うざい→「うざったい」、又は「うざっこい」
うざっこいなんて言うか?
`ごちゃごちゃして煩わしいこと’とgooの辞書にありました。
個人的には語感から`わずらわしい’の変形が`うざったい’ではないかと思われるのだが、今では定着している`うざい’という言葉は、そもそもはかなり品の良くない言い回しであったのではないかと記憶している。
先日の出勤時。
某有名大学がある途中駅から、その会話の内容から1年生と思われるお嬢さんが3人乗り込んできて、私の前に立ちはだかった。
私は座席に座って寝る体制をとっていたので、うつむきがち。
その私の視線の先に、派手なミニスカートから、にょきにょきにょきと6本の生足。内2本のおみ足にはブーツが… 相当暑い日であった。
彼女たちは10秒に1回の割合で`めっちゃ’を連発しながら、何がきっかけか、いかに自分達の言葉遣いが悪いかと言うことについて、議論を深め出したのである。
彼女たちの言うことには、`めっちゃ’と`超’と、小さい`っ’を多用するのと語尾に`~し’と付けるのは良くないことであり、綺麗な言葉使いをしたいよね、ということで合意に達した。
で、綺麗な言葉遣いに関してに話題は変わる。
「`うっぜっ’はダメだよねぇ。`うざい’だよねぇ。」
そ、そうなのか…
`うざい’は既に品がないと思うまきこさんは、ちょっと考え込んでしまうのだった。
そのうちの1人が、
「もっと丁寧に言うとぉ、`とっても迷惑ぅ’?」
おぉ、それがいいのではないか!
しかしながらその言い方は、その3人のお嬢さんにはすこぶる可笑しいものであるらしく、しばらく3人でケラケラ笑い続けるのであった。
「それで言うとさぁ。やっべっ!もダメだしぃ。」
「じゃあさぁ、寝坊したらどうするぅ?やっべっじゃなくてぇ。」
「わぁっ、`大変’?」
それはすこぶる普通ではないかとまきこさんは思うのだが、その言い方もまたお嬢さん達には果てしもなく可笑しい事であるらしく、「大変たってぇ!」と、またしてもケラケラと笑い続ける3人であった。
3人の内の1人は、子供の事を「ガキ」と言うと言う。`あのガキども、うっぜっ’等々。他の2人は「ガキ」とは言わないと。子供とかちびっ子とか言うと言う。
「ガキ」と言うと言うお嬢さんの言う事には、赤ちゃんと子供の間の、言うことを聞かないどうしようもない状態のガキをガキと言うんだそうだ。
なるほど。理解はできる。
すると他の2人のうちの1人が、そういうのはクソガキと言うと言うと、他の2人も、クソガキは使うと合意。
そ、そうなのか。
内1人が、最近はなんでも`クソ’で表現してしまうと悩んでいた。
クソカワイイのをクソと言ってしまうのだそうだ。
彼女によると、オニカワイイはもう使わないそうである。
その子はかなり高い、可愛い声の子であるが、3人の会話でもあったように一番言葉遣いが悪いのだ。しかし声が可愛いので、あまり感じ悪く聞こえないと他の2人に言われていた。
一方`とっても迷惑’とか`わぁ大変’という、まきこさんからすれば一番正しい言葉の使い方を知っていそうなお嬢さんは、声が低く、残念ながらかなり感じ悪く聞こえてしまうのであった。声が低い子は声の高い子に`いいよねぇ’と言っていた。
その子は20歳になったら、自分の事を名前で呼ぶのはやめよ!と言う。
うん、頑張って、知的な女性になってよね。
つまりは、いかに的確にそのものに対する自分の感覚を表現するかということなので、言葉を使っての表現に携わる私としては、興味深いお嬢さん達の議論であった。
彼女たちが言っていた通り、いずれ社会に出ることになれば、いやでもそれらの言葉遣いは矯正されてしまうのだ。
それらの言葉が、ただただ周囲の慣習の中で使われていくのではなく、意識的な自らの内面の主張の表出としてのトレーニングであるならば、それはいつか別の形で作用するに違いない。
新宿に着き、顔を上げると、想像以上にケバい格好の3人であった。
そんな姿で授業を受けなくとも… とも思うが、それも自己主張ならば、、、
但し、自己主張は、1人でできないとね。
さっき調べた`うざい’の項目に、面白い言葉をみつけた。
`ウザイガキ’と言う言葉があるんだね。
有財餓鬼
①飢えてはいるが、一定の食べ物にありつける餓鬼。
②財産はたくさん持っていながら、欲の深い人。
勉強になりました。
ところで昨日の朝刊に`成年は18歳が適当’とあった。
そうなると先の3人のお嬢さんも成人ということになる。
それはちょっと待ってと思う。
あの3人が成人に相応しくないというより、それこそ子供が大人になろうとしているのだ。大人になろうとしている時期を`大人’としてしまうのは酷じゃないかと思うのだ。
子供が大人になる猶予。意識の移行をする時間をあげて欲しいのだ。
そして成年の義務を厳しくすればよい。
私は成年は22歳でもよいと思うが。
うざっこいなんて言うか?
