田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

小川屋で過ごす最後の日

2015-04-28 01:51:27 | Weblog
あぁ、もう1か月経っちゃったな。
あの日、小川屋で集った皆さん、元気でやってますか?
多分、一生の思い出になりそうな、あの日の記録です。


3月29日(日)

カーテン越しに入る朝日と、それまでの興奮状態に、もう眠れるものではない。
3時間だけ横になって9時にベッドを抜け出し、小川屋へ向かうべくホテルを出た。
前日以上の暖かさ。十王の駅でベンチに座って、お日様のお布団にくるまってるみたいな、あまりの気持ち良さに15分位うたた寝をした。(笑)
それから駅にやって来たタクシーに乗って小川屋に着いたのは、10時45分。既に20人近く客がいる。
春の日差し眩しきポカポカ陽気の朝の空から、小川屋の夜の世界へ、また戻ってきた。

頑張って起きだして来たのは、トップバッターのgeruさんを見たかったから。やっと見ることができた。
8時間ほど前、若者シンガー達の中で気を吐いていた反逆ブルーさんと、日立の2大親父シンガーってとこなのかしら。お二人とも名前は知っていたし、顔も合わせていたと思うけど、聞くのは初めて。
geruさんは最初から泣いていた。お客さんは全員、本気モード。
小川屋で過ごせるのはこれが最後だという緊張感が、客席にもあったのだ。

いわきソニック&バロウズのスタッフ、アベマンセイ君が、自分のライブのあと、声をかけてきてくれた。
多分いわきで何度も顔を合わせているのだろうが、私に認識がなくてごめんなさい。でも、これからもよろしくね!良いギタリストだ。

何しろ寝てないからね。しかも年だしね。
パイプ椅子をマイチェアーとして1つゲットし、申し訳ないが昼過ぎまで何度も気絶した。
映像としては脳裏に残っているんだけど、その映像のどれが誰だかよくわかんない。
ごめんなさ~い!

大分意識がはっきりしてきたのは(笑)、いわきの‘虫唾が走る’から。志賀淳二君は以前から知ってるけど、やっとバンドで見ることができた。ボーカルとして、メンバーの兄貴分として、バンドを引っ張って行こうとする、凄い気迫で歌っていたし、非常にシャープな演奏で、それまでと空気が変わったステージだった。

次は我らが東京組、田中雅紀!とにかく前日から驚くのは、コールアンドレスポンスが多くのバンドやシンガーで成立していて、つまり皆が皆の歌を把握しているという事で、東京の田中マー君の歌もサビを客席の皆が歌っているのである。マー君、人気者なんだ~。1年ぶり位に聞いたが、メリハリも良くって、若い子が成長するのを見るのっていいなと思った。

申し訳ないが、ここで私は‘しらかばタイム’(笑)。
小川屋の隣の食堂‘しらかば’に行くのが、日立に来る楽しみの一つだったけど、これが最後だ~。
腹も減ったし、深夜まで持たせなきゃならないので、かつ丼をいただきました。
結構な量だったが、ぺろりと食べた。睡眠不足で疲労すると、食べ続けて乗り切るんです、私。

高萩BACK STREET、カッコ良いロックバンドで、尚且つメロウな歌詞で胸を突く。前の晩、酔っぱらってソファーで寝ていたお兄さんがボーカルだった。バンドでやるのが久しぶりとのこと、今後もやらないみたいだけど、もったいないなぁ。

音楽的な意味で、この2DAYS、一番衝撃的だったのが、東前塵芥君。とうまえ・ちりあくた、と読む。
こんな凄い若い子が、こんな日立の片田舎の隅っこに存在していたのか~!ギターも上手いし、歌詞も尖っている。
この子、本当に小川屋が無くなるのが、悲しいんだな。時間をいっぱい使って、いつまでもステージに居座ろうとしていた。最初は彼の音楽性に感嘆したが、最後は、その居座ろうとする姿に観客が愛情を持って付き合ってる空気になって、それが切ないのであった。

