かが起ころうとしている感がある。
私が今年関った面々は、今年の秋にかけてそれぞれデカいライブに挑むようだ。
そうやって、何かに向かって、ふっかっけていけばいい。
私もやるさ!
再びの朝日に、そう思った。

帰りの電車。リョウ君から人生の節目のようです言われた。
そんな大袈裟な、と笑ったが、本当ですよ~!と。
この日、リョウ君のお父様も来て下さっていて、後でリョウ君のボイスを読んだら、とても喜んで下さったとのこと。
若いリョウ君からのそれらの言葉は、駄目駄目な一社会人、一人の大人として、心底救われる思いである。

私は、人に恵まれている。
ありがとう!



学芸大学の朝日、再び その2

2010-05-20 03:03:05 | Weblog
第2部は、ここのところサポートをさせて頂いている、尊敬するミュージシャン達の曲を私が歌わせてもらう試み。

やっと自分の、いつもの音環境になった解放感で身体は楽だったが、その作者が大方会場に顔を揃えているという別の緊張感で、妙な心理状態(笑)。
終わった直後は、全曲小ミスがあったのが気に入らないので、もう一度やりたいぞっ!と思ったが、日が経ってみると、とりあえずの満足感の中にある。
準備段階ではとても楽しかったし、どうやらお客様も楽しんでくれたみたいだし、うん、やって良かったかなと思う。歌うことを純粋に楽しんだ。

実は、1月のvol.2でキャロル・キングを歌った後も、同じ感覚だったのだ。大好きな、きっと永遠に大好きな曲達であるにもかかわらず、ライブを終えてみると、次に歌う必然性が妙に失われてしまう。直後はキャロル・キング‘タペストリーライブ、やるぞ~!’と思っていたのだけど。
自分の歌にはない感覚だ。
カバーというのは結局、その曲をいかに自分に引き寄せるか、その曲を通していかに田中眞紀子を`表出´させるか、になってくる。
オリジナルより、むしろ自意識全開になるが、表出、つまりライブで一度歌う事でほぼ内的欲求は満たされてしまうのだ。
次に必要なのは、歌い続ける必然性。小ミスが気に入らない、くらいでは、必然にならない。
内的欲求なくして歌うには、作者達がこれだけ身近にいれば直接的に失礼になるだろう。

歌って、受け手の中で完成すると思う。
普通は受け手の内側に収まって、その中で生きたり死んだりするのであるが、カバーとして歌うっていうのは、‘自分はこの曲をこんな風に捕らえている’という‘受け手の中の完成形’を、受け手によって打ち出すわけだ。
チバ君の日記を拝見したら、私がこの曲をどういう風に受け止めていたかが、どんぴしゃりで本人に伝わっていて、彼の採点は70点であったが(笑)、私からすると‘伝える’という項目に関しては100点だな~♪
まさに私は‘潰れた友達’が死んじゃいそうなイメージで捕らえていたし、死んじゃいそうに捕らえるのが、要するに田中眞紀子だってことなんですな。
以前、vol.1でホーミーの菊池が私の「死んじまいたい」を歌った時、聞いてくれた人から、「眞紀子さんが歌うとホントに死んじゃいそうに聞こえるけど、菊池が歌うとノロケにしか聞こえない」と言われたりした。
ちなみに、死んじゃうばっかりだが、私は生きる気満々ですよ~!(笑)
そうして、当時菊池は新婚ほやほや!(笑)
つまりは、そういうことが滲み出るんでしょう。
それが歌う事の怖さでもあり、面白さでもある。
チバ君の言うように‘そっと歌う’となると、チバ大三のイメージを私という媒体を通して打ち出すということになり、‘カバーする’とは少々異なる行為になるかな、私にとっては。
必然性のある機会が生まれたらやってみたいけど、私としてはチバ氏から100点をもらうのを目指すより、私のピアノでチバ氏に満点以上の歌を‘歌わせる’(偉そ~~!笑)方が、やりがいがあるかな!
怠雅の曲は、核爆発が起こって世界が滅亡した後の歌、という曲の成り立ちを聞いてしまったので、私の受けたイメージと怠雅から言われたイメージを足した感じで作ったが、今度は世界が滅亡~だけで練り直しても面白いかも。もっとSF感を打ち出してさ(笑)。
ホーミーの曲は、vol.1で歌ったのが身に染み着いてしまって、私独自のイメージを広げられなかったのが残念だな。これもライブの怖さ。1回ライブを通すと身に沁み込んでしまうのだ。だからこそ歌詞なしで歌うべきだったかと。
伴ちゃんには、、、言わない方がいいかな?(笑)この歌を歌うと、幸せになれます。

