田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

今年はお世話になりました。

2006-12-31 03:19:00 | Weblog
そもそも、こんな形で年末のご挨拶をすることになるなどと、昨年の頃は全く考えてもいなかった。
今年一番の変化は、この`パソコンの前に長時間正座する’という生活の変化でしょう。
それなりに大変、そしてそれなりに楽しみました。
私のような者の日記でも、毎日誰かがアクセスしてくれていて、誰かが自分に興味を持ってくれてるって嬉しい事です。案外頑張ってしまいました。
ライブレポなんかで、失礼な事、傷つけてしまうような事、書いてるんじゃないかとも思うんだけど、嫌な思いをさせてしまった方がいらしたらごめんなさい。自分では精一杯の誠意で書いてるつもりなのですが。また、人に言った事は全部自分の事につながるので、自分の勉強の為でもあるのです。
来年はどんな年になるのかしら。なるべく積極的に行動しようと思います。
もう充分引きこもりましたから(笑)!
また日記に、そして何よりライブにつき合って下さいね。

さぁ明日、新年が明けて午前2時過ぎ、アピアのステージに立ちます。
ツアーの効果が何か出ればいいけど、それこそそんなに早く効果が出る訳ないね。
でも、何だか今までと違ってステージを楽しめそうな予感。ま、そうは問屋が卸さないのがアピアですが…(笑)
気が向いたら遊びにいらして下さい。明日は夜中も電車走ってます。紅白終わってからも私のライブには間に合いますよ。(笑)
お会いできる方とは、年末年始のご挨拶はその時に。
お会いできない方には、この場を借りてご挨拶。
どうぞよいお年をお迎え下さい!

沖縄の海のようなギター

2006-12-30 06:41:33 | Weblog
ツアーで出合った言葉たち。忘れないように…


その1 「表現は重いものです」

大阪創徳庵の女性スタッフさんの言葉。ごめんなさい、お名前を忘れてしまいました。
CDが重いよぉって話をしていて、帰り際に言われた。
そうか、この荷物の重さは、私の表現の重さなんだと、表現の重みを抱えて移動しているのだと、その後から思うように頑張った。
と言っても、翌日はおおかた岸田さんに持って貰ったし、段々コロコロキャリーバックの操縦の仕方が上手くなったり。(笑)
最終日も荷物の数は同じだったが、CDとお土産じゃ重さが明らかに違ったな。



このツアーは、日ごろ関わりのある人達の、今までの活動の蓄積に支えられてもいた。

火取ゆきさんが大阪でライブをやった時のお客でさとまん夫妻が来ていて、岸田さんと意気投合したらしく、その親しさが暖かい空気を作ってくれた。
京都には、大阪でライブハウスをやっている‘じょにい’君が来てくれていて、彼からチバ大三や夜士郎の名前が出てくると凄く嬉しくて、遠方へ来ている感じがしなくなったし、高橋よしあき君とも知り合いらしい。そもそも、じょにい君を一目見て‘仲間だ!’と思ったりしたんだ。
‘ピンクのぶた’仲間の‘じゃぱ’も来てくれた。彼女は初めて私の歌を聴いてくれたんだよね。
それから昨年2月に京都に来た時に知り合った皆さん。
こうやって何日か眠り続けて元気になってみると、もっとお話ししたり、もっとありがとうをちゃんと言ったりすればよかったと、後悔ばかりだ。絶対次を作らなきゃと思うのだ。



