田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

泣くなっ!

2007-09-30 00:21:46 | Weblog
当時、それが誰なのか、知るよしもなかった。

それは本当に短い映像で、時間にして数十秒ではなかったか。
ニュース番組に組み込まれた、現地映像の一部で、後にも先にもその時一度しか見ていない。
暗い、廃墟のような建物の中を、急ぎ歩を進める男性の歪んだシルエットに、ヒステリックに「助けてあげてよっ、ねぇ助けてあげてよっ!」と泣き叫ぶ女性の声がかぶる。
「泣くなっ!」
と、男性の、押し殺した激しい叱責。
どこにも焦点のあわない、揺らいだ建物内部がしばらく映って…
後は、覚えていない。
確か日本テレビ系列のニュースだったと思う。

アメリカが戦艦の上で、戦闘は終息したみたいな事を宣言した後、日本テレビで、報道関係者と視聴者を交えて討論する番組を放送していた。
戦争に対し、報道はどうあるべきかというような主旨だったと記憶する。
とある女性が、
「私はニュース番組で、戦場の悲惨な場面を放送して欲しくない。戦場の悲惨な場面は、戦場が悲惨だという番組で放送するべきで、ニュース番組で放送するべきではない。」
と語った。
その番組は実に冷静な、整然とした討論会で、誰一人感情を伴って‘熱く語る’ような事をしていなかった。
日本テレビの、よく見る顔のアナウンサーや、報道関係のスタッフらしき人々が、ほぼ全員顔を揃えているんじゃないかと思われた。
その中に、あの「泣くなっ!」と叱責していた人物ではなかろうかと思われる男性がいたのだった。はっきりはわからないが。
それならアンタは、その戦争は悲惨だという内容の番組を、見ないってことだなと、見ないで済むものは見ないで済ませたいってことだなと、ハラワタが煮えくりかえるような気分になっていた私からは、意外なほど平然とした顔であった。
現場でその残酷な場面をその目で見てきたあなたは、腹が立たないのか?
単純な私は、不思議な気持ちで、番組を見つめていた。

その頃は、むずむずと掻きむしりたくなるような沸き立つ感情の中にいたけれど、ある時、気がついたのだ。
「泣くなっ!」と叱責していたジャーナリストは、‘助けなかった’のだということに。

きーんと、心が冷たくなった。

押し殺した激しい叱責の声は、多分、確信に満ちていたと思うのだ。
それは何に対する確信か。
考えを深めていくと、「泣くなっ!」の意味を追究していくと、あまりの恐ろしさに思考が止まる。
あの「泣くなっ!」を、私なとが表現できるはずがないのだ。

キャンドルナイトの翌晩、ニュースで長井健司さんの写真と名前を見て、あっ!と思った。
その翌日の朝刊で、2003年の春、長井さんと一緒にイラクに入ったカメラマンのコメントが載っていて、それは女性名だった。
ネットでその女性カメラマンを検索したら、イラクで行動を共にした別の男性ジャーナリストの名が頻繁に出てきて、あの二人はこっちのペアかな、などと思い…

あの時の二人が誰であったか判明しても、それが何になるというものでもない。
あの「泣くなっ!」と叫んだのが長井さんであったかどうか、あまりいい加減な事はこれ以上は書けないが、今度の事件の報道の中で、兵士に撃たれる直前に彼は、デモで負傷した子供にカメラを向けていたと報じていた局があって、そこに「泣くなっ!」と同じ意味を感じ、あの「泣くなっ!」が長井さんの言葉でなかったとしても、もしあの時と同じ状況に長井さんがいたら、やはりあの女性を叱責したのだろうと、心臓を打ち抜かれてもデモ隊にカメラを向けようとしていた姿を見て思った。


「未明」を捨てるなどと書いた途端、こんなことが起こる。
私が「未明」を歌って、だからそれがそれこそ何になるんだというものだが、その恐ろしさに思考を止めてしまう代わりに、その思考のスタートラインに何度でも立つべきなのかもしれない。




闇のライブレポ

2007-09-29 00:30:19 | Weblog
事前に‘思ったより明るいよ’と聞いてたもんだから、もっと明るいと想像していた私としては、思ったより暗かった訳で。
前半三人を一番後ろの席で見てたんだけど、全く顔がわからないしさ。


