田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

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ライブ考察、その他

2006-06-29 04:23:37 | Weblog
昨日も書いたけど、若手二人のお客さんが沢山来ていた。
特に、この日CDを配り、パーカッションの子と一緒に出ていたヨシダ君のお客さんが多かったみたい。女の子ばっかり!(笑)
5月3日にバンリと一緒に出ていた時は、こんなに女の子、来てなかったよなぁ。どうも大学生さん達みたいだ。

正面を向いて歌うと客席の空気がよくわかる。 ハハッ、当たり前だが。
まずは正面にテケタ氏が、会場の誰よりも派手に座っていた。 ハハッ、いつものことだが。
で、私のお客さん以外はほぼその若い子達。
30分ぶっ続けのライブなんて想像もしてないだろうし、聞いた事もそうはないだろうし。
私が正面を向いて睨んでいるし、区切りも無いから外に出る訳にもいかず…
私は歌いながら「ごめんねぇ」と思ってしまったのだ。「ごめんねぇ」と思う空気だった。
聞いてくれてはいる。ほとんど皆、微動だにしなかった。しかし聞いてくれてはいたが、`伝わって’はいなかった。`受け入れて’くれてはいなかった。そう感じたから「ごめんねぇ」と思ったんだと思う。
先月の空気とは違った。

先月は横を向いていたし、出演者仲間がたくさんいた。アンコールも貰えた。
ある意味条件が違う状況ではあった。
でもそういう事とは違う。`伝わる’事を拒まれている感じと言ったらいいか。
そんな事を考えたくない。そういうことかな。

そりゃそうだろうね。

自分の出番前直前、あの子達が最後まで残って私を聴いてくれる状況なら、これは勝負のチャンスだなと密かに思っていた。
そして勝負する状況になり、そして駄目だったな。

「米兵たちのイラク」に出てくる兵士達も「生きる証」の幸田さんも、まさにあの子達の年代なのだ。本当はあの子達にこそ伝わって欲しい。
私のやりたい事はやり通しながら、あの子達に伝わる方法があるか。
課題としてTryして行こうとは思うが、非常に難しい。
難しいのは自分の心の奥を覗けばわかる。
わかるニュースがまさに今、TVで大きく取り上げられている。

拉致被害者の報道だ。
拉致被害者のニュースは、聞く度に見る度に、私の心を圧迫する。
拉致被害者の大方は私と同年代なのだ。彼らが拉致され、彼ら本人が、そしてその家族がとんでもない苦しみにのたうっている時、そのニュースを遠くに感じながら、戦後最も裕福で幸福な若い時を遊び呆けて過ごした、まさに当人の一人なのだ私は。伝わる事を拒んだ経験があるのだ。
伝わるのを拒んだ事を今、責められているような気持ちにさせられる。拉致のニュースに…

先に書いた伝わる方法を模索し、少しでも見つけられれば、またチャンスがあって、伝えたいところに伝えられたと少しでも感じられれば、もしかしたら、それこそが私のやりたい事、やりたかった事なのかもしれない。
昨日のライブは、もしかしたら、物凄く大事なライブだったのかもしれない。
時間が経つにつれ、なにかヒシヒシとそう思えてきた。




ほらね~!

2006-06-28 23:28:26 | Weblog
夏場のアタシのライブの日って、必ず暑いのよね~!
一昨日位まで、お布団かぶんなきゃ寒いくらいだったのにさー。アタシのライブの日を狙ったみたく暑くなるんだよねー。5月のワンマンだって、わざわざ暑かったしさー。
んでも、去年よりはちょっとまし?
実は去年の6月28日もライブだったんだよね。アローンで、ダンサーのカオちゃんと初めてやったんだ。
なんと36度だったんだぜー!
しかもさー、去年はCDの録音しててさ、その為の音源の機材を修理に出す為に、あの灼熱の中を高円寺内をウロウロ歩き回ってからアローン行って、もうヘバヘバになっちゃってさー、という思い出もあったりする。
あぁ、今年もこの季節がやって来た。なるべく遅く梅雨が明け、なるべく早く秋が来て欲しいと願う今日この頃のアタシ。
熱いのは好きだが、暑いのは嫌いだぁぁぁ!
そんな中、組曲「未明」究極版・仁王立ちスタイルを決行する。
夏場にやるもんじゃあないかもなー、と、やってる途中で頭をよぎる。
汗かいてもふけないんだよぉ!顔やら首やらならまだ我慢できるが、指先ふけないのは、ちょいとシビア。
小学生の男の子のトイレじゃないが、‘指をふける衣装’を考えねば!
ライブ後、マスターより‘立った方が良い’とのお達し。
んー、そんな事言われると、来月もやりたくなっちゃうなー。
でも来月は、絶対もっと暑いよなー。
アピアさん、スタジオの方の冷房、直すとか何とか検討していた。今日より少しは楽かしら?お客で行く時は冷房あんまり効いてない方がいいんだけどね。アタシは暑いのは嫌いだが、冷房には弱いのだ。ワガママなのは百も承知じゃ!