その2 「俺の顔、踏み抜いて~!」

岸田さんが「踏み絵」を気に入ってくれて。
そう言われても困るがね(笑)、なんか妙に私のツボにはまってしまった。



その3 「沖縄の海のようなギター」

名古屋で栄東さんから頂いたお小言の中の一言。
「俺は佐渡山さんの、沖縄の海のようなギターをもっと聴きたいぞ」と。だからそのギターを「活かすようなピアノを弾かなくてはいかん」と。
これを聞いた時、思わず泣きそうになったんだ。
未だそういう事ができない、自分のいたらなさが情けなかったり、物凄く疲れていたのに、厳しい事を言われて悲しくなったりという感情は否定できない。
けれど日がたつに連れて、噛み締める様に私の中で反復するのは「沖縄の海のようなギター」というフレーズなのだ。
何だか目や耳からウロコが何百枚も落ちたような、感動的な言葉だ。今までそんな事を言ってくれた人はいなかった。栄東さんならではの耳なのだ。
あぁ、それを実践すべく松戸でピアノを弾きたいと翌日思ったけれど、疲れている事で余計な力が抜けてそれが出来るということもある。そしてそれでは意味がない。自分の意志でそれができなくてはならない。
佐渡山さんははっきり言わないけど、そうやっていきり立ってピアノを弾いてしまう私を甘やかしてはいけないという事を、栄東さんは佐渡山さんに伝えたんだと思う。



このツアーで私にとって最も有意義だったのは、栄東さんやマネージャーの松下さんにお客さんとしてライブを聴いて貰い、忌憚のない意見を言って貰えた事かもしれない。また、佐渡山さんやマネージャーの善子ちゃんが私のライブをまともに聴いてくれたのも初めてなのだ。
何年もかけて、近しい、親しい間柄を築いてきたけれど、実は今回初めて田中眞紀子の全貌を知って貰えたのである。これが田中眞紀子の全部だというところを、やっと見て貰えた。ようやく全てで判断して貰える。
この事は私には非常に大きい。

それほどに、私はこのツアーで、出来る事を全力で全てやったのだと思う。
その意味で満足だし、きっと次につながって行くと確信するのだ。

厳しい!

2006-12-29 04:18:49 | Weblog
ロイホのハンバーグセットはかなり私を元気付けたが、やはり車酔いが余計であったようで、節々のだるさが食事では抜けなかった。

ライブハウス`58月’。ゴヤムーンと読む。木造りのとてもすてきな小屋だ。身体をほぐすのにちょっと大きな声を出させてもらったら、天然リバーブがかかる。

京都のライブは完全に私が仕切っていたので(笑)、名古屋は佐渡山さんに進行を考えて貰った。
ここで用意されていたのはエレピ。いつもアピアで使っているエレピとほぼ同機種だったので楽器本体には問題なかったのだが、スタンドが弱く打鍵の強い私が弾くとぶっ倒れそうになる。この状態だと、できるのは組曲「未明」だ。元々バスの中で車酔いする前に「未明」がいいかって事にはしていたんだが、現場に来て確信した。

しかし…

身体というものは人によって違う。ツアーにおいて身体の状態がどうなるかは各人各様だろう。
確かに車酔いが余計ではあったが、リハにおいて全く身体がコントロールできないのだ。このコントロールの出来なさは初めての経験だ。身体というより意識が緩慢なのだ。で、勝手に身体がピアノを弾く。ここ何日も本番でピアノを弾いているから無意識でも弾ける感じなのだ。でも気持ちが弾いていない。2日前の京都での`テンションの高いリハ’とは、私の中がまるで違っていた。あの時は意識と身体が一体となって高揚していたのに。
多分、これがツアーにおける私の身体の状態なんだろう。
やれない事はないだろうが、こんな状態では絶対やりたくない。
厳しい。これが私の体力の限界なのだ。
このリハで、翌26日の松戸での佐渡山ライブのサポートは断る事を決めた。
元々体調が良ければ参加するということだったし、後日聞いたところ、ライブの98パーセントが`うちなーぐち’でのライブだったらしく、`東京んちゅう’の私は出なくて正解だったようだ(笑)。
翌日もあるという負担を無くして、今日この日に全力を傾けよう。余力など残す必要はない。このライブで全部を使い切ろう。
何しろ金沢栄東が客としてやってくるのだ。腑抜けたライブなんか絶対できない。
誰が来るかで態度が変わるなんていうのはやっちゃいけない事だけど、栄東さんに私のライブをお客さんとして聴いて貰うなんて事は、彼と知り合って7年、一度もなかったし、これからもそうそうある事ではないだろうし、その気持ちはライブに良い効果をもたらすだろう。そう思った。