一番手のGin Cry Baby君は二度目の競演。
あくまで真っ直ぐな純情ロッカー。
その真っ直ぐな言葉が、前回より真っ直ぐに入ってくるのは、どうもこの環境のせいらしい。顔が全く見えないのであるけれど、言葉が空間を制覇しているのだ。
いかにいつも‘顔’がステージを支配してるか、如実にわかる不思議な感覚。
弦を切っちゃって、どーすんだ?と思ったら、最前列にいた友人らしき人にギターを借りていた。あれはアピアに借りたんじゃないと思うな。詳細は暗くて不明です。(笑)


二番手、平井美穂ちゃんは、暗いのがとっても残念な可愛い子なんだけど、その透き通る声が突き抜けて、もうとっても心地良いのだ。
なんか、声を聞いているだけで幸福になっちゃうような…。
ギターもピアノも弾けて、多才でうらやましい。でも可愛いからギターの方がいいなと思った。
実は最近ピアノを始めたばかりだそうで。
もうちょっと顔を客席に向けたら?な~んて言ったって、この日は見えなかった訳ですが…(笑)


三番手はご存知テケタ氏。
アタシ的には衣装合戦を目論んでおりましたが、何しろ暗いので合戦といえるほどの見栄えはなく、お互い残念なことだったが、暗くとも抜かりなく着込んでいるのはわかったよ。(笑)
スカートはいてるのや、コンバースの紐を凝っていた事まではわかんなかったけど。
この日はガットギター。音がまろやかで、雰囲気抜群。

とにかく一番後ろにいたのは、‘見る’には間違いね。
でも音や言葉が空間を浮遊する感じは、いい場所だったかも。
いつもより音が良かったと、客席にいても歌っていても感じていて、後で聞いたら、やはり工夫があったらしい。


四番手のOnさんは、リハしか聞けなかったけど、リハで充分ヤラレてしまった。
掻き鳴らすビートに、言葉がガンガンと胸に突き刺さる。
本番が見れず、本当に残念!
ほぼ一番前に座っていたチバ大三氏によると、あの暗闇の中、デカい目ん玉がガッとなってて、すごく良かったとか。
次回ろうそくショーがある時は、前の方に座った方が良さそうだ。


まぁ、自分に関しては、昨日たっぷり書いたが、補足すると、何しろまず、リハが寒かった!(笑)
多分普通にクーラー付けてたんだろうが、本番のムードを少しでも出す為に非常に暗い照明で、日頃あの照明器具がいかに熱を発しているか、よ~くわかったな。
0nさんも弦を切って、頑固に暗闇の中で弦を換えたらしいが、チューニングがうまくいかないのか、ちょいと音痴なギターが掻き鳴らされる中(失礼!笑 でもそのチューニングが合ってないのも、彼の曲には良い感じに聞こえたりして…)、これまた頑固に蝋燭しかともしてくれない楽屋で、衣装に着替えるのに四苦八苦!かつらはちゃんとくっついているのか、どっかからなんか見えてないか、もう確かめる術もなく諦めてステージへ。
実はOnさんが座っていた椅子の片付け場所がなさそうなので、ステージにそのまま置いてもらい、リハでやったみたいに「NEEDS」の語りで座っちゃおうかと目論んでいたのだが、語りの出だしで噛んじゃったので、調子に乗るとヤバいと思い断念。
まりえちゃん、ゆのちゃんによると、その前の「踏み絵」がそーとー良かったらしい。そんなに良いならアタシだって見てみたいと思うがね。DVDなんて撮れるような明るさじゃないのさ。録音で聞いたってわかんないし、ピアノ、とちってるし…
昨日も書いたが、妙なトランス状態に落いってしまってピアノは青息吐息。やっとの思いで全曲弾き終わったらアンコールを頂いた。
ありがたい。
有り難いことだが、もうピアノ弾きたくないよぉ状態で、「はしばみ」にしようかと思ったが、あれ、長いので、結局「Tシャツ」にした。
客席の前の方で誰かがハモってくれた。
ありがたい。
有り難いが、あの時の私にゃ、激しい動揺なのであった。
あ~、いつになったら、そういう時「ありがとー!」とか言って、客席に手なんか振れる私になれるのかしら?
結局、我が精神状態は最後まで持たず、エンディングのピアノは破滅してしまいました。
本当にお聞き苦しい事で、客席の皆様には申し訳ないことをしました。
弾かなきゃ良かったなぁ、エンディング。
諦める勇気も必要よね。卑怯かもしんないけど。
いや、やっぱり弾いた方が良かったのかしら~。
う~ん、わからん。
あー、この世からあの時間を抹消したい!
14年間で、一、二を争う大失態であったのだわ。