これまた、やっと聞けた、いわきのミーワムーラ。
ずっと立ちっぱなしで腰が想到辛くなっていたので、客席の一番後ろのマイチェアーに座って聞いた。
座ってる、という事は、ニョキニョキの人の林に目の前をおおわれて、ステージが全然見えないという事なのだが、実に美しい、清らかな2本のギターの旋律が絡み合って聞こえてくる。1本は透明感のあるボーカルの女の子、ミーワさん、1本は村重さんという、おっちゃん。
時々、人の林の隙間からステージをのぞくと、やっぱりあのおっちゃんが、あの清らかで美しい音を奏でてるんだわ。
以前、いわきでの共演をお願いしたが、叶わなかった。是非共演して、じっくり聞かせてもらおう。

REVENGE CORE。このバンドで、この日一番、感動的な言葉が飛び出した。
バリバリのハードコアバンドなんだが、最後の曲の演奏中にボーカルの男の子が、
「小川さん、シバちゃん、こっち来て! 音なんかどうでもいいから、ここ来て!」
と叫び、PAの二人が客席最前列に飛び出していって、周りの連中と肩を組みながら音楽に乗って騒ぎ出したのだ。これには泣いた。

竹原ピストルは、さすがの貫録だった。やっぱりこの人の歌詞には掴まれる。歌うことなんかもう無いのに、歌うのをやめようと思ったことはない、とかね。悔しいが結局やられちゃうのだ。腕からボタボタ汗をたらして全力投球。

だが、谷井大介はもっと凄かった。
アピア的な言い方で「歌に体重が乗る」っていうのがあるんだけど、まさにこの言葉がどんぴしゃり!
それこそ、1音1音、1文字1文字を、あの、結構デカい体躯の全体重をかけて繰り出していた。
邪念が全くない、‘小川屋で歌う’事のみがそこにあった。
これほど重量感があり、これほど純粋な谷井大介を見たことはない。
この時のステージの感覚を、これからも追い続けて行けば間違いないよ。
プリンちゃんの一番弟子の仕事は、いつまでも、どこまでも小川屋魂を拡散していくことだ!

前夜、イベント2日目の出演者の解説をプリンちゃんがしてくれたんだけど、チバ大三については、「ここで、妖怪登場なんすよ!」とのことであった。
この日の妖怪さんは、実に爽やかであった。地元組などの重たいステージが続いた後で、さぞや、やり難かったことと思うが、Tシャツを3枚着込んでの楽しいステージは、一服の清涼剤となって、少し肩の力を抜かせてもらった。
チバ君をご存知の方には、彼のステージが‘爽やか’で‘楽しい’‘清涼剤’と感じられるほどの、この日のイベントの猛烈な凄まじさを想像して頂ければ、と思います。
最後に「トキメキニシス」を歌いだすと、PA席でプリンちゃんが「やった!」と叫んでいた。

この後「鉄魂」というバンドが出演するはずだった。前夜のプリンちゃんの解説によると、かなり大きな怪我をしたらしく、残念ながら欠席となったそうだ。
このバンドに予定されていた時間は休憩となった。休憩は確かに必要でもあったが、私には「鉄魂」が演奏するはずだった時間を「鉄魂」の為にそのまま残したい、というプリンちゃんの思いなのかなと思った。彼の中では「鉄魂」がその時演奏していたんじゃないかしら。
と、センチメンタルな勝手な想像。。

さぁ、後3組しかない。
NO WEYというバンドも、これで解散らしい。「でも、また歌いたいと思った時、俺はどこで歌えばいいんだろう」とボーカルさん。彼からも名言が飛び出す。最後の歌の前、いつまでもしゃべっている彼は「だって歌ったら終わっちゃうから。」
良いバンドじゃないか!
また歌おうよ!