25日ゴヤムーン セットリスト

<佐渡山豊ソロ>

<佐渡山豊&田中眞紀子セッション>

<休憩>

<田中眞紀子ソロ>
組曲「未明」

<佐渡山豊&田中眞紀子セッション>


リハが終わってから本番までの間、佐渡山さんの旧友のミュージシャンが何人か楽屋を訪れた。その方たちとのお話で、佐渡山さんのソロの曲はどんどん変わった。
会場やお客さんの雰囲気によって曲を変えるのは当たり前という栄東さんの言葉がよぎる。
私のソロの番。
ステージに一人座った時、あぁ違うと思った。これは組曲「未明」のムードではない。しかしこの状況では私としては変更不可能であったのだ。
京都の後半では、例のイタリアの方々のおしゃべりに対抗しようと、なんのMCも入れずにいきなり「未明」を歌いだしたが(結局危惧に終わったが・笑)、この時は「長い曲だ」という事をたっぷりと断りを入れて歌いだした。
それでも、その時の空気に無理やり「未明」を押し込んだ感じになってしまった。それが証拠にCDが1枚しか売れなかった(笑)。買って下さったのは、さっき佐渡山さんに挨拶に来た伊藤孝雄さんというミュージシャンの方だけでした。ありがとうございました。
だけど、歌う私の状態は非常に良かったんだな。全く迷いがないのだ。言葉が音楽がすべて確信を持って身体から出て行く。これがツアーの状態の良い部分なんだろう。が、歌い終わった時には気力を全部使い果たしてしまったみたいになって、すぐに佐渡山さんを呼び込む予定だったんだけど、急遽1曲ソロで歌ってもらった。


ライブが終わってから栄東さんに二人で挨拶に行った。なんか妙に照れくさくてさ。栄東さんは楽しんでくれたらしく、飲むつもりのなかったビールを3杯も飲んじゃったそうだ。
佐渡山さんが席を外した時、まずは今日は良かったと言ってくれたんだけど、その後たんまり厳しいお小言を頂いてしまいました。はい。
後で同じようなことを佐渡山さんにも言ったらしく(主に私のことです)、翌日のホテルでの朝食時、二人で反省会になってしまった。
ただ、私の「未明」については「あれは面白かったよ」と言ってくれたので、なんとなくほっとした。
1月にまたすぐアピアで会えるね。


もっとやりようがあったかも。
少し後悔の残るライブになったが、準備なども含め次はもっといいものにできる。
素敵な小屋だし、また来たいと思った。
ご来場下さった皆様、組曲「未明」に付き合って下さって、ありがとうございました。今度はもっと色々な曲を聴いて頂こうと思います。その時はどうぞ宜しくお願いします。
準備して下さった山田さん、とおるさん、本当にお世話になりました。
今度は名古屋の美味しいもの食べさせてね、とおるさ~ん!


なんにしろ、私の体力ではバス移動はNGであり、もう少し余裕のあるスケジュールにしないとなと思う。やはり遠方まで来て後悔が残るのは嫌だしね。
でもツアー、やって良かった。
うん!










イヴ?

2006-12-28 09:20:01 | Weblog
もう28日、年の瀬も押し迫ってますねぇ。
私、26日の夕方には無事帰宅致しております。関係して頂いた方々、お世話になりまして、本当にありがとうございました。

帰ってから今まで何をしてたかって?
死んだように眠っておりました、はい。


大阪から電車で京都に着き、ホテルに荷物を預けて、バスでわからん屋に向かった。
バスに乗った頃から頭がフラフラしてきた。寝不足と疲労の為だ。大阪の街を歩き回ったりするから自分が悪いんだけど。しかも15分位で着くはずだったのにひどい渋滞で、30分以上かかったかしら。岸田さんと大阪のライブの感想なんかを話していたので、なんとか気は紛れたが…
これ以上遅れるとお店に悪いという事で一駅前で降りて歩いたが、可笑しかったのが、さっき歩いた大阪の商店街とこの京都の商店街では、人が歩く速度が違うのだ。大阪ではとっととっとと人の波が動いて行くのに、京都はみんなのんびり歩いて行くのである。急いでいたのでちょっと困った。(笑)