田中眞紀子としては前代未聞の無残なアンコールが終わった後、これまたアピアとしては前代未聞な事に、なんとマスターがステージへ上がって出演者の紹介をしたのである。
ライブの主旨なんかも語っちゃったりして。
この日始めて、ステージ、客席とも照明が付き、出演者の顔が明らかになったのだった。


今までにないほど、真っ当にマスターに褒められたが、今までにないほどのミスをして、ミスというより演奏放棄に近いんだが、今の気分はというと、さして悔しくもなければ嬉しくもないという、フラットな感じ。
時間が経つにつれ「あんだけの失態があったから、パパは褒めたに違いない」などと、ひねくれまきこは思ったりするのであった。
要するに、プラス・マイナス・ゼロ。

以前に聞いた稲垣慎也の名言を思い出す。
「あぁ、また来月、最初からやり直しだ。」

あぁ、また15年目、最初からやり直しだよ。


随分長い補足でした。久しぶりにこんなに長いライブレポを書いたな。
何しろこの‘ろうそくショー’の企画を聞いた二ヶ月前から、悶々・悶々・悶々・悶々とし続けていたものでしから、お許し下さいまし。


最後まで読んで下さった、そこのあなた!
お疲れになられましたでしょう?
本当にありがとうございました。




曲がり角

2007-09-28 02:44:14 | Weblog
こんなところで公言したら後で怒られるかもしれないが、パパに「今までで一番ってくらい良かった」と褒められた。

「田中眞紀子の良さが全て出ていた」

これほど真っ当に褒められたのは、14年間で初めてだ。
そして、悩む私…



多分、随分前からわかってはいたのだ。
認めるのが嫌なだけだった。
嫌だったが、「キャンドルナイト」という、ある種の制約があるライブに出る事になって、嫌な`その事’をやってみる絶好の機会を得たのである。

その事、それは、`何もしない’事。
私が、或いは私の歌を知る人が、`これぞ田中眞紀子!’と感じている(であろう)曲を、1曲もやらないライブ。

「未明」も。
「米兵たちのイラク」も。
曲としての「平和の国のneeds」も。
「ハルノジダイ」も。
「ヒーロー」も。

いずれも肉体的にキツい曲だ。それもあって、また内容からもその曲と向き合うことは精神的にもキツい曲。
ゆえに、それらを歌い終えた時の自己満足度の高い曲。
相当M度の高い私が、自分を追い込むのに常に使用してきた曲。
それらを排除する。

ろうそくの明かりだけのライブと聞いた時、まず、そのムードを思い浮かべた。M度を満足させる曲々がそぐわないのは、容易に想像できた。
そして同じ`イベント’という事で、4月の`ピアノDAY’がよみがえり、あの時の、風邪をひいて声が出なかった時のライブを思い出した。
`あれを、万全の体調でやってみようか’
風邪をひいた状態では、あれは精一杯のライブだったが、それを万全の体調でやると、どうなのか。
8月末に、川上テルちゃんと話をした時、「何もしないっていうのも、勇気いるんだよねぇ」なんて言ってしまった。

つい先日カワカミアラちゃんが、けちょんけちょん攻撃を受けていた時、`歌に衣装を着せる’が話に出た。
ろうそくのムードに加えて、衣装で自分をがんじがらめにすることで、`何もしない’事を`精一杯’に持っていく。
そういう作戦を立ててみた。(笑)
で、衣装は2月の北千住ワンマンの時の、白雪姫とかシンデレラとか言われたアレにしようと思った。アレを着るのは結構勇気がいるんだが、だってやっぱり派手で恥ずかしいし、でも暗いはずだし、事前にステージの背景は白ではないと小耳にはさんで、決行を決意。

