田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

大阪の旅 その2

2011-03-30 02:32:40 | Weblog
<独パン大阪編>

21日、昼近くまで熟睡。
前日良く歩いて良くしゃべったからなぁ。
普通の私の3日分の活動量だったかなぁ。

1時30分より、大阪のピアノスタジオに入る。
ショパンの幻想即興曲などが音漏れして流れる中、声出し開始。
まぁったく声が出ない~~!
あんだけ寝たのに~~!
ホテルでこんなに爆睡できるなんて、滅多ないのに~~!

まぁ、しゃあないので、1時間半、頑張って身体から声を掘っくり出す。
最後の方には何とか出て来た。
部屋を出たら、小学生くらいの男の子とお母さんに、物凄い奇異の目で見られた。
「テロリスト~」って歌ってたので…



そのままクラブウォーターへ。
入口の外に、ギョロ目の井上卓がギターを抱えてしゃがんでいた。
久々の魔王さんとご挨拶である。
店に入ると、チバ君がリハをしていた。
震災でいとこさんを亡くされていて、胸が痛んだが、ステージを全うする強い意識がリハでも感じられて、その話はライブが終わるまでしなかった。話した時も間抜けな事しか言えなかったけど。
夜士朗と、なんともいえない嬉しい気持ちで、言葉少なく挨拶。
大阪のピアノシンガーmiccoさん、アイネシャンゼリゼさんと出会う。
マスターのマツケンさん、シングルマザーのブッキング担当アーウェイさん、また来ちゃいました!
なんだろう、この幸せ感は♪



アイネシャンゼリゼ

若い女の子らしい伸びやかな声と、いやにキレの良いアコギが心地よい。
なんていうか、素直にこっちも頑張ろうやって気になる、真っ直ぐパワーで押して来る。
打ち上げで色々話したけど、若いがしっかり意識を持っていて、力強い未来を彼女に見たな。


夜士朗

以前より、大人になったなと思った。
打ち上げでは夜士朗談義で一しきり盛り上がったな(笑)。その‘大人になった’の善し悪しについて。
ぶっ飛ばし感の強かった印象だが、私は重心が低くなった感があって良くなったなと思ったけど。
なにしろ私が‘大人’になっちゃったのでね。そういう方が好き。
でも、もっともっと腹をくくって、厚顔無恥的な威力が欲しいのも確か。
頑張って、厚顔無恥な大人にならなきゃ!(笑)


田中眞紀子

MCでも言ったが、敢えて東京の緊張感を持ち込む事で闘ってみた。
大阪も名古屋も中心に据えたのは「水を抜かねばならない」。
2月のワンマンで復活させた曲だけど、こんな形で歌うことになるとは、その時は思いもしなかった、1999年の東海村JCOの事故を綴った曲。
それから東北に対する思いとして、「断章~呼ぶ子と口笛」(石川啄木の詩)。独りよがりなのはわかっているが、それしか思いつかなかった。
「朱になれ」もキツいが、悲しみを背負った希望を込めて歌うしかなかった。
ミスもしたし自分としては不出来だったけど、声と言うより身体は鳴っていた気がする。


井上卓

実はこちらも、以前より大人になったなと思ったのだ。
夜士朗にしても井上さんにしても、観るのは4~5年ぶり。何かしら変わっていて当然だろう。
前の晩に金城さんと話したのと同じ事を歌っていたので、金城さんに聴いてもらって良かったな。
色んな世界で、色んな立場で、考えを同じくしている人がいる。
子供に対する真摯な眼差しを歌っていて、魔王の威力はそのままに、この人はなんて優しいんだろうと感動する。
みんなで頑張ろうより、目の前の一つを大事にすべきじゃないか、と。
打ち上げで話した時、以前より輪郭をはっきりさせたライブをやりたいと思っていて、今、過渡期なんだと言っていた。



micco

魔王の後に、絶妙の存在感。
ピアノが好きで好きで大好きなのね。古いピアノを整備する会社で働いてるそうです。
大阪人のぶっ壊れ方って、安心してぶっ壊れてて、だから安心してそれを見ていられる。
放っといたらいつまでも弾いていそうなピアノに向かう姿勢と、ファンタジックでありながら真をついた歌。
さぞかし田中眞紀子と対照的であったろうし、井上卓の熱き爆音をあっさり覆す不思議パワー。
こういう人は、関東圏にはいないなぁ。


