田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

活動停止中の活動予定

2012-02-28 03:40:02 | Weblog
3月1日(木) 京都・祇園SILVER  WINGS

「狂熱のアコースティック!」

  出演  木村三郎 / 田中眞紀子(東京)/はしくれ喫茶 / 萩田気一郎 / O.A Rena


   開 演  19:00
   料 金 ¥1,700+1drink



3月4日(日) 大阪・十三CLUB  WATER

「Macky's House in 大阪」

  出演  田中眞紀子 / ah-we / 大倉泰隆 / 青木研治

   開 演 19:00
   料 金 \2,300 (1drink付)



3月15日(木)  東京・学芸大学APIA40

「デジャヴ」 

  出演 チバ大三+田中眞紀子/ヌルマユ永井(from北海道)/浦邉力/NORU

   開 演 19:20
   料 金 [前・当共] \1,500+1drink



4月21日(土)  東京・学芸大学APIA40

  田中眞紀子ソロライブ

   詳細未定
   ピアノDAYとのこと


結構忙しい(笑)。
ご来場お待ちしております。





夢を阻む壁

2012-02-14 20:00:43 | Weblog
それにしても恨み募るは、東北新幹線`MAXはやぶさ´なのである。



福島からの帰路、初めて東北新幹線に乗り磐梯山を車窓に見る、というのを、今回の福島ツアーの最後の楽しみとしていたのである。
初めて東北新幹線に乗るにあたり様子がわからない為、安全と安心!を図り指定席を購入。
指定されていたのは2階建て車両の1階であった。
先日、赤城山に向かう際、「今回は湘南新宿ラインのグリーン車の1階に乗ろう!」と心に決めていたのに、ついフラフラと2階に上がってしまい、ちょっとだけ後悔していたので、1階席に座った時にはちょっとウキウキしたのではある。

そもそも福島は全面雪景色であったから、車窓を楽しむのは乗車した時は諦めていた。
ところが、走りだしてしばらくすると、一転にわかに晴れ渡りだし、
「やった!磐梯山見れるぞ、きっと!」
と、期待に胸は、はち切れんばかりであった。

しかしながら、走れども走れども、見えるは線路脇の壁ばかり。
随分壁が多いのだなぁ、と初めは無邪気に思っていたのだが、しばらくして気がついた。
つまりは1階席であるが故に、壁しか見えないのだと…

後日職場のおっちゃんに聞いたところ、東北新幹線も上越新幹線も防音壁が張り巡らされていて、1階席に座った時はビール飲んで寝るしかねぇんだそうだ。
体質的にビールを飲んで寝ることはできない私であり、しかもその防音壁の上にちょびっとだけ山脈の先っちょが見えるので、椅子に座って伸び上がったりしてみるのだが見えるはずもなく、イライラは激しくつのるばかりであった。

折しも郡山過ぎて快晴が広がる。
諦めようにも諦められないが、いかんともできず…

そして、あっ!と思いついたのだ。
立てばいいのだ!

わざわざ、東京に向かって進行方向右になるように取った3連席の窓側を立ち上がり、なぜこんなに空いているのに私の横の通路席を売るのだ!と怒りながら、だらしなく寝入っている若いサラリーマンらしきの足を押し退け、車両を出て階段を上り、出口扉の窓にへばりついた。

あぁ何と見晴らしの良いことか!

しかし時すでに遅く、福島の美しき山々は後方に去らんとしており、まもなく宇都宮となれば明らかに関東平野らしきが広がり始めた。

平野には興味が持てず、すっかり興醒めした私は、再度あんちゃんの足を押し退けて席に座り、ふて寝をした。
かくして、素晴らしき福島ツアーの唯一の汚点が、この帰路の出来事であったのだ。

何がMAXよ!
MAXつまんなかったッ!

