当時、それが誰なのか、知るよしもなかった。
それは本当に短い映像で、時間にして数十秒ではなかったか。
ニュース番組に組み込まれた、現地映像の一部で、後にも先にもその時一度しか見ていない。
暗い、廃墟のような建物の中を、急ぎ歩を進める男性の歪んだシルエットに、ヒステリックに「助けてあげてよっ、ねぇ助けてあげてよっ!」と泣き叫ぶ女性の声がかぶる。
「泣くなっ!」
と、男性の、押し殺した激しい叱責。
どこにも焦点のあわない、揺らいだ建物内部がしばらく映って…
後は、覚えていない。
確か日本テレビ系列のニュースだったと思う。
アメリカが戦艦の上で、戦闘は終息したみたいな事を宣言した後、日本テレビで、報道関係者と視聴者を交えて討論する番組を放送していた。
戦争に対し、報道はどうあるべきかというような主旨だったと記憶する。
とある女性が、
「私はニュース番組で、戦場の悲惨な場面を放送して欲しくない。戦場の悲惨な場面は、戦場が悲惨だという番組で放送するべきで、ニュース番組で放送するべきではない。」
と語った。
その番組は実に冷静な、整然とした討論会で、誰一人感情を伴って‘熱く語る’ような事をしていなかった。
日本テレビの、よく見る顔のアナウンサーや、報道関係のスタッフらしき人々が、ほぼ全員顔を揃えているんじゃないかと思われた。
その中に、あの「泣くなっ!」と叱責していた人物ではなかろうかと思われる男性がいたのだった。はっきりはわからないが。
それならアンタは、その戦争は悲惨だという内容の番組を、見ないってことだなと、見ないで済むものは見ないで済ませたいってことだなと、ハラワタが煮えくりかえるような気分になっていた私からは、意外なほど平然とした顔であった。
現場でその残酷な場面をその目で見てきたあなたは、腹が立たないのか?
単純な私は、不思議な気持ちで、番組を見つめていた。
その頃は、むずむずと掻きむしりたくなるような沸き立つ感情の中にいたけれど、ある時、気がついたのだ。
「泣くなっ!」と叱責していたジャーナリストは、‘助けなかった’のだということに。
きーんと、心が冷たくなった。
押し殺した激しい叱責の声は、多分、確信に満ちていたと思うのだ。
それは何に対する確信か。
考えを深めていくと、「泣くなっ!」の意味を追究していくと、あまりの恐ろしさに思考が止まる。
あの「泣くなっ!」を、私なとが表現できるはずがないのだ。
キャンドルナイトの翌晩、ニュースで長井健司さんの写真と名前を見て、あっ!と思った。
その翌日の朝刊で、2003年の春、長井さんと一緒にイラクに入ったカメラマンのコメントが載っていて、それは女性名だった。
ネットでその女性カメラマンを検索したら、イラクで行動を共にした別の男性ジャーナリストの名が頻繁に出てきて、あの二人はこっちのペアかな、などと思い…
あの時の二人が誰であったか判明しても、それが何になるというものでもない。
あの「泣くなっ!」と叫んだのが長井さんであったかどうか、あまりいい加減な事はこれ以上は書けないが、今度の事件の報道の中で、兵士に撃たれる直前に彼は、デモで負傷した子供にカメラを向けていたと報じていた局があって、そこに「泣くなっ!」と同じ意味を感じ、あの「泣くなっ!」が長井さんの言葉でなかったとしても、もしあの時と同じ状況に長井さんがいたら、やはりあの女性を叱責したのだろうと、心臓を打ち抜かれてもデモ隊にカメラを向けようとしていた姿を見て思った。
「未明」を捨てるなどと書いた途端、こんなことが起こる。
私が「未明」を歌って、だからそれがそれこそ何になるんだというものだが、その恐ろしさに思考を止めてしまう代わりに、その思考のスタートラインに何度でも立つべきなのかもしれない。