チバ大三

miccoちゃんに触発されたのか、顔芸炸裂!
よしひで朗と井上卓が、腹を抱えて笑っている。
井上さんが「俺もこんな顔して歌ってるんかな」と言うので、「いや彼は顔芸に掛けてるし!」と答えておいた。
miccoちゃんに続いて爆笑爆笑のステージ。なんかこんなにチバ君のステージを素直に大笑いして見たのは、初めてな気がするな。
それでいて、何度も胸がつまる一瞬があり、どんなハードな曲も、ギターも歌も丁寧に発していて良く届き、ここのところ私が見たチバ君のステージの中では出色の出来。

というか、こんな時、悲しいかな、みんな良いライブをするんだ。
もちろん自分のは分からないけどね。
常に何かを深く考え、感じ、吟味し、表出させることを生業とする表現者の悲しい性。
皆が圧倒的な集中力でステージは進行し、夜士朗の絶妙な出演者の配置もあって、素晴らしいイベントになったと思う。
例えこの独パン1本の為に新幹線に乗ったとしても、全く後悔しなかっただろう。



後で東京組の間で話していたのは、大阪文化の幹の太さ。このしっかりした幹を基盤に、のびのびと枝を伸ばしている。だからこそのパワーがみなぎる。
東京は一人一人が1本で立ってるから、こういう大阪のパワーは感じられないし線の細さを否めないが、そこで頑張ったヤツは自分の1本の木をぶっとくしているという側面もある。
そんな風に文化は違えど、私は今、アイネちゃん以外の面々のような年代の‘実り’を感じている。
この実りを何らかの形で結集させて、若いアイネちゃん達に繋いで行けたらと思う。

次の日本の姿を、せめてこの夜は夢見たいと思った。






大阪の旅 その1

2011-03-29 02:31:31 | Weblog
<活気>

十三という場所は、なんというか、いわゆる歓楽街で、クラブウォーターのすぐ前に東横インがあるのだけど、歓楽街のまんまん中にあるホテルというのも少々気が進まなくて、5分ほど歩いた所にある、かなりデカめな‘プラザオーサカ’にしてみた。
もちろんネットで調べての事ね。
朝食なしだと東横インより安かったりするプランもある。
何より魅力なのが、チェックアウト11時!

雨の中、雨に濡れると色落ちするプリントアウトした地図を片手に、ついうっかり買っちゃった陶器のくまちゃんなどで大荷物に傘をさし、エッチラオッチラとホテルを探してたどり着く。
う~ん、、、
そのホテル自体は高層で立派だが、周りはにゃんともかわゆいラブホばっかり。
まぁ、見事なホテル街でした。
でも、こういうのも楽しいかな。

チェックインして、かけどもかけども、金城さんに繋がらず。
金城さんというのは、22日に予定していたライブの主宰をして下さった方で、ライブは無くなったけど会うだけは会いましょうという事で。
まぁ、けっこう疲れてたから、ゴロゴロとテレビを見ながら気長に電話をかけ続け、6時過ぎにやっとこ繋がった。
それで、大正に行って会う事に。

大阪と梅田の関係性がちょっとわかってきて、なかなか移動がスムーズになると、なかなか楽しくなってきちゃう。
阪急電車は、もう、ちゃっちゃと乗れるもん!
JR大阪駅の前にあるヨドバシカメラに寄ったが、見事に単1単2の電池は無し。
名古屋は結構揺れたし、東海地震のこともあるから、みんな不安なんだよと栄東さんが言っていて、なるほどと思ったが、えぇ?大阪も無いの?…

