田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

こんにちはの季節

2009-06-30 00:37:14 | Weblog
真夏の始まり!
そんな先週の週末でしたが。
歯医者喪失の痛手を負いつつ神田をさまよった翌日、友人3人と共に炎天下の遠足に行きました。

憧れの、、、、


ジプリ美術館さっっっ!!


楽しかったよん♪
入場料は1000円と安いんだが、あれこれと散財。
赤ん坊はどうかと思うが、相当幅広い年齢層で楽しめる。
でも大人だけで行くなら、やっぱり平日に休み取って行った方がよさそうだよ。


腹立たしかったのは猫バス。
子供限定で、乗せてもらえなんだっ!
アタシ、結構楽しみにしてたのに、見るだけだったのら。
悔しいかったのら。


夕方から西新宿の高層ビル街の中地下みたいなエリアでイタ飯。
冷房が壊れてるとかで、むんむんの店内。
食後、店の外のベンチで夕涼み。
意外にも極楽スポット。
水を使った、なんていうの?オブジェみたいのがあちこちにある。


笑っちゃったのがね。
初老のご夫婦が連れた大きなシェパードが散歩してたのよ。
その子がそのオブジェみたいな池みたいなのの中に、じゃぶじゃぶ入ってっちゃうのよ。
気持ち、わかるわぁ。
暑いもんねぇ。


今年も半分終わっちゃったね。
凄く頭が疲れた半年だった。
7月7日のライブが終わったら2ヶ月の夏休み…
と思っていたら、佐渡山父さんから出動命令が出てしまいました。
今年も夏休みの臨時登校日有り。
ま、楽しいから、いいや!


7月からは、こんにちはの季節になるよ。
明日、アピア40の音出しのお手伝いをしに行ってきま~す。


さよならが多すぎる。

2009-06-29 11:23:14 | Weblog
マイケル・ジャクソンが亡くなった。
ファラ・フォーセットが亡くなった。
歯医者も無くなった。


あんまりショックだったので、電車賃を払って確かめに行った。
職場から電車で10分。昔から私はこの辺りで働いてたのである。
ビルの2階の窓にまだ医院名があったので、無くなったのは最近だろうと思われ、移転先が都内なら追っかけようと思った。
1階の店も無くなっていて、こちらにはビルの管理会社の`テナント募集´が貼られていた。そこに電話。
移転先はわかりますかと聞いたら、しばらく調べてくれた後、
「その医院は、廃業されました。」



廃業、、、

では、あのマスク美人の先生は、私の超個人情報を握ったまま、永遠に私の前から消えてしまったってことね。
何せ須田町歯科としか表示がなく、私は長年お世話になった先生の名前すら覚えてないのだった。
覚えてたってどうしようもないけど。


真夏の日差しがやってきたその日の夕焼けはやけに美しく、途方に暮れながら、久々に神田の街をぶらついた。
あれあれ、あの店も無くなってるわ。
10年も経てば変わるわ色々。


しかたないので、家から2分の所にある歯医者に行くことにした。
そもそも歯医者などにはあんまり行きたくないのに、益々行く気が失せる。
暑いしさ。
でも、こんなタイミングで、何となく歯が嫌な感じになってきた。


人生なんて、こんなもんだ。

望まれない歌  渋谷アピアラスト その3

2009-06-26 01:41:56 | Weblog
なんでこっちなんだろう。

打ち上げの輪を外れて、客席の一番後ろでアピアのステージや内装、その光景を眺めながら考えていた。
バーフロアでライブをやっていた頃の方が私も長いのだけれど、自分の気持ちの中で、圧倒的に`こっち’に執着しているのだ。

考えている内に、少しづつ答えが出て来る。

`こっち’が出来て確か2日目にライブ22をやった。余りにも無味乾燥な音にビビった記憶は鮮明だ。それが毎月ライブをするごとにどんどん変わっていくのを、身を以て体験した。ここが出来上がって行くのを感覚が覚えているのだ。
だから、アピア40の音に対しての不安はない。それは最初から全くない。
この人達なら、必ずゼロから最高の物を創り上げるのを知っている。

