田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

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感謝の形

2013-11-16 01:56:34 | Weblog
松浦健太がリハーサルをしている時は、いつものアピアの‘戦闘態勢’感だったが、地方組がやってきて、いきなり恵美ちゃんが「ピアノの音が綺麗!」と言って泣きだすので、貰い泣きを我慢する羽目になり、三ケ田君はリハ1曲目で「ふるさと」を歌い出すので泣きそうになるし、プリンちゃんの、曲名わかんないけど‘命いらないんだったら、あの子にやってくれ!’って歌で、また泣きそうになるし。
佐藤賢治のアピアでのステージ姿は何度か見ているので、やっといつもの感じに戻れたが、これ、全部聴いてから自分のライブやるのはキツイなぁ。
尚且つ、前の晩に思い立って司会進行をやる事にしたので、今夜は‘手ごわい’夜だと覚悟した。


1年前の10月、いわきSONICでの独パンで、「大震災世代の子供たち」という曲を初めて歌った。
その打ち上げで翌11月に私のライブをやる事に決まったが、三ケ田君の発案で「大震災世代の子供たちへ」というライブタイトルを付ける事になった。
その11月のライブには三ケ田君も出演したが、三ケ田君がライブの最中に「大震災世代の子供たちへ」というイベントはシリーズ化するというような事を言い出し、私もライブ中に「じゃあ私も毎回出るよ」と応え、今年になっから2回いわきで開催し、今回の東京で4回目となる。


私が福島のミュージシャンと関わっていく中で考えたのは、福島のミュージシャン達のレベルを上げたいという事だった。
彼らは、これから長く戦っていかなければならない。
震災に対する関心も薄れて行く中で、想いを伝え続ける為には、伝える力をもっともっと付けていく必要がある。
その事に私の持てる力を注ぎたい。そう思った。

「大震災世代の子供たちへ」のイベントの中で、三ケ田君達の策略で(笑)、やたら高校生の前で歌わされた。
高校生の出演者も何人も出てくれた。皆、実に良いのだ。これだけ辛い思いをすれば何かを発信したいという意欲も募るだろうから、表現者としての素養は充分だ。被災地が、レベルの高いアーティストをガンガン輩出すればいい。

福島で出会ったミュージシャンや、音楽関係者は、本当に皆、良いヤツばかりだ。
皆、真摯で実直だ。心根が綺麗だ。
その分、表現も優しい。
震災が起こる前は、それで良かったんだろうと思う。
でも、こうなってしまった以上は、ステージに戦いが必要だ。聞き手に深く食い込む強い発信力を鍛えなければ!と思うのだ。
別に私が‘教える’とか、そういう事ではない。
強い発信力を持つ連中と出会わせれば、きっと勝手に育っていく。
まずは、福島や日立のミュージシャン達の中心的な存在の連中に刺激を与えて、グイッとレベルが上がれば、必ずや後に続く者たちに影響する。
彼らが憧れるアピアのステージとの出会いや、東京の松浦健太との化学反応には確信があったし、松浦健太にも必ずや影響するとも確信していた。
そしてそれを仕掛ける私もまた、レベルを上げてかからなければならない。
20年歌ってきて、初めて迎えた大スランプを、ここで乗り越えなければ、ミュージシャンである田中眞紀子は終わるなと考えていた。
おこがましいのは重々承知だが、もう、そういう事をやる立場に身を置くようにしないと、何に向かって歌って行けばいいのか、本当に分からなくなっている私がいる。


佐藤賢治は静かに燃えていた。
この前に見た時より、確実に‘向かう気持ち’が強くなっていると感じた。
ライブの終盤に向けてどんどん力が漲って行き、ラストに最骨頂に持って行った。
思いがけないカミングアウトもあり、今回のイベントのテーマをしっかりと打ち出してくれたステージだった。

藤野恵美のステージは、初登場とは思えないほど堂々としていた。さすが郡山の女王である。
ゆっくり切々と、故郷への思いをつづる。
恵美ちゃんの楽曲は、ピアノの音色を最大限に引き出す。強引に自分の音に持っていく私には、出来ない芸だ。
彼女は本当にピアノを愛していて、その気持ちが彼女の顔を美しく輝かせていた。

ちょっと緊張しているのが可愛らしかったが、四畳半プリンは、お茶目に、そして真摯に、初アピアのステージを務めた。
下ネタがらみと、社会性のある曲とのバランスが絶妙で、客席を沸かせていた。
彼はこの期に及んで発展途上。まだまだ伸びると言う点では、先にアピアデビューした中学生の娘さんにも決して負ける事は無いと確信している。

松浦健太は絶好調。アピアやアローンで10年近く歌って培った力を、貫録を持って存分に放っていた。
今年の2月に、5年ぶり位に松浦キノコを見た時、依然と比べてグッと地に足がついた感じがして、人生の色々は人を成長させ、歌やライブはそれを如実に表すものだなと、つくづく思ったのだ。
本名で、これから色々なものを背負って、ずっと歌って行って欲しい。
しばらく、しつっこく、連れまわす予定(笑)。

三ケ田圭三はデカかった。背も高いのだが(笑)、そういう事ではなく、存在感のデカさが想像以上だった。
私にとって見慣れたアピアのステージで、これほどどっしりした威圧を感じさせる人は、あまりいない。
それも、さほど激しい曲や変わった曲をやってる訳ではなく、どちらかといえば、わりとスタンダードな穏やかな曲で、これは凄い!
この男はやっぱり、只者ではないのだと、只者ではなかったのだと、改めて感じた。
この男に轢かれて私はいわきに入り浸っているのだが、その自分の無意識の選択に間違いはなかったと、彼にとっての初めてのアピアのステージを見て感じていた。

