つれづれなるままに

ひぐらしパソコンに向いて・・・・・・・

平城宮復元事業

2009年10月24日 | Weblog
あるグループの仲間と奈良へ行ってきました。
目的は古事記・日本書紀に出てくる神話の舞台の一つであり、万葉集などにも詠われる大和三山(耳成山、畝傍山、天香具山)の辺りにある神社や古墳などを訪ねることでしたが、その途中で復元事業が進行中の平城宮の大極殿と朱雀門を見ることができました。

大極殿と朱雀門の復元は、文部科学省・文化庁が進めているもので、平城京遷都1300年に当たる来年の完成を目指しています。

大極殿は素人目には完成間近かに見えましたが、工事中のため近寄れないのが残念でした。(警備員の方が扉の間から写真を撮ることは許してくれました)

上の写真では大きさが分かりませんが、幅44m、奥行20m、高さ29mということです。

発注は文部科学省ですから、観光を目的としたいい加減なものではないことが分かります。


大極殿から約800m離れた場所に、これと向かい合う形で朱雀門があります。こちらは1998年に竣工しています。

朱雀門を通してその向こうに見えるのが大極殿です。(望遠レンズで撮っているので近く見えますが間は800mです)

修学旅行生が沢山訪れていました。


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スロベニア・クロアチア (第5日&おまけ)

2009年10月17日 | Weblog
5日目は、クロアチア旅行のハイライト、“アドリア海の真珠”とも称えられるドブロブニクです。

所がここで大失敗をしてしましました。
前日、バスの中から暗くなりかけた風景を手振れなく撮るために、カメラのISO感度設定を最高の12800に上げ、シャッター速度を早くして撮影しました。そのような場合、設定を通常に戻さなければならないのですが、このときはそれを忘れてしまいました。翌日も設定を確かめないまま撮ったため、以後の写真は全てISO12800で撮影してしまいました。
一昔前のデジカメに比べればノイズは驚異的に少なくなったとはいえ、画質的には酷い写真ばかりになってしまいました。画像処理で何とか誤魔化したものもありますが、お恥ずかしい次第です。

途中の高台から見た町全体の様子です。


旧市街は全体が城壁で囲まれています。城壁は8世紀からあるそうですが、今の姿になったのは15~16世紀だそうです。


周囲約2kmの城壁は歩いて1周することができ、今回は半周しました。
城壁の上から撮った写真です。


ユーゴ内戦では街全体が大きな被害を受けたそうですが、今はほぼ昔のままに復旧しています。しかし、所々破壊されたままの場所もありました。


城壁を歩いていると、表通りからは見えない生活空間を垣間見ることもできました。我々の感覚からすれば快適とは言い難い環境だと思いますが、こうして昔の街の姿を維持しているのでしょう。


表通りは綺麗な街並みで、沢山のオープンカフェがあります。


この日は午後から教会前の広場で民族衣装を纏った人たちの合唱があったり、即席の屋台マーケットができたりしてお祭りのような感じでした。


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今回のツアーは8日間の日程ですが、往復の時間を除くと実質は5日間です。
ただ今回はロンドンでの乗り継ぎ時間が9時間もあるので、直前にロンドン郊外のウインザー城を見物することになりました。

城にはユニオンジャックが掲揚されていて、エリザベス女王は不在であることを知らせていました。


次の海外旅行はあるだろうか? と考えながら帰路につきました。
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スロベニア・クロアチア (第4日)

2009年10月15日 | Weblog
4日目はクロアチアの古い都市、トロギールとスプリットを訪れました。

トロギールは周囲を城壁で囲まれた小さな島で、町の起源はギリシャ時代に遡ると言われています。。


旧市街へ入るには2重になった城門をくぐらなければなりません。


城壁の内側には世界遺産の聖ロヴロ大聖堂があります。建築の開始は13世紀初め、完成は17世紀であるため、様々な建築様式が組み合わされています。


13世紀にできたという門の両側にはアダムとイヴの像が彫られています。


旧市街の外には屋台の市場があり、地元の人や観光客で賑わっていました。


スプリットに向かう途中の車窓から、ローマ時代の水道橋らしい物が見えました。


スプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌスが引退後の住居として造った宮殿がそのまま市街になった町で、一帯は世界遺産になっています。(ディオクレティアヌスは、円満に退位して幸せな余生を送った初めてのローマ皇帝と言われています)
4世紀初めに造られた城壁は今も街を囲んでいます。左の説明図は当時の城の様子ですが、海側に描かれている城壁が右の写真の城壁だそうです。


城壁の内側に入ると、近代的な建物と古い城壁が一体化していました。写真では良く分かりませんが、右上のホテルと書かれた建物と城壁は密着しています。


4世紀から現代まで、こうしてそれぞれの時代の建築物が融合して今の街の姿になったのだと思います。
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スロベニア・クロアチア (第3日)