そして中村兄。
「俺はみんなの歌が好きだから、2日間ずっと歌ってたら、肝心の今、声が出ねえ。」
「でも、王様のライブ、見せてやるぜ。」
最初は足が痒い、とか言ってごまかしてたが、兄ぃは泣きながら、歯を食いしばるように歌っていた。プライベートでヘビーな事があったらしく、「本当に俺には、ここしかなかったんだ」と呟きながら。それでも絞り出すようにラブソングを歌い続ける彼は、本当に王様のライブをやってのけた。
客は一言も発しない。ただ一人、小川斉だけが、PA席から「兄!」と声をかける。
店内にはぎゅうぎゅう詰めの人で埋め尽くされているのに、そこには小川斉と中村兄しか存在していなかった。
そして、
「この店にこんなに人が集まっているなんて、最後にこんな光景が見れるとは思わなかった。
やったな、小川さん!」
とPA席に向かって拳をあげた。

こんな素晴らしいドラマを生み出せる、日立小川屋という存在。
世知辛い、切ない現実の外側で、ここはどんなに辛くても苦しくても悲しくても、幸せな世界なんだと私は思うのだ。
歌、音楽、そしてステージに出会った私たちは、自ら幸せをクリエイトしているのだ、
だから。こんなに感動的な時間に出会えるのだ。
私は、中村兄の美しい横顔を見つめ続け号泣しながら、この時間、この空間に存在する権利を、現実と戦って勝ち取った幸せを噛みしめていた。
この勝利は一瞬にして消え去るが、この一瞬を勝ち取れるのは、バカみたいにやりたい事を追及しているバカだけなのだ。
バカでよかったよ、アタシ!

四畳半のライブは、熱く、しかしどこか爽やかだった。
自分の作り上げた世界、思いをかけたミュージシャンたちの集大成を見届けて、観客から胴上げされていた時の、彼の心の内の充実と寂寥は、いかばかりであったろうか。
私はこれからも、四畳半プリンこと小川斉の生き様を見続けたいと思う。
小川斉は、これからもどんどん先を走って行くだろう。
表現者に絶対的に必要なものは‘次’だ。
2日間、彼の涙を吸い取り続けた黒いタオルを巻いて、彼はどんな‘次’を見せてくれるだろう。
そして小川屋に集ったミュージシャン達もまた、小川屋魂を抱えて、どんな‘次’を描いていくだろう。
私が誇りを持って生きるアンダーグラウンドの世界に、彼らは希望を感じさせてくれるのだ。
私もまた、彼らに恥じないような表現者であり続けたい。

ありがとう、小川屋!


29日の深夜、というより、30日の早朝まで、皆んな去りがたく店にいたが、前日と同じ4時半に、私は小川屋と別れを告げた。
プリンちゃんの奥さん、キヨミさんホテルまで送ってもらった。
「大変だったと思うけど、小川屋は楽しかったですか?」と訊ねたら、「楽しかった!」と言ってくれた。出演者としては、胸を撫で下ろす。
プリンちゃんは凄い男だが、もっと凄いのは、いつも最高の笑顔で裏方を受け持っていたこの奥さんだね。
プリンちゃんとは一緒のツアーが決まっているけど、キヨミさんにまた会える日が来るかしら?
そしてその日が来るってことは、どんなにか素晴らしい状況に発展してるってことだ。
その日が来るまで、引退しないように頑張らなきゃ♪

ありがとうございました!

2015-04-24 03:02:57 | Weblog
Macky’s House vol.12、想像以上の濃厚度で終了しました。
物凄く楽しかった!
終わっちゃってつまんない~~♪
あ~幸せ!!

とにもかくにも、ご来場くださった皆様、お店のスタッフの皆様、そして愛する出演者の皆様!
ありがとうございました!
そして本日、育児休の前橋クールフールのマスター、佐藤あつしさん、心から感謝です!!

詳細後日。
まずは小川屋の最終日の作文を仕上げなきゃ!!