そしてバーフロアの方だった頃は、口をアングリさせていただけだったのが、こっちになってから非常に挑戦的になったんだな。
しいこちゃんと親しくなりだしたのは大きかった。アピアの中枢に食らい付くような感じだった。一方で佐渡山さんやチバ君に着いて行って、アピアの外にも積極的に出るようになった。
なんせ、引きこもりだったから。(笑)
引きこもりがパソコンにすがるがごとくに歌う事に頼っていただけだったのが、引きこもりのお布団から意を決して這い出したのがこっちなのだ。

ママを失ったのもこっち。
喪失感を埋めるような、飢えるような感じで積極性は度を増した。
外を知って、ここの素晴らしさを再度実感した。
ここが居場所で、ここがあるから外にも行ける。
ここでしかできないことがある。
「未明」はその象徴的な曲だ。
絶対作らないと思っていたCDを作りたいと申し出た。
全く興味なかったのに、こんなブログも始めた。
エレピ使って、立って歌ったりもした。
多分、私は`こっち’で`表現者’になったのだ。




ライブが終わって、突然誰とも話したくなくなった。
話をすると、`こと’が凄く小さくなってしまう。
話をすると、`うそ’がいっぱい生まれてしまう。
あの時は、どうしてもそれが嫌だった。
もし、集う人々に失礼があったとしても、きっとごめんなさいを言える機会があるだろう。
でも、この光景を見れるのは、これが最後だ。
そう思った。


ステージの向かって左、ドア側の壁にある骸骨に皮が張り付いたみたいな絵が3枚、これにはガラスが張ってない。
反対側の4枚くらいの写真にはガラスが張ってある。
これは、音の反響の調整の為にそうしてあったんだそうだ。
そんな風にして、アピアの音はあったのだ。


大分覚醒してきて(笑)小腹が減って、ちょっと食べ物をつまんでいると、何人かの人が寄ってきてくれて、話をした。
やっぱり`こと’は小さくなり、悲しいのに楽しい話をしたりする小さな`うそ’があったり。
でも、現実はそういうものだ。
ちっちゃい事を地道に繰り返し、お互いを思いやって小さな嘘を繰り返す。
でも、ここでは大事なことでは嘘は言わない。


そして衝撃の二つのセリフが私を襲う。
「向かう所、客無し!」
ブルーな私は、思いっきり笑ってその言葉を味わった。
「俺のカラダは望まれてるけど、俺の歌は望まれてないから。」
一気に現実に意識が戻った。


望まれてなくても、歌うのだ、彼は。
あれからずっと考えている。
私は?
勿論歌うよ。
迷いなく歌うと言うよ。
そもそも、望まれる歌を作ろうと思ったことは一度もない。
一曲もありはしない。
でもね。
望まれる`歌’を作ろうとは思わないけど、私は実は私が`歌う’ことは望まれたいと思っているんだと、気づかされた。



それは矛盾なのだろうか?
矛盾なんだろう。
その矛盾をやってるのが、アピアの出演者なんだろう。
そしてそこに矛盾がない人が、斉藤和義さんなのだ。
どのくらい意識的なのか、あるいは意識していないのかもしれないが、彼は望まれる歌を作り出し、歌いたいと望み、歌うことを望まれているんだ。
そのステージの`やり様’は他の出演者と変わりなかった。媚びも嫌味もなく、真摯に歌っていた。
それを言い換えれば、アピアの出演者はプロと並んでも全く遜色がなかったんだ。
でもミチロウさんが言うようにマグマが地を這うようにドロドロしていたのに反し、斉藤和義さんの歌は空を飛ぶようだった。
歌が私の身体に当たる、当たり所がまるで違っていた。



アピアは望まれない歌を歌う歌うたいを受け入れ、望まれない歌を受け留めてくれる場所ということなのか。
もしかしたら、そこで集客の話を展開させることもまた矛盾になるのかもしれない。
でも私は、私の歌が本当に`望まれない歌’なのかどうかを本気で試したことがないのだ。
`歌う’事を望まれたい私は、歌う歌が`私が望まれることを望んでない歌’しかないのだから、それを試してみるしかないのだ。
試してダメなら、戻る場所がある。
だから、試してみようと思う。





打ち上げの席の人もまばらになってから、私はステージに上がって少しピアノにさわった。
それは、お棺の中のママのお顔にさよならしたのと、少し似ていた。
どちらかというとね。
私の一方的な片思いのさよなら。
やっぱりこの子の鍵盤は女の子の顔だよなぁ、などと思っていたら、誰かが私の肩にグッと手をかけた。
振り返ると、紀さんの後ろ姿があった。



