田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

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価値観戦争 夏の陣

2011-07-01 00:26:00 | Weblog
私は‘原発反対’じゃなくて‘脱原発’を良しとする。

反対運動というものは、実を結ばない事が多い。それより‘権利をゲットする’運動の方が勢いもあるし、それを得ることによる‘幸福’を夢見る事が出来る。
そんな話を、大阪でよしひで朗とした。

脱原発は権利ではないけど、‘それを得ることによる幸福’を夢見られる。
だから、こっちだ。

遠藤ミチロウ氏が‘戦争が始まった’と発言しているが、私も同じような事を考えていた。
ミチロウ氏がどういう意味で‘戦争’という言葉を使ったかは、明確にはわからない。
私の思う戦争は、こちらから仕掛ける‘非暴力’の戦争である。
‘脱原発’軍が‘原発推進’軍に、戦いを挑むのだ。

さて、非暴力というからには、相手をことさらに否定するのは精神的暴力に相当するので、なるべく避けなければならない。
なので‘原発反対’では戦法を間違うのである。
相手に何を要求して戦うのか、と言えば、、

価値観の変更

である。
つまりこの戦争、机の上でも戦えるのだ。



太平洋戦争が終わった時、日本人は二つの事に‘NO’を突き付けたはずだ。
戦争をしない事。
原爆を持たない事。
3.11は皮肉な結果を生んだな。
‘NO’を突き付けた二つの事のうち、事あるごとに否定の対象になった自衛隊の存在を、今、否定する人はいないよね。
自衛隊がいてくれなかったら、それでもこれほど早く復旧する事もなかったって部分はきっとデカい。
そして、いつのまにか雲の中に隠れていた原発の存在が、否定の対象としてクローズアップされている。

何もなくなった敗戦後の日本で、残されたのは人々の力だけ。復興の過程でその知能と技術は、大きなよりどころであったろう。
唯一の被爆国である日本が原子力を平和利用する、という方向に、知能と技術の使いどころを見い出したい誘惑に逆らえなかった事を非難するのは難しい。
そして経済は上り坂でなければならないという観念が、原発の存在を後押ししたんだろう。
我々はそれを享受した。原発を否定する権利はない。

しかし、結果は出たのだ。
間違いだったという結果が。
今、3.11で。

広島の平和公園で見た、あの言葉、
「間違いは繰り返しませんから」
それはまさに、‘今’の事じゃないかと思うんだ。
今、間違えちゃ、絶対駄目だ!



偉い人達の原発に対する考えを、よくテレビで聞く。
推進派の人が言うのは、原発が無くなると日本は衰える、という事。
いいじゃないか、衰えても。
滅亡するより。
原発は‘破滅’や‘滅亡’を伴うのだ。
衰える痛みより数倍強烈な痛みを、震災で味わったはずだ。あれ以上の痛みがあるとは思わない。

だから今、価値観を変えるんだ。
戦後、日本中が価値観を変えたように。
一度、出来たのだ。
出来るはずだ。



自分の立ち位置がわからないと先日書いたけど、悲しいほど、嫌になるほど、自分の立ち位置を表明する曲を、私は既に持っていた。
「平和の国のNEEDS」
経済を上り坂にする為、‘必要のないところに作ってきたニーズ’の積み重なった所に、空虚なふらふらの土台の上に、今、私達は立っている。
だから、本当に必要なもので出来た社会に、最低限の‘豊かさ’で満足できる価値観に変えるのだ。
世界一信仰を捨てるんだ。
この前‘敵’を知る為にスカイツリーの麓に行ったんだが、もう、こんなもの作っちゃって!って思ったよ。
そりゃぽっきり折れられたら、困るさ。
どれほどの必然があって作られたか、これからの地デジ以降を注視しようと思う。

それでも、スカイツリーは壊そうと思えば壊せる。ここをもう一度更地にする事は出来る。
けれど原発は、一度作ったら壊す事は出来ないのだ。
それが、何より間違っているのだ。
地球への冒涜なのだ。