わからん屋に着いて、まずはコーヒーを飲ませてもらった。美味かったなぁ。やっぱりコーヒーだなぁ。
だいぶ元気になってリハを開始。自分の分をやっている間に佐渡山氏が到着。
「えらいテンションが高いなぁ。」と佐渡山さんに言われたが、ここでテンションを上げずしてどうするというのだ!まぁ、さっきまでの頭フラフラが無くなってしまったのは、自分でもびっくりだった。

本番が終わり、CDが随分売れて、サインとかしながら、だんだん頭フラフラがやってくるのを頑張って我慢していたが、もう午前1時を過ぎているというのに打ち上げもう一軒て話になった。私ももう少し京都の皆さんとお話ししたかったんだけど、わからん屋の階段を降りた所で足腰が崩れそうになってしまい、私だけはタクシーに乗ってホテルに帰った。タクシーに乗った時は疲労で泣きそうだったね。
で、ホテルに帰って、歯を食いしばって風呂に入り、(これ、わかる? 風呂に入るって体力使うんだよ~)ベットに入って、そして結局24日中うつらうつらし続けて、ほとんどベットから出れなかったのだ。
佐渡山さんやマネージャーの善子ちゃんが心配してメールくれたり電話くれたりしたのを全部無視。無視っていうか、電話やメールのベルがなんだか別世界の事みたいで。
夜の10時くらいにホテルの精算をするために起き出して、ついでにコンビニに寄ったところ、やたらケーキが並んでいるのを見て、あぁ、今日はクリスマスイヴだったなぁと思い出した。


翌25日、京都駅のバスセンターで佐渡山さんと待ち合わせ。「病院にでも行ったんじゃないかって心配したんだよ」と言われてしまった。
正直病院に行くような元気は無かったね。(笑)
バスに乗ってしばらく、例のイタリア人グループの話とかライブの評判とか話をしていたのだが…
京都から名古屋まで高速バスで向かっていた。バス移動という話を聞いた時、栄東さんみたいだなぁと結構嬉しかったんだ。バスが街中を走ってるときは何でもなかったし。ところがバスが高速を走り出してから、やってきてしまった、車酔いが!
私、ほら、明るい引きこもりでしょう? 高速バスなんか乗るの15年振りくらいなの。で、自分が車酔いする事を忘れていたのだよ。
せっかく楽しく話をしていたのに、気持ち悪くなっちゃって、しかたなくリクライニングして寝るはめに。まぁ、前の日にサンドイッチとサラダくらいしか食べてないし、ホテルの朝食はパンだけで、たんぱく質を全然取ってないのも敗因の一つだろう。いや、食べてたらもっとゲーゲーだったかもしれん。

名古屋に着いて、現地の佐渡山ファンのトオルさんが迎えに来てくれた。
だが、ここも車!お腹減って気持ち悪いんだか、車酔いで気持ち悪いんだか。
ようやくライブハウスの近くまで来て、ロイヤルホストに入って昼食。美味かった。五臓六腑に染み渡った。
しかし、今回のツアーで一番美味い食事がロイホというのは、悲しい限りである。
土地のものを賞味できたのは、大阪のたこ焼きのみという事になる。


確かにツアーは観光ではなかった。
私にとって、旅の途中からはひたすら疲労との闘いであったような気がする。

熱い!