帰り際、パパに挨拶をしに行った時、ハグしながらパパは大福みたいな笑顔で、
「きっと、今まで見たこともないような、でっかいものを作るから!作ったり壊したりして、きっとやるから!」
などと言うので、結局泣いてしまった。


外に出て、いつもはあまり目に入らない「APIA」の看板を見上げた。
ここは私が来始めた頃からも色々と様変わりしたけれど、この胡散臭い感じの看板は一体いつからあるのかしら?などと思いつつ、最後の渋谷アピアを後にした。






望まれない歌  渋谷アピアラスト その2

2009-06-25 23:54:17 | Weblog
いつまでも あると思うな アピアと歯医者


14日の私のラストライブの時、競演した金沢栄東さんは、奥歯3本くらい入れ歯にしたと言っていた。彼はハープを吹くので、歯は死活問題。
歌っている間に歯が飛んだら、松下さん(マネージャーさん)が拾ってはめるのだと、シュミレーションをしていた。
そんな話をしたことは私はすっかり忘れていたのに、私の奥歯に治療途中の歯があるって話を覚えていて、歯医者に行かねばならんと諭された。
まぁ、なんだかんだと落ち着いて来たので、師匠の言いつけを守るか、と歯医者に予約の電話を入れたところ、信じられないコール。

「この電話は現在使われておりません。」

うそっ!
3回かけ直したが、同じ。

10年近く前に倒産した、勤めてた会社の近くの歯医者で、その会社に在職中から通っていた。マスク美人の丁寧な先生で、もし私が焼死とかしたら、歯形はここに依頼してもらうってくらいの、私にはここしかないってくらいの歯医者さんだったのに…
2年くらいサボっていたら、、、
なくなってしまったらしい。
どうしよう…



あの主体表現を持ってして、ロックンローラーが、ヘイ、エブリバディ、ノッテルカイ? イェイ!!てな感じだったんだと思う。
小池真司。
楽しそうだった。
「お前に青春はないのか、とか言われて…」
とか、牲捜がアピアパパを学校の校長先生と例えたのを受けて、
「特殊学級の…」
などと、確かによく聞こえないんだが、面白い事を言っていた。
最後の挨拶ステージで、小池さんが挨拶してる時、「もっと大きな声で話せ~っ!」とか野次ったヤツがいた。
小池真司に対してそんなフトドキなヤジを飛ばしたヤツは、一体どなたです?
見かけや歌からは想像がつかないが、小池さんはお茶目な人なのである。
スタジオレッツで練習もする。
レッツの受付で手続きしていたら、上の方から「こんにちは。」と声をかけられ、見上げたら小池さんだったりしたこともあった。
「レッツで何の練習をしてるの?」
と聞いたら、ンガ~、ブルブルっとライブっぽいことをしてみせてくれた。
「よかったら、みなさん、一緒に歌って下さい。」
と言って、`真昼の星空’を歌い出した。
あれ、ちょっと、一緒に歌うの、無理だった。



そのステージの最後に、火取ゆきが出てきて`祈り’を歌った。
一声で客席を制圧。
火取ゆき=しいこちゃんにはね、本当に支えてもらったと思う。
口をアングリさせて眺めていた人と、信頼できる友人になれたことに、実は私の頑張りはあったのだとも思う。努力し続け、挑戦し続ける私でなければ、彼女と友人であり続けることは出来なかった。それはイコール、今の私を創り上げたのだ。
ママ、マスターと共に、間違いなく渋谷アピアの屋台骨であった人。
最後の挨拶のステージで、父の日のお花を抱えてずっと大福みたいな笑顔だったパパが、ステージ上のミュージシャンと握手したり抱き合ったりしていた際、一瞬顔を歪めたのが、しいこちゃんと向き合った時だった。