今日はカタカナの若手二人、ヨシダユウスケ君とムラトモヒロ君が若いお客をたくさん呼んでくれてて、眞紀子さんの30分1本勝負はさぞキツかったと思われる。
新人の小金沢司君は面白かった!本人は音痴だからと言ってたが、ポエトリー・リーディングと考えれば、あれは大いに‘有り’である。確信を持ってやれば、きっと良い。

暑い中、30分1本勝負などというむさ苦しいライブに付き合ってくれた、すべての方々に感謝します。

なんだかな~

2006-06-27 02:43:35 | Weblog
心身共に調子悪い感じ。こないだのブラジル戦が悪かったみたいだぞ!
見た時間が悪いのか、試合の内容が悪いのか。

さっき、ついうっかり、イタリアVSオーストラリア見ちゃった。
後半のロスタイムでPKをイタリアが決めて勝った。
ヒディングさんの計算が狂ったらしい。
一応日本の仇を取ってもらったのかしらん?

今月は社会では色々あった。
村上氏の逮捕と福井総裁、すずか容疑者の逮捕、W杯の11日間、16才の自宅放火と家族の死、自衛隊の撤退、大学生の生き埋め事件、さっきは誘拐事件、、、
5億円の保釈金、自分は2200万円のフェラーリで娘には700万円のベンツ、
「プロ中のプロ」 「娘には贅沢をさせない」 「もう一人殺してから自首する」
「リセットしたい」

これらの事象を一言で括れるかも。
「勘違い」

私は勘違いしていないか。
この自問自答は、常に繰り返さなければならない。

15年以上も前になる。
同時に入社した、私より10才も年上の女性から、
「常識は人によって違うのよ」と言われてショックを受けた。
人と同じだから常識というのだと、若かった私は思っていたのだ。
当時、社内でちょいと`常識外れ’で困ったちゃんな人だった彼女の身勝手な言葉でもあったのだが、年齢を重ねるにつれ、彼女の言葉は真実だったと実感する。
私は常識的かという感覚は指標にならない。
だから勘違いしていないかを目安にするしかないのだ。



明日はアピアでのライブ。
私は勘違いしていないか。
ステージで問う日。
身をさらして歌えば、答えは返ってくると信じる。

夢の10分、絶望の20分、地獄の10分

2006-06-24 09:57:01 | Weblog
まるで人生の縮図であるかのような90分だった。

全然関係ないけど、ロナウジーニョとチバ大三は似ている。
ライブでまじまじとチバ君の顔を見た直後のブラジル戦だったもので…

クロアチアが1-0で勝ってるなんて情報があるもんだから。その後すぐ1-1になって、なんかの計算をし直さなければならないんだろうとは思いながら、ほのかな夢を見た。
10分だけ。

同点、逆転までは気持ちは持ち堪えたが、3点目が入った後半14分から、長い長い絶望の30分が始まった。
このブラジルから点を取るなんて無理。
雨あられの様に降るシュートに意地のセーブは続いたが、4点目が入った後の10分は、まるで生き恥をさらすがごとき地獄だったろう。
一緒に観戦していた家人は「見ていられない」と、寝室へ入ってしまった。私も萎えかけた。
でも見なきゃと思った。それでも選手達は、使命を全うしていたからだ。