4月23日 Macky’s House vol.12

2015-04-22 23:57:51 | Weblog
小川屋さんに負けないように頑張らなきゃ!
今回も渾身のイベントです!!

4月23日(木)
 渋谷ラストワルツ

  Macky’s House vol.12

   開場 18:30
   開演 19:00
   料金 前売2000円/当日2500円+ドリンク代

   出演 モロコシボーイズ
      登山正文(from京都)
      ヌルマユ永井(from北海道)
      今村大祐(from京都)
      西山正規&ジャッカル
      田中眞紀子

我ながら豪華なラインナップ!
楽しみです♪

皆様のご来場をお待ちしております。  

小川屋で歌う最後の歌

2015-04-20 00:26:48 | Weblog
3月28日(土)

なにしろ出演時間が23時35分からなので、早起きして午前11時の開演から見るのはちょっと無理。
何組かのお知り合いのステージは申し訳ないが断念した。
店に到着したのは午後2時30分。ここから怒涛の27時間ライブ鑑賞が始まった。

すでに巻いていて、3時スタートのMatata Bitsのステージが始まっており、光蛍色の細い棒がステージから飛んできた。拾って、腕に巻いてもらった。
ギター弾き語りのともイル君の歌にあったみたいに、みんな10年後も小川屋はきっとあると思っていたのにっていう残念な気持ちと、小川屋への感謝とに溢れるステージが続く。地元のともイル君の時の客席の盛り上がりに、次の出演者、東京からきた東行氏、「こんなバリバリホーム感に勝てるわけがない」とコメントしながらも、すごいエネルギッシュなステージで、徐々に観客をひきつけていった。

地元組のステージはお客がステージ寸前まで寄り付き、外からきた出演者の時は1メートルくらいステージから離れて聞く感じ。でも、どの演者に対しても、客が真剣に対峙する空気はとっても気持ちよい。演者も客も‘締まって”いるのだ。
以前共演したスーパーアイラブユーは、ギターの弾き語りからバンドになっていた。ドラムの女の子がいい感じだった。私を見てしきりに「精進します!」と言うのだ(笑)。

この後あたりから、私はお客モードから出演者モードに切り替えるため、店の隅っこに座って、演奏を耳だけで聞いていた。しかし飽きないんだな、これが! バンドがとっかえひっかえ10組くらい続いたのに、全然飽きない。
時々カバーバンドが入るのがまた、効いている。
バンドもみな力があるし、なによりプリンちゃんの構成力のたまものだろう。

さて一方で。
みんな昼間っから酔っぱらってノリノリなのであった。
中村兄なんて、私が店に着いた時からべーロベロ!
ビーチじゃあるまいし、店の外にパラソルが広げてあって、みんなでもポカポカお日様の下で飲み会になっており、谷井大介も真っ赤な顔。
地元バンドの演奏を聴きながら、中村兄は私のそばにやって来て「みんな仲間なんです。」と言い、しゃがみ込んで泣き出す始末。よしよし、いい子いい子するしかないわけである。

酒飲みの大の男たちの、高校生みたいな青春物語。
私が20代後半にある劇団を見て、私もステージに立ちたい!って思った時の気持ちを思い出す。
そのミュージカル劇団は、下手くそな歌をボロボロ泣きながら、がなり歌い、私はそれを見て悔しいと思ったのだ。
そういうバカみたいに全力でやれるものが、私には無い。それが悔しかった。
だから、バカみたいに30歳過ぎて、こんな世界に足を踏み入れたのだ。
そんな私の原点に近いものが、ここにある。

ノリノリバンドが10組も続けば、酔っ払い達の興奮もヒートアップ。
私の出番2つ前くらい前の男臭いバンドの時、あわや乱闘かっていう状態になり、これにはお嬢さん育ちの成れの果てのまきこさんは、私の時こんなになったらどーしよー!とビビりまくりましたが、当事者が店の外に出てくれたのと、和気優氏の貫録で、お店の空気が一変した。
助かった~!
和気氏はご自分の出番直前に入ってきて、出番が終わったらすぐ帰ったので、ご挨拶も出来なかったが、ホント、心から感謝である。少年院などで慰問ライブをしているそうだが、あの貫録と、大きな包容力のある空気感に、なるほどなと納得。