人に感想を言うのは簡単だが、言っただけの事、自分もしないとね。


で、現場はどうだったかというと。
リハで少し、ろうそくムードを味わわせてもらったんだが、妙なトランス状態に落ち込むのに気が付いた。
歌っている自分の世界に、どっぷりはまり込んでしまうのだ。
かなりの覚悟で本番にのぞんで、何だかいつもと全然違う緊張感の中にいた。

ある程度自覚はしていたが、歌う自分とピアノを弾く自分は、かなりの`別物’で、困った事に歌う自分がトランス状態に落ち込むと、ピアノが弾けなくなってくるんだな。
リズムの強い曲は、どちらかというとピアノを弾く自分がリードするが、この日選んだのはリズムがアバウトな曲ばかりなので、完全に歌う自分が勝る。ピアノを弾くモードがどんどん薄れていくので、自分が何を弾いているのかわからなくなっていく。それをコントロールできるような、第三の自分など、この日は存在しなかった。

全部アカペラにしたら、楽だろうなぁ。(笑)
次にろうそくショーに出る方、ご参考までに…(笑)

第三の自分…
そうだな、歌う自分がトランスしちゃうと、何を歌っているのかもわからなくなったりしたかな。
とにかく、何度も`ギクッ’と我に帰る瞬間があって、ステージの上ではかなり困っていた。(笑)
随分ピアノ間違えたし、随分噛んだし…(笑)
何もしないライブは、楽なはずだったのに、とっても大変な事になってしまっていたのである。
スタッフのまりえちゃん、ゆのちゃんに`鳥肌がたった’と褒めてもらったけど、鳥肌をたたせたのは私ではないと思うよ。(笑)
鳥肌たたせる程のことはしておらん!と自覚しています。
多分、音の良さとか、会場の雰囲気とか、あなた達の努力の上に私が`並’にやって、はまっただけだと思います、はい。



自分の重みを確認したいと思ったのは、そういう、いかにも田中眞紀子的と自覚している曲以外で、自分の歌がどれだけ体重がのっているか、どれだけ歌が衣装を着ているか、いわゆるアピア的課題(笑)をどの程度習得しているか、丸14年続けてきた事の記念に、確かめたかったのだ。
田中眞紀子的曲を外して、それがつまらないライブだったら、とことん私が`軽い’ことの証明になる。
また、そのマゾヒスティックな自分のライブへの要求を、自らに課さないとどうなるか、試してみたかったのだ。
だから、このライブに向ける気持ちとは裏腹に、準備は`楽’だった。
何が嫌だったか。
理想と本音は矛盾する。
「未明」なんぞを歌わなくても、つまりそういうマゾヒスティックなことを自らに課さなくてもいいと、証明されてしまう事。
なぜなら、常にライブは私にとってマゾヒスティックな行為であり、それに耐える事が自分にとっての`満足’になっていたからだ。
それは違うだろうと自分でわかっていながら、どうしてもM行為に走ろうとする自分を肯定していたかったのだ。


で、確認できたのは、楽なライブなんか無いって事でしたね。(笑)


私が田中眞紀子的と感じている曲を外して、マスターに「田中眞紀子も良さが全部出ていた」といわれるライブになったこと。
そりゃあ、困ってしまうが、実はそうなるかもという予感もあった。
正直に言えば、その予感が当たるのが嫌だったんだな。
田中眞紀子的曲がなくて、つまらなかったと思われる方が楽だ。
自分に対する考え方を変えずにすむ。
「未明」なんざ、捨てろって事になってしまう。
「未明」ったら、私のCDのタイトル曲なんだぞっ!
まだ在庫はた~んまり残ってんのにさぁ。

でもそういう事なのだ。
「未明」を捨てろと言うことなのだ。
私の次はそこにある。
自分のM度を満足させる`曲’を外せば`楽’をする事になるという予想が間違いだったのであって。
ライブは自分のM度を満足させる為に`ある’のではない。
ライブは自分のM度を満足させる為に`してきた’らしい私だが。
考えをそこに、ライブのあり方にシフトすれば、責任の持ち方が変わってくる。
「未明」を歌わないということではない。
M度を満足させる歌い方をしないという事だ。

理想と本音は矛盾する。
けれど、本音に寄りすがっている内は次には進めない。
M度の追求部分を、他にシフトすればいいのだ。
不安に耐えるというマゾヒスティックな行為に…



田中眞紀子は曲がり角にきているらしい。





明るい闇

2007-09-27 00:51:18 | Weblog
9月26日 アピア
キャンドルナイト

田中眞紀子ライブ セットリスト

1.夜の時代
2.死んじまいたい
3.踏み絵
4.平和の国のNEEDS(語り)
5.1分の魔法
6.素通り
7.ダイヤモンド

アンコール
Tシャツ


いろいろある。
いろいろあるが、終わってみれば、最高に楽しく、素晴らしい経験だった。

このライブを企画してくれたアピアに、そして一緒に体験してくれた全ての皆様に、心から感謝します!

