昨日も書いたけど、若手二人のお客さんが沢山来ていた。
特に、この日CDを配り、パーカッションの子と一緒に出ていたヨシダ君のお客さんが多かったみたい。女の子ばっかり!(笑)
5月3日にバンリと一緒に出ていた時は、こんなに女の子、来てなかったよなぁ。どうも大学生さん達みたいだ。
正面を向いて歌うと客席の空気がよくわかる。 ハハッ、当たり前だが。
まずは正面にテケタ氏が、会場の誰よりも派手に座っていた。 ハハッ、いつものことだが。
で、私のお客さん以外はほぼその若い子達。
30分ぶっ続けのライブなんて想像もしてないだろうし、聞いた事もそうはないだろうし。
私が正面を向いて睨んでいるし、区切りも無いから外に出る訳にもいかず…
私は歌いながら「ごめんねぇ」と思ってしまったのだ。「ごめんねぇ」と思う空気だった。
聞いてくれてはいる。ほとんど皆、微動だにしなかった。しかし聞いてくれてはいたが、`伝わって’はいなかった。`受け入れて’くれてはいなかった。そう感じたから「ごめんねぇ」と思ったんだと思う。
先月の空気とは違った。
先月は横を向いていたし、出演者仲間がたくさんいた。アンコールも貰えた。
ある意味条件が違う状況ではあった。
でもそういう事とは違う。`伝わる’事を拒まれている感じと言ったらいいか。
そんな事を考えたくない。そういうことかな。
そりゃそうだろうね。
自分の出番前直前、あの子達が最後まで残って私を聴いてくれる状況なら、これは勝負のチャンスだなと密かに思っていた。
そして勝負する状況になり、そして駄目だったな。
「米兵たちのイラク」に出てくる兵士達も「生きる証」の幸田さんも、まさにあの子達の年代なのだ。本当はあの子達にこそ伝わって欲しい。
私のやりたい事はやり通しながら、あの子達に伝わる方法があるか。
課題としてTryして行こうとは思うが、非常に難しい。
難しいのは自分の心の奥を覗けばわかる。
わかるニュースがまさに今、TVで大きく取り上げられている。
拉致被害者の報道だ。
拉致被害者のニュースは、聞く度に見る度に、私の心を圧迫する。
拉致被害者の大方は私と同年代なのだ。彼らが拉致され、彼ら本人が、そしてその家族がとんでもない苦しみにのたうっている時、そのニュースを遠くに感じながら、戦後最も裕福で幸福な若い時を遊び呆けて過ごした、まさに当人の一人なのだ私は。伝わる事を拒んだ経験があるのだ。
伝わるのを拒んだ事を今、責められているような気持ちにさせられる。拉致のニュースに…
先に書いた伝わる方法を模索し、少しでも見つけられれば、またチャンスがあって、伝えたいところに伝えられたと少しでも感じられれば、もしかしたら、それこそが私のやりたい事、やりたかった事なのかもしれない。
昨日のライブは、もしかしたら、物凄く大事なライブだったのかもしれない。
時間が経つにつれ、なにかヒシヒシとそう思えてきた。
特に、この日CDを配り、パーカッションの子と一緒に出ていたヨシダ君のお客さんが多かったみたい。女の子ばっかり!(笑)
5月3日にバンリと一緒に出ていた時は、こんなに女の子、来てなかったよなぁ。どうも大学生さん達みたいだ。
正面を向いて歌うと客席の空気がよくわかる。 ハハッ、当たり前だが。
まずは正面にテケタ氏が、会場の誰よりも派手に座っていた。 ハハッ、いつものことだが。
で、私のお客さん以外はほぼその若い子達。
30分ぶっ続けのライブなんて想像もしてないだろうし、聞いた事もそうはないだろうし。
私が正面を向いて睨んでいるし、区切りも無いから外に出る訳にもいかず…
私は歌いながら「ごめんねぇ」と思ってしまったのだ。「ごめんねぇ」と思う空気だった。
聞いてくれてはいる。ほとんど皆、微動だにしなかった。しかし聞いてくれてはいたが、`伝わって’はいなかった。`受け入れて’くれてはいなかった。そう感じたから「ごめんねぇ」と思ったんだと思う。
先月の空気とは違った。
先月は横を向いていたし、出演者仲間がたくさんいた。アンコールも貰えた。
ある意味条件が違う状況ではあった。
でもそういう事とは違う。`伝わる’事を拒まれている感じと言ったらいいか。
そんな事を考えたくない。そういうことかな。
そりゃそうだろうね。
自分の出番前直前、あの子達が最後まで残って私を聴いてくれる状況なら、これは勝負のチャンスだなと密かに思っていた。
そして勝負する状況になり、そして駄目だったな。
「米兵たちのイラク」に出てくる兵士達も「生きる証」の幸田さんも、まさにあの子達の年代なのだ。本当はあの子達にこそ伝わって欲しい。
私のやりたい事はやり通しながら、あの子達に伝わる方法があるか。
課題としてTryして行こうとは思うが、非常に難しい。
難しいのは自分の心の奥を覗けばわかる。
わかるニュースがまさに今、TVで大きく取り上げられている。
拉致被害者の報道だ。
拉致被害者のニュースは、聞く度に見る度に、私の心を圧迫する。
拉致被害者の大方は私と同年代なのだ。彼らが拉致され、彼ら本人が、そしてその家族がとんでもない苦しみにのたうっている時、そのニュースを遠くに感じながら、戦後最も裕福で幸福な若い時を遊び呆けて過ごした、まさに当人の一人なのだ私は。伝わる事を拒んだ経験があるのだ。
伝わるのを拒んだ事を今、責められているような気持ちにさせられる。拉致のニュースに…
先に書いた伝わる方法を模索し、少しでも見つけられれば、またチャンスがあって、伝えたいところに伝えられたと少しでも感じられれば、もしかしたら、それこそが私のやりたい事、やりたかった事なのかもしれない。
昨日のライブは、もしかしたら、物凄く大事なライブだったのかもしれない。
時間が経つにつれ、なにかヒシヒシとそう思えてきた。