田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

縁は いなもの?

2006-04-30 11:29:37 | Weblog
アピアの出演者で、ハッピィクッキィズという3人組のバンドがいる。ボサノブァ調のさらりとしたサウンドに、ちょいと皮肉っぽい歌詞を乗っけて、私は結構お気になのだ。ボーカルの彼をクッキィちゃんと呼び、アピアで会えば話しもするし。

さて、27日の火取ゆきのライブの打ち上げの事。一人の男性が私に声をかけてきた。
「田中眞紀子さん、二週間位前に、結婚式に出てましたよね。」
はい、出てました。ブログにも書いた、あのハードな結婚式の事だ。でも、なんで?
「実は僕、あの時、横の会場で式を挙げてたんです。」

ひえ~!

私が出た披露宴は、前にも書いたように非常にこじんまりしたものだったが、隣の会場は大宴会だったのだ。
実は覗いちゃったんだよね。もう式が始まるというのに友人が一人来ないもんだからね、披露宴会場に間違えて行ってるかもと思い、なんの疑いもなくその会場を覗いたら、目眩がするほど大勢人がいて、この中から彼女を探し出すのは不可能だと諦めて、振り返ったら彼女が見えたのね。で、式に出て、また会場に帰ってきたら、実は私の入るべき部屋は隣であったと気付かされたのだ。
そのうち、その会場の新郎新婦がやってきて入って行った。
あの新郎か!

でも、ほんと申し訳ないけど、よその結婚式じゃ新郎なんて目に入らないんだわ。
何しろ色んな花嫁がうじゃうじゃいたから(失礼!)混乱してしまったが、あぁ、あの黒い色打ち掛けか!と思い出した。彼もそうだと言う。
いやー結構目立ってたのよ、あの黒の色打ち掛けは!こっちの女どもは衣装の話とかで盛り上がってたりしたからね。
その時新郎である彼は、あ、田中眞紀子(さん)がいる!と思っていたらしい。

そしてまた、この日火取ゆきのライブで会ってしまうという偶然!
しいこちゃんのファンの人なのかと聞いたら、そうでもあるが出演者でもあるという。名前はと聞いたら、ハッピィクッキィズというではないか!あぁ、タイコの彼だと、やっと思い出した。
「じゃ、クッキィちゃんもいたの?もう一人も?」
「はい、みんなで演奏しちゃったりしてました。」
ひえ~!んなら、声くらいかけてよぉ!
野郎さん達なんか目に入らないが、黒の色打ち掛けは、その後も中庭やら滝の前の写真撮影なんかでも、お見掛けしているのだ。
あの集団の中に君達はいて、こちらは気付いてないのに、あっ田中眞紀子(さん)だ、あっまたいるぜ、とか噂してた訳かね!?
何しろ同じ時間の披露宴だから、進行状況もぴったり同じなんですもん。

んもー、やーね!
気付かないところで見られてるなんて、こわいじゃん!?
今度は声かけてよね!
とにもかくにも、おめでとう。お幸せに。

27日アピア

2006-04-29 01:51:18 | Weblog
それにしても、ホリエモンたら、すっかりカッコよくなっちゃって!
天はこの人を見放さないね。


金城かおり

すごい美人だしスタイルいいし、かっこも若いけでど、なんかお母さんのオーラがあるわけ。打ち上げで聞いたら、やっはり大きな娘さんが二人もいらっしゃるとのこと。
オケにベースを弾いて歌う独特のスタイル。懐かしいジッタリンジンを、ちょいとガナリ気味にしたみたいな感じ。
絶対若い時やってた人。そしていまだに歌いたくてしょうがない人だ、きっと。
ずっとやってきたのであろうタテ乗りの曲に、こんな渋い歌詞を乗せているのも、そうそうない。前に聴いた時は、随分大きな機材をステージに持ち込んで、それを操作しながら歌っていたが、今回はオケをPAにまかせていて、ずっとスマートなステージになっていた。

次は衣装を検討したらどうでしょう?
私も当てはまるけど、そもそも‘大人の女’の着る物って、難しいのだ。衣装は特に!お金があって質のいい物をふんだんに持てるならいいだろうけど。
若いコが着るものでは無理がある場合が多い。私も相当失敗してる。
金城さんの衣装は若作りではあるが、大人の女として若々しく(若々しいと若作りは絶対違う!)、カッコよく見える衣装を是非!その美貌とスタイルなら、相当決まるはず。
アピアママの言葉を進呈します。
「衣装は、自分には絶対似合わないと思うものを着るんだよ。」
共に目指しましょう!