さぁ、待つこと8時間、リハ無しで私の出番が始まった。
3月12日に同じステージで歌っていること、クイーンでオープンライブに出たことなどが功を奏し、リハ無しでも落ち着いて歌うことができたと思う。
外部者の私のライブは ステージから皆さん1メートル離れていたが、ほぼオールスタンディング(笑)。
午前中にこのイベントに出て、いわきに戻って仕事をし、またお母さんと一緒に小川屋に帰ってきた、いわきバロウズの花澤君が、最前列で谷井君と隣合わせに立っていて、私にはちょっと不思議な光景だった、

最後に「ふるさと」を歌った。
今回は「桜並木」と「蜃気楼」は外して、「ふるさと」の歌だけで歌った。
この曲が原発に意識を向けたものである事は尊重するが、歌だけで色々な状況や思いを含めて伝えることもできる曲なので、それをやってみたかった。「ふるさと」だけを歌うのは、実は初めてなのである。
そして、それでよかったようだ。
無くなりはすれど、小川屋を心のふるさと、拠り所として、そこで育ったミュージシャン達が‘小川屋魂’を胸に全国に拡散していってくれれば、小川屋は永久に不滅なのだ。そのことが伝えられたようであった。
小川屋の最後に、良い歌を歌えて良かった。

自分が終わればもうお客さんに徹底できる。
ここからの記憶の方が鮮明だ。
出演者モードになる為、店の隅に座っていた時に周りに座っていたお兄さん達が、私の次に出たfab tonesで、ボーカル無しのインストバンド。すごくタイトでカッコよい。
ライブが終わった後、色々声をかけてくれて、嬉しかった。
小川屋に入ると誰でも一番最初に目に止まるであろう「うさファックはすぐに来る!」のポスターの主、うさぎファクトリー、小川屋が無くなる悲しみを不貞腐れながらも滲ませていた。
「魁!男道」といういわきのバンドが面白かったな。
カリメロみたいなギターの男の子が、「ボーカルの男の子がモテるのが気に入らない」という話で終始。小川屋最終イベント関係なし!それが何か、未来志向で爽やかでいいんじゃないのって感じ。昨年いわきで共演した童貞ズに感じが似てるなと思ったら、童貞ズは魁!男道の直系の弟分らしい。

そして初日のトリは、小川屋で32回のオープニングアクトを務めたサンイチゴ。彼もまた飄々とステージを進めていた。若い子はもちろんそれなりに小川屋終焉に思いはあるだろうが、クールなんだろうな。ウエットなのは、行き場を失ったお兄さん連中の方なんだろうね。しかし、小川屋魂を未来に運ぶのはサンイチゴを筆頭にした若者たちだ。
期待してるよ!!

午前3時30分終演。午前4時30分に店を出てホテルに送り届けてもらったのは午前5時。ベットに入ったのは午前6時。既に完全に夜は明けていた。


さて、ライブのお知らせです。

4月23日(木)
Mackys House vol,12

  開場 18:30
  開演 19:00
  料金 前売2000円/当日2500円+ドリンク代

  出演順 モロコシ・ボーイズ
      登山正文(京都)
      ヌルマユ永井(北海道)
      今村大祐(京都)
      西山正規&ジャッカル(マイナス1)
      田中眞紀子

超強攻スケジュール

2015-04-07 00:48:04 | Weblog
‘強行’というより、‘強攻’なのであった。
キツかったが、楽しかった~!