2006-12-26 15:05:56 | Weblog
23日わからん屋 セットリスト

<佐渡山豊&田中眞紀子セッション>

<佐渡山豊ソロ>

<田中眞紀子ソロ>
1.愛してやるさ
2.ハルノジダイ
3.死んじまいたい
4.ダイヤモンド
5.踏み絵
6.平和の国のNEEDS
7.1分の魔法

<休憩>

<田中眞紀子ソロ>
組曲「未明」

<佐渡山豊ソロ>

<佐渡山豊&田中眞紀子セッション>


とにかく、今回のツアーが決まってすぐに練り上げ準備した、渾身のセットリストであった。
そもそもは私にツアー話が来たものに、私が佐渡山さんにかんで貰うよう持ち掛けたライブだったので、集客的にも内容的にも、絶対に成功させたかったのだ。
お蔭さまで大変な盛況で、こちらが目指していた状況が実現した。
まずは関係して頂いた皆様に、心から御礼申し上げます。


私のライブに関して。
ちょっと問題が起こった。最前列のテーブルにいた4人のイタリア人のグループが、私のライブ中ずっと、こそこそ話し続けていたのである。
これには正直まいった。食事も出るライブハウスだったので、音楽を聴きながら楽しく歓談しているのだろうと思ったが、「踏み絵」とか、特に後半の「未明」とか、音数の少ない曲でその状態だとかなり辛い。前半はそんな事を危惧しながらライブを進めていたので、動揺を押さえられずにいた。
着替えながらの休憩中は、この状態で「未明」を進めていくにはどうすればいいかと、かなりピリピリしてしまった。
ところが後半の「未明」に入った途端、ピタリと話し声が止まったのである。どうカットしようかと考えていたから、これまた戸惑ってしまったが、きっと前半はつまらなかったんだろうと思い直して、思い切って全部やってしまった。
ライブ後、全体として少し長かったんじゃないかとの声を頂いたので、やっぱり前半はつまらなかったんだろうとその時は納得したが、実は4人の中の1人がジャーナリストで、別の日本語が堪能な1人が、私の歌をずっと通訳し続けていたと知ったのは、翌々日のことだった。ライブ後に彼等から「前半と後半で、なぜあんなに内容が違うのか」と問い合わされたので、やっぱつまんなかったんだーと思ってたんだが。(笑)
そのジャーナリストさんは、日本で耳に入ってくる歌には、こんな時勢なのに全くプロテストソングがないのは何故だと訝っていて、佐渡山さんのお知り合いが佐渡山さんのライブを勧めて、それで来て下さったんだそうです。結論としては私の歌にも関心を持ってくれたようで、動揺したのはしんどかったが、嬉しいことだった。


佐渡山さんはやはりライブ巧者であった。
前半の自分のソロを短めに切り上げたり、後半の「未明」の後、ステージの上で楽譜をめくりながら充分に時間を取り、そして歌い出した歌でお客さんに声を出させたり腕を振り上げさせたりと、私の「未明」で固まっていたお客さんの体をほぐし、やはりそこの部分も切り上げて、色々な意味でめり張りをつけてくれたのだ。お陰で最後まで、私の感じではお客さんを飽きさせる事なく3時間のライブを終えることができたと思う。

なにしろ、拍手が大きくて細かいのだ。客席からやってくる空気が熱い。実はそのことにも動揺していた。(笑)

田中眞紀子のCDは、この日よく売れた。
サインしたり着替えたりバタバタしていて、お客さんとゆっくり話ができなくて、それが残念だった。マイミクもふえそうだ。ネット上でこれから親交を深めましょう!(笑)そして絶対また来たい。また会いたい。またやりたい。
集まって下さった皆様、本当にありがとうございました。


ツアーが決まってから2ヶ月、目指し練り上げ準備したこの日のライブは、大成功だったと言えるだろう。成し遂げた幸福に浸りつつ、激しい疲労で、ライブハウスを出た後、腰が砕けて倒れそうになった。

グリコ様

2006-12-25 15:17:41 | Weblog
大阪のホテルは異常に暑かった。自室で温度調整ができないんだ。
東京からの移動とライブの高揚で、全く眠れなかった。まぁ想像していた事だ。ツアーに出る事の第一の不安は、睡眠が取れないだろうという事だったから。なんつーか、気絶できないんだよね。脳みそ動かさないようにしてたけどね。しょうがないやね。

栄東さんがホテルのバイキングランチが食べたいと言うので、お付き合い。今回の関西ツアーを企画してくれた岸田さんと4人でお昼を取ったあと、栄東さんは広島へ。25日に名古屋で再会することを約束して別れた。