こんな思いをする為に、彼等は辛い練習に、苦しい状況に耐えて来たのではないだろうに。
終了後のヒデの姿が、それを物語っていた。

引退とか言う言葉が聞かれているらしい。
8年前のフランス大会で世界とのあまりの差に、世界に出て世界を知らなければW杯では勝てないと、自分が世界を経験して他の選手にそれを伝えるんだと、イタリアにヒデが渡ったのは私ですら知っている。
仲良しクラブのような代表チームで一人浮いていたらしいし、宮本が間に入って苦労したなんて記事が、何週間か前に朝日新聞の一面に載っていた。
何もそんな記事を一面に載せなくてもと思ったが。
もし引退がほんとうなら、彼の絶望は自国の選手に対してであり、伝えられない事に対してなんだろう。彼は日本の選手としてしかW杯に出る道は、多分ないだろうから。
でも人間には、体で経験しなければわからない事がある。今回の完膚無きまでに打ちのめされた経験は、必ず彼等の体の隅々にまで染み込む。
次は違うと私は思う。
そして彼等が見せた、地獄のような時を、それでも真摯に戦った姿は、どんな絶望の中でも生き抜くべしと私には伝わった。数日前の本村氏の姿とも重なった。
苦境に立たされ人生を投げ出そうとする中高年に、そう伝わって欲しいと思う。
そして、人の命を救い守るべき医師を目指しながら、簡単に家に火をつけ家族を死にいたらしめた少年も、あと一日逃げ延びてこの試合を見るべきだったとも思った。
今は何も伝わらないかもしれないけれど。

6月22日アピア

2006-06-23 01:01:47 | Weblog
前々から楽しみにしていた、むさ苦しいことこのうえなしの魅惑の組み合わせ。
最初の方はほとんど聞けませんでした。ごめんなさい。


耕時

彼もまたアピア歴が長い。観たのは1年ぶりか。
そして彼もまた地道に成長している人だ。
パワフルな、というか破壊的なパフォーマンスの中に、きっちり言葉を伝えてくる。
まだまだ何かがぎこちないんだけど、随分自然体に近づいて来たと思う。彼がどう目指しているかはわからないが、私が彼に求めるのは‘自然体’なのだ。破壊的ながら自然体なステージ。何かの無理が感じられるのが、大分なくなってきたように思う。
それに反比例して‘良い顔’のパーセンテージが上がった。
7月28日に競演する。


カワカミアラタ

無事ぎっくり腰は治ったようだが、今度は二日前に足に何か落としたらしい。
アラちゃん厄年の真っ最中!
打ち上げで散々いじめてあげたので(チバ大三も少々荷担)、ここでは詳細を避けるが、彼は必ず大化けする男だと、再度明言しておこう。
しかし何とも気持ちのいいギター、そして声の持ち主だ。
ラストの「ちゃーちゃんの死んだ日」は、一昨日の本村氏の姿を彷彿とさせて、強烈にくるものがあった。
彼もまた、ライブの終わる頃、非常に良い顔になっていた。


チバ大三

やっと彼の事が書けるね!
私が勝手に戦友だと思っているチバ大三だが、彼の自己探求道は凄まじく、田中眞紀子は大分遅れを取っている。戦友であり続ける為にも、私も邁進せねばならない。
個を追究する‘独唱パンク’、バンド中心の‘骨肉なんとか’、マンガ「火の鳥」をモチーフにした‘ドラゴンへの道’等、彼はイベンターとしての才能も併せもつ。私も9月6日に独バンに出させて貰います。
しかしチバ大三のライブを堪能するなら、やはりアピアだ。
1曲目の新曲は、彼にはありがちのガナり過ぎ。ただし彼は必ず曲を成長させるので、どうも心境地らしいから今後に期待する。
2曲目の「I Stand Here」も、最初聴いた時は(確かCDで聴いたのが最初)、随分文句を言ってあげちゃったのだが、2年位歌い続けてここまで昇華させた。1曲目のガナりが効いたって程、めり張りが素晴らしい。照明も演出効果抜群。
ラストのリバイバル曲の時、彼もまた物凄く良い顔になっていて、このまま終わって欲しくないと思ったところにアンコール。俺が言ったとカワカミアラタが自慢していた。
そして「アピアママ」。絶妙でした!


なにしろ、これからサッカー観るから、取り急ぎご報告まで。
家が遠いと、こういう時に便利!これ携帯で打ってます。

今日は男前をたくさん見れて満足しました~!