火取ゆき

1曲目。渾身のエネルギーで地場を作った。
最近お気に入りらしい白い衣装の両肩から妖気が立ち上る。自分の足元の地に、自分の体を食い込ませるかのようだ。
ステージの下でマグマがうごめく。トシさんのドラムは、そんなイメージを作り出す。
2曲目。渾身の力を振り絞って果てた火取ゆきは、ほとんどトリップしていた。トリップしていても歌が歌として成立しているのは、さすがとしか言いようがない。
そして火取ゆきは‘歌うもの’に変貌する。後はもう、すべては火取ゆきのものだった。

前回は小池さんと二人。今回はトシさんと二人。三人はやはり難しいんだな。二人だとエネルギーが密集しやすい。
私がコラボレーションライブをやった時、観に来て下さったトシさんが、
「二人は恋愛だけど、三人になると社会になるんだよ。」
と言っておられた。
濃厚に成立させるのは‘社会’の方が難しい。でも‘恋愛’にはない広がりが生まれる。
いつものように、汗をかき、人間に戻ったしいこちゃんは、もっと歌っていたいと、これからも臆せずライブをやっていきたいと言っていた。
色々な火取ゆきを見せてもらいたい。
火取ゆきの体は、歌う為にあるのだ。
火取ゆきは、そういうシンガーである。

卒業記念に

2006-04-28 02:11:40 | Weblog
銀木犀の流れる頃に

   家に帰る 最後の曲がり角
   銀木犀の香りが 流れ始める
   今年もまた 暮れてゆくのだと
   冷たくなったドアに 手をかける

   夢ばかり 追いかけてきたのに
   何ひとつ手に入らず
   まわりの景色は 変わってくのに
   いつになってもこの道を 歩き続けてる

   このままでいいとは 思わないけど
   こんな自分が好きではないけれど
   このままでいいとは 思わないけど
   こんな自分を嫌いにもなれない

   季節はいつだって同じ早さで 流れてゆくのに
   一人 置いてきぼり 途方にくれながら
   それでも 実を結ぶことを知らずに咲く花のように
   いつか実ることを 願ってる 願ってる

   このままでいいとは 思わないけど
   こんな自分が好きではないけれど
   このままでいいとは 思わないけど
   こんな自分を嫌いにもなれない

   家に帰る最後の曲がり角
   銀木犀の香りが 流れ始める
   今年もまた 暮れてゆくのだと
   待つ人のいない部屋に 灯をともす

歌えなくなった歌

2006-04-27 23:49:20 | Weblog
もう一つ、花の時期がずれて困った現象がある。
銀木犀だ。

我が家のは黄色い金木犀ではなく、白い花の銀木犀。
私が作った初めてのオリジナルは「銀木犀の流れる頃に」という曲なのだ。もう作って13年になる。
あの頃までは、銀木犀は9月下旬から10月半ばまでに咲く花だったのだ、私にとっては。秋の運動会前後に匂う香りだ。
夏の残りの暑さがやっと過ぎて、朝晩はっきり涼しくなって、そんな中、夜帰宅した時、玄関前の銀木犀がふわっと香り、つかむドアの取っ手が微かに冷たい。あぁ今年も終わりに向かうなぁ。そんな感じ。
そう、そんな感じは10月半ばが相応しいのだ。だから銀木犀がさっさと9月中に終わってしまわれると困るんである。