またこのまんま大阪をあとにするのは悔しいよなぁ、つう事で、岸田さんに「グリコ見たいよー」とおねだりしまして、はい、連れて行って貰いましたぁ!
えー、何線に乗ってどこの駅で降りたかとか、説明して貰ったけど全然わかんないというか覚えてないけど、降りた駅から物凄く長いアーケード商店街(心斎橋ってとこ)を通り抜けた。中野のサンロードに似てると言ったら「全然ちゃう!」と岸田さんに言われた。まぁ中野よりはずっと天井が高いし、「駅4つ位続いてる」そうだ。ただなんとなく、横道とかが中央線沿線ぽかったのさ。

で、アーケードを抜けそうになった時、何だか見覚えのあるでっかい雪印マークが見えて来た。そして…
おー、そのお隣りにいらっしゃいました!
グリコ様!!
やっとお目にかかれましたわ!

感動!って程でもなかったけど、案外がっかりしなかった。こういう場合、結構がっかりするもんだけどね。
雪印とグリコと後いくつか、ビル全面広告の建物が並んでいたので、何となく秋葉原みたいだなと思ってアキバに似てると言ったら「全然ちゃう!!」と岸田さんに言われた。

アーケードを抜け切った辺りに変なガラスボードが立っていて、その下が中途半端な工事中状態。多分こういうのを‘けったいな’って言うんじゃないかと思うんだが、そこが阪神が優勝した時に飛び込む橋だと言われても「何が橋だ、川は何処だ」と思いつつ、そのけったいな物を渡り切ったら川が見えたのでなるほどと思った瞬間、私の目に飛び込んできたのが黄色い観覧車だった。
なんだあれはっ!
そう、それはドンキホーテであり、そしてまぎれもなく観覧車がビルの上を回っているのだ。多分その存在を知らなかった私が常識知らずであるのだろう。グリコに対する感動がイマイチであるのは、後から衝撃を受けた観覧車の存在の為と思われる。そしてアキバとは確かに全然違うね。

かに道楽も喰い道楽おじさんもちゃんと見たよ。道頓堀というのは、全ての看板が派手で個性的だねぇ。アキバも派手だが、もっとのっぺりしている。こっちはデコボコ立体的なのだ。こんな派手な通りをひょいと曲がると、夫婦善哉とか水掛不動とか古風なたたずまいが一瞬あって、また現代的な地下商店街が広がった。わけもわからず岸田さんの後をちょこちょこ付いて行って、私の記憶に残ってるのはそんなイメージ。
前回物凄く美味くて、今回も是非食べたかったお好み焼きが食べられなかった。そんな話を岸田さんに道すがらしていたら、それならと、その地下商店街で会津屋の元祖たこ焼きというのをを食べさせてくれた。
ありゃー、美味いわ!
プチッとした皮の中からアツアツのトロっとした液体が出てきて、最後に歯ごたえのあるタコが残るのだ。固まってないんだわ、たこ焼きが。
このミニ観光で一番幸せな出来事でした。
とにかく大阪に来たという実感があったね。僕の方が若いらしいからと、余計な一言を言いながら重い荷物を持ってくれて、私の我が儘に付き合ってガイドまでしてくれた岸田さんに大感謝です!


さあ、そして、いざ京都へ!
本番はこれからなのだ。

重い!

2006-12-25 00:59:37 | Weblog
重いぞCD!
コロコロキャリーバックが、非常に頻繁にエンストを起こすので、行動が一々トロくなるのだ。

新幹線は早い。
案の定、前夜は全然眠れてないから、新幹線で睡眠補充をと思ってたのに、あっという間に名古屋。新大阪まで1時間もないから、もう眠れない。列車が早過ぎて、窓の風景も目眩がして見ていられない。
「‘こだま’で来ると安いしいいよ」と言われたのは、まさかと思ったけど本当かもと実感。