私はJR大阪駅は、少々不親切だと力説したい!
環状線のどっちに乗ればどっちに行くのか、誰にでもわかるように表示すべきであるっ!!
どっちに乗ってもいずれは着く、というゆったりした考え方なのだろうか。
それはそうなのかもしれないが、旅行者というのは不安なものなのであるよ!
これは日記なので、記録しておこう。

大正や新今宮に行くには‘1番線’。

なんとか間違えずに12分で大正に到着。
金城さんと再会し、沖縄料理の店で結構遅くまで話をした。
途中で金城さんに電話がかかってきて、彼は「今、打ち合わせ中で…」と言っていたが、全然打ち合わせじゃなかったな(笑)。
震災の話やライブの話というより、沖縄の問題の事(金城さんは沖縄の人です)や人権の事や、最後には‘人間とは’みたいな事を、妙に熱く語り合ってしまった。
というか、金城さんとサシで、こんなにちゃんと色んな事を話したのは初めてで、最終的には同じような考えの持ち主である事が感じられ、ライブをやる事より、まず一緒に企画する人の事をちゃんと知ってから事を進めるべきであり、今回の中止はそれでよかったのかな、と思った。
私個人として、じっくりと関係を構築して、良い形が長く続くような方向へ持って行ければと思う。


大阪で見る震災のニュースは、名古屋にもまして臨場感が薄い。
歓楽街だろうがホテル街だろうが十三も、大正も、JR大阪も、生き生きとした活気にあふれている。
当たり前の生活が躍動していた。
ここも17年近くかけて、それを取り戻したのだと、どこか少し活気に着いて行けない遠い気持ちで思った。

そんな中、9日ぶりに孫とおばあちゃんが助けられたとのニュース。
どうかこういう奇跡が、これからもたくさん起こりますように。

告知

2011-03-28 03:54:27 | Weblog
旅日記の合間に、ライブ告知を…



4月14日(木) 大久保 DOLCE VITA

Macky's House vol.7 「歌の力、音楽の力」

  山崎怠雅ユニット・田中眞紀子 2マンライブ

    開 場  PM19:00
    開 演  PM19:30
    料 金  チャージ1000円+1オーダー(500円×1)

    出 演  PM19:30~ 山崎怠雅  (Vo.AG)
                   浅野廣太郎 (Sax)
                   小池‘Dummy'実(Bass)
                   櫻井雅芳  (Per)

         PM20:40~  田中眞紀子 (Vo.P)


今夜、怠雅の企画ライブで会った浅野さんが、良い事を言っていた。
「今まで本当にありがとう、原発! そして、さよなら!」

名言だ。

東京に暮らし、湯水のように電気を使って遊興してきた私達に、原発批判をする権利は無し、と私は思う。
今夜の帰りは少し厳しかったが、それでも電車の暖房は東京では実はそんなに必要ないと、暖房を消されて思う。

この前、夕方6時半から停電があって、真っ暗でやる事ないから、寝た。
布団に入って、正直少々イライラしたが、お布団が温まってきたら、何の事はない、くーくー寝てしまった。
停電は8時に終わったらしいのに、私が起きたのは10時。
起きたら光々と電気がついていて、なんと2時間も電気つけっぱなしで寝ちゃってしまいました。
皆さん、ごめんなさい!ごめんなさい!
今度から、夜に停電になってフテ寝をする時は、電気のスイッチを切って寝なければ!
反省反省…
人間は暗くなったら眠くなり、お日様が昇ったら目が覚めるのだ。
きっと、便利の代わりに失った自然の形を取り戻せばよいのだ。

