田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

クタクタ…

2011-04-27 05:06:13 | Weblog
すいません、ホントにクタクタなんです。。
ねぇアンちゃん、チエちゃん、
アタシだけ?

とにもかくにも、無事終了した虫の音ライブのご報告。


4月23日(土) 赤城山 虫の音

 田中眞紀子ソロライブ

  1.100円の恋
  2.ハルノジダイ
  3.夜の時代
  4.水を抜かねばならない
  5.踏み絵
  6.死んじまいたい
  7.指輪物語
  8.ダイヤモンド
  9.EVERYTHING
 10.揺れる栄光(朗読)
 11.朱になれ

  アンコール
    Tシャツ

翌日ドライブの途中でもフンフンと鼻歌が出ていたくらいなので、非常に良い‘歌う身体’になっていたのだなと思う。
前回の反省は活かされていたようで、自分でも丁寧に歌えたかなと、なかなか満足な虫の音ライブであった。
そう言っちゃなんだが、まともな生「Tシャツ」を、チエちゃんは多分、初めて聴いてくれたかもしれないわ(笑)。

ライブの後、競演の野呂善蔵さんやお客さまと共に色々お話が出来て、楽しかったなぁ。
噂の野呂さんとお近づきになれて(笑)、嬉しかったです。
東京で彼の企画に出してもらえるかも! 

そうそう、虫の音に着いたら、なぜか怠雅がお連れさんとトランプをしていて、これはどういうことだ?と、びっくり!
怠雅が夜、クールフールでライブなのは知っていたんだけど。
赤城山をドライブしながら超サビれた温泉へ行き、虫の音でカレーを食べて、私が来るのを待ってたんだそうです。
「お肌、つるつる~♪」と嬉しそうに山を下りてゆきました。

私は翌日、その超サビれた温泉の反対側へ行き…
エライ思いをするわけだ!
赤城山をなめてはいけない。

詳細後日。。

猛省の次

2011-04-16 05:53:51 | Weblog
実は今回、構想時には怠雅とのソロ2マンを考えていたのだが、思いがけずユニットで出たいとの怠雅からの申し出があった。
怠雅のライブなどでお目にかかる方々と、具体的に共演できる。それは面白い!
と思って即OK。

それは勿論、震災前のこと。

この前、「ホンマでっかTV」という番組で、マツコ・デラックスが最後に、
「ずっと一人でも平気だと思ってた。でも今度の事で、ダメだって事がわかった」
と言っていて、不覚にもポロって来ちゃったのだが、そうなの、一人だと今、ちょっとダメなの。

一人で闘う事は、いくらでも今までやってきて、そろそろ誰かと一緒にやる事の喜びや構築感を求めたいとMacky’s Houseをスタートさせてたけど、今は本当に心から誰かと一緒にやりたいのだ。
だから、今回の怠雅ユニットとの共演は、本当に本当に楽しかった。
そして、有難かった。

第1部の最後に、怠雅の「フィクション」、2部の最後というかアンコールで「Tシャツ」。
5人での音の重みが、ずいっと身体の奥まで沁み込む心地よさ、特に、とりあえず一人で闘った(笑)後の「Tシャツ」の後のそれは、安心感と幸福感で満ち満ちた5分間であり、音楽ということでなく、こういう‘共に歩む’事の大切さを深く実感させてもらいました。

ふむ、ソロの良さと辛さ、バンドの大変さと心地よさ、デュオの緊張感と安心感、全部経験できたなぁ。
「calling you」は我が儘を言って、怠雅君にギター1本で歌わせてもらい、気持ちよく歌えたのでした。
浅野さん、SAXが私の音楽に入って来てくれたのは初めてで、嬉しくて楽しかったです。
小池さん、Bassでしっかり支えて下さって、とっても心強かった。
櫻井君、勉強熱心だし、精力的に活動してるね! いかしたPer.で、気持ち良かった。
怠雅のアコースティック系ユニット、緊張感と気持ち良さが混在していて、とても良いと思う。
歌も良く届いていた。また、こんなステージを聴かせて欲しいと思います。
いろいろご尽力頂き、怠雅君に心から感謝です。

また、良い感じの企画を作っていけたらと思います。



やっぱりソロは自由だが、厳しくもある。
自由は厳しいのだ、こんなちっこいレベルでも。
でも、企画として心許せる誰かと‘一緒’であることは、やはり共に作るという事だと思う。
ソロ的に猛省している部分を、次に活かせる機会がすぐにあるのは、ありがたい。