今回の‘強攻’とは。。
3月18日の午前中から昼過ぎまで働き、昼食後スタジオで声出しをし、夕方4時の特急でいわきに向かい、6時過ぎにいわきに着いて、三ケ田君と、久しぶりの新妻君と3人で少しおしゃべりをし、バロウズに行ってダイスケワナゴーのライブを見てから、Barクイーンへ行き、夜9時からオープンライブに出演し、午前0時過ぎまでライブを見て、午前2時まで中華料理屋で打ち上げをし、ホテルで寝て、19日10時30分のバスで東京に向かい、午後3時から出勤、というもの。

う~ん。我ながら攻めてる!


1月の、小川屋ミチロウライブの話が持ち上がった三ケ田君との電話というのは、いわきのBarクイーンに出演する件を話していたのだ。
昨年バロウズでライブをした時の打ち上げで、クイーンに連れて行ってもらったが、びっくり、グランドピアノがあるではないか!
しかも、オムライスの美味いこと!!
「なぜ今まで私をこの店に連れて来なかったのだ!」

聞けばオープンライブがあり、持ち時間は30分という。
普通のライブと同じじゃないの!
バロウズでのライブがうまく決まらず、どうしても3月にいわきでライブがしたかった私は、「いいや、出ちゃえ!」と思って、そのオープンライブに申し込んじゃったのである。
しかし、ソニック&バロウズからすれば、河岸を変えることになる訳で、黙っているのも悪いと思って、三ケ田君にご報告したのであるが、三ケ田君からは「まきこさん、僕もそれ、出たい!」という、思いがけない返事。
という事で、2人で3月18日、オープンライブに出演したのであった。

クイーンは、通常は、どちらかというとプロの、というか芸能界のミュージシャンがライブを行っており、オープンライブでは、まだライブをするにはちょっと早い、修行中のミュージシャンや、カバーバンドなどで音楽を楽しんでいる人たちが集う日という感じで、ソニックやバロウズと、うまく住み分けができているようなのだった。
しかし、実はソニック&バロウズにも、クイーンにも、経営上の問題が起こっているらしい。
三ケ田氏はクイーンの店長加藤さんと、もっと濃密に付き合いたいと思っていたのだそうで、私の「出ちゃえ」はちょっとお役にたったみたいだった。

物凄く久しぶりに、おじさん達の前で歌ったわぁ。
思いがけず、受けた(笑)。
私は若い時から、どちらかというと‘おじさんキラー’というか、おじさんに好かれるタイプであったのだが。今もその威力は衰えていないらしい。
もっとも、今となっては同年代とか、下手すりゃ年下だが。
ただ、最後に「朱になれ」を歌ったのがちょっと重かったらしく、最後までもたなかった感じだし、それで疲れさせちゃったのか、私の後の三ケ田君の時は、場内がざわざわ。
私はその時一番後ろで見ていたのだが、お客さんがまるでステージに集中していない中、孤高にブレずに歌い続ける三ケ田君の姿は、今、彼が戦っている状況と重なって、切なく胸を掴まれる‘良い’光景なのだった。

三ケ田君のベースを弾いたりしてる横山遊季君が、この日はあちこちのバンドでプレーして大活躍していたが、なんと彼のお父さんが来ていて、しかも息子にベースを弾かせながらプレスリーを、ぎこちなく、しかし情熱的に歌い上げ、どう考えてもこの日一番聴衆の心をとらえていたのである。

おじさんミュージシャンは他にも出ていたし、お客さんの数は老若男女30人以上いたと思う。
こんなに幅広い世代が、音楽が大好きで、そして一つのライブハウスに集っているっていうのは、結構すごい事ではないか?
とにかく背広組がこんなにライブハウスにいて楽しんでいるっていう光景を、私はかつて見たことがあるかしら?
うまく我々の音楽シーンに、この聴衆を取り込めないか。
もちろん演者も、楽しいんでもらえる工夫をすれば、よい状況が生まれないか。

CDが3枚売れた。
秋にクイーンでライブをやらせて頂ける話になった。
なんか作戦を練ろう!