数ある‘便利’と‘トレンド’がお店を広げて、とても選択しきれない選択肢が目の前に並べられて、結局そんなに選択されないのに、やはり選択肢としてくるくると姿を変えて存在するから、それは無駄となり、その無駄の隣には必ず何らかの形で‘電気’がある。
それが東京。

そんな東京で、私は震災後、初めて歌う。
何を歌うか、苦しく迷う。
今夜の怠雅達の珠玉のステージを見て、それから「Macky's Houseに行きます」と言って下さった方々の声で、良しやるぞ!と思い、マイミクにんぎょさんのボイスにあった看護婦さんのブログ(コメント欄に張り付けたから、どうぞ読んで下さい。)を泣きながら読んで、あぁダメだ… と思い。

私なりの‘生きる’を歌うしかない。
画家の平山郁夫の言葉を思い出しながら。
「芸術は美しくなければならない。美しく無ければ人は感動しない。たとえ原爆の絵であっても。」
そして感動しなければ、人は動かない、と私は思う。
私達ミュージシャンの‘出来る事’は、そういう事なのだと思う。
私達の歌や音楽で繋がれる人達がいて、その人達が何かの形でそれぞれで動いて下されば、と願い、私達はこの日に向かって進みます。
どうぞ、足をお運び下さい。
お店、DOLCE VITAさんも、売り上げの一部を義捐金として送っておられます。
一同、お待ち申し上げております。
                 
                 

名古屋の旅 その2

2011-03-27 00:35:18 | Weblog
<食と迷子>

お客様を送り出して、トオルさんに宿の近くまで送ってもらいながら、何か土地のものを食したいと駄々をこね、なら手羽先をということで‘山ちゃん’という店に入る。
あんまり辛くてギブアップ!
名古屋コーチンの天ぷらなる美味そうなものは売り切れ。
残念ながら鳥に恵まれなんだ。
味噌カツは甘くて、まきこ好みであったが。

ひまわりで、あんな事が出来る、こんな事が出来ると激論(笑)!
トオルさんの人生をかけたお店だから、トオルさんの思う通りにやればいいのだけど、出来ればこの場所でまた歌えればと願うばかりだ。

この街は、札幌にそっくりなのである。
テレビ塔があって大通り公園があって。
札幌が名古屋を真似て作ったんだとか。
何というか、大きいがすっきりした街だ。
東京の様に、ビルの一つ一つがやたら個性を主張するような事もなく、華美でもなく。
最後に宿に行くのに迷子になるというオマケ付き(笑)。碁盤の目のようだから分かりにくいんだもん!
また会おうとガッチリ握手して、トオルさんと別れた。

‘土日祝日は地下鉄・路線バス乗り放題’の乗車券を使い、翌日は名古屋観光を決行。
もしかしたら二度と来ないかも、と思ったから、まずは金の鯱、名古屋城へ向かう。
鯱より何より石垣が凄い!
この石垣、地震に強いだろうか?とか、つい思う。
名古屋市役所という建物が、すげ~かっけ~!と若いカップルが大騒ぎしているほど、カッコいい。
札幌における時計台ってところかぁ。
あの中、入れたのかな?
入りたかったな。

足を延ばして‘ノリタケの森’というミュージアムへ。
陶器のノリタケね。
2012年に閉鎖、とかHPに書いてあったから、ガッツで向かった。

アタシは、本当は異常に好きなのよ、コーヒーカップとか!
自慢するが、マイセンのカップ&ソーサー持ってるもん♪1客だけだけど。
てか、そういう食器の類に囲まれて優雅な暮らしをしてるはずだったのよねぇ、若い頃に思い描いていた今の年のアタシは…
どうしてこんなになっちゃったかしらね。
名古屋城の展示物なんぞは素通りしたが、こっちの食器類の展示は硝子にへばりついて堪能。
そうそう、古いヨーロッパの‘チョコレート’なる飲み物のカップは、そりゃ素敵なのである。
んで、そりゃ高いのである。
欲しかったよなぁ、昔…
まぁ、地震で割れたら終わりだけどな。
なんでも思考がそこへ行っちゃうな。

凄い可愛いくまちゃんの陶器のシリーズがあり、ついうっかり買ってしまった。
なぜかジプリシリーズがあり、物凄く可愛いメイちゃんの絵皿があって、歯を食いしばって我慢。
ジプリ物を名古屋で買ってはいかん!
ジプリの森なら、ウチの方が近所ぢゃないかっ!!