`ごちゃごちゃして煩わしいこと’とgooの辞書にありました。
個人的には語感から`わずらわしい’の変形が`うざったい’ではないかと思われるのだが、今では定着している`うざい’という言葉は、そもそもはかなり品の良くない言い回しであったのではないかと記憶している。
先日の出勤時。
某有名大学がある途中駅から、その会話の内容から1年生と思われるお嬢さんが3人乗り込んできて、私の前に立ちはだかった。
私は座席に座って寝る体制をとっていたので、うつむきがち。
その私の視線の先に、派手なミニスカートから、にょきにょきにょきと6本の生足。内2本のおみ足にはブーツが… 相当暑い日であった。
彼女たちは10秒に1回の割合で`めっちゃ’を連発しながら、何がきっかけか、いかに自分達の言葉遣いが悪いかと言うことについて、議論を深め出したのである。
彼女たちの言うことには、`めっちゃ’と`超’と、小さい`っ’を多用するのと語尾に`~し’と付けるのは良くないことであり、綺麗な言葉使いをしたいよね、ということで合意に達した。
で、綺麗な言葉遣いに関してに話題は変わる。
「`うっぜっ’はダメだよねぇ。`うざい’だよねぇ。」
そ、そうなのか…
`うざい’は既に品がないと思うまきこさんは、ちょっと考え込んでしまうのだった。
そのうちの1人が、
「もっと丁寧に言うとぉ、`とっても迷惑ぅ’?」
おぉ、それがいいのではないか!
しかしながらその言い方は、その3人のお嬢さんにはすこぶる可笑しいものであるらしく、しばらく3人でケラケラ笑い続けるのであった。
「それで言うとさぁ。やっべっ!もダメだしぃ。」
「じゃあさぁ、寝坊したらどうするぅ?やっべっじゃなくてぇ。」
「わぁっ、`大変’?」
それはすこぶる普通ではないかとまきこさんは思うのだが、その言い方もまたお嬢さん達には果てしもなく可笑しい事であるらしく、「大変たってぇ!」と、またしてもケラケラと笑い続ける3人であった。
3人の内の1人は、子供の事を「ガキ」と言うと言う。`あのガキども、うっぜっ’等々。他の2人は「ガキ」とは言わないと。子供とかちびっ子とか言うと言う。
「ガキ」と言うと言うお嬢さんの言う事には、赤ちゃんと子供の間の、言うことを聞かないどうしようもない状態のガキをガキと言うんだそうだ。
なるほど。理解はできる。
すると他の2人のうちの1人が、そういうのはクソガキと言うと言うと、他の2人も、クソガキは使うと合意。
そ、そうなのか。
内1人が、最近はなんでも`クソ’で表現してしまうと悩んでいた。
クソカワイイのをクソと言ってしまうのだそうだ。
彼女によると、オニカワイイはもう使わないそうである。
その子はかなり高い、可愛い声の子であるが、3人の会話でもあったように一番言葉遣いが悪いのだ。しかし声が可愛いので、あまり感じ悪く聞こえないと他の2人に言われていた。
一方`とっても迷惑’とか`わぁ大変’という、まきこさんからすれば一番正しい言葉の使い方を知っていそうなお嬢さんは、声が低く、残念ながらかなり感じ悪く聞こえてしまうのであった。声が低い子は声の高い子に`いいよねぇ’と言っていた。
その子は20歳になったら、自分の事を名前で呼ぶのはやめよ!と言う。
うん、頑張って、知的な女性になってよね。
つまりは、いかに的確にそのものに対する自分の感覚を表現するかということなので、言葉を使っての表現に携わる私としては、興味深いお嬢さん達の議論であった。
彼女たちが言っていた通り、いずれ社会に出ることになれば、いやでもそれらの言葉遣いは矯正されてしまうのだ。
それらの言葉が、ただただ周囲の慣習の中で使われていくのではなく、意識的な自らの内面の主張の表出としてのトレーニングであるならば、それはいつか別の形で作用するに違いない。
新宿に着き、顔を上げると、想像以上にケバい格好の3人であった。
そんな姿で授業を受けなくとも… とも思うが、それも自己主張ならば、、、
但し、自己主張は、1人でできないとね。
さっき調べた`うざい’の項目に、面白い言葉をみつけた。
`ウザイガキ’と言う言葉があるんだね。
有財餓鬼
①飢えてはいるが、一定の食べ物にありつける餓鬼。
②財産はたくさん持っていながら、欲の深い人。
勉強になりました。
ところで昨日の朝刊に`成年は18歳が適当’とあった。
そうなると先の3人のお嬢さんも成人ということになる。
それはちょっと待ってと思う。
あの3人が成人に相応しくないというより、それこそ子供が大人になろうとしているのだ。大人になろうとしている時期を`大人’としてしまうのは酷じゃないかと思うのだ。
子供が大人になる猶予。意識の移行をする時間をあげて欲しいのだ。
そして成年の義務を厳しくすればよい。
私は成年は22歳でもよいと思うが。