斉藤和義さんがスペシャルゲストとして3曲歌った。
カメラも入ったし、スターだし、客席は勿論ノリノリではあったのだが、それなりの緊張があったんだと思う。遠藤ミチロウが出て来た時、客席全体が緊張から解き放たれ、物凄く安心した感じで盛り上がったのが、何だか可笑しかったな。
ミチロウさんもずっとニコニコしていて、歌ってる歌詞と顔が全くマッチしてなくて、この渋谷アピアのステージをとにかく楽しもうと、みんなに楽しんでもらおうと、その気持ちが溢れんばかりであった。
ミチロウさんにとっても実家が無くなるような感覚なんだろうな。
アンコールはなく、この日の出演者とスタッフを全員ステージに上げて紹介し、各自挨拶し。
「アピアの校長がマスターなら、教頭の石塚俊明!」
とミチロウさんが紹介した時、ステージ上の誰かが、
「あぁ~、言っちゃったよ!」
と、つぶやいていた。
そうねぇ。
教頭先生に成り上がったんだか、成り下がったんだか…(笑)
トシさんの言葉の重み。
それに触れるのも、アピアでの喜びだった。
若いミュージシャンが、打ち上げなどでトシさんと同じテーブルの隅っこ座って、一言もしゃべることなく食い入るようにトシさんの話を聞いていた光景は、渋谷アピアの風物詩の一つだろう。
で、理事長は、間違いなく、ママ。
理事長室が天国にあるので、アピアの教育方針は場所がどこへ移ろうとも変わることがない訳である。



ライブのすべてが終わった後、私はいきなり`なんにもしたくない病’を発症させてしまった。
それは自宅に帰ってから発症させなければならないものなのに。
自制が効かなかった。
多分に失礼があったかと思われます。
お許し下さい。











望まれない歌  渋谷アピアラスト その1

2009-06-24 02:26:45 | Weblog
ブログに書くよ、と許可を取っていないので、発言者のお名前は伏せます。
あの日、余りにも強烈だったので、その言葉が頭を離れない。
とあるアピア長期出演者の男性の言葉。
函館くんと集客の話をしていた時だ。
「俺はそんな事、考えない。」
と、彼は言った。
「俺のカラダは望まれてるけど、俺の歌は望まれてないから。」



渋谷アピア最終日の出演者は、それこTHE APIAと称せる人達。
ママがまだピンピンしていて、今は大福みたいな笑顔が売りになってるパパも、もっと愛想が悪くて、多分アピアが一番殺気だってる頃に最も強力なエネルギーを放っていた面々。
オマケの私まで出演者扱いして頂いたけど、この人達の中に私は入らないのである。
私はこの人達を、口をアングリさせて眺め続けていたのだ。
小池真司がMCでぼそぼそと`特殊学級’とつぶやいていたが、アピア学校においては、特殊学級生こそがエリートなのである。
この人達はエリート中のエリートといえるのだ。



強面とむっきりしたガタイで、会う度に耕時君はいつも優しく私の体調を気遣ってくれる。僕も弱いから、と言う。
自分の思いの重みでつぶれてしまう、ブラックホールのような小池真司を長男とするなら、兄弟の中で一番大人しくて優しい次男坊的耕時君は、1曲目から弦を切る。
おっ、耕時の弦替えが見れるぞ!
アピアで弦替えが早いトップ2が、耕時君と函館くんである。
弦を張ってから歌うまでが早い。もたもたチューニングしないのだ。そのくせ、さほどずれてない。
素晴らしい!二人とも!!
最後の曲で3本切った。
一番大人しくて優しい耕時君で、こんな感じです。
チバ君が自身の日記で記しているように、長年二人とも争うように飛沫を上げて吠えまくっていたが、それぞれの吠え方を体得して見せてくれて、人ごとながら、ちょっとした感無量であった。


出演順が狂うが先に書くと、跳ねっ返りの末っ子チバ大三のこの日の高いテンションの歌には、彼のこのライブに向ける緊張と熱い思いが込められており、それでいて、彼のエレキ音やファズがライブの流れの中で非常に気持ちの良いアクセントになっていた。跳ねっ返り感もね。ミチロウさんの言う通り、ドロドロした人達ばかりの中で、内容というか主旨はドロドロしているものの、笑いの要素を巧みに織り込む彼の歌は、意外にも清涼感があるのだ、この面々の並びにおいて。
オマケの私は元気良く気持ちよくピアノを弾き、ビロビロ泣くことなくまともにステージを務められて、思い残すことなく渋谷アピアを卒業することができた。
弾き終わってスタジオを出ると、物凄く普通に佐渡山さんがいて、変な感覚だったな。
そうね。私をアピアの外に連れ出してくれたのは、佐渡山さんの次にチバ君だったね。今、ちょこちょこと色んなライブハウスへ顔を出しているけど、意外な所で私ったら知られていたりして、それは明らかにチバ君=独パンの力だ。
アピア歴13年の彼は、この日の出演者の中で一番新人とのこと。
で、かわいい末っ子という訳です。