それにしても福島は近い。
1時間半かからない。

2階建て車両の1階席には二度と乗らないと固く決意し、この恨みを晴らすべく、必ずや福島を再訪する事を心に誓う私なのである。


おしまい。

次のエネルギー 3

2012-02-09 02:10:24 | Weblog
福島の宿は、チェックアウトが12時という、ありがたいホテルで、計画では昼まで寝て、ちょっと福島市内をぶらぶらしようと思っていたが、残念ながら雪が降ってしまい、しかも12時過ぎの気温が-0.9度!
寒いと打ち身に堪えるし、どこも真っ白でつまらないから東京に帰ることにした。

ちょっとお土産でも見ようかと、駅前のデパートに入った。
このデパートは`中合´といって、実は仕事で少々関わりがあり、‘来ちゃったよ中合!○○さんは何処にいるのかしら~♪’などとウキウキしながら地下食品売場に入ったが、お土産売場のような所は向こうの隅っこにしかなく、しかもほとんど客がいないので、少々居心地が悪くなって出てきてしまった。

東京のデパ地下と比べるものではないだろうし、平日の昼間だし、人がいないのは仕方がないのかもしれないが、それにしても、と思った。
いわきのドライブ中も、車も人も少ないなと思ったし。
小名浜港の水産物の売場も、人はまばら。
前夜、リハの合間に外に出た時も、美しいイルミネーションで彩られた街は、人通りは少なかった。
お洒落な街だ。
本当は、もっと賑わってるんじゃないだろうか。
そういえば、いわきに着いてから、リハ前の時間を潰している時の喫茶店で何人か見かけて以来、子供の姿は見ていない気がした。



いわきでも福島でも、店のスタッフ達と、それこそ夜を徹するように話をした。
福島に住む人の本音が聞けたのは、何より有意義だった。


福島を取り巻く社会的な動きは、地元の人々には違和感が感じられるもののようだ。

福島の問題を国全体の事と考えて、原発や放射線について語るならともかく、それを通り越して、自分の考えを押し進めるべく、福島の人々に福島から離れろと言うのは、いかがなものか?と以前から思っていた。
某俳優などは、悪いがもう、自分の闘争本能を満足させるが為に動いているようにしか見えないのだ。
その出発点が、善意や正義感からだとしてもだ。
逃げたくても金がないのだという言葉を、何度も聞いた。その声に、個人レベルで何を答えられるのか?
反原発の色々な運動も、主義を主張する自らの行為に、酔いしれているだけではないのか。
それをちゃんと自問自答しながら行っているものなのだろうか?

何かが、ずれてきてやしないか?

まずは、福島を愛し、そこで暮らす事を、福島の人達は望んでいるだろう。
そしてガレキは汚物ではない。
遺品なのだ。
「ガレキは受け入れない」という他の自治体の`心´に危険を感じてしまうのではないか。
放射線以上に危険なのが、人の心なのだと私は思う。


そもそも‘福島の人達の気持ちを考える’とは、どういうことなのか?

今、福島に住む人達は、それこそ脳みそが痛くなるほど、自分の人生の今までと今とこれからを考え抜いて、ここにいるのだと思った。
行く前からチバ君から聞いていたが、その通り、彼らは冷静だった。
原発との関わりの歴史も良く知っているようだし、放射線と関わっていかなければならないことも。

放射線の恐怖とは、つまり死の恐怖だ。それを彼らはどこかで受け入れているのだ。
自分が生まれ育った土地、暮らして来た世界が、地震や津波で破壊され、つまりは自分の歴史が失われ、周りの人間を亡くし、そして放射線によって未来すら奪われようとしている。
それでも、ここに居ることを選択し、決意をしている。
金が無くて逃げられないことも含めてだ。

福島の人達の気持ちに沿うとは、彼らのプライドを尊重し、彼らのプライドを支えることだと私は思う。
プライドを持って欲しいと思っていたし、実際会った人達は皆、プライドを持っていた。
生まれたばかりの赤ちゃん含め、2人の小さな子供と共にここで暮らしていく決意を語ってくれた若い男性の目は熱意が満ちていたし、お客もまばらな中合の、デパ地下の店員さん達は皆、シャンと背筋が伸びていた。

遠くにいて、今、安全な所にいて、その安全を脅かされることを忌み嫌い、ヒステリックに放射線の数値に反応する周りの状況に比べ、福島は、覚悟し、腹を据え、達観した人々が穏やかに住まう‘悟りの世界’のようだった。
何だか心身共に浄められて帰って来たような清々しさである。



放射線によってガンになりたくなかったら、その前に、スパスパたばこを吸い、ガブガブ酒を飲み、脂っこいものばかり食ってる、そのメタボな身体から変えたらよかろうよ。
ネットの中にどっぷり浸かって、雑多な情報に振り回され、ヒステリックに原発反対を叫ぶ人達は、それならあの凄まじい煙を24時間吹き出し続ける火力発電所はいいのかよ。
多分、原発がこれだけ止まっているからには、日本中で福島と同じ光景が展開してるんだろう。
あぁ、原発が止まって安全だから安心だわ、と、あの火力発電所の下で赤ん坊を抱えて言えるのか?