私は、3曲新曲を入れて、この日に挑んだ。
とにかく新しい事、新しい曲、新しい構想、それしか続ける術はない。
20周年記念だが、20年なんて振り返っても、もう意味がない気がしたのだ。


田中眞紀子セットリスト
 1.目晦まし
 2.仕事(朗読)
 3.不思議な光
 4.ロッキングチェアー
 5.神隠し
 6.大震災世代の子供たち
アンコール
   幻影と残像


この日。この場所にいた全ての人にとって、珠玉の時間になったと思う。
出演者は皆、幸せそうだった。
本当に音楽を止めそうになっていた私をこの世界に引き戻してくれた人達を、幸せに出来て良かった。
そしてこれからも、役に立ちたいと思った。
聴きに来て下さった方々も、笑顔で帰って行った。
嬉しかった。
今後、こんな入魂の企画は出来ないなぁ。
アピアにとっても良い出会いが出来たと、店長のレイクに言って貰えた。
20年の感謝を形にするのは、こういう事でよかったのだと思っている。

互いに発展していければ。
関わる人たちと共に!

ありがとうございました!

2013-11-03 03:16:02 | Weblog

Macky's House vol.10「大震災世代の子供たちへ IN TOKYO 」

1年かけて企画した、このイベント。
たくさんのお客様み見守られ、無事終了しました。
心から御礼申し上げます。

本当に、どう表現したらいいのか分からないほど、素晴らしいイベントになったと自負しています。
リハーサルから、泣きそうになりました。

そしてこれは、何かのスタートになると思っています。

今夜はもうフラフラなので、後日ゆっくりご報告致します。

終わりと始まりの間

2013-11-01 14:52:57 | Weblog
小学校の前に立っていたのは15分位だろうか。
フェンスで被われた校舎の、屋上近く1メートル位は見えていたが、壁はボロボロだった。
ただ、白いパネルに濃い青の文字のスローガンだけは鮮やかに残っていたのと、校庭の脇の時計が正確な時間を表しているのが哀しかった。
それでも2人ほどの人が道を歩いていたし、車も数台通った。
自分の土地の整備をしていたのか、大きなゴミ袋を持って車に乗り込む家族らしきもいた。

5分ほど、私、独りになった。
日も雲に隠れ、少し冷たい風に強く吹かれながら、門脇小学校と対峙した。
私は宗教を持たないので、神社仏閣でも拝むというパフォーマンスが苦手なのだが、その時は、ごく自然に手を合わせていた。
そして、「すこやかに育て心と体」というスローガンの文字を、全力で目に焼き付けた。


車が一台、後ろから来たのを機に、その場を離れるべく歩き出した。
この辺りは、多分震災前からの墓地が、あちらこちらに点在している。一年半前に来た時も、墓石が倒れたままになっているのを、いくつも見た。
車が止まり、花を持った4人ほどの一行が、墓地の中に入っていった。
私は小学校を何度も振り返りながら、この光景を心のカメラに収めていった。


さて、問題は、この登り階段である。
とにかく日が陰っている間に登り切らないと!
時間にして10分位だろうか。しかし階段一段一段の高さがあって、最後の数十段は踊り場がないのだ。
途中で疲れて立ち止まったら、くらくらして後ろにひっくり返りそうになった。
これはヤバい!
とにかく登ってしまわないと、落っこちちゃう!

頂上のベンチで15分位はへたり込んでたかな。
海は穏やかで、雲の隙間から放射状に日が差してたりなんかして…
全く、キムタクとたけしのCMじゃないけど、バカヤローッ!だな。

日和山から駅に向かう道は下りだし、今度は歩いた。旅先の初めての道は、遠く感じるものだ。シオ君や運転手さんが言ってた通り、慣れたらすぐだった。
ブルーレジスタンスの前を通った頃、12時の時報が鳴った。ブルーレジスタンスには、今日の出演者が楽器を下ろしていた。
マンガロードは、その時間でも、ほとんど店は開いていなかった。


急勾配の階段と格闘するので精一杯だったので、その時は頭に浮かばなかったが、私が登り降りした階段や坂道こそが、津波の時に人々が必死に登った、命の瀬戸際の場所だったのだと、後から気が付いた。
東京に帰り、日常生活に戻ってから、階段を上る度に腿のあたりに、あの日の感触がよみがえる。


あったものが壊れる。
あるものを壊す。
それは今までの終わりを意味する。
けれど、終わらなければ、終わらせなければ、次を始める事はできない。

門脇小学校周辺の、あの荒涼とした状態・状況は、 終わりと始まりの間の景色なのだ。
それは絶望でもなく希望でもない、静かな「無」の風景だった。
それを人々は慈しみながら、静かに次を待っている。
そんな事を思った。
いつか何かが決まり、そして何かが始まるまでの、案外貴重な風景であり、時間なんだろう。


いつかは消える「聖地」に、立っているような気がした。


11月2日(土)  学芸大学アピア40

Macky's House vol.10
 「大震災世代の子供たちへ IN TOKYO 」

 開場 17:30
 開演 18:00
 料金 前売2,000円 / 当日2,300円 +1drink

 出演  佐藤賢治(いわき)
      藤野恵美(郡山)
      四畳半プリン(日立)
      松浦健太(東京)
      三ケ田圭三(いわき)
      田中眞紀子(東京)