悲しい成長

2006-06-21 02:16:20 | Weblog
昨日出た最高裁の判断。それに合わせて彼の7年間の歩みが各局で流された。

事件が起こった時、彼はまだ23才。今ですら、まだ30才だ。
なんと厳しい20代であった事か。

死刑にならないなら、この手で殺す。
損害賠償なんて求めてない。死んでくれと言っている。
23~24の若者が、同年の妻と11ヶ月の娘を殺されて、司法に裏切られて発した言葉の数々。

私もこの7年の間、折りあるごとに彼の姿をテレビで見て、彼の言葉を聞いた。
気の毒ではあるものの、正直、いただけないと思うことが多々あった。

そして今日、人として成長した彼の言葉をじっくり聞いた。
とても悲しく聞いた。
その成長が、悲しかった。

再審から結審まで、また7年かかったとしたら、彼はどう変わるだろうか。

「偶然はいつか必然に変わる」と言う言葉を得たと彼は語っていた。
その言葉に、彼は人生を生きていく支えを見出しているようだ。

彼が要求しているのは、人の死だ。
この後また時間の流れが過ぎた時、もし被告が死をもって償いをする事に決まったら、彼はもう一度、`他者の死’に耐える経験を味わわなければならない。

7年前の彼ならいざ知らず、今の彼を見るにその`将来の経験’は、あまりにも過酷だ。



一人ではできない事、一人でやるべき事

2006-06-20 03:47:56 | Weblog
先週の土曜日、Miss AとMiss Mと共に、友人Miss Tが出演するゴスペルのライブを観た。

Miss Tが初めてソロを一曲取る。初めて人前でまともに歌うのだ。
客席にいるこっちが手に汗握って緊張したぞ。

もちろん初めての体験、たどたどしいステージではあったが、実に感動的であった。
ここまで頑張ったのだ、ほとんど何も出来ないところから。
彼女が力を持っている事は感じていたけれど、それを自ら試していくという事はしないできた人だ。
それは別に珍しい事ではない。私の周りには`やりたがり’ばかりがウヨウヨいるが(笑)、そっちの方が珍しいのであるからして。
そこから、ある決意をして、自らを試す道をスタートさせた。

スタートさせてみれば、実は自分がいかに出来ないか、知らないかを思い知る事になる。それでもやりたいと自分を追求していくのは、どんな事でも辛い作業だ。
13年やっても辛さは続く。`辛い’を自分の中で`面白い’に変換していくんだ。それが続ける秘訣か。

この日、彼女のスタートを目撃した。人の前に一人で立つ事のスタートだ。
そう言っちゃ悪いが、そんなに若いわけじゃない。(笑、ゴメン)
でもだからこそ、余計に感動的なのだ。初々しさが重いのだ。
それまでの人生の色々を抱えて、その上でプライドを捨てて挑むからだ。
彼女のこの日の姿を、しっかりと受け止めたい。自分に取り込みたい。
そう思った。

ゴスペルの指揮をする女性シンガーが、一人では出来ない喜びを語っていた。
正直、みんなで楽しく歌ってて、楽しそうだ。ライブをやってるMiss Mと、羨ましいよねぇと話す。
前にゴスペルをやっていたMiss Aは、またやりたくなるなぁと言っていた。

その夜、Miss Xと密会!(笑)
だってホントに密会って感じの場所だったんだもん。
我々の世代が、それまでの経験と培った力を持って、さらなる新しい世界に初々しく挑んで行くことは、必ず何かのムーブメントになるよと話す。

一人ではできないと思う事はある。誰かと一緒なら何かが出来ると思う。
だから誰かと一緒に何かをやる。
そこには確かに喜びがある。

だけど、必ず誰かとは一緒になれない自分が頭をもたげる。
だから一人を始める。一人を確立させる。
そうして、いつでも一人でやれる力を持って、再び誰かと何かを一緒にやる。
そこには`一人ではできないから誰かと一緒にやる’のとは違う、確かな力が生まれると思いたい。

この日観たゴスペルのライブのように、形のあるものではないかもしれない。
でも一人で立つ事を知った連中が、ただツルむのとは違う、何か形のない力を増幅させていけたらと、形のない夢を持っている。

多分に、サッカーの影響を受けている。











うちの事、人んちの事

2006-06-19 23:59:44 | Weblog
夕べ、ついうっかりブラジルVSオ-ストラリアまで見ちゃったんだよね。
その時の実感!
同じサッカーの試合なのにさぁ、この違いはなんだ?

うちの事になると、一々大騒ぎよ。攻め込まれる度に、
「いやぁぁぁん! だめぇぇ!」
しかも歌ってる時みたいに、下腹に力入っちゃってんのよ。もー、見終わった後、くったくた!