以前にも私は、原発反対ではなく、脱原発の立場だと書いた。
その思いは、今回の福島行きで、より強くなった。
原発反対というのは感情にすぎないのだ。その感情が54基中51基の原発を止める要因になっているのは大したものだが、怒りの感情には‘次’を生み出す力までは無い。

‘次’に行かなくてはならない。
人間の力では御しきれない原子力を使わない、次のエネルギーを。
火力発電に‘後戻り’しない、次のエネルギーを。
足るを知る、身の丈に合せる、という先人の残した戒めの言葉を、もう一度かみ締めて。
原発の稼働が止まればそれでいい、というところで留まっていては先には進まない。

もちろん、先に書いたような腹を括っていると感じられたのは、大人達のことだ。
低量被曝する子供に、その親に、覚悟などはできないだろう。
しかしながら例えば今夜のニュースにあったような、福井の大飯原発の稼働を、「子供たちを守れ」とヒステリックに止めようとする事が、今、福島で被曝している子供を守る事にも救うことにもなっていないではないかと、疑問を持たずにはいられないのだ。

何かが、ずれてやしないか?



福島から帰って10日ほど経ち、いわきで見た光景がやっと、私の頭の中でその意味を理解しだした。
先にも記したが、あれは遺品だったのだ。
亡くなった方々の、そして無くなった暮らしの。
‘ガレキ’が遺品であるとの意識で、拝むような、慰霊のような、厳かな気持ちで整理された、あの分別の山だったのだ。
その一角に、袋詰めされた大きな塊が積み上げられていて、もしかしたら汚染された土かもね、とチバ君と話した。

‘ガレキ’の山も、袋詰めされた大きな塊も、土台だけ残して整理された土地もパックリと口を開けて、‘次’を待っている。



私が歌う事が、少しは福島の人に喜んでもらえた事は私の救いにもなった。
この貴重な機会を与えてくれたチバ大三氏に、心から感謝します。

帰りの新幹線に乗る前、福島の観光パンフレットを何枚か手に取った。
今度はもう少し暖かい時に来て、色んな所を歩いてみようと思う。
そして、また来て下さいと言ってもらえたから、また来て、精一杯伝わるように歌おうと思う。

それでも、

「友達の家を見に行ってもいいですか。」

「あぁ、無くなってる。」

この二言で彼の半生を静かに語り伝えた新妻君の言葉ほど、人の心に響く歌は到底歌えないだろうけれども。



次のエネルギー 2

2012-02-05 02:22:56 | Weblog
震災の事を何かしらライブの中に取り入れたいと思う私だが、段々そういう内容のものは少数派になっている。
あの海岸線のように、ある程度きれいに片付いてしまえば、一段落着いたという事で、徐々に人々の意識から震災は薄れていくのだろう。
皆、日々の生活があるのだから仕方ないことだ。
そして放射線だけが、被災地とかけ離れたところで騒がれているように思える。それは自分の暮らしに直接関わるから、これもまた仕方がない。

神戸の少年Aの事件以来、社会的な問題意識を曲に盛り込んできたので、私の曲作りのアンテナは、私の生活と関係なく震災方面に向いてしまう。
しかし震災はあまりに直接的で、今までだって何の役にもたってないし、誰かのためにもなってないが、その`役にもためにもなってない´のがあまりに具体的で、歌うという事に自分で意味を失ってしまった。
すると、歌を聞くことにも意味がなくなった。
誰のどんな歌を聞いても、どんなに良いステージを見ても、少しも響いてこない。評論家的な良し悪しの判断位でしか聞けないので、虚しくなるばかりだから嫌になった。

そんな状態で赴いた、いわきSONICのステージは、全員が震災や、そこから波及する自分自身に向き合った歌を歌っていて、何だか頭の中がスコーン、とクリアになったというか、
「そう、こういうライブが聞きたかった!
 こういうライブに出たかったんだ!」
と、不謹慎ながら溜飲が下がる思いだったのである。