4月23日(土) 赤城山 虫の音

   田中眞紀子ソロライブ

    開 場  PM18:30
    開 演  PM19:00
    料 金  1500円+オーダー
    競 演  野呂善蔵

半年に一度の赤城山詣で。前橋の仲間にまた会える。
待っててね~!!


vol.7終了

2011-04-15 02:19:06 | Weblog
4月14日 Macky’s House vol.7


 第1部
  山崎怠雅ユニット
    山崎怠雅(vo.AG)
    浅野廣太郎(sax)
    小池‘dummy’実(bass)
    櫻井雅芳(per)    


 第2部
  田中眞紀子ソロ

   1.calling you(AG.山崎怠雅)
   2.夜の時代
   3.素通り(語り)~指輪物語
   4.死んじまいたい
   5.水を抜かねばならない
   6.踏み絵
   7.EVERYTHING
   8.揺れる栄光(朗読)
   9.朱になれ 
  アンコール
     Tシャツ(with怠雅ユニット) 


私としては震災後、初めての東京でのライブ。
尊敬できるミュージシャン達と共に、たくさんのお客様に囲まれ、お店のスタッフの方々のご尽力により開催できたMacky’s House vol.7。
心からの感謝を、今宵お集まり下さった皆様にお伝えしたいと思います。


しかしながら、さっそく猛省である。
いや、しかしtoo muchなのは、やる前から分かっていたのだ。
もう、セットリスト見ただけで、曲数が多いぢゃないか!!

でも、やりたかったのよ。
今、この現状に向かって歌って行く‘体力’を、今夜つけておきたかったのだ。
こういう時‘この歌’がどんな空気になっていくか、というのは体験しないとわからない。
そして名古屋や大阪との違いも。
あの時期と‘本日’の違いも。

であるから、それをやり切ったので実に満足で、背中合わせに猛反省中です。
Macky’s Houseは、お客様に‘楽しんで頂く’事が目標なのに。
きっと、相当しんどい思いをさせてしまっただろうなぁ。
それなのに受け止めて下さった皆さまの暖かさに、もう一度深く感謝です!!

これもまた、某の言う‘我欲’だ。




スカイツリーの事を詩にした。
「朱になれ」の詩と向き合った。
私の言う‘自由’とは?
瓦礫の山を越えて掴んだ惨いほどの自由とは?

スカイツリーファンは多いだろうけど、私はこんな風に感じるのだ。
第一展望台までの造形は非常に美しいが、そこから上が醜く見えるのだ。
このブログでも‘あってはならない高さ’と書いたことがある。
第一展望台までは人間の英知の結集、しかしそこから上は人間のおこがましき我欲、に見えるのだ。

某が当選した時、そこに‘そこから上の醜さ’を見た。
それでもまだ‘世界一’になりたい、しがみつきたい願望が、どこかに漂うからだ。
それは某だけではなく、某を指示した人々にその願望が根強くある事の現れだという気がする。
しかし私は、我々日本はもう‘世界一’を目指せない、そして目指す必要はないと感じていて、むしろ世界一を目指して事を進めると、本当に破滅する気がするのだ。

戦後の復興は、その意識で成り立った。
でも、そもそも戦争が始まる前、我々日本は世界一を目指して、その我欲によって潰れたんじゃないのか。
‘戦後の復興’も、その流れで世界一を求め続け、そして昨今、潰れようとしてるんじゃないか。
唯一の被爆国であり、核兵器を持たない、作らない、持ち込まない我が国が、核兵器を積んだ船がちょっと港に立ち寄るだけで大騒ぎしてきた我が日本が、今、なぜ放射線にまみれようとしているのか。
原発の存在こそが、世界一になる為の我欲の現れなんじゃないか。

だから世界一になる、という強迫観念から自由にならなくてはならないのじゃないか。

しかし現状において、それがどんな激しい痛みを伴うか、想像するとまた足がすくみそうになる。
それなら、世界一を妄想していた方が楽なのかもしれない。
「それでも、それをやらなくてはならない!」と声高に叫ぶ勇気も覚悟も無いのが、少なくとも私の現状だ。
せいぜい、嫌味な毒を吐くのが関の山だ。

近々M8地震がまた有るというのは、更に勇気を萎えさせる。
あながちガセとは思えないから。
ライブが終わって何時間かして思うのは、結局私は怖いんだな、という事だ。怖いから必要以上に叫ぶし、不必要にキツい内容を自分に強いるんだな。
理性的に考えてみても、冷静に判断してみても、感情は怖がっているらしい。
怖がる感情を、隠しきれない。
案外こういうところで、自分がわかったりするものだ。
ライブというは、一番真っ正直な自分が出るものだからだ。



だからまた、一緒にいて下さい。
次は、我欲を捨てたライブを、きっとやりますから。
もし出来なかったら、その次、きっとやりますから。


今夜は一緒にいてくれて、本当にありがとう!