青木マリ。牲捜。火取ゆき。
ペルメージレコードを立ち上げた時に出たCDは、確か我が師匠金沢栄東と南正人、そしてこの3人娘。
この3人の内の誰かとぶち当たって、アピアのエネルギーの渦の中に巻き込まれてしまった出演者は、当時、相当数いただろうね。
CDを出した記念に、3人とも石塚俊明とデュオで競演するという3日連続のイベントがあったんだ。その時に初めて青木マリを見た。
ついでに言うと、そのイベントがきっかけで火取ゆきと石塚俊明の今に至るまでの競演が始まったのだ。他の2人は、その時限りだったと記憶する。
初めて見た頃の青木マリは、女ミチロウ的イメージだった。
`天使がピストル自殺~’のあの歌、あんな歌詞、あそこまで歌ってしまっていいのか、いいんだと、私は大いに刺激を受けたものだ。私が敢えてかなり突っ込んだ歌詞を書こうとするようになった、明らかに影響を受けた人だ。
家出娘が子供産んで戻ってきたみたいな… と最後の挨拶のステージで言っていたが、以前にもここで書いたけど、戻って来たら、本当に女帝になる。



牲捜を初めて見た時、顔の可愛らしさと歌の迫力があまりにもチグハグで、奇異な印象を受けた。
この人には影響されなかった。
あまりにもすっ飛んでいて、私としては影響されるまでに至らなかったという事だ。
だが、3人の中で一番CDを聞き込んだのはこの人。
この人のメロディライン、言葉のかみ合わせ。
サビメロを下降ラインに持っていく感覚は、どうあがいても私の中には生まれなかった。
アピアパパに、`この人ほど言葉に体重の乗った歌い手を自分は知らない’と言わしめた歌い手である。
チバ君のライブの後が彼女で、チバ君と共に外のモニターで見たが、「牲捜だねぇ」と、チバ君。
そう、それしか言いようのない、圧倒的な独自感は他者を寄せ付けない。
例えそれが「今日の日はさようなら」であってもだ。
やはり、口をアングリさせて見つめるしかないのであった。



向かう所、客無し!

2009-06-22 00:56:46 | Weblog
渋谷アピア最終日語録

「今日の出演者は、みんなドロドロしてますねぇ。僕らも頑張りましょうね。」
byミチロウさん&トシさん


「日本人の最後の奥ゆかしい言葉を思い付きました。」
最後のステージ挨拶で、ベロベロに泣きながらのSESO、その後絶叫。
「ばんざ~い!ばんざ~い!ばんざ~い!ばんざ~い!ばんざ~い!」
貧血で倒れる人が出るほどの、うだるような満員の客席、総万歳。
ステージ上から見たけど、そりゃあ凄い光景でございました。



6月のイベント、ほぼ連日大盛況のようでしたが、イベント全出演者の中で唯一集客ゼロを記録した函館くん。
「オレは、向かう所、客無しだから!」
彼は地方のライブハウスでワンマンをやったら、満員だったそうです。
お互いに頑張ろうね。
(この件をブログに書くこと、本人の許可を得ております。函館くんにも愛読して頂いているそうで、嬉しいです。)


チバ君のピアノ弾き終わって、スタジオの外に出たら、佐渡山さんがいた。
びぃ~っくり&超嬉しい。
最後までいてくれるよね、って約束してライブ終わったら、いなかった。
人があんまり多かったからね。ごめんなさい。
23日、ライブ行きます。
ありがとう~!

2009-06-21 14:47:07 | Weblog
去年も雨だった。
悲しい知らせがあった日。
一年後の同じ日に、こんなことになるとは、その時、想像もしなかった。
来年の同じ日、私はどんな風になっているかしら。
何年後かの同じ日が、過ぎた事に気が付かないような一日ならば、それは幸せといえることなのかもしれない。

確かなのは、これから訪れるどんな6月21日も、私は音楽を愛しているということ。

渋谷アピアの最後の日を過ごしに、行ってきますね。

弾き納め

2009-06-20 03:30:56 | Weblog
昨日の日記のコメント欄にレイクが書き込んでくれたけど、テルコちゃん、嫁入り先がみつかりそうだそうです。
`アローンへ移動!’作戦が不発だったので(笑)、今度は「テルコちゃんをアピア40に連れて行って、ピアノ2台を店の売りにして商売しろ」作戦で迫ってみたりしていましたが、、、
大切にしてくれる方の元で、たくさん弾いてもらえるなら、こんなに良いことはありません。
よかったよかった!!