この日何より残念だったのは、楽しみにしていたオムライスが食べられなかったことだ。
フードは出していなかった。
以前とは、色んなことが変わっているらしい。

作戦はクイーンにとっても良きことになるように、しっかり練ろう!!

オムライスが食べられなかったので、めちゃくちゃお腹が減って、中華料理屋で打ち上げをしていたら、ダイスケワナゴーが入ってきた。
そして盛り上がっていたら、クイーンの加藤さんが入ってきた。
みんなで笑って、そしていわきの音楽界事情を色々話した。
これからは地元のミュージシャンをもっと活動させて、一つ一つのイベントを大事に開催したいと三ケ田君。

やっぱり、いわき、好きだなぁ。
ちょっとくらい、役に立ちたいな。
次回は5月30日にバロウズで歌います。



小川屋とアピア

2015-04-04 01:35:11 | Weblog
小川屋最終企画2days、がっちり鑑賞して、今へろへろである。
何と今になって、腿の裏の筋肉痛で歩行がやや困難状態。
いくら年だからって、遅すぎる…

この2daysに関しては、また後日。


まずは3月12日の「小川屋音泉vol.1」について。


1月半ば、いわきソニックの三ケ田氏と、いわきのライブについて電話で話をしている時、小川屋が3月一杯で閉店する事を聞いた。
ショックだったなぁ。

「え~、なに? どういう事、それっ??」
と連呼し、
「それならみんなで、なんかしようよ~!」
と連呼し、
「日にちは、いつでもいい! 小川屋単発でも、全然いい!」
と言うと、
「それなら、タテタカコさんに連絡してみようかな」
と三ケ田君。
「また連絡します。」
と電話を切って、1時間もしないで再度電話が来た。
「3月12日に、タテタカコ、田中眞紀子、遠藤ミチロウで決めました!」

私の言った「みんなで」の中には、遠藤ミチロウさんは入ってはおりませんでしたが。(笑)


2月に入って、アピアママの命日ライブでアピア40に行くと、アピアパパから、
「3月12日、小川屋でしょ? ミチロウの復帰後初ツアーで、ミチロウ1人だと大変だから、俺が運転手で一緒に行くよ。よろしくね!」
と、楽しそうに言われた。

ぎぇ~、パパが小川屋に来るのか!?

即、小川屋プリンちゃんに連絡。
プリンちゃんからも、ぐぇ~!との声が出た。
「あんな音のいい店のマスターに来られちゃうんですか!
ったって、反省のしようがないっすよねぇ!」


そして四畳半プリン、谷井大介、オープニングアクトのサンイチゴという布陣で、3月12日「小川屋音泉vol.1」は開催された、

サンイチゴは最終的に、小川屋のオープニングアクトを32回をやり切った若者。
最初見た時は、ぼ~っとした男の子だったが、見る度にしっかりしてきたというか、良い意味で図太くステージに立てるようになっていった。
小川屋に集う強者どものステージを浴びるように見続けた経験は、必ずや彼のこれからの成長の物凄い財源となるだろう。羨ましいくらいだ。

実は四畳半プリンにとって、この日が小川屋で最後の弾き語りだったそうだ。
最後の曲で、私は初めて彼がミスをするのを見た。
帰りにホテルまで送ってもらった時、そのことを「集中力を欠いた」と悔いている様子だったが、私はそのミスに、グッと心を掴まれちゃったんだよね。
というか、ミスする直前、物凄く‘入っていた’のが分かって、彼の中に去来する色んな思いが、そのミスによって強烈に伝わって来たんだ。
そういう事、あるんだ。
そして、その‘悔い’が、小川屋再開の小さな火種になって燃え続けてくれたりなんかしたら、いいな!