歌の準備をしながら、あぁ覚えて歌うべきだなぁ、と痛感していた。もっと歌の中に潜りこめるのに、と。歌と私を対峙させられるのに…
だから、プレイヤーとしての私としても、シンガーの私としても納得はいかないが、例えば、ライブの流れの中でどうしてもこの曲が欲しいとか、歌うことを乞われるとか、圧倒的必然が生まれた時に、今度は後悔のないよう、これらの歌に向かおうと今は思っている。

一方で。
自分にとっての圧倒的必然で歌う歌って、果たして`歌´なんだろうか、とも思う。
歌ってもっとナチュラルなものではないかと。そこに曲があり、それを私の声で一瞬、この世界の時間・空間に浮かびあがらせ、浮かび上がった瞬間、実態は消えるもの。そして残るものは聴く人の中に記憶として置かれるもの。歌とは、そういうものなのではないかと。
必然があって放つのは、歌ではなく`私´なのではないかと。
放ちたいのは、私の尖った内面なのではないかと。
そういった意味では、田中眞紀子はまだもう少し、尖っていたいんだな。
その感覚が良い意味で薄れた頃、`歌´を歌う私が出来上がってくるんじゃないかと。
歌う事が大好きな私は、きっと消えないだろうからね。
その自然な移行を待とうかと思う。

とにかく、‘歌う’についてこれだけ、あーでもないこーでもないと考える事が出来たから、やっぱ有意義な試みだったようだ。


まだ続く。
まだ眠いの。。

学芸大学の朝日、再び  その1

2010-05-19 05:18:19 | Weblog
眠い。
まだ眠い。

ライブ後、朝帰りして、床に着いたのが朝9時であったが、身体は泥のようなのに頭はビンビンにさえ切っていて、眠ったことになっていない。
完全に自律神経が狂ったな、こりゃ。
まぁ、あんなヘビーな時間を過ごしたら、身体もおかしくなるわな。
休みを2日取って正解だった。
ちゃんと心身ともにケアしておかないと、、、

現金なもので腹はすくから、夜ノコノコ起き出して食べたら、ぐっと眠気が襲ってきて、それから眠るわ眠るわ。
腹減って、起きて食って、また眠るを繰り返し、火曜日になってしまった。
さぁこれから、一生懸命働いて、社会復帰を果たすのだ。
職場に入った時、夢の世界から現実に降りて来た、と思った。
それは、結構良い感じだった。
そして帰宅後、まだ眠い。


今回の自分ミッションとしては、実は実にハードルが低く、歌詞を見ないで歌うこと、という、ほぼ当たり前みたいな事だった。
しかしながら、絶対に越えなければならない第一関門。
私のライブにおける音環境は、今まで、森閑とした静寂の中、私の声とピアノがすぅっと浮き上がるような感覚で歌っていた。その土台である‘森閑とした静寂’(辞書で調べたらどうやら森閑=静寂らしいが、重ねて使ってしまいたいくらいの深い静けさとお考え下さいな)を、他者の力でぶっ壊されるのである。そりゃもう、何かにつかまっていないと奈落に落ちてしまいそうな、激しい拒絶反応が本能的に起こるのだ。
しかも困ったことに、それを私が依頼しているのである。
まさに本能と理性の鬩ぎ合いのような葛藤を味わう。
大袈裟とおっしゃるなかれ。その森閑とした静寂の中に、ライブという極限の状態で、私は16年物長きにわたり住まっていたのだ。
そんな激しい拒絶反応に耐えながら、歌詞覚えの悪い私はとてもまともに言葉を繰り出す自信がなく、1月におけるリョウ君とのデュオも怠雅とのデュオも歌詞を見ながらのライブであった。
しかし、今回、共に2度目のステージになり、楽器主体の彼らは初めてのステージのどこか探りながらの状態から脱して、もっと主張が強くなるだろう。自分の経験からわかる。いや、そうでなければならない。
それに対し、私が意識を歌詞カードなどに向けていたら、自分のワンマンであるにも関わらず私が埋もれてしまうだろう。
なんとしても乗り越えなければ、今回のステージには挑めないし、それを越えなければ次に進めない。