ここ数年はあまり歌わなくなっていたが、少し前までは季節ものとして、秋から年末にかけてよく歌っていた。だから何だか困りながら歌っていたものだ。
作ってから10年は歌い続けた長寿曲。つまりは13年前に書いた歌詞で、10年間歌い続けられた私であったという事になる。
しかしこの何年かは、季節の異変だけでなく、さすがに内容として歌えなくなってきた感がある。

夢ばかり追いかけて来たのに
何ひとつ手に入らず
まわりの景色は変わってくのに
いつになってもこの道を歩き続けてる

今でもこの道を歩き続けているし、相変わらず夢ばかり追いかけているけれど、「何ひとつ手に入らず」って所で何かがひっかかりだしたのだ。
やってる事も思考回路も当時とある意味変わらない。けれど、この曲を作った頃は明らかに、人生が定まらない焦りや虚無感や負い目やで、「どうしたらいいのかわからない」のだった。
今、当時と変わらない状況を「こうしていくほかない」と諦めた私がいる。

私の人生哲学。
諦めると可能性が広がる。
諦めると前に進める。
煮詰まったらまず諦める!

そうしたら、あの頃は「好きではないけれど、嫌いにもなれない」自分を、「案外好き」になってしまったのさ。どうしようもないシロモノだけど、私は人生を手に入れたって事なのかな。

この曲は、もう卒業してもいいらしい。

‘魔の花’解消

2006-04-26 12:06:55 | Weblog
我が家でもご近所でも、アメリカハナミズキ(というんだと思う)が八分咲きというところだ。
どの家も白とピンクが並んで咲いている。我が家も同じ。派手なので、さすがに私でも毎年見逃す事はない。

昨日は休みだったので家にいたのだが、なんとヒョウが降ったのだ!
4月にヒョウが降ったのは10年振りとかいう。今年は先月くらいから台風みたいな雨風だったり、異常気象もいよいよ本格的って感じだが、私が始めて気候が変だと感じたのは、このアメリカハナミズキによってだった。
以前は5月の半ばに咲いたからである。

10年位前まで、5月は私にとって‘魔の月’だったのだ。毎年毎年、本当に毎年のように5月になると嫌な出来事が起こったからだ。仕事でもプライベートでも。
ちょっと大袈裟に言うと、多少なりとも人生を左右するような苦痛な出来事が、ハナミズキと共にやってきていたのである。
だからハナミズキの蕾がふくらみだすと、嫌な気分になったし、二階の窓から見下ろすとそれは美しいのだけれど、何となく見たくないから雨戸を開けなかったりしたものだ。

しかし、いつの頃からか、ハナミズキが4月に咲くようになったのだ。それと共に私の‘魔の月’は、何となしに消えていったのである。
いや、正直、いまだに続いてはいる。ハナミズキと共に、私の体調は確実に悪化を始め、夏の間、下手をすれば年末まで良くない状態が続くのだが、何というか、あの頃のように精神的に大きなダメージを受けるのとは違うので、まぁ、仕方ないかという感じだ。

‘魔の花’は解消したものとしよう。私には異常気象の恩恵というところか?

もう、花が咲く時期が少し変わった位では、‘異常気象’とはいわないかもね。

…ったく!

2006-04-25 00:29:19 | Weblog
ウチの年老いた、とまではいかないって位の年頃の両親が、二人お揃いの携帯を買って来た。
その上、ケーキまで買って来た。
つまり私に、ケーキを食して彼等の携帯を学習し、彼等に使い方を教えろという事である。
ったく!