昨年2月に、小川屋で私を泣かせた谷井大介とは、それ以来1年ぶりに再会。
サンイチゴと共に、小川屋チルドレンの代表格として、気合の入ったステージを展開した。
が。
実はもっと色々書きたいことがあったんだけど、3月29日の彼のライブがあまりにも凄かったんで、ここでは割愛。
やっぱりアトムの歌は泣けた。
私は「大震災世代の子供たち」を歌う気持ちが薄れているので(内容を変えないと‘今’とマッチしなくなってきてるからです)、彼がこの歌の思いを受け継いでくれたら嬉しい。

さて、私にとってこの日は、色んな試練が待ち構えていた日。
シンガー田中眞紀子の生みの親、育ての親であるアピアパパに、ツアー先のライブを見られるっていうのは、子供が学校で好き勝手な事をしていたら親が授業参観に来ちゃったみたいな感じで、少々気が重い感じだったのだが、いざ本番が始まったら、強~い味方がそばにいてくれるっていう安心感みたいなものがあって、妙な感じを味わったのだった。
試練その2は、「ふるさと」を、作曲者タテタカコさんと、いわきでこの歌を歌い続ける三ケ田圭三氏の前で歌うというもの。当のタテタカコさんからリクエストされてしまったので、歌うしかない。
1年以上歌い続けてきて、なんだか卒業試験のようなのだった。
何とか及第点はもらえたようだ。
自分の出番直前なのに、私のライブの最後まで客席にいて「ふるさと」を聞いて下さった。タテタカコさんに感謝である。

さて、タテタカコさんのライブで物凄くうれしかったのは、いわきから三ケ田圭三氏が1曲歌いに来てくれたことだ。
何しろこのイベントは三ケ田氏の発案で始まっている。「言いだしっぺなんだから来てよ~!」と言った事は言ったけど、本当に来てくれるとは!
ドラムとライブペインティングの方々を引き連れて、小川屋最後のライブを盛り上げたいというタテタカコの思いをたっぷり盛り込んだ暖かいステージだった。
またPAを含め、勉強させてもらえたこともあり、この共演は私には有意義であった。


昨年大病をして、今年からライブ復帰している遠藤ミチロウ氏のステージは、小川屋の最終イベントで「今日で辞める」「解散する」と言っていた何組かの出演者に見せたかったよな。
このステージへの執念を!
今まで幾度となく見てきた遠藤ミチロウとは別のエネルギーが、そのギターに声に滲み出ているんだ。
だから聞き手は‘待つ’んだよ。その時が来るのを!
そして‘来る’んだ、‘その時’が!

座って歌うと、モニターからの音の聞こえ方が違ってやり難そうにしていて、ついには立って歌っていた。
ライブが終わった時には、まともに歩けないような状態。
でもやるんだよ!!
音楽が、歌が、ライブが、己にとっていかなるものか。
少なくとも、同じステージでライブをやってる者なら、全盛期とは異なるパワーの爆発のしかたを学べたろうに!
その炸裂の一瞬の魔力を!

多分ご本人も納得のいくライブではないだろうが、ご本人、聴衆共に、新しい遠藤ミチロウのステージの形を構築していくのだろう。
つまり、未だ進化するという事だ。


終演後、小川屋プリンちゃん、三ケ田君、アピアパパ、ミチロウさんという、あり得ない4ショットが談笑していて、私は一人で夢を見てるような幸せな気分。
遠藤ミチロウ監修「音泉マップ」という、全国のライブハウスの情報を集めた本があって、プリンちゃんはこの日のイベントタイトルを、その本から引っ張ってきたんだけど、この本、アピアが出しているのをプリンちゃんは知らなかったらしい。
リハーサルの時、横浜ナンバーの真っ赤な車に乗ってやってきたアピアパパを店に入れて、全部手作りですとプリンちゃんが案内すると、渋谷のアピアも手作りだったね、とパパは嬉しそうに笑った。

私の‘実家’渋谷アピアと同じ匂いのする小川屋は、渋谷アピアと同じように消滅する。
けれど、この日のタイトルは「小川屋音泉vol.1」。
店という形が無くなっても、小川屋は前進するのだ。