田中眞紀子 ソロライブ
〈セットリスト〉
1.神隠し
2.平和の国のneeds
3.ハルノジダイ
4.素通り
5.ロッキングチェア
6.揺れる栄光
7.朱になれ
〈アンコール〉
死んじまいたい
久しぶりの`いつものアピアライブ´であった。
いつもの通り、渋谷アピアの裏のスタジオで声出しする為に桜丘に向かい、いつもの歩道橋を渡ると、あの桜はほぼ葉桜になっていた。
あぁ、今年は見なかったな、と、全然忘れていたくせに、そう思った。
去年は確か4月11日にライブをやったから、その声出しの際に、まだ少しは花が残ってたのを見たんじゃなかったかな。
久しぶりにジョナサンでも行こうかと思って、緑深いあの坂を上ったが、ジョナサンは若者で長蛇の待ち列。
私の感傷は無惨にも砕け散り(笑)、踵を返して坂を降りた。
しっかし、無くならないんだよなぁ、`かいどう´とか`一風堂´とか、角の煙草屋とか中華屋`南海´とか!
スタジオレッツも!(笑)
実は昔、渋谷エピキュラスでボーカルレッスンを受け始めたのだが、その頃からの変わらぬ風景なのだ。
私の歌人生は、この風景と共にあるのだ、過言でなく。
多分、渋谷アピアに出る連中の多くが、気合いを入れて渡ったであろう歩道橋と、南海を筆頭にした風景よ、渋谷アピアの分まで、最後まで踏ん張ってくれい!
ちなみに。
私は中華屋南海には、入ったことがない。
かいどうは、ボーカルレッスンを受けていた時のクラスメイトの男子たちと一度だけ入ったが。
その子達は当時、まだエリート大学の学生で、立派な企業に就職していった。もう40代前半だな。
あと何年かして、また楽器なんか持ち出して、親父バンドなんかやり出したりするんだろうかしら。腹立つなぁ(笑)。
ジョナサンを諦めて学芸大学に向かうと、あらあら、高架下が凄い商店街になっていてびっくり!
どうやら10日ほど前に開店したらしい。
素敵なお店が連なっていたが、周りの商店がつぶれたりしなきゃいいけど。
いつものアピアライブは、ボカスかにトチッて、まぁ面目ないことしきり。
そのわりに、あまり凹んでないというか。
「朱になれ」の途中で歌詞がわからなくなり、何度も繰り返して、やっと思い出して、そのループを脱出して何とか最後までたどり着いたという…
勿論悔しいし、恥ずかしいし、穴があったら入りたいくらいだし。
でも、まさに‘私の歌”であるあの曲を`諦めなかった´事が、妙に満足感を醸し出して…
そして2日経って感じている事は、あのせいかどうか分からないが、私はどうやらスランプを脱出したらしいのだ。
そもそも、あれこれ活動しているわりに、なぜ‘活動停止’という言い方をしていたかというとだ。
私の中の‘曲を作り出す卵’が、全く無くなってしまったからだ。
その卵に外部からの刺激が入り込んで来て受精し、それをじっくり私の中で育てて、曲として出産してきたのである。
まさに更年期世代の私には笑えない例えだが、いや実際、そういうのと連動して卵が無くなっちゃったのかしらと思ってたくらいなのだ。
私はシンガーでありピアニストであり、それを総じてミュージシャンと自称しているわけだけど、それらは結局は手段でしかなく、アーティストたらんとするならば、何よりもまず‘創造’なのであり、つまりはソングライターとしての自分が無くなれば、私にとっては活動の意味はなくなるのだ。
それは理屈ではなく、強烈にして絶望的な実感だった。
それが今、何やら私の中にボコボコと卵の輪郭が生まれてきているのである。
なんでしょ、このやたら夢と希望に満ちあふれた感覚は!(笑)
ライブ力が落ちているのは確かだ。
ここのところ、まとまなライブがてきたためしがない。
それも、相当デカいポカを連発している、
しかし、それらは取り戻せる自分だと信じるし、取り戻せなければ他の方法を考える。
それより‘卵復活’の方が、私にとって圧倒的に重要だ。
活動停止中に、様々な音楽体験を重ねている。
そして、現在、自分の生活そのものを立て直す事を画策している。
それを含めて来年の今頃は、ちゃんと活動再開していたい。
この日、懐かしい人達がたくさん来てくれてた。
それにアピア出演者達の同窓会みたいなことになって、楽しくって結局朝まで飲んでしまった。
それから‘藤原愛’という新しい才能とも知り合えた。
後日PAのまりえちゃんとメールしたが、私のライブの時、勝手に手が動いたと言ってくれて、涙が出るほど嬉しかった。
aoiちゃん、仕事休んで来てくれてありがとう!新潟で一緒にハジケようね♪
アオケン、試験勉強中にありがとう!また一緒にいいもの作ろう♪
スタッフのみなさん、次やる時は結構凄い事になっていたいと野望を抱いているので、宜しくね!
私の財産を実感できた貴重な一夜に、感謝!!