それは本当に短い映像で、時間にして数十秒ではなかったか。
ニュース番組に組み込まれた、現地映像の一部で、後にも先にもその時一度しか見ていない。
暗い、廃墟のような建物の中を、急ぎ歩を進める男性の歪んだシルエットに、ヒステリックに「助けてあげてよっ、ねぇ助けてあげてよっ!」と泣き叫ぶ女性の声がかぶる。
「泣くなっ!」
と、男性の、押し殺した激しい叱責。
どこにも焦点のあわない、揺らいだ建物内部がしばらく映って…
後は、覚えていない。
確か日本テレビ系列のニュースだったと思う。
アメリカが戦艦の上で、戦闘は終息したみたいな事を宣言した後、日本テレビで、報道関係者と視聴者を交えて討論する番組を放送していた。
戦争に対し、報道はどうあるべきかというような主旨だったと記憶する。
とある女性が、
「私はニュース番組で、戦場の悲惨な場面を放送して欲しくない。戦場の悲惨な場面は、戦場が悲惨だという番組で放送するべきで、ニュース番組で放送するべきではない。」
と語った。
その番組は実に冷静な、整然とした討論会で、誰一人感情を伴って‘熱く語る’ような事をしていなかった。
日本テレビの、よく見る顔のアナウンサーや、報道関係のスタッフらしき人々が、ほぼ全員顔を揃えているんじゃないかと思われた。
その中に、あの「泣くなっ!」と叱責していた人物ではなかろうかと思われる男性がいたのだった。はっきりはわからないが。
それならアンタは、その戦争は悲惨だという内容の番組を、見ないってことだなと、見ないで済むものは見ないで済ませたいってことだなと、ハラワタが煮えくりかえるような気分になっていた私からは、意外なほど平然とした顔であった。
現場でその残酷な場面をその目で見てきたあなたは、腹が立たないのか?
単純な私は、不思議な気持ちで、番組を見つめていた。
その頃は、むずむずと掻きむしりたくなるような沸き立つ感情の中にいたけれど、ある時、気がついたのだ。
「泣くなっ!」と叱責していたジャーナリストは、‘助けなかった’のだということに。
きーんと、心が冷たくなった。
押し殺した激しい叱責の声は、多分、確信に満ちていたと思うのだ。
それは何に対する確信か。
考えを深めていくと、「泣くなっ!」の意味を追究していくと、あまりの恐ろしさに思考が止まる。
あの「泣くなっ!」を、私なとが表現できるはずがないのだ。
キャンドルナイトの翌晩、ニュースで長井健司さんの写真と名前を見て、あっ!と思った。
その翌日の朝刊で、2003年の春、長井さんと一緒にイラクに入ったカメラマンのコメントが載っていて、それは女性名だった。
ネットでその女性カメラマンを検索したら、イラクで行動を共にした別の男性ジャーナリストの名が頻繁に出てきて、あの二人はこっちのペアかな、などと思い…
あの時の二人が誰であったか判明しても、それが何になるというものでもない。
あの「泣くなっ!」と叫んだのが長井さんであったかどうか、あまりいい加減な事はこれ以上は書けないが、今度の事件の報道の中で、兵士に撃たれる直前に彼は、デモで負傷した子供にカメラを向けていたと報じていた局があって、そこに「泣くなっ!」と同じ意味を感じ、あの「泣くなっ!」が長井さんの言葉でなかったとしても、もしあの時と同じ状況に長井さんがいたら、やはりあの女性を叱責したのだろうと、心臓を打ち抜かれてもデモ隊にカメラを向けようとしていた姿を見て思った。
「未明」を捨てるなどと書いた途端、こんなことが起こる。
私が「未明」を歌って、だからそれがそれこそ何になるんだというものだが、その恐ろしさに思考を止めてしまう代わりに、その思考のスタートラインに何度でも立つべきなのかもしれない。