特に1部の怠雅とのデュオは、緊張のひとときだった。
私が物凄いあがり症なのを知っている怠雅は、それが移るのが嫌だからか(笑)控室にギリギリまで入って来なかった。
ライブ後の2日間、ほとんど寝ていた理由の一つに、足がフラフラに萎えていたのがある。両足の太ももとふくらはぎが、とってもとっても筋肉痛だったのだ。衣裳を3つも入れたキャリーバックを転がしていたし、あれだけピアノを弾いたから、腕がパンパンになるかもと思っていたが、さにあらず。
つまり、その緊張と戦うために、物凄い力で足を踏ん縛っていたのだな、これが。
ちなみに。
指打撲はあれだけ弾いたのに大したことなかった。いかにチバ氏のレコ発ライブでぶっ叩いてたかが、今更ながらわかろうというもの(笑)。

それでも、後2曲となったとき、思わず‘もう終わっちゃってつまんないな’と本音が出たのは、本当に本音だ。やっとこの環境が面白いと思い始めた時に終わっちゃったんだな。
本人には言ったが、それまで、スタジオの練習でも1月のライブでも、怠雅に背を向けて弾いていたので、後ろから襲われるような感覚だったのだが、ゲネプロもアピアでの本番でも怠雅の姿が目に入り、何というか敵を目で捕らえて勝負できる(笑)ので、精神的にかなり楽だったのもある。
まぁ、このデュオはフットワーク軽く行動できるだろうから、私がこの環境に本能的に慣れれば、何かが変わってくるだろうと思っている。

ちなみにこっちのデュオは次が決まっていて、8月28日に原宿でライブをやります。
なんでも早川義夫さんと三角みづ紀さんのユニットと私の3組だそうで。
詳細は後日。
ご期待下さい。


続く。。。

vol.4 終了

2010-05-16 06:15:36 | Weblog
Macky's House vol.4

田中眞紀子ワンマンライブ

〈第1部〉 田中眞紀子+山崎怠雅(Eg)

1.ヒーロー
2.ハルノジダイ
3.乙姫と白百合の記憶
4.セルリアンブルーの海
5.死んじまいたい
6.エレベーター
7.Tシャツ


〈第2部〉 田中眞紀子ソロ

1.ひまわりの涙(ホーミータイツ)
2.夜の果て(山崎怠雅)
3.ここにただの一人がいる(チバ大三)
4.春の気配(アオケンのテーマ)
5.断章~呼子と口笛(詩:石川啄木、曲:佐渡山豊)
6.晩夏(河内伴理)


〈第3部〉 田中眞紀子+ホンダリョウ(Dr)

1.平和の国のNEEDS
2.未明
3.米兵たちのイラク
4.冬の眠り夢
5.夜の時代


アンコール
朱になれ


全てが素晴らしく行きました。
沢山のお客様、誠意あるスタッフの皆様、得難いパートナー、山崎怠雅、ホンダリョウの二人。
本当に感謝しきれないくらい、感謝します。
全力を出し切って、今は満足しています。
幸せな1日でした。
ありがとう!!

ありがとう函館くん! 頑張るよ!!

2010-05-14 05:02:56 | Weblog
この10日間の、心情の推移。

5日に怠雅との練習、6日にリョウ君との練習と続き、自分のやらんとしている事のデカさに愕然とする私。
暑かったしさぁ、確か3週間位前に雪が降りませんでしたかね?
ふよふよと蚊なんか飛んでおりましたし。

だんだん練習が楽しくなくなってくる。
ライブ前欝の状態(笑)。
全体の構成は固まったので、後は練習あるのみだが…
相変わらず`なんでこんな事を思いついちゃったかなぁ´な気分。
しかし妄想なくして発展なし。
頑張れマッキー!!
と自らにハッパをかける。
いや、内容は絶対面白いと思うのよ。ただ大変なだけ、トライアスロンみたいでさ(笑)。

で、8日に函館くんを見に行った。真理ちゃんにも話があったし。随分アピアに顔出してなかったし。
そして、思いっきり函館くんの歌に叱られる。
「俺の魂、前のめり!」
そうだ!そうだよね!!