〈セットリスト〉
1.神隠し
2.平和の国のneeds
3.ハルノジダイ
4.素通り
5.ロッキングチェア
6.揺れる栄光
7.朱になれ
〈アンコール〉
死んじまいたい
久しぶりの`いつものアピアライブ´であった。
いつもの通り、渋谷アピアの裏のスタジオで声出しする為に桜丘に向かい、いつもの歩道橋を渡ると、あの桜はほぼ葉桜になっていた。
あぁ、今年は見なかったな、と、全然忘れていたくせに、そう思った。
去年は確か4月11日にライブをやったから、その声出しの際に、まだ少しは花が残ってたのを見たんじゃなかったかな。
久しぶりにジョナサンでも行こうかと思って、緑深いあの坂を上ったが、ジョナサンは若者で長蛇の待ち列。
私の感傷は無惨にも砕け散り(笑)、踵を返して坂を降りた。
しっかし、無くならないんだよなぁ、`かいどう´とか`一風堂´とか、角の煙草屋とか中華屋`南海´とか!
スタジオレッツも!(笑)
実は昔、渋谷エピキュラスでボーカルレッスンを受け始めたのだが、その頃からの変わらぬ風景なのだ。
私の歌人生は、この風景と共にあるのだ、過言でなく。
多分、渋谷アピアに出る連中の多くが、気合いを入れて渡ったであろう歩道橋と、南海を筆頭にした風景よ、渋谷アピアの分まで、最後まで踏ん張ってくれい!
ちなみに。
私は中華屋南海には、入ったことがない。
かいどうは、ボーカルレッスンを受けていた時のクラスメイトの男子たちと一度だけ入ったが。
その子達は当時、まだエリート大学の学生で、立派な企業に就職していった。もう40代前半だな。
あと何年かして、また楽器なんか持ち出して、親父バンドなんかやり出したりするんだろうかしら。腹立つなぁ(笑)。
ジョナサンを諦めて学芸大学に向かうと、あらあら、高架下が凄い商店街になっていてびっくり!
どうやら10日ほど前に開店したらしい。
素敵なお店が連なっていたが、周りの商店がつぶれたりしなきゃいいけど。
いつものアピアライブは、ボカスかにトチッて、まぁ面目ないことしきり。
そのわりに、あまり凹んでないというか。
「朱になれ」の途中で歌詞がわからなくなり、何度も繰り返して、やっと思い出して、そのループを脱出して何とか最後までたどり着いたという…
勿論悔しいし、恥ずかしいし、穴があったら入りたいくらいだし。
でも、まさに‘私の歌”であるあの曲を`諦めなかった´事が、妙に満足感を醸し出して…
そして2日経って感じている事は、あのせいかどうか分からないが、私はどうやらスランプを脱出したらしいのだ。
そもそも、あれこれ活動しているわりに、なぜ‘活動停止’という言い方をしていたかというとだ。
私の中の‘曲を作り出す卵’が、全く無くなってしまったからだ。
その卵に外部からの刺激が入り込んで来て受精し、それをじっくり私の中で育てて、曲として出産してきたのである。
まさに更年期世代の私には笑えない例えだが、いや実際、そういうのと連動して卵が無くなっちゃったのかしらと思ってたくらいなのだ。
私はシンガーでありピアニストであり、それを総じてミュージシャンと自称しているわけだけど、それらは結局は手段でしかなく、アーティストたらんとするならば、何よりもまず‘創造’なのであり、つまりはソングライターとしての自分が無くなれば、私にとっては活動の意味はなくなるのだ。
それは理屈ではなく、強烈にして絶望的な実感だった。
それが今、何やら私の中にボコボコと卵の輪郭が生まれてきているのである。
なんでしょ、このやたら夢と希望に満ちあふれた感覚は!(笑)
ライブ力が落ちているのは確かだ。
ここのところ、まとまなライブがてきたためしがない。
それも、相当デカいポカを連発している、
しかし、それらは取り戻せる自分だと信じるし、取り戻せなければ他の方法を考える。
それより‘卵復活’の方が、私にとって圧倒的に重要だ。
活動停止中に、様々な音楽体験を重ねている。
そして、現在、自分の生活そのものを立て直す事を画策している。
それを含めて来年の今頃は、ちゃんと活動再開していたい。
この日、懐かしい人達がたくさん来てくれてた。
それにアピア出演者達の同窓会みたいなことになって、楽しくって結局朝まで飲んでしまった。
それから‘藤原愛’という新しい才能とも知り合えた。
後日PAのまりえちゃんとメールしたが、私のライブの時、勝手に手が動いたと言ってくれて、涙が出るほど嬉しかった。
aoiちゃん、仕事休んで来てくれてありがとう!新潟で一緒にハジケようね♪
アオケン、試験勉強中にありがとう!また一緒にいいもの作ろう♪
スタッフのみなさん、次やる時は結構凄い事になっていたいと野望を抱いているので、宜しくね!
私の財産を実感できた貴重な一夜に、感謝!!