3.11で、やっと戦後が終わらせられる機会が来たのだと思う。
終わらせなければならない。
その‘機会’にしなければならない。基地問題も含めて。
それが犠牲になった人達に、今、犠牲になっている人達に対して、安全な場所にいる私達が出来る最大の事なんだと思うんだ。
私は無知無学だし、細かい事はわかってない。
でも、日本で一番の、そして世界屈指の大都会である東京を含む地域が、福島原発抜きで大規模停電無しにこの夏を乗り切れたら、すべての原発は必要ないという事を証明する事になるんじゃないかと思う。
まずはそれを証明しよう。
事実を作り出し、実績を見せよう。
このクソ暑いのに、93%くらいでギリギリ通過してるらしいではないか。可能性は充分ある。
それが第一段の‘夏の陣’。

彼が都知事に当選した事も、東電の株主総会で脱原発が89%の反対で否決されたのも、がっかりではあるが、ここで絶望してしまったら‘脱原発’軍の負けなのだ。この失望をバネに、怒りを冷静なエネルギーに変えて、時間をかけて戦い続けよう。
沖縄の佐渡山さんが教えてくれたよ。
肩の力を抜いて戦うんだよ、って。
彼が向こう4年間の都政において、原発推進が出来ないような実績と世論を作り上げればよいのだ。そして4年後にひっくり返せばよい。
それまでに福島の原発事故が完全終息しているとは、とても思えない。風はこっちの軍に吹くだろう。

「テポドンが原発に落ちても大丈夫」って東電の人が言い放ったそうだが、笑っちゃったわ、ついうっかり。
もう、可哀想というか哀れだわ、むしろ。
都知事さんにしても東電の方々にしても、世界一信仰の最先端にいた人達なんだから、しかたがないやね。
彼らが日本を、こんなにも必要以上に豊かにしてくれたんだしね。
感謝をこめて、そして申し訳ないが、原発と共に第一線から引いて頂きましょう。

私達の世代以前が、天寿を全うして目出度くあの世に召された後、日本の人口が激減するんだから、将来的にはそんなに電気はいらないわよ。
そして今の若者達は、生まれてから一度も景気が良かった事がなくて、贅沢が出来ないそうだから、かつての日本人の慎ましさを取り戻してくれるでしょう。
だから、モーレツ社員経験者とか団塊の世代とか、私達みたいなバブル経験者とかが価値観を変えさえすれば、こっちの軍は勝てるわよ。
今、そしてこれから切実に欲しいのは、健やかな空気を胸いっぱい吸い、健やかな水を健やかな食べ物を安心して口に入れるという、そして愛する土地に安心して暮らし、愛する人達が健やかでいるという社会なんだから。
一番基本的な事が、一番幸福なんだって、うんと学んだんだから。
日本の経済は衰えても、日本人の知能や技術は相変わらず高いんだから、こないだ何かが世界一になったしさ、知恵を使えば今とは違う形の‘程よい’発展を目指せるさ。
この戦争、勝たなきゃさ!


という、早すぎる夏の夜の妄想でした。


で、節電の為、しばらく作文はひかえる事にしますね。
田中眞紀子の活動エネルギーとしては衰える事になるでしょうが、かまわないわ。
表現はパソコンの中でなく、ステージでするものだしね。
節電、ハマると段々楽しくなってくるな。
ちゃっちゃか電気消して回ったりとかさ。

ていうか、毎年この時期、身体的にキツい状態になるんだけど、今年あんまりキツくないので、どうしたのかと考えたら、冷房が弱いからだと気がついた。
キツい状態は第一段としては、私の身体と暑さとの関係性において第一波がくるのであるが、その第一波は来ちゃったんだが、その後冷房によって、キンキンに冷やされるのとカンカンに暑いのとの第二段で更に悪化するのが常であるのに、それがほとんどないので、楽らしいのだ、どうも。
ってことは、この方が快適、という事ではないか?
うん、勝つぞ、夏の陣!!



最後に告知。
次回、田中眞紀子ライブは、弾き語りソロで、9月14日(水)高円寺Mission’sです。
宜しくお願いします♪