これぞ天罰!

2011-04-13 02:27:48 | Weblog
少々過激な気持ちである。

某が知事に当選し、それでも原発は必要と説いた翌日、あの日から一ヶ月後の11日から、原発の真下で神の怒りが爆発し続けている。
英知を過信した愚かな人間が作り上げた見えない悪魔と、この期に及んでまだ共に生きろと言うのかと、呆れた神がブルブルと怒っている。
危険度はレベル7に跳ね上がる。
それでも必要と某は言うか。
この揺れ続ける大地の怒り。
これぞ、庶民を見下すお前は何様か!ってな某に対する‘天罰’である。
我々都民は、今後できる事とすれば某の考えを変えさせる事だけ、という‘国難’を抱えちゃったのであるっ!




4月14日(木) 大久保 DOLCE VITA

Macky's House vol.7 「歌の力、音楽の力」

  山崎怠雅ユニット・田中眞紀子 2マンライブ

    開 場  PM19:00
    開 演  PM19:30
    料 金  チャージ1000円+1オーダー(500円×1)

    出 演  PM19:30~ 山崎怠雅  (Vo.AG)
                   浅野廣太郎 (Sax)
                   小池‘Dummy'実(Bass)
                   櫻井雅芳  (Per)

         PM20:40~  田中眞紀子 (Vo.P)


ごめんなさい。
はしたない暴言を吐きましたわ。
でも怒りはエネルギーになるの。

アタシは歌うわっ!
神からもらった身体を精一杯震わせて!!
怠雅&ユニットも、命の音を聞かせてくれるわ!!!


大久保 DOLCE VITAさんのHP,コメント欄から行けます。
どうぞ、足をお運び下さい。
お待ち申し上げております♪











気合!

2011-04-10 02:31:43 | Weblog
斎藤和義の‘ずっとクソだったんだぜ~’を見る。
この、個人的闘い感が素晴らしい!
キヨシロー氏の‘俺はガンで死にたくねぇ、長生きしてぇな’は、今、ホントに何と悲しいことかしら。



私は‘みんな’という言葉が嫌いだ。
‘みんな’なんて、いないんだから。
‘みんな’なんて、バーチャルなんだ。
そのくせ、妙にエネルギーがあるから、尚更嫌いだ。

でも今は、そのバーチャルなエネルギーが、ある役目を果たしている。
‘みんながついてるよ’に、救われる事もある。
慟哭を見て、何も助けをつかめない時、幻が暖かく抱きしめてくれる事もある。
それはいいや。
今、この瞬間、それは大切な事だから。
だけど、‘みんな’が必要以上にのさばらないように、ちゃんと見据えなきゃ!
一人ではできない事がある。
でも、‘みんな’は神様でも支配者でもないんだから!

相変わらずライブまわり。
盟友達は、一人でちゃんと立っている。
斎藤和義と変わらない。
ただし、斎藤和義が凄いのは、マスを背負って一人で立っている事だ。
覚悟の桁が違う。



嫌でも刺激されるから、気合を入れたくて、買い物をしようと思った。
今度のライブの衣装でも一発買ってやるべ! と入った「エレベーター」の舞台になったショッピングビル。
衣装は戦闘服なのよ、だから。
ところが、眼鏡売り場の前を通った時、物凄い勢いで思い立ってしまった。

私のサングラスは、ずっと安物の伊達モノであったが、ここ数年、いよいよ‘老眼’の域に入ったらしく、まず仕事に支障をきたして100キンで老眼鏡を購入して凌いでいた。
あ、仕事中はサングラスなんかしてませんよ、勿論。
ところで困り出したのは、ライブ中に老眼のせいで楽譜が見辛くなってきたことだ。

おしっ!
度付きのサングラスを作ってやるっ!!