ライブレポは後日ゆっくりね。

さあ、今度は独パンだ!

自分の重みを確認する

2007-09-26 03:14:02 | Weblog
ライブの前にこんな事は書きたくないんだな、ほんとは。
大コケした時にかっこ悪いし…(笑)
でも、この日に向けて、この日の企画が決まってから、ずっと考えていた。

自分の重みを確認する。

残念ながら、自分の軽さを確認する事になるかもしれない。
でもかまわない。
確認しなければ、わからない事だ。
次回のアピアは11月6日。
そこから15年目が始まる。
今日が、14年目最後のライブ。少しは体重の重い歌が歌えていたい。

昨日、もう、一昨日になるか、伴理やキノコの音楽に触れて、音楽を通じて本人に接して、あぁ、私は彼らの年代に安定と安全だけを望んでいたなと、何かを発したい、放ちたいなんて思ったこともなかったなと、ぼんやり思っていた。
安定と安全を勝ち取る手段は、人から認められること、高く評価されること。
それは自分で望んだ自分でありながら、人から望まれる自分でしかなかった。

「素直になれと言われて、また一つ心がこわれた」、、か。
キノコの言葉は痛いね。
その年頃の時、私は`素直なふり’しかしていなかったな。
素直なふりほど強靱な鎧はなかったし。
歌を歌うこと、歌を作ることで、本当に`素直’にならざるを得なくなったけど。

伴ちゃんの伴奏をする為に貰った歌詞カードには、音で聴くイメージとはかけ離れた、そう言っちゃなんでけど、平凡な日常の風景が文字の中に広がっている。
平凡な日常が、なんでもないことが、どうしてこうも`詩’に昇華できるのか。
自分の脳みその中の、そういう部分を全く鍛えようとしなかった若かった日々を悔やむ。

本当に素直にならざるを得ないことは、辛く苦しく、そして嬉しいことだった。
若い頃を悔いる気持ちは、いま、続けていく原動力にもなっている。

そうやって14年。
良い年月だった。
誰にも望まれない自分だが、確かに`そう居たい自分’は手に入れた。
日常においては…

非日常、つまりステージにおいては?
それを今夜やってみよう。
少しの勇気をたずさえて…

秋の夜長の独りごとでした。





キノコに大きな花束を!

2007-09-24 22:44:19 | Weblog
明後日、大勝負のろうそくショーライブだというのに、頭の中がぐちゃぐちゃだ!


10月11日歌激ライブに向けて、伴理との初練習。
しかし明後日のライブでのピアノが仕上がっていないので、その前に自分の練習。
伴ちゃんとの練習を3時間たっぷりやった後、高円寺に移動して、松浦キノコのワンマン観戦。たっぷり1時間半。
三つの音楽がぐるぐる頭をまわり、疲労したが心地良い。

意外にも客席満員で、高円寺におけるキノコの、ご本人もびっくりの人気を見せつけられたが、実に良いライブだった。
言うことなしである。
やっぱりコヤツは天敵だわい!


‘反戦’というテーマ、‘逆反戦’とでも言うべきか、ライブをやるにおいて芯になるものが出来て、彼なりの‘歌う意味’を見出だしたステージは力強かった。
若い子には珍しく、キノコの歌には‘感動’があるのだ。
パワーや勢いやセンスや可能性が‘良さ’である若者は割といるが、歌自体に感動を併せ持つ若者は、滅多にいない。
まぁ、私の感動のツボをつっ突いてくるって事ではあるが、故に‘天敵’なのだが、つっ突かれるのは多分、私だけではないだろう。
ひねた者が、そのひねりを歯を食いしばって真っ直ぐにしようとする時の、切ないパワーが感動をもたらす。逆反戦というテーマを得て、花開いたというべきか。

あ~、ムカつくなっ!
深読みしすぎの褒め過ぎだわっ!
今日のアタシは疲れてんのよっっ!