真理ちゃんは、かなり怪物化していた。
トランジスタ・ラジオさん達も、凄いイカしてた。
渋谷アピアの最終日に、私を見てくれたそうだ。
トランジスタさんのお客さんで、青木マリさんが来ていた。
その青木マリさんのお連れらしき女性に、猛然と握手を求められた。
ちょっと怖かったが嬉しかった(笑)。
物凄く元気になった。

11日のゲネプロ、3人とも良い感じだった。
怠雅もリョウ君も、良く研究してくれて来ていて、圧倒的な確信を持った。
怠雅の前で怠雅の歌を歌って、脂汗が出るほど緊張した。(笑)
2人のお陰で、自分自身を制圧出来た。




5月15日(土) 学芸大学アピア40

 Macky's House vol.4

  田中眞紀子ワンマン

   開 演  PM19:00
   料 金  前売2000円/当日2300円+ドリンク代
   共 演  山崎怠雅(EG・Cho)・ホンダリョウ(Dr)


3つのライブを、全力でお届けします。
これ以上、何が出来るんだ?くらいの意気込み!
今、私の中に歌があふれかえっているのだ。
既に指1本、打撲してます(笑)。

アタシの魂、前のめり!


当日は、涼しいらしい。
きっと幸せな一日になる。
きっと。。

夕暮れの街かどでポイポイポイ

2010-05-04 02:35:26 | Weblog
それは実に妙な光景であった。
さほど思い入れは無いにせよ、我が地元八王子の、賑わいから少々遠ざかった街角で、取ってつけたようなステージが組み立てられており、そこで派手なひまわりのTシャツといつもより派手なタイツをはいたチバ大三がエレキギターをかき鳴らし、わりと普通のおじさんな後藤勇氏が大きなコントラバスを抱え、どちらかというと大人しい感じの若い女性がフルートを携えて意外な壊れ具合で歌い、派手なドラムセットに陣取る強面イケメンの暴れリョウ君が横並びになって演奏し、客席のパイプ椅子に非常に行儀よく座る着物姿の男性が、足袋を穿いたその足でリズムを取っている。

こういうのをシュールっていうんだろうか?



血刃了の演奏が始まると日が傾き、ステージに淡い夕日が当たり、ソフトな照明になっている。そんな中で、街角に響く「殺人餃子」。
野外で聞くには少々こっちが恥ずかしい「おめあて」。
激しいリズムを刻む「トキメキニシス」は、子供も散歩中の犬も釘づけさ!

こういうのもシュールっていうんだろうか?
まぁ、アバンギャルドとはいわないだろうが…



最初、なぜ八王子に?と思ったけど、打ち上げに参加させてもらって、意外にも大変面白い出会いも出来た。血刃了以外では‘ガソリンズ’というバンドを遠くから聞いたが、遠くで聞いていてもボーカルが飛び込んで来て、今度ちゃんと小屋で聞きたいなと思った。
打ち上げ開始時はかしこまってたけど、結局みんな音楽やるヤツらだから、打ち解けてくれば、それぞれの音楽観が興味深い。
ここのところ、やたら血刃了を見てるんだけど、これがまた面白いくらい毎回違うし。



「来年は地元代表で出たら?」とチバ君に言われたが、嫌よ!
夕日を浴びた野外のステージで、私が何を歌うのよ!?
私は未明の女王なのよっ!

まぁ、また、八王子の駅で、チバ君とリョウ君にバイバイするのは悪くない。
たまには私のうちの近所で飲みたいもんだ。
帰りがすご~く楽だ。

遠足ぼけ、解消

2010-05-01 02:58:48 | Weblog
4月29日、第3回‘刃の夜’を観戦。
ぽや~んとしていた頭が、残念なくらいくっきり。(笑)

出演者の質の高さ、バラエティの豊富さは素晴らしく、第1回よりスムーズな進行で良かったし、面白かった。
視覚の面でも聴覚の面でも変化の大きいステージが連なって、個々の出演者を語るより、イベントの全体像がきっちり打ち出せていることの方が私の意識の中で強い印象が残るのは、結局自分の今の趣向なんだろうな。
三上寛さんの貫録はさすがであるが、全出演者がちゃんと光っていたのは、組合せの妙もあるだろう。
今後、どんな展開をみせるか、このイベント。
楽しみである。


自分の宣伝。

5月15日(土) 学芸大学アピア40

 Macky’s House vol.4

  田中眞紀子ワンマン

      開 演  PM19:00
      料 金  前売2000円/当日2300円+ドリンク代
      共 演  山崎怠雅・ホンダリョウ

すごい、頑張るよ!


ところで、3日に八王子で古本祭りみたいなのがあって、そこでステージがあるんだけど、血刃了で来るらしい。
多分、野外だよな。太陽の光の下で、どんなもんだろうかね、あの二人(笑)。
見物に行ってみますわ。
どうやら最高気温25度くらいになりそうだけど…

てか,なんで出る事になったのかしらぁ?
そっちが不思議だわ。