で、始めてちゃんと視力検査をしたのである。
若い時から1.5を誇っていたので、老眼を自覚し始めた時は、そりゃあもうショックであった。
ものが‘見えない’などという事が、人生通して無かったからね。

で、始めてちゃんと視力検査をしたら、いや実は視力は非常に良いのだそうだ。
とりあえず、いまだ1.2はあるそうな。
しかし視力が良いと、‘遠くを見てから近くを見る’という時に使う力が、視力の悪い人より強くかかるので、まぁ年と共にその辺の筋肉の衰えるから、老眼が早いんだそうで。。
ふ~ん、、

まぁだから、要するに老眼なんですね、という事で、ステージで使用するに相応しい度付きサングラスを制作して頂く事に。
ただし思っていた通り、出来れば頑張って自力で見るようにした方が、目が悪くなる速度は遅いらしい。なるべく眼鏡に頼らない事も大切、というわけで、度のないサングラスも購入。
以前、買おうとして考えていた予算より安く二つ買えたので、良しとしよう。

これからの、ミュージシャン田中眞紀子は、この顔で行く!
超、気合、入る!!

あ、でも人から見たら、きっと大して変わらないですよ。
ほぼ同じ型の眼鏡だから。
お金のかけ具合から、単に自分の問題。

どうだい、この見事な‘不謹慎’でない贅沢よ!!
お陰で衣装を買う金は残っておりません。
見た目は自粛路線です、はい。



一人じゃないと出来ない事がある。
自分を救う‘自己管理’。




言論は何の為にある?

2011-04-05 04:51:54 | Weblog
大阪から帰ってから、せっせと人のライブに通っている。
思ったとおり、皆、良いライブをしている。
1秒の密度が高い時間が、どっしりと流れる感じだ。



多分誰もが感じているだろう。
日本はもう2011年3月10日以前には戻れないと。
2011年3月10日を‘良し’とするなら、どこまで‘悪く’なるかわからない。

けれど、2011年3月10日までとは‘変わる”のだと思えば、心持ちも変わる。
‘変える’という前向きな感覚に持っていけば、もっと良い。
‘変える’を楽しむくらいに!
心持ちをそうする事で‘不平不満’を打ち消せる。
というか、打ち消すのだ。

不平不満は不安と怒りを伴う。
怒りが一番危険。
でも被災地から遠い我々が‘怒り’を噴出させても、何も生み出さない。

不平不満や他者の批判をすることを避ける事は、遠巻きだが大いに支援になると思う。
何を頑張るって、‘不満や批判を言わない事’をです。
そしてこれをきっかけに、自分を変えようとする一人一人の動きが積み重なれば、もしかしたら2011年3月10日以前より、素晴らしい日本を100年後には作り上げられるかもしれないじゃないですか!

張り付けた看護師さんのブログ、何度読んでも涙します。
最初は自分の無力に絶望感を持つだけだったが、何度か読むと見えて来た事は、今、被災地に直接関わっていいのは‘プロ’だけだという事だ。
災害に対処する知識とスキルと訓練を施されたプロ、そのプロですら対応しきれない状況。
東電の事故処理をしている方達の心境と健康被害を思うと、やはり足がすくむ。

私達は日々、原発事故の報道を見ている。
これまで散々隠ぺいを叩かれて来た成果、声高に叫ばれているコンプライアンスの成果を、今、期待したいと思うから、今すぐ健康に被害を与える数値ではないという放射線の量は、その通りだと信じるとしてだ。
しかしながら、身体の健康に被害を与える量ではなくとも、放射線は私達の‘心”に非常に大量に降り注いでいるのは間違いない。
多分、‘一年に浴びて良い量’なんて、とっくに超えてる。

24時間繰り返される被災地の報道、自分も受けた地震の恐怖、被災地から遠くとも、私達の心もまた傷を受けていて、今、東京が不穏な空気に包まれているのは、目に見えない、形にならない傷と恐怖から来るものと思える。
それが爆発したらどうなるんだろう、と、もう一つ別の恐怖も感じる。
それこそ想像を超える何かが起こったりしないかしら?と、底知れぬ恐怖を感じるのは、どうやら私だけじゃないようだ。

それが大きな問題になる前に、自分で、自分達で洗浄しケアすること。
救援の方向が被災地だけに集中できるように。
東京に電気を送ってくれていた故に被っている被害者の方々を、これ以上追い詰めてしまわない為に、こちらの心のケアはこちらですませる、という支援もあるんじゃないか。
などと思う。