22日創徳庵 セットリスト

1.夜の時代
2.ヒーロー
3.ハルノジダイ
4.はしばみ色の恋
5.踏み絵
6.ダイヤモンド

と、予定のラストの曲を変えた。
理由は色々。店の感じ、グランドピアノの音の感じ。ニーズを作るなぁっ!とか‘叫び逃げ’するような雰囲気では全然ないのだ。
個人の家を少し改造して、ミニコンサートが出来るようにしたという感じね。ピアノはクラシックを奏でるべき音色とタッチ。正直「ヒーロー」も「ハルノジダイ」もそぐわない。でも田中眞紀子の世界を表現したいと思ったら、「ニーズ」を外した上にこの2曲も外すわけにはいかないので、これは決行。
同じグランドでも、例えば北千住なんかは曲との違和感はなかったので、つくづくピアノの固体差を感じた。

小屋の様子で曲を変えるのは当たり前と、栄東さんに諭された。
もう一人の井口善夫さんは穏やかなフォーク系。40分の持ち時間プラス私とのセッション。セッションでクライマックスに持っていく為、自分の持ち時間は押さえ気味にするという神経を使って「俺は疲れたぞ」と栄東さんは言っていた。
押さえたブルースが物凄くカッコよくて、アピアとは違う栄東さんを見た。
栄東さんが私のライブを聴いてくれたのは7年振りかな。俺は野良犬だと常に言ってる栄東さん。「田中さんも野良犬だよ」って言ってくれた。
エヘヘヘッ!


大阪在住の飯浜ゆきこさんと、ダンナのさとまんが来てくれた。それに栄東さんとマネージャーの松下さん、だから何だかアピア仲間に囲まれて、とても安心なひとときだった。
その他の大阪のお客様たち。なんというか、想像していたより色々な意味で小規模なライブ空間ではあったが、皆さんお一人お一人が暖かく受け入れて下さったのが、だからこそ伝わって来て、会場の雰囲気とその事もマッチしていて、田中眞紀子の初ツアー初日のライブは、アットホームな素敵な優しい時間空間であったのだ。


大阪でお会いした皆様、ありがとうございました。またきっとお会いしましょう。

女と男と

2006-12-21 05:31:49 | Weblog
そういう型にはまったとらえ方って嫌がる人もいると思うが、私は案外こういう`型にはまった’のって嫌いじゃないのだ。
女の立場から言うと、しょせん女は女なのだ。
昨日、岸田今日子の訃報を聞いたが、76才であったという岸田今日子は最後まで女だったな。数年前スマスマに出ていた岸田今日子がキムタクの腕を取ってエスコートさせていたのだが、女だったね。しかもそれに誇りを持っていたね。凄いと思ったね。
どんなに年を取っても女でいる為には、`女’である以外の`人間力’が必要というか、その人の人間力が女である事を支えるのだな。


さて、12月19日のアピア。

`和美’と`ろみ’

和美ちゃんのステージは確かに稚拙なのだ。
しかし、私が彼女が良いと思うのは、なりたい自分、やりたいステージがはっきりしていて、そのことにブレがないことだ。
今の彼女に対して、なりたい彼女像が余りにも遠いので稚拙に見えるのだ。なりたい彼女像を具現化するには、ステージ上での物凄い余裕が必要だからだ。
14年やってる私にだってそんな余裕はないぞ。
でも和美ちゃんはそれをやりたいからやるのだ。何かが出来るようになってからとか、そんなのじゃなく。そこが好きだ。
今の彼女がどうやったら`なりたい彼女’になれるか。大変な努力が必要だろう。ピアノも歌もステージ度胸もまだまだ、まだまだ、まだまだだ。
でもきっと彼女は迷いなくやるだろう。そしてその事に執着し続ければ、きっとなりたい女になれるだろう。
楽しみだね。10年くらい、軽く待ってあげるよ。