一緒に行った男子が「男は花なんかもらっても嬉しくない」って言うから、ちっちゃいのを持って行ったが、特大の薔薇の花束をあげたい気分です。
ムカつくが、本音です。


人が少なければ一杯(烏龍茶を)ひっかけて行くところであったが、ちょっと疲れてると、あまりの人気ぶりにさっさと退散。
お陰で、井上さんに先日の‘はしばみ’レポをちゃんと読んだのか、確認しそびれた。
読んだなら、なんかコメントしろよ井上先生!

自分の宣伝

2007-09-22 11:01:13 | Weblog
たまにはしないと、また、人の宣伝ばかりしていると知人に笑われそうである。


9月26日(水) 渋谷アピア
<キャンドルナイト>
開 演 PM6:50
料 金 前売1800円/当日2000円+ドリンク代
出 演 田中眞紀子・On・テケタ・平井美穂・Gin Cry Baby



にしても、暑い!
どういうことだ!
今回の衣装は、ある程度涼しいことを前提に考えているのに、また直前変更かしら?
または、多少の暑さは頑張ってこらえるか…
やだなぁ、そもそもローソクっつうのが、どんくらい‘暑い’か想像つかないんだよねぇ。
あんまり非人道的な状況にしないで欲しいわぁ、と切に願うものである。

んでも、やっぱり楽しみです。
みんな、遊びに来てね♪

ことりのうた

2007-09-21 20:57:25 | Weblog
9月19日 アピア

この日を最後に‘あやはことり’はしばらくアピアをお休みするそうだ。っていうのは、少し大袈裟かな?(笑)ライブを不定期にするとの事です。
年内はこれが最後らしいが、いいライブを見せて貰った。


昨年の1月に伴理とことりと私がブッキングして以来のつき合いになるが、その直後から私がブログなんぞを始めなければ、こういうつき合いもなかったんだろうな。
彼女は私が見たいと思うライブに頻繁にブッキングされていて、よく感想を書いた。最初は彼女がステージで、私がいるのを知っていて「田中眞紀子さんのブログに○○と書いてあったので…」と言い出したのがきっかけで、まぁその時は、そりゃあ全身の毛穴から冷や汗が吹き出すような恥ずかしさであったのだが、ことりちゃんは私がこうしたら?と書いた事をことごとくステージでやってくるのだ。だから次々と書かざるを得ない感じでね。
ただし、私が書いた以上に発展していくので、その成長ぶりには毎回舌を巻いてきた。
いつしか‘ついで’ではなく、あやはことりを見に行くようになった。

前回の時計荘303号室ユニットの時、バックの音楽に乗せて、思わず歌い出すんじゃないかと思ったシーンがあった。後日会った時、歌っちゃえばいいのにと言ったら、歌えないから嫌だと珍しく消極的なお返事だったんだけど、今回、同じシーンで、ほんの一声だが歌ったのだ。
ほ~ら、とってもいいじゃん!
あぁ、この詩は歌になるなと思った。今度は歌にしてごらんよ。全部でなくても一部分だけでも。きっともっと素敵なステージになるよ。
先日の三角関係の時も含めて、ここのところ感じたことは、存在感は圧倒的だが、どうにも30分持たない感じで、語りやパフォーマンスの他に何かもう一つ表現手段を身につけたらいいのにというものだったが、今回バックの力もあって、始めてアンコールしたいと思った。別にそれが‘もう一つの手段’ではないだろうが、小さなカリンバを踊るように鳴らして、うん、そうだよ音だよと思わせた。
実はドラムをたたくそうだから、色んなことを詰め込んで、ことりの部屋をもっともっと素敵にしていって下さいな。
新しいステージを、ゆっくり待っています。

可愛らしい衣装の裾から赤いヒラヒラレースが見えていて、そういうのが欲しいと言ったら、くれた。
ありがと♪


この日は他の出演者を含め、なかなか良い一日だった。
特に小川輝君は、空気感がふっくらと大きく、さわやかなのだ。
素直に成長して欲しい。
ことりにしても‘素直’なんだよね。
‘素直’って、武器としてはかなりデカいもんだ。
倍は生きてる私でも、ことステージに関しては、できうる限り‘素直’でありたいと思うんだ。
パパにクチゴタエなんか、しないもん。