4月3日に、BSの「勝間和代デキビジ」という番組に、以前「朝まで生テレビ」で討論中に年配の論客と言い争って、放送中なのに席を立って退場しちゃったのを見ちゃった(でも戻ってきたけど!笑)東浩紀氏が出ていた。
40歳くらいの、最近よくテレビに出ている論客。
評論家、作家、早稲田大学教授、その他いろいろ肩書きを持っている。
ペラペラと早口で、頭は良いんだろうけど、ツイッターとかソーシャルネットワークとかの情報に重きを置いているので、その辺の事がついて行けない私としてはあんまり好きじゃないタイプだったんだが、物凄くグッとくる事を言っていたので、私なりに要約して、書き出して見ます。


論壇の世界では、マスコミや言論人の監視機能として「誰かが悪い」という悪者探しをして、その責任を追及する事で成り立っていた。
だが、東電の問題などはあるものの、この震災そのものは‘誰も悪くない’災害であり、誰も悪くない災害が来た時、言葉は‘どう使う’べきなのか?
自分も「お前は被災地に行ってないんだから黙れ!」等、言われるが、ジャーナリストでもない自分が興味半分でドライブに行くような、そういうものか?(そうではないだろう。)
現場主義が行き過ぎると、言論の居場所が無くなる。

福島の原発近く、たぶん屋内待機区域に在住の、中堅の現代詩の人(ごめんなさい、現代史かもしれません)が震災後ツイッターを始めて、詩の連作を載せているが、実に美しく力強い言葉が綴られている。
詩の言葉など、何ものでもない。
しかし、傷ついたその経験を乗り越える為に、美しい詩の言葉を作っている、その事に希望がある。
それによって、家が立つわけでもないし、プルトニウムが無くなるわけでもないが、言葉の力とはそういうものだと思う。


この事を語っている時、東氏は非常に良い顔をしていた。
こいつ、良いヤツじゃないか!と思った。



‘自分達ですませる心のケア’に、ライブはかなり役に立つとも思うのです。
ライブをまわって、そう感じたから。
ライブをやる事によって、家が立つわけでもないし、プルトニウムが無くなるわけでもないけど、歌の力・音楽の力とはそういう‘乗り越える希望’を生み出せるのだと思う。
そろそろ我々ミュージシャンにも、やれる事がありそうです。



4月14日(木) 大久保 DOLCE VITA

Macky's House vol.7 「歌の力、音楽の力」

  山崎怠雅ユニット・田中眞紀子 2マンライブ

    開 場  PM19:00
    開 演  PM19:30
    料 金  チャージ1000円+1オーダー(500円×1)

    出 演  PM19:30~ 山崎怠雅  (Vo.AG)
                   浅野廣太郎 (Sax)
                   小池‘Dummy'実(Bass)
                   櫻井雅芳  (Per)

         PM20:40~  田中眞紀子 (Vo.P)



今夜、このライブの為に怠雅君と練習。
望んでいたアコギと生ピの美しいハーモニーに、あっさり幸せになってしまう私であった。



日々のドス黒い暗いニュースの中で、海に漂う瓦礫の上に生き延びていたワンコのように、あなたをちょっとだけ幸せに出来ますよう、一同全力を尽くします。
きっとすぐ、海に汚染された水を放出するような事態に打ち消されてしまうでしょう。
でも、そうしたら、またライブを企画して、きっとまた、あなたをちょっとだけ幸せにします。

東浩紀氏の言葉が、私を後押ししてくれたように、言葉には、声には、メロディには、ハーモニーには、あなたをちょっとだけ前向きにする力が、きっとあります。
私や、私の音楽仲間達のライブに、どうぞ足を運んでみて下さい。

自粛すべきは、度を超えた‘羽目外し’であって、娯楽ではない。
品性を保って楽しめば、経済もまわり精神も安定します。

音楽や演劇など、人のエネルギーを浴び、そこから考えを深くし、飲み会でも何でも人と集って語り合い、慰め合い、未来に向けて議論する事は、むしろ今やるべき事と感じます。
一人ではない事を確認し合う事が、これからの困難に向かう為の第一歩なのではないかと感じます。

私の、本当に発する場所は、パソコンの中ではなく、ステージ。
そこで、生身の私にしか出来ない事を、生身のあなたの前でやろうと思うのです。

お待ちしております。