年配者向けとされるその携帯は、笑っちゃうほど文字がでかい。
一応最新の機種らしく、何やら音声でメールを読み上げるだの、テレビ電話までできるシロモノだ。しかし、こんな大きな文字でないと用をなせない人に、こんな小さな画面で動画を見ろというのはナンセンスではないかと私は思うが、まぁいいや。
親切で簡単で安心なのが売りのそれだが、とにかく‘決定’を押す度に何やかやと聞いてくるのだ。そんな事聞かれたってわからないわとか、そんなのいちいち面倒だわとかって事を、こと細かに聞いてくるので、正直いらいらする。‘決定’を何度も押さないと先に進まない。文字の変換も一文字押す度に、その文字が頭にくる言葉一覧が出て、うるさいったらない。親切も過ぎるとウザいものだ。
そのしつこさゆえ、とても簡単とは思えない。
そして今のところ、何がどう安心なのかは不明である。

案の定、居間のあちらとこちらで「わからない、わからない」を連発しているが、わからないであろう事は始めからわかっているではないか!
きっとこれから、様々な‘わからない’が彼等を襲うだろうな。電話がかかっても取り方がわからないとか、メールが来たけど読み方がわからないとか、携帯したケイタイがどこへ行ったかわからないとか。

ケーキなど一瞬にして腹の中に消え、不要な脂肪だけが残るのに、これらに対する私の面倒は延々と続くに違いない。
世話になっているのでそうそう文句も言えないが、親孝行の数には入れさせてもらうわ!

しかもアタシだって、こういうの苦手なのよッッ、ったく!


知らなかったこと

2006-04-24 11:59:27 | Weblog
ネット関係にうとい私、実はつい何日か前まで、このブログがどの位読まれているか知らなかったのだ。

何日か前にブログを作成している時、閲覧数なるものが脇の方に表示されているのに気がついた。私は私の知人10人ちょっと位が読んでくれているものと思い込んでいたので、かなりびっくりした。
そもそも[閲覧数(数字)pv]ていうのと[アクセス数(数字)ip]ていうのの意味がわからない。説明文にも見当たらないので、きっとネットを使う人なら常識の類なのだな。
21日のライブの翌日なんか凄かったよー。ミチロウさんのファンの方々が、どんなライブだったのかと覗いて下さったのでしょうか?客席には157人もいらっしゃらなかったし…
もしそうでしたら、3月3日の‘桃からじじい’ライブのレポートを3日間かけて書いてますので、宜しければお読み下さいまし。
まー、今日あたり、そんな事を書いても遅い気がするが。

そういえば…
ちょうどその頃友人が、私がブログをやっているのを聞き付けて、携帯で初めてアクセスしてくれたのね。で、‘桃からじじい その2’にブチ当たったそうなの。そこには、私には衝撃だったロリータ18号の事が延々と書いてあったわけ。
その友人にしたら、そもそも‘桃からじじい’たぁ何だ?ってわけよ。その上‘ロリータ’18号だの、口から水を吹く男の子みたいな女性ボーカルだの、短い制服のスカートの女子高生がブンブン踊る様だのって記述を見て、「これは変態エロサイトかっ?」って、なんか間違えたのかと思ったんだそうです。「後で変な請求の電話とかあったらどうしようって、あせったんだよー!」って言われちゃった。

田中眞紀子のブログは変態エロサイトではなく、健全なものと自負しております。

21日アピア

2006-04-22 17:24:27 | Weblog
聴いて下さった皆様に心からの感謝を!

セットリスト
1.夜の時代
2.ハルノジダイ
3.Tシャツ
4.未明
5.米兵たちのイラク
6.生きた証
7.マリア

今年に入ってから生ピアノでのライブを再開したので、立って弾く事の不自然さを痛感している。ピアノはやはり座って弾くものだわ。だからピアノを‘弾こう’とする感覚を、立つ時は排除しようと試みている。例えば「夜の時代」のアルペジオや「ハルノジダイ」の間奏などは、まともに‘弾こう’とはしないような形に変えた。現段階では持ち駒がないので、ある程度弾く曲を入れないとライブが成立しないが、いずれは座りと立ちで、やる曲をがらりと変える方向で考えている。
やはり立ちスタイルが最適なのは、組曲形式の「未明」だろう。今回は25分に延長したが、来月は30分版を計画中。それ一つだけのライブにする予定。20日のワンマンで嫌っていう程ピアノ弾くしね。30日アピアでは30分一本勝負って訳です!(笑)

それに必要なのは一にも二にも集中力だろう。そしてそれを支える体力と!
今回「生きた証」を加えただけで足にくるものがあった。他の曲をやらなければ、もう少し余裕があるとは思うけど。こちらに余裕がなければ、聴き手にも辛いはず。ただでさえキツイはずですものね。(笑)
何回かやらなければ身に付いては来ないだろうし、組曲の完成までにもう少し練りが必要だが、やれそうだという手応えは今回あった。
ただ「生きた証」の‘無音’との対峙は、私自身が空間に吸い込まれて意識を保てない様な感覚があったので、そこを踏ん張る気力が必要。それも集中力&体力だなー。


いい天気!