生き抜く

2007-09-18 19:07:55 | Weblog
はちきれんばかりの三つの笑顔に注いだ、あふれんばかりの愛情の向かう先を、突然失った若い夫婦。
彼等が選択したのは、新しい命を生み出すこと。

それは彼等の精神のバランスを取る為?
三人の子供の命を奪った加害者への憎しみに、感情の全てを支配されない為?
未来を生きる為?

底知れぬ絶望から、出産の痛みと引きかえに‘希望’を生み出した夫婦の映像を見た。
生み落とした瞬間、大声で泣きじゃくった妻の心に去来したのは、過去三回の出産の痛みか、事故からそれまでの暗黒か。

川の中に落ちた車から、子供達を捜し出そうとしている時、
「絶対三人と一緒に生き抜くぞ!と思っていた」
という、一年前の事故当時の妻のコメントを、いまだに覚えている。

あふれんばかりの愛情の向かう先を取り戻した夫婦の間に、生まれた新しい命に、幸多かれと祈るのみです。

まぁ大変…

2007-09-17 03:20:16 | Weblog
職場で、大量の送付書類に、注意事項が書かれた付箋をパチンパンチとホッチキス止めしてたんだな。
そしたら、ちょっと抜けてる若い上司が、もう一つ付箋を付けなきゃならないのを忘れてて、‘え~?こんなにやった後でかよぉ!’と憤慨したりなんかしてた訳よ。さもオオゴトであるかのようによ。
そんな時、安倍さんの辞任騒ぎになってたんだな、世の中…


多分、安倍さんが辞めようとしないのは、松岡さんが自殺したからだと思ってたんだ、私。
在職中に閣僚に自殺された総理なんて、いないよね、確か。自分が殺したんだ、くらいのことは考えてたんだと思うんだ。だから途中で投げ出せないって、頑張ったんだろう。
若い彼に、それは荷が重過ぎたと思うんだよ。人一人の死がどんなに重いか。
それが種々の判断を誤らせたとしても、人としてしかたないんじゃないか?
小淵総理が在職中に亡くなった時、そりゃあ総理大臣が命懸けの仕事であるとはいえ、国の為に人一人死んでもいいのかって思った。
この前、「オーラの泉」に小泉孝太郎君が出ていた時、「父が総理を辞めた時、生きててよかった」って言っていた。
なんとなく今、安倍さんに対してそう思う。

なんかさ、戦死みたいな気がするんだ。
国家に殺されるってところが。

加藤紘一さんの家が放火された時、言論の自由に対する冒涜、卑劣な暴力的行為は許されないなどと報道されたけど、報道ほど圧倒的な暴力はないと思う。
まぁ政治家は、そのへん覚悟する必要はあるだろうけど。

安倍さんは、もういいよ。
普通に、いい人になればいいよ。
彼を可哀相だとは言わないが、これ以上、責任責任と彼を責めても、むごいだけで何も生まれない。何も進まない。
福田さんとか麻生さんとか、たぬき親父に任せればいいさ。


ところで、14日のアピアでは、小さな‘大変な出来事’が起こっていた。
報道の暴力と書いたが、こんなブログでも不特定多数の目にさらすからには、それを書くのも暴力かと思われるので、私の知り合いの方は、こっそり私に聞いて下さい。(笑)
まぁしかし、この日の金沢栄東はやたらハジけていて、リハでセッションしただけで大汗をかく始末。本番なんて、終わった後はぁはぁと肩で息をするくらい‘弾かされた’感じ。(笑)
はい、もう、こんだけ弾かして頂ければ、大満足でございます!

彼がハジけていただけではなく、私が二日前の朝帰りがたたっていたものであります。
やはり朝帰りは、いけませんね。ライブの二日前の朝帰りなんて、絶対やってはいけません。身の程を知らないと。

‘競演’のいたずらマニアちゃん、久しぶりに聞けて、楽しかったよ~!
あなたは私にとって、大好きなピアノシンガーです♪

「誰かの真似でしょ!」って曲。
真似したい。