我ながら見事な時間配分で、宿の近くの久屋大通り駅に、ロッカーに荷物を預けてたので戻ったが、またまた久屋大通りで迷子になる。
出口がいっぱいあって分からん!
乗り放題乗車券があって助かった。

最後にコメダ珈琲という有名らしき喫茶店に入る。
コーヒーは美味!
食事になるものと、デザートにシロノアールというものを頼んだ。温かいデニッシュにソフトクリームが乗ったものです。
いずれもミニを頼んだのに、これがミニかってくらいデカいものが運ばれてきた。
横にいた兄ちゃんのカツサンドは、尋常でなくデカい。
あれが‘普通’らしい。
そして、若い女の子は普通の服に盛り髪。
これが名古屋の日常文化なのだな。


よく歩いたわぁ。
そして払い戻しの効かない‘ぷらっとこだま’に乗り込み、いざ大阪へ向かう。

大阪は、雨だった。



名古屋の旅 その1

2011-03-26 02:15:54 | Weblog
<東京脱出>

今回ツアーに‘行けた’のは、払い戻し不可の‘ぷらっとこだま’を購入していたからというのは大きいかもしれない。
気持ち一つだったら、相当行くのをためらっただろう。

元々予定していた列車が満席で、一本早い列車の、しかもグリーン車しか取れず、しかし結局これが功を奏してしまう。
その前のスタジオ入りも早め、家を早く出る事になった為、計画停電で家からの電車が各駅停車だけになる前に、準特急に乗れてスムーズに新宿に出れたのだ。
ある意味ラッキー。

しかし身体は正直で、スタジオに入っても全然声が出ない。
朝早いと言っても、これだけ出ないのは滅多にない。
精神的なもんだな。
とにかく、身体から‘声’を掘っくり出すのに小2時間かかった。

東海道新幹線は通常通り、とニュースでは言っていたけど、列車を見るまでは安心できない。
品川駅でその列車の発車表示を見て、やっと安堵できた。
そんでもって、グリーン車っていいわぁ。
う~んと足を延ばしてくつろげる。

車窓は悲しいほどお天気。
熱海辺りで、あれ?この満開なのは、桜か?
あぁ、桜の季節だなんて、忘れていた。
くっきりと美しい冨士山を堪能する。
やっぱり、どこか後ろめたい気持ちであった。


<名古屋着>

さぁ、右も左もわからない名古屋着。
着いた途端、東京とのあまりの空気の違いに驚く。
普通なのだ。
空気が普通なのである。
普通なら、知らない土地に一人で来たりすると、ちょっと不安でべそべそした気持ちになるのに、逆にどこかで非常に安堵する私がいた。
いかに東京が緊張感に包まれているかが、その時わかった。

ホテルにチェックインした後、いよいよ‘ひまわり’へ。
こじんまりした、暖かい感じの良いお店だ。
トオルさん、前に会った時より丸くなっていた(笑)。
お腹が空いたので、コンビニにお弁当を買いに行く。
で、電池が無いのにびっくりした訳です。
でもパンはたくさんあって、なんか久しぶりに四角い食パンがコンビニに並んでるのを見た気がする。

良いマイクで、心配していた声は楽に出た。
エレピは古い型とは聞いていたが、いかにも‘エレピ’という懐かしい音がする。
リハで弾いている内に、まず、まきこさんの乱暴なタッチでは楽器がイカれちゃいそうだということと、その音の感触で、考えていたセットリストではダメだと判断。
何しろ街の空気が違うから、東京の逼迫感を持ちこめない。