くたくただったので、その後テレテレとチャンネルを変えていたら、始まっちゃったのよね、ブラジルVSオーストラリア戦。
人んちの事はなんて楽なのかしらー。ロナウジーニョの何あれ? おちょくり小技の数々。凄いというのか、楽しいというのか、馬鹿にしてるというのか。

それにしても上手い!サッカーとはこういうものだと言われちゃうと、日本の試合なんてさ、夏の昼間に甲子園の高校野球を見た後、夜プロ野球見てるみたいな、そんな感じ。

でもね、感動したよ。
川口のセーブで1点、ヒデのミドルシュートで1点取ったみたいな感動。
アナウンサーが言ってたみたいに、魂のセーブ、魂のシュートだったもん。
4年に3回しか見ない者としては、、
すいません、3回と既に限定しているところが、サッカーファンには失礼極まりないですね。
まぁいいや、4年に3回しか見ない者には、充分いいものを見せてもらった。
後は本人達のこと、つまらないタラレバで批判めいた事を言うのはもう止める。
彼らの夢の為に、あと一試合つき合おう。

でも4年に3回しか見ない私としては、できれば次の試合、中田と中村と小野と稲本が同時に出てるのが見たいんだけどぉ!
何で小野と稲本が控えなのぉ?怪我かなんか?
だって彼らって、そりゃもちろん彼らのサッカー人生の為でもあるだろうけど、日本が世界に通用する力を付ける為に海外に出てたんでしょ?それを証明する場所がワールドカップっでしょ?昨日の稲本のちょこまかした動きは、ロナウジーニョっぽくてサスガって思ったけどな。ワールドカップ経験者出してブラジルに玉砕ってんなら、私的にはすっきりするなぁ。彼らも年齢的に次があるかわからないしさぁ。
あと、後半いっぱい大黒君出してほしいの。
彼のすっとぼけた感じ、好きなの!

アハハッ!言ってるそばから批判めいた事してますね。


6月15日アピア

2006-06-17 04:31:43 | Weblog


私がスタジオに入った途端、弦を切ってしまったところに遭遇。
ガットギターというのは弦の張り替えが大変なの?
アピアのギターを借りて演奏一曲。それで終わってしまった。ちょっと残念!
なんというのかな、スペイン風というのか、結構素敵だったよ。タイミングが合えばまた聴きたいと思わせる一曲だった。


ニューヨーク

今日はギター&ピアノ同時演奏を2曲もやってくれました。
「血液さらさら」の詩編の曲はとても好き。
いつか「赤ちゃんが降ってくる~」(落ちてくるだっけ?)を生で聴いてみたいぞ!


浦邊 力

長くやっていく事の良さ。しみじみ感じさせてくれた。
1月だったか浦邊君が私のライブ聴いてくれた時、「歌い方変わりましたよね。前よりずっと良い」と言ってくれたんだけど、今日はそっくりその言葉を返したい。
随分久しぶりに聴いた彼は、びっくりする程良くなっていた。
浦邊君もアピア歴は長い。何度もブッキングしてるし、誰かのライブに行ったら彼が出ているとか、しょっちゅうある。でも私の印象の浦邊力はどっちかというとフォーク野郎で、エレキは初めて聴いた。最近モヒカン刈りにしてたのは知ってたのだが、ロック野郎だとは思わなかったな。
「いごこちが悪いのか」って曲、ギンギンに歪ませた音でやってたけど、びっくりする程かっこよかった。しかも歌がよく入って来て、これまたびっくり!ギターがうるさくなったのに言葉がきっちり聞こえる。一聴(?)うるさそうだが、実は丁寧に弾いて丁寧に歌っているっていうのか、バランスとか抑揚が良いというのか。
最後の「あぁ僕は、Oh,yeah」って曲、「いごこち」と共に随分長く歌っているけど、歌い込んで名曲になっていた。輝いて聞こえたよ。
ギターの音色がバラエティにとんだ分、とても華やかなライブだった。ころころ音色を変えてウザったい印象を受ける事があるけど、そうではなく逆に贅沢な印象を受けたのは、多分色んな意味で彼が追求を惜しまず続けてきた成果だろう。
私も頑張って続けて行こうと思った。