でも、本当に弾き納めになっちゃうのね、21日で。
やっぱりちょっと悲しいな。
弾かせてくれて、あらためて感謝です、チバ君。
ママが苦笑いするくらい、ぶっ放しましょう!!

ここんところ、毎日がそうなんだろうけどさ。
ほんと、21日は瞬きしてらんないね、レイク!
涙が出るとしたら、そのせいだね♪

私、次の日、休み取って、準備万端!!





ヘビーな未来

2009-06-19 07:04:45 | Weblog
最後の渋谷アピアを終えて、気持ちも段々落ち着いて来た。
いや逆か?
落ち着いてなどいられない感じだな。
一昨日MK会の定例会をやったが、鼻息荒くやる気の塊であるバカが3人も集まると、話があっという間に盛り上がる。
その日欠席したヤツが、話を具体的にしろとか言いやがるから具体的にしてやったら、いきなりヘビーな未来が私に襲いかかることになってしまったのだった。


私の夏休み期間は、栄東さんの日にちが早々に決まってくれたので(9月11日予定)早々に決定しました。7月8日から9月10日です。
この期間は、ライブしませんからねっっ!
えぇ、しませんともっっっ!!
いい加減、疲れたわよっっっっ!!!
ついでに宣伝しとくと、7月7日(火)に私のライブがアピア40であります。
宜しくね!


で、9月以降は月に2回しかライブを入れないぞっ!という今後の方針を貫くと、既に来年の3月くらいまで、ほぼ埋まりつつあるという…



渋谷アピア。

あとは卒業式を迎えるだけだけど、チバ君からのオファーで、21日に1曲、テルコちゃんを弾かせて頂けることになりました。
なんかこの前は、はからずも心ここにあらず状態で終わっちゃったので、チバ君のおはからいに感謝!
もう1回テルコちゃんとお話しして、ありがとうをちゃんと言って、ちゃんとサヨナラしてきます。
そんで、おやつ持って、こっそりお弁当も持って(→アピアの食料の在庫が切れるのは必須である為)、卒業式を楽しんじゃうんだぁ!



6月14日アピア

2009-06-15 03:00:31 | Weblog
田中眞紀子ライブ

〈セットリスト〉

  1,平和の国のNEEDS
  2,夜の時代
  3,未明
  4,米兵たちのイラク
  5,朱になれ

 アンコール
    死んじまいたい


終わりました。
まーた、やっちまったけどぉ♪
みんな、ありがとう!
今、すごい幸せ~(笑)。


なんたってヘビーな1日。
13時30分リハ開始。呂律が回らない。
もう前日から全然集中力がなくてダメダメ状態。
「米兵」最悪。
栄東さんは12弦持ってきたけど、リハでギターが全く聞こえず、くるっと振り向いて彼の右手を見ながら弾く。
佐渡山さんの時みたいだぁ!(笑)
前日から集中力がないと、13日の竹内紀さんが言ってたって、まりえちゃんが言う。
きっと同じ気持ちだったんだって、嬉しいやら悲しいやら。
本番前にちょっと買い物に出ていたら、なんとその間に紀さんが来て、私にお花を置いていってくれた。嬉しいやら寂しいやら。
誰か紀さんに、私のお礼の気持ちを伝えてよぉ~。
連絡先、知らないのよぉ~。


4時から本番スタート。
リハでマスターがMCをしろと言うので、珍しくNONOちゃんが喋っていた。彼女いつもMC全くしないから。
梅原ヨシヒロさん、涙が出るほど懐かしい。彼の静かなボサノバやシャンソンの世界は憧れだ。

前半終了後ジョナサンへ。
私はずっと、どのライブの前もジョナサンに行って腹ごしらえをしていた。
はっと気が付いたら、それも今日が最後じゃないか!