少々皮肉な事なんだけど、残念ながら中止になった大阪ワンマンの為に、このひまわりライブと共に自分の曲の総さらいをしていたので、大方の曲の準備が出来ていた。それで対応出来たのである。
つまり、普段から総さらいをしておけって事か!
で、それで決めたセットリストも、本番で電話がかかって来たりで変更、変更。
楽屋が無いから、休憩中は客席で皆とおしゃべり。
わぁ、やったことないよ~、そんなライブ!

でも、それがとても楽しかったな。
その電話と言うのも、私の事を全然知らないのに聴きに来て下さって、道に迷ってしまったご夫妻からのもの。
なんと嬉しいことか!
こういう想定外のライブは正直苦手で、後半ダメダメだったんだけど、栄東さんには後半の方が良かったと言われた。
きっとそんなものなのだ。
その時心がけたのは、無理をしない事。
今までの自分を信じれば、無理をするという闘いをしなくても、伝えられるものはあると思った。

東京から名古屋に移って頑張ってるS子ちゃんのリクエストで歌った「EVERYTHING」は、こんな時、その歌詞のシンプルさから胸に来るものがある。
間違えちゃって悔しかったから、また東京で歌うね!とS子ちゃんと再会を約束。
栄東さんとは、アピア以外でもライブをやろうよと話し合う。
私が動けば、色んな事が出来る。
動くなんて、その気があれば簡単だ!






心の栄養

2011-03-22 20:19:02 | Weblog
3月21日 大阪十三 クラブウォーター

独唱パンク大阪編

1.夜の時代
2.ハルノジダイ
3.水を抜かねばならない
4.踏み絵
5.断章~呼ぶ子と口笛(佐渡山豊)
6.朱になれ


リハで、夜士郎と井上卓とチバ大三が顔を揃えていて、私がそこにいる事が、この上なく幸せであった。
高田よしひで朗やジョニーが来てくれて、なおいっそう幸せになった。
歌い終わったら、金城さんと狩俣さんとrokuちゃんが来てくれていて、最高に幸福になった。

私は今日、希望を作りに来ました、とライブMCで言ったんだけど、それは、歌で何か、とか、歌う事で何かって思っていたんだけど、何の事はない、希望って人との繋がりの事なんじゃないか!
今、苦しい思いをしている被災者の方々も、今は人との繋がりに希望を見い出しておられるんじゃないだろうか。
多分、生活が立ち直ってくれば、心持ちは変わっていくだろうけど、今、この時のこの気持ちを忘れてはならないと、強く思う。

それでも東京に帰ったら、こんなに純粋に音楽と音楽の話を楽しめないだろう。
血刄了と私とで5月17日に企画ライブをやるけど、その内容をこの大阪の空気の中で話し合っちゃ駄目だね、というのは、チバ君と認識は共通だった。
どうしたって大阪と東京では温度差がある。東京組の我々は、大阪組との競演の中で、温度差の中での居場所を探っていたような気がする。
しかし、何かを伝えたいという集中力は、全員いつにも増していたようで、自分を含めて非常に良いライブイベントになったと思う。

東京に帰ったらどういう気持ちになるかは分からない。
5月17日のその時期に、どんな気持ちでいるかも、想像がつかない。
でも今は、音楽の話をしていたい感じで、朝までバカみたいにくっちゃべっていた。
十三辺りじゃ有名らしきねぎ焼きの店が朝方までやっていて、ねぎ焼きを食ってやったぜ!(笑)
栄養満点の大阪ライブでした。