一方ろみちゃんはやりたいステージをやりきっている。そして多分それをやっている時の彼女は、`こうありたい’自分なのだろう。
今回ビシバシ弦を切って、素の彼女が丸見えになってしまい、その事を強く思った。
弦くらい切っても平気だよ、あなたなら。聴いてる人は、弦を替えるのを待ってでもあなたの歌を聴きたいと思うよ。
でもきっと、いつまでたってもあなたは、そんな風には思えなくて「ごめんなさい、ごめんなさい」を繰り返すね。そこがあなたの素敵なところで、それがあなたの歌のパワーの根元なんだろう。
でもいつか、弦を替えるのを`待ってて下さい’という位の自信ができたら、はっきり言って末恐ろしいシンガーになるだろう。その時の「御巣鷹山」はいったいどんなだろう。
楽しみだね。10年くらい、軽く待ってあげるよ。


`伴理’と`よしあき’

さぁて、今度は男組だ。

バンリはさわやかだった。若くて清潔であった。地に足の着いた女のドロドロを二人も堪能した後、まるで小川が流れる様に透き通った歌が流れた。
なんて書くと伴ちゃんのイメージが変わっちゃうみたいだけど、ろみちゃんの後ではそんな感じだったよ。
でもその根底には非常に高い精神性で二人が同等であったということがある。このコントラストは素晴らしかった。
あの「御巣鷹山」の後、バンリはひたすら出来る事を精一杯やるのみであった。君の10年後はどうなってる?

そしてバンリの20年後、よしあき君。実はバンリ以上にさわやかだったのだ。
私が彼の歌をよく知っているからではないと思う。彼の言葉は一語一語すべてが明確にこちらの頭にスコンスコンと入ってきて、物凄く気持ちがいいのだ。明確な発声だから咬むとすごく目立つんだけどね。(笑)最初の2曲くらいは少し集中力がなかったようだが、新曲の沖縄の歌が素晴らしかったので、私としては帳消し。
本人の日記では、自虐的なくらいこの日のステージを否定していた。でも、そんなに悪くなかったんだよ。バンリが清潔ながらビンビンに張っていたのに対して、よしあき君の言葉のさわやかさと大人の柔らかさは、これまた非常によいコントラストだったのだ。客席は絶対もう1曲と思ったと思う。私の身びいきではないと思う(笑)。
この時のよしあき君は実によい`ほど’だったんだ。問題はその`ほど’が自ら目指したものでなく、自分としては`やり損ねた’結果として表れたものだという事なんだと思う。確か半年くらい前にも同じような事を書かなかったかしら。
だからよしあき君の次は、この`ほど’を、`やろうとしてやる’事なんじゃないか。「不安だから、過ぎたるは及ばざるがごとし」と「ほど良い`ほど’」の場所は同じなんじゃないか。ほど良いほどは、やり損ねたくらいの所にあるんじゃないか。
自分の事としてもそう思ったよ。
私にもよしあき君にも、10年はないかもしれん(笑)。さっさと手に入れよう。

なんとなく可笑しいのは、一番年上でキャリアがあるよしあき君が一番迷っている感じだった事だ。
女二人には迷いはなかった。迷いなく`あるべき姿の自分’などぶっ壊して`ありたい自分’を追求していたように思う。
バンリには迷う選択肢すらまだないのだ。彼がこれから人生を重ねて迷いの中に身を置いた時、歌う歌はどんなだろう。本当によしあき君みたいになってるかも。
型にはめて言えば、男は地に足がつかないものだしね。(笑)






身内的 But 最高 !!

2006-12-20 00:36:43 | Weblog
和美ちゃんと伴ちゃん、そしてよしあき君が出てれば、私としちゃ、家族やら親戚やら身内が出てるような感覚である上に、あの‘女三上寛’ろみさんとくれば、どんなにツアー前で頭がクルクルパーしてたって、アピアに行っちゃうさ。
そして、行った事を微塵も後悔させない、各人実に引き締まった、良いライブだった。

私も日夜、この人達と共に頑張っているのだ。
関西行っても負けないもん!
ビシッと頑張るもん!!
んで、ビッグになってアピアに戻ってくるんだもん!!!

やる気と引きこもりの間で激しく揺れ動く今、そう心を新たにするのであった。

ありがとう四人とも!
詳細後日。