そこでは誰も、「でも頑張ろうや」などという逃げは打っていなかった。
それこそ、それが何か役に立つでもためになるでもないだろうが、それでも何かしないではいられない熱い気持ちと、何とかしようという意志がある歌があった。
私を含めて、と思いたい。

福島在住の演者は現場主義者ムラカミ君だけで、自分が次に出番だったから最初の方しか聞けなくて残念だった。ギターも曲もかっこよく、一見おとなしそうだが、ステージは勢いと意欲が強く感じられる若者。

四畳半プリンさんは、茨城の小川屋というライブハウスのマスター。茨城もかなり被災しているからと言っていた彼の曲は、私と内容が結構被っていて、下ネタ以外は共感しきり。

同じく茨城から来た、茨城のスターらしい中村兄貴は、気の弱いロック野郎という感じだが、切々とした言葉が染み込んでくる。

先日のワンマンでは実に素晴らしいステージだったけれど、私の気持ちが閉じていたので、すごく遠くに感じられたチバ君は、ピアノで参加させてもらったことも手伝って、歌がぐっと迫ってきた。

PAも照明も、誠意とステージに対する情熱がビンビンと伝わって、実に気持ちよく演奏できた。
古い映画館を改装したという、随分と造りの複雑な店だが、ステージの感じが高円寺ミッションズに似ていたので、気持ち的にやりやすかったのもある。

自分もある程度、ピシッと決められたかなと思う。
実はこの日の1週間前に自宅で転んで、左肩と右足親指を強打しており、かなりの痛みをおしてのツアーだったのだが、被災地に`遊び´に行くようなものだったから、その位の苦痛があって良かったかなとも思うのだ。
ライブが良い感じで出来たのは、打撲の痛みも一因かもしれない。無駄な力みを入れられなかったから。

そして真摯な客席の空気!
全て感謝以外の何ものでもない。
やるも聞くも、ライブにおける満足感を久しぶりに味わうことができたのだった。



翌日の福島マッチボックスは、うってかわってアットホームな店。

ここは別の意味で、複雑な気持ちになる空間だった。
アプライトピアノがあると、どうしても横向きになるから、こちらからお客さんが見えないのは当然なのだが、このお店は構造上、お客さんが積極的に私の近くに来てくれないと、お客さんから私が死角になるのである。
こちらからも見えず人の視線も感じられないとなると、何だか自分の家で練習しているみたいな感覚だ。
気持ちが内向くというのか。

それなりにハードなものを見て、ささくれだっていた私の神経に、生ピアノの音はまろやかで心地良く、前日と同じセットリストにするつもりでいたのが嫌になって、ピアノが歌える曲に変えてしまった。
見たものがガレキではなかったから、「朱になれ」は気持ちが乗らず、新妻君の言葉が突き刺さったので、人生を歌う「ダイヤモンド」にラスト曲を変更。
当然「朱になれ」が最後に来ると思っていたらしきチバ君は、急遽セットリストを変えたようで、少々申し訳なかったかな(笑)。
不器用なので、気分で曲を決める事は滅多にないのであるが。

それでも「揺れる栄光」の朗読は組み入れた。
震災の描写の部分はことごとく噛んでしまい、自分が見たものによって、いかに動揺していたかがわかる。
どんなにか凄まじかったであろう震災直後の様子を見て、それでも歌った数多くのミュージシャンに、心底敬意を表する。

福島市は、震災の直接的被害はさほどではなかったようだが、現在放射線の線量が高い。福島市や郡山市からいわき市に、人が移っているそうだ。
競演したのは、そんな福島市で`普通´に暮らす若者2人だった。

ごめんなさい! 最初、男の子が2人いると思っちゃったんだ。
嵐の桜井翔に似てるなと思った子は石黒さやかという女の子で、先日女子トイレで通報されたんだそうだ、可哀想に…
太く低い、存在感のある声が魅力的だ。山崎ハコなどのカバーとオリジナルを交えて歌っていた。

hideki君は聴覚障害がある男の子だが、ギターはとてもそうは思えない美しいチューニングで、あとの二人、頑張んなきゃダメじゃん!て感じ(笑)。
障害があるからこそ、そこに対する意識が尖るんだろう。