正直、この穏やかな大阪から、どんよりとした緊張感に満ちる東京に帰るのは苦痛だった。
でも、東京に着いて乗り慣れた電車に乗り、見慣れた車窓の風景を眺めながら思った。
やっぱりここが故郷なんだな、と。
この風景が津波で消えてしまったり、地震で崩れ落ちてしまったら、凄く凄く凄く悲しいだろうと。
そんなシンプルな事を深く考える事は、旅をしたからこそ出来たのだし、今回のツアーは必然だったのだ。
明日から、しっかりやっていける。


大阪にも単1単2はないのよ、電池…
歩き回って探して無くて、疲れて入った喫茶店で聞いたら、どうやらこの辺で電池が無いのは、東京などの知り合いから頼まれて、送ったりしてるらしいんだ。
そういう事なら仕方ないな。
バカみたいにデカい食パンを阪急デパートで買いました。
2週間はもつ。

心の避難

2011-03-21 11:36:08 | Weblog
3月19日 名古屋 高岳フォーク村 ひまわり

第1部

1.愛してやるさ
2.ハルノジダイ
3.死んじまいたい
4.水を抜かねばならない
5.指輪物語
6.セルリアンブルーの海
7.愛の歌が聞こえる(佐渡山豊)


第2部

1.100円の恋
2.忍び音
3.EVERYTHING(MISIA)
4.断章~呼ぶ子と口笛(佐渡山豊)
5.素通り(語り)
6.夜の時代
7.ダイヤモンド

アンコール
Tシャツ

栄東さんとマネージャーの松下さんが、たっぷり聞いてくれた。たっぷり話も出来た。私達なりの未来を語り合った。
2年前に名古屋に移り住んだ友人も、元気で来てくれた。嬉しかった。
ひまわりのHPを見て来てくれた方、店長のトオルさんが奨めてくれて来てくれた方。しっかり聞いて下さった。
ライブ後に、トオルさんとじっくり話した。
私はまた、ここで歌いたいです♪

ありがとうございました!
元気をもらったのは私でした。


名古屋でも、電池が無いの…
単1欲しいなぁ…

ツアーによせて

2011-03-18 01:49:10 | Weblog
3月22日の大阪ピースクラブでの「田中眞紀子 弾き語りソロライブ」は中止となりましたが、ツアーの以下の日程は予定通り行います。
近隣の皆様のお越しを、心からお待ち申し上げております。


3月19日(土) 名古屋 高岳フォーク村ひまわり

  田中眞紀子 弾き語りソロライブ

    開 場 18:30
    開 演 19:00
    料 金 2000円(1ドリンク付)
    住 所 名古屋市東区泉3-28-1
    TEL 052-933-0234



3月21日(月・祝) 大阪 十三CLUB WATER

 『独唱パンク大阪編vol.10』

    開 場 18:00
    開 演 18:30
    料 金 2300円(1ドリンク付)
    競 演 夜士郎(主宰)
         井上卓
         アイネシャンゼリゼ
         田中眞紀子(from東京) 
         micco 
         チバ大三 (from東京)
    住 所 淀川区十三本町1-23-22
    TEL 06-6305-8989





静かに、深く、心をこめて、今の気持ちを伝えたい。
聴いて下さる方の気持ちを、強く受け止めたい。
そして、そこに湧きあがる空気は、小さくとも積み重なって、いずれ大きなエネルギーとなって、これからの前に進む気持ちを後押ししてくれる事を信じます。

被災した方々に、ミュージシャンとその音楽が具体的に役にたつのは、まだまだ先の事でしょう。
しかし私は思うのです。
被災していない私達も、また深く傷ついているのだと。
「それが自分であったかもしれない」と思わない人の方が、少ないのではないでしょうか?

