先日のテルちゃんのコメントに対して書いた、ゴミの話をしよう。
1週間ほど前、NHKの番組で、東京芸大の美術専攻の卒業制作が、全員自画像だっていうのをやっていた。絵画の人だけじゃなくて、彫刻や他の専攻の人も、卒業制作は自画像なんだそうで、それを芸大が買い上げて保管してるんだって。だから芸大が公開しない限り、本人でも見る機会はないらしい。
その中で、自画像といっても抽象的な絵もあって、いくつかの抽象画の作品を紹介し、その作者のコメントを取っていた。
まるでアメーバみたいな絵を描いた女性。
いかに自分が下等であるか、自分はただ摂食して排泄するかのように絵を描いていて、それは下等生物と同じだみたいな事を言っていたのだ。ビデオを取っていた訳ではないので、かなり不正確な記憶だが。
その女性は今、銀座の高級そうな店で、ピアノを弾きながら歌っているのだ。いわく、
「絵は、膨大なゴミを作り出して、やっと一枚を得られるけれど、音楽は同じ排泄でも、発したそばから消えていくから、ゴミとして残らない。」
これまた不正確な記憶だが。
実に不快になった。
絵を描く母に付き合って番組を見ていたのだが、母も「こんなの(聞くの)嫌ね」と言った。
その話をしたら、康子ちゃんは、
「その人は、なんて不幸な人なんだろう。」
私は、
「プライド高すぎて、自分がそれに追いつけないのが許せないんだよ。」
テルちゃん、
「でも、そんなゴミにたかる人もいるんですよね。」
美しいドレスを着て、ゴージャスなインテリアのお店で、立派なグランドピアノを弾きながら、ゴミを奏でている彼女。
私は彼女の‘感覚’を理解する。
けれどゴミなのは、彼女の気持ちだ。
気持ちがゴミ溜めになったら意味がない。
ゴミを美しいものに浄化する努力を、彼女は放棄している。努力しなければ浄化しないのだ。
私はそう思った。
今、生みの苦しみなのだと言うテルちゃんを見て、この話をしたいと思った。
前に三上さんを聞いた時、私のやっている事はクダるのかクダラないのかと書いた。
その答えの一つだと思った。
先日友川さんが、ご自分のご両親を「何度言っても自民党に入れ続けた、美しい人達」と語った。
胸がキュッとなったのを思った。
私は私の歌を、ゴミにはしない。
1週間ほど前、NHKの番組で、東京芸大の美術専攻の卒業制作が、全員自画像だっていうのをやっていた。絵画の人だけじゃなくて、彫刻や他の専攻の人も、卒業制作は自画像なんだそうで、それを芸大が買い上げて保管してるんだって。だから芸大が公開しない限り、本人でも見る機会はないらしい。
その中で、自画像といっても抽象的な絵もあって、いくつかの抽象画の作品を紹介し、その作者のコメントを取っていた。
まるでアメーバみたいな絵を描いた女性。
いかに自分が下等であるか、自分はただ摂食して排泄するかのように絵を描いていて、それは下等生物と同じだみたいな事を言っていたのだ。ビデオを取っていた訳ではないので、かなり不正確な記憶だが。
その女性は今、銀座の高級そうな店で、ピアノを弾きながら歌っているのだ。いわく、
「絵は、膨大なゴミを作り出して、やっと一枚を得られるけれど、音楽は同じ排泄でも、発したそばから消えていくから、ゴミとして残らない。」
これまた不正確な記憶だが。
実に不快になった。
絵を描く母に付き合って番組を見ていたのだが、母も「こんなの(聞くの)嫌ね」と言った。
その話をしたら、康子ちゃんは、
「その人は、なんて不幸な人なんだろう。」
私は、
「プライド高すぎて、自分がそれに追いつけないのが許せないんだよ。」
テルちゃん、
「でも、そんなゴミにたかる人もいるんですよね。」
美しいドレスを着て、ゴージャスなインテリアのお店で、立派なグランドピアノを弾きながら、ゴミを奏でている彼女。
私は彼女の‘感覚’を理解する。
けれどゴミなのは、彼女の気持ちだ。
気持ちがゴミ溜めになったら意味がない。
ゴミを美しいものに浄化する努力を、彼女は放棄している。努力しなければ浄化しないのだ。
私はそう思った。
今、生みの苦しみなのだと言うテルちゃんを見て、この話をしたいと思った。
前に三上さんを聞いた時、私のやっている事はクダるのかクダラないのかと書いた。
その答えの一つだと思った。
先日友川さんが、ご自分のご両親を「何度言っても自民党に入れ続けた、美しい人達」と語った。
胸がキュッとなったのを思った。
私は私の歌を、ゴミにはしない。