マスターの松本隆さんは、地元の若いミュージシャンを育てることに意欲的であるようだ。
ゴトウイズミと松田聖子が大好きな、辛辣で素敵な方。
そして、異常な事態の福島市で、あくまでも普通な感覚でのライブは、とても大切な時間空間に感じられたのだ。
今、普通であることほど大切にしたいことはないのだろうと…

(続く)

次のエネルギー 1

2012-02-04 07:49:13 | Weblog
フクシマの県境に、曇りガラスの塀が取り囲むように立てられていて、その周りに興奮した人々が群れをなして声を上げている。
思い切って人々を押し退け、その塀を突き破って中に入ってみたら、思いがけず落ち着いた清々しい世界が広がっていた。

そんな感じだ。



★1/25(水) 福島いわきSONIC

【競演】中村兄貴、現場主義者ムラカミ、四畳半プリン、チバ大三

  田中眞紀子 セットリスト

    1.平和の国のNEEDS(語り)
    2.ハルノジダイ
    3.夜の時代
    4.セルリアンブルーの海
    5.揺れる栄光(朗読)
    6.朱になれ



★1/26(木)福島市MATCH BOX

【競演】hideki、石黒さやか、チバ大三

  田中眞紀子 セットリスト

    1.夜の時代
    2.ハルノジダイ
    3.水を抜かねばならない
    4.死んじまいたい
    5.揺れる栄光(朗読)
    6.ダイヤモンド



いわきライブ翌日、SONICのPA新妻君の案内で、チバ君と3人、津波の跡を見に行った。
ガレキはほぼ片付けられ、家の土台だけが静かに残されている。
海は穏やかに波を寄せていて、そもそもあまり海を身近に見る機会のない私は、「わぁ、海だぁ!」と不謹慎に喜んでしまうのだ。
新妻君に謝ると「それを含めて楽しんで下さい。」と笑う。

それは涙をこぼすというような光景ではなかった。
しかし私の頭の中にある常識的な景色とマッチしないので、脳ミソがそれをうまく受け付けられないで戸惑っているというのか、妙な感覚なのだった。

使われていない学校の校庭に、きちんと積み上げられたガレキの山。
見事に分別された暮らしの残骸は、巨大な規模で整理整頓された状態で、海沿いに並んでいる。
ベッドのマットレスは分別しなければならないらしい。
全てが整然と‘きれい’に片付いていた。
涙ぐましいほどの手作業であったに違いない。

これ以上、何を頑張れというのだろう。


「ちょっと友達の家を見に行ってもいいですか。」と新妻君。
しばらく車を走らせ、その場所へ。
「あぁ、無くなってる。」とさらりと彼は言った。
それがズッシリと重かった。


不思議と住宅が2軒だけ残っているとか。
何故か鳥居だけはあちこちに残っているとか。
目の前に広がる海。
後ろの美しい山々。
津波にさらわれる前は、どんなにか住み心地の良い場所だっただろう。
塩を被って、もう住む事は出来なくても、それでもこの家に住みたい、ここに戻りたいという気持ちは深く納得できるのだった。
きっと、幸せな町だったに違いない。


昼に小名浜港で、海産物を喰ってやった!


SONICに戻り新妻君を降ろして、再会を約束し、チバ君と福島に移動。
途中、警戒区域ギリギリまで行ってみた。

ここで見たものが、このツアーで最も衝撃的なものだった。
それは、火力発電所である。

スカイツリーの第一展望台の下までみたいな形の煙突(というのか)が、手前に二本、向こうに一本。
それこそ墨田区の中のスカイツリーのような圧倒的な存在感で、ぬぅっと立っており、そこから膨大な量の煙がモクモクと噴き出している。
この日は変な天候で、あっちの空は晴れているのに、自分のいる周りは小雪がチラついていたり。
その時、車の場所は晴れていたが火力発電所の上は雪雲が低く垂れこめていて、非常に不穏なこの光景は、ズブリと私の脳ミソに突き刺さった。

これが福島第一原発の代わりに、東京の電気を作り出しているのだ、と、ゾッとした。
都会の我欲が煙に姿を変え、凄しい勢いで海の方へ吹き流れていった。


(続く)