ガッツリ喰ってアピアへ戻り栄東さんのライブに突入。さぐりさぐりって感じで、あんまり良く弾けなかった。だってさっきピアノさわってから6時間近く経ってるんだぁ!
と思ったけど、ライブの後、今日のが今までで一番良かったなどと栄東さんに言われた。
そうかなぁ。
でもピアノ弾かせて貰えて、コーラスで声出して、自分の前に大変助かった。

私の本番PM9時30分。
リハから何時間経っておるのじゃ。
でも「平和の~」は言葉間違えたけど、リハみたいなカミカミではなかった。
「米兵~」も渾身の力を込めて切り抜けた。


で、やってしまった訳だ、ほっとして。


「朱になれ」の、だからそんなMCはしなきゃいいのにママの話なんかしちゃって、1番のサビ前で言葉がふっと消えちゃって、ちょっと横を向いて体制を整えてマイクに向かった途端、どばぁっと涙が出て来ちゃったのであるな。


泣くのはもうしかたがないと思っていた。家で練習してても泣くし。
こういう時はお決まりのアンコールがあるからさ、泣きながら歌う練習とか(笑)していたのだが、本番中の「朱になれ」のこんな早い段階で泣き出すとは想定外で、そりゃあその後大変で、何だかその場でとんでもない作詞作曲をして、とにかくどーにかこーにか終わらさなきゃと孤軍奮闘したのである。
で、どーにかこーにか終わらせて、また先月と同様、えんえん泣きながらスタジオの外に出たらば、なんとまぁ優しくも残酷なお客様達からアンコールが来るではないか!
こういう時はしないでくれるのが普通だろうがっ!!

で、泣きながらステージに戻って、お客さんに文句を言って、蚊の鳴くような声で「死んじまいたい」を歌って、私の渋谷アピア最後のライブは終わったのであった。


まぁ要するにだ。
歌いながら泣く、泣いて歌えなくなる、というのは、ステージ的には`失敗’状態でさ。
でも私の意志の及ばないところで泣いちゃう訳だから、本番中である以上、その状態でステージを成立させる義務が生じる訳で、先月のワンマンで、それこそ思いがけずその状態に陥ってしまい、えらくしんどい思いをしたから、5月でそうなら6月のライブでそうならないはずがなく、またあのしんどい思いをしなくちゃならんのかと、この1ヶ月非常にナーバスになっていたのだ。
案の定そうなっちゃったが、でも今日はとっても爽やかである。
もうこの思いをしなくていいのだから。

きっと優しい人は「失敗なんて思わなくていいよ」って言ってくれるね。
でも師匠の栄東さんには「大トリは泣いてはいかん!」とお小言を言われた。
「大トリは貫禄がなきゃいかんのだから、泣いてはいかん!!」
でも、頭をいい子いい子してくれました。(笑)
そういえば、栄東さんがアピアの客席で私のライブを聞いてくれたのは初めてで、一番前に座られて、緊張してヤダったなぁ(笑)。

珍しくパパがハグハグしてくれて「今日の`米兵’は体重がかかっていて絶品で、僕は泣いたよ」などと褒めてくれるのだった。
カミカミするのを、フンジバって切り抜けただけなんだけど。
先月の方が良かったと思うんだけど。
褒められるのは嬉しいけど、褒められる時っていつも全く実感がない事がほとんどで、結構それは寂しいことだよなぁ。


でも、これで、私はやっとアピア40を受け入れられる。
希望を持って、次の事に挑んでいける。
それが、とても嬉しい。

パパは`次’の話しかしない。
パパこそが、どんなに辛いかしらと思うのに。
でも、パパの中できっちり終わらせようとしているんだ。
終わらせることで、次はスタートする。
終わらせることの方がエネルギーがいるんだし。

人生の、色んな局面にさらされている人達が、私の周りにたくさんいる。
その人達の苦しみ悲しみに比べたら、私のこんな事、全然大したことじゃない。
ライブで泣くくらい、なんなのさ!取るに足らないにもほどがある。

だけど、これが私の人生だから。


さぁ、汚れた気持ちを洗い落として
乱れた心を整理して
大切な物はちゃんとしまって
いらない物は思い切って捨てて

明日は一日眠ってさ
渋谷アピアからアピア40に生まれ変わろうかな





私はここが大ッ嫌いでした

でもここがなければ生きていられないほど

私はここにしがみついていました

渋谷アピアは私に人生を与えてくれました

ありがとう