2006-04-21 23:59:59 | Weblog
家を出た時、うわ~って思った。
空が、すごい青!
もくもくの白い雲。
電車からの景色は、目にも鮮やかな、もこもこの新緑。
冬になると、犬は厚い冬毛になって、もこもこしてきて可愛いんだけど、春の山はそんな感じ。ふっくり太って可愛いや。
今日は素敵な日だ!

with大御所の時、ちょっぴり淋しいのは、後からゴ~ンとやられるので、あたしライブやったっけぇ?とかなっちゃうこと。
でも、まぁいいや。自分のが終わって解放感に満ち溢れてる時に、大御所を堪能できるのも、また一興というもの。

で、本日もまたそんな感じでした。
自分のは詩の語りで噛んでしまい、こーんなところで噛むなんてアタシのバカバカッッ!以外は、まあまあとしましょう。またゆっくり書きます。

ミチロウさんはやっぱすごい!
今日初めてゆっくりお話できて、握手もしてもらっちゃって、エヘヘヘ
何が凄いって、この凄さでこの腰の低さが凄いよ。何故かわからないけど、デンドウコケシで感動させてくれるのが凄いよ!遠藤ミチロウは芸術だよ!!(って本人にも言っちゃったぁ)
彼に憧れてヒュ~ってやる男の子達の気持ちはわかるが、あれは芸術だよ。くれぐれも!
あのタメは、すごいよね~と、しいこちゃんと話した。あの金魚、普通できないよぉ!あれは一曲でくたくたになりませんかと伺ったら、色々細かい所にまで神経使って、くたくたになるとの事。なのにあのパワー、あの持久力。佐渡山さんもだけど、もうトラさんチームは桁が違いますね。端からアスリートだわよ!見習いたければまず体力と実感した。う~っ!!コーフンッッ!!!

えーっと、そういえばアタシもライブやったんだったわ、今日。

幸せとは…?

2006-04-20 05:01:11 | Weblog
先日の結婚式の二次会で、新婚夫婦の前に座った離婚予定の彼女が、しきりと「私は幸せになる。誰かを幸せにできる。」と語っていた。

幸せになるって何だろ? と、私は思いながら聞いていた。

新婚夫婦は仲良くない事を自慢するだけあって、私が今まで見たなかで一番幸せそうにしていない新婚カップルだった。

んじゃ彼らは幸せじゃないのか?

結婚した事ないからね。私にはわからない。
でも、離婚予定の彼女も、幸せそうにしていない新婚カップルも、生きる気満々なのだ。生きるというエネルギーに満ちあふれて輝いているのだ。
それこそが`幸せ’って事ではないのかしら?と私は思ってしまうのだ。
「何言ってんのよ! 大変なのよ!!」
って、彼らから怒られそうだけどね。

先日のへヴィな事があったらしい友川さんは、「幸福には限界があるが、不幸は底なしだ」と言っていた。

絵に描いたような幸せなんて、そうそうころがってはいないだろう。
人は`幸福’には気がつかない事のほうが多いんだろう。
限界があるものなら、早く気がついた方がいいな。

私の老後を相談しながら、見通しがつけば安心できて嬉しそうな家族の顔を見て、私は彼らを幸福にしたのかしらと、妙な感覚を覚えた。

それなりの流れがあるから、その時々で幸・不幸の感覚は変わって来た。
誰かを幸せにしたとは思わない。
でも、私は幸せになったよ、きっと。

明日それを味わいに、ステージに立ちます。