あの日の激しい揺れと恐怖は、私の細胞の奥深くに擦り込まれてしまっています。
その細胞を抱えて見続ける、TVから流れる無残の光景は、あらゆる意欲を萎えさせてしまうのです。

ただ、少なくとも私は今、さぼりたくない。

この現実を歯を食いしばって見つめ、どう立ち向かうか考えを深くして、まずは自らの傷を癒して、次に進む為の‘心の体力’を付けなければなりません。
傷付いているけれど、被災した方々より傷は圧倒的に浅い。
だから早めにケアして、深く激しい傷を負った方々が‘元気’になってもらう手助けをする‘心の体力と持久力’をしっかり付けなければ、支える事など出来ません。
この闘いは長期戦なのですから。

今やるライブは、自分の為のライブです。
自分達の為のライブと言ってもいいでしょうか?
そこに集った人達で傷を癒し合い、その思いを確かめ合い、ぶつけ合い、果てしなく議論しながら考えを深め合い、自分がやれる事、一人では無理でも自分‘達’でなら出来る事を探し合い、そして本当にミュージシャンとその音楽が具体的に役にたつ日に備える為に、今、ライブは必要なのだと私は思います。


自分の歌の一つ一つと、真正面から向き合って準備しています。
ギリギリまで自分と格闘します。
人の身体は、怪我をした途端、それを治す為に全力で細胞が動き出します。
私が歌うは、それと同じ。
麻酔などしません。



関西ツアー 一部中止のお知らせ

2011-03-17 19:10:29 | Weblog
3月22日(火)、大阪ピースクラブにて予定しておりました「田中眞紀子 ピアノソロライブ」は、主催者と協議の結果、諸般の事情により中止とさせて頂くこととなりました。
楽しみにして頂いていた皆様には、誠に申し訳ございません。

詳細は後程UP致しますが、取り急ぎご報告申し上げます。

田中眞紀子

3.11

2011-03-13 02:13:26 | Weblog
無事です。


7階のオフィスに書類を届ける為、5階からエレベーターに乗った時に揺れ始め、7階に着いて扉が開いたら大揺れが始まった。
私の職場はスカイツリーがばっちり見える墨田区、私の人生で最大の地震経験でした。机の下にもぐりこんだ事の記憶が今までにない。
とにかくまず外に出ろと指示が出た。
オフィスビルの外に出たら、相当大きな余震が来て、建物がギシギシと揺れる様を見ながら、崩れ落ちるかも、という恐怖を味わった。

一応揺れがおさまった、として、近隣の人は帰宅、私は何しろ八王子なので帰る手段は無い。
全てのパソコンが倒れたオフィスに戻って、パソコンを起こし、床に散らばった書類や文房具を拾い、こんな時にも電話は積滞しており、出ると呑気な感じで要件を言われ…
まぁ、西の方からの電話がほとんどだったが。

家にいた父は無事であったが、一人で出かけた母の安否がわからず少々焦った。
後で聞いたら、電車に乗って帰宅している時に地震にあったらしく、電車から降りろと言われて、電車の長い椅子を取り外し窓から外に掛けて、それをつたって降りたんだそうだ。
そんな事ができるんだ…
バス停があると言われて、みんなでぞろぞろ行ったがバス停は無く、結局一駅分歩いて、そこで止まっていた電車の中に座って暖を取りながら避難してたらしい。
弟のお嫁さんに連絡して、わりと近くだった弟の家に泊めてもらって助かった。

夜11時ごろには都営も京王線も動き出したが、渋谷や新宿の人波をTVで見てるから危険と判断。
朝7時まで会社にいて、わりとまともに帰れた。
家の中は、全く何ともなかった。本が数冊、棚から落ちただけ。


自分や家族や近隣の友人が無事でも、安心はしたけれど、少しも気持ちは救われない。
宮城の津波の犠牲者の数、もしかしたら万を超えるんじゃないだろうか。
そんな想像をして足がすくむのは私だけか。
津波の破壊力の凄まじさを、目をそむけたくなる現実を、絶望的な無力感でそれでも見つめるのみ。
軽々と流されていく家や船や車は、どんなにか誰かの生活を支え喜びを与えていただろう。
そしてそこにいた‘誰か’は?
どうかどうか、無事でいて下さい!