高橋よしあき

「よしあき」といえば最近は「村上」ですが。いまいち評判の良くない方と同名な御気分はいかが?(私の気持ち、わかってくれるかしらん?)
こちらはうって変わって超シンプルなアコギのみ。前の二人が色々な音色を出していたので、かえってシンプルさが良い意味で効いていた。アコギ一本でも色んな音が出せる。
終わってPA室から出てきたマスターに、開口一番「元気だね~」と言われていて爆笑!
はい、とっても元気なライブでしたよぉ。
元気だけど丁寧に歌っていた。私がアピアで観た彼の中ではピカ一の状態ではなかったか。アピアという場所を大分とらえてきた感がある。
残念なのはライブ構成で、3曲目の後、アップテンポの曲を一つ入れていれば、もっとメリハリが効いただろうというところかな。MCもなく、後半同じような曲調が続いてしまっていた。それでも飽きさせる事なく、最後まで聞かせ続けていたのはさすが!
ここにも長く続けてきた人の力が表れていた。


壷クンもニューヨーク君も、長く続ければきっと`良いもの’になるよ。
問題は、長く自分に興味を持ち続けられるかって事なんだけどね。





気持ち

2006-06-14 20:08:19 | Weblog
って、サッカーの選手は言う。
ヒディング監督が言うような「中田と中村さえ押さえれば」みたいな事は、素人の私にはわからない。
でも、試合における選手達の気持ちは、何か伝わってきた。

オーストラリア戦での日本の守りは、昨日も書いた通り芸術的に素晴らしかった。
美しいとさえ思った。
それは日本だけで成り立つものでなく、相手のオーストラリアの攻撃ががむしゃらに強く向かって来て、それに対して日本が必死で対応するという、双方の精神性が醸し出す美しさだと思うのだ。
それに比べて、日本の攻撃・オーストラリアの防御の場面では、それほど感動的なシーンは見られなかった。

シュートを打とうとする前に必ずもたついて、見ている私をイライラさせるのは、8年前の岡田ジャパンの時からちっとも変わらない。もー、打っちゃえよ!蹴っちゃえよぉ!って思っている間に、相手がわらわらとやってきて道をふさがれてしまうのだ。
ブラジルの選手とかなら、絶対、今、蹴ってるよな~などと、4年に3試合しか見ない素人が、素人チック思ってしまう。
が、どうも素人感覚でもないらしいよ。夕べのニュースで解説者が「とにかくゴール方向へボールを蹴れば、何かが起こる。ゴール方向へボールを蹴らなければ何も起こらない。」って言ってたもん。
そーだよぉ!

で、その時ふと思ったのだ。日本の選手は‘点を取ろう’としているんじゃないかしら?確実に点を入れる為にタイミングを計っている間に、タイミングを逃しているのではないかしら?
‘点を取ろう’とするのと‘シュートを打つ’っていうのは、意識の上で少し違うのかもしれない。
瞬時のプレーには、プロフェッショナルな確実性の上に、やはり何かの偶然性が加わって結果が出るんじゃないか。
もちろん超一流のプレーヤーは、偶然を確実にする力を持っているんだろう。日本の選手にだって、力はあるはずだ。
真面目すぎるんじゃないかしら?
いや真面目だから、あの芸術的な防御ができるわけだろうが、何か、ここって時に‘いいや、蹴っちゃえ!’みたいな思い切りというのか、不真面目さというのか、勇気というのか、そんなのがあってもいいんじゃないか…

そりゃあ、素人は知らないから何でも言えるさ。でも、あのレベルまで行くと、サッカーという範疇以外の、人共通の感覚にむしろ近いものに左右されたりしないかな。

実は和田某氏の盗作問題でも、同じような事を思ったんだけど。

2点目までは勝負の範囲だった。しかし3点目は屈辱でしかなかった。その屈辱感は選手達には物凄いもんだろうな。
でも、1-0で勝たなくて良かったみたくない?次の日の新聞で、中村クンのゴールはファールで、主審も試合中にそれを認めてたとか書いてあったし。あのまま勝ってたら、日本は何を言われてたかわかんないし。
とにかくもう1点以上、絶対入れるべきだったんだ。

オーストラリアにとって、あの1点は屈辱だったんだろう。それをバネに最後の猛攻があったんだろう。
日本もこの屈辱をバネに、次に挑んでほしい。

日本人は恥を嫌う民族だ。
それを上手く使えばいい。