2009年10月13日 | Weblog
今日は、今回の旅行のハイライトであるプリトヴィッツェ国立公園をハイキングした後、古都シベニクへ行きました。

プリトヴィッツェ国立公園は世界遺産に登録されている公園で、大小16の湖から成ります。湖はそれぞれ高さが違うため、高い湖から低い湖へ大小無数の滝が流れ落ちています。
この一帯もセルビアとの戦闘で酷く破壊され、一時は危機遺産のリストにも載ったそうですが、ようやく数年前にほぼ原状に復したということです。


湖の周囲には木道が敷設され、自然が保護されています。夏のハイシーズンには木道から落ちる人もあるほど混雑するそうですが、この時期は観光客も少なく実に快適でした。


とにかく公園全体に水が溢れている感じです。


水は澄みきり、神秘的な色をしています。
湖岸近くでは多くの魚が見られました。これを見て「美味しそう」という日本人が多いそうですが、勿論釣りは全面禁止だそうです。


夕方、アドリア海岸にあるシベニクに着きました。
中世の雰囲気を色濃く残す町には、世界遺産の聖ヤコブ大聖堂を初め多くの教会があります。


狭い路地に入ると、外観は中世そのものの建物が多数あります。内部は改装され、人々が実際に生活していますが、日本人の感覚では決して快適な生活環境とは言えないと思います。古い建物は維持管理も大変と聞きましたが、中には「FOR SALE」と張り出された窓もありました。


ホテルへ向かう途中、車窓からアドリア海の夕日を見ました。
夕日はどこで見ても同じですが、海の向こうはイタリアだと思うと、また別の感慨も湧いてきます。
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スロべニア・クロアチア (第2日)

2009年10月10日 | Weblog
スロベニアの首都リュブリャーナは人口27万人の小さな街です。

私たちが訪れたのが午前中の早い時間だったせいか、街には霧が残り、新市街も旧市街も薄寒い雰囲気でした。


ピンクの教会は17世紀に建てられたもので、街の中心部「三本橋」付近にあります。流石にこの付近は賑わっていました。


中心部にある市場には食料品から雑貨まで多くの店が出ていました。
果物屋さんには、日本の柿とは少し種類が違うようですが、「KAKI」と書いてある果物も売っていました。


午後は国境を越えてクロアチアの首都ザグレブに行きました。

ザグレブは快晴でした。
左は聖母被昇天大聖堂、右は聖マルコ教会です。中央の塔はマリア像(だったと思います)


ザグレブの街はは大勢の人で賑わっていました。


ザグレブの街には公園が沢山あります。
広い道路は中央部分が公園になっていますし、大きな樹木が鬱蒼と茂る本格的な公園も街中でいくつか見かけました。
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スロベニア・クロアチア (第1日)

2009年10月08日 | Weblog
9月28日から10月5日まで、スロベニアとクロアチアへ行ってきました。

両国とも旧ユーゴスラビアの一部で、ユーゴ崩壊に続く内戦が終結したのは1995年ですから、各地に内戦の爪痕が多く残っていました。
一帯は17世紀からヨーロッパのリゾート地でしたし、最近は日本からの観光客も増えているようです。(実際、参加したツアーには新婚さんが4組もいました)

8日間(実質5日間)の短い旅行でしたが、沢山撮った写真の一部を紹介します。

第1日はスロベニアのブレッド湖とポストイナ鍾乳洞を訪れました。

ブレッド湖は「アルプスの瞳」とも称されるだけあって、美しい湖でした。
湖の中にはスロベニアで唯一という島があり、聖母被昇天教会が建っています。


島には手漕ぎのボートで渡ります。


教会の外観と内部の様子です。
教会の設立は8~9世紀ということですが、現在の建物は17世紀の建築だそうです。


湖面から100mの断崖上にはブレッド城があり、島を見下ろしています。


午後はポストイナ鍾乳洞へ行きました。
入口の近くに「観光センター」のようなものがあるのは日本と同じですが、ここは入口から約2kmをトロッコに乗って奥まで入ります。
ただ、鍾乳石や石荀の見事さは秋芳洞の方が勝ると思いました。


驚いたのは、トロッコが暗い中を壁面や天井すれすれに、しかもかなりの高速(15~20km/H?)で走ることでした。少し身を乗り出したら確実に大事故になります。日本では安全上絶対にあり得ないこととだと思いました。


スロベニアもクロアチアも一見すると美しい国ですし農家の建物なども小綺麗なものが目立ちました。しかし、これは内戦が終結してから国中の人々が必死で復興に取り組んできた結果だということです。実際、建て直した家々の近くには戦闘で使われた戦闘機や戦車が内戦を忘れないために展示(放置?)してある場所がありました。また写真には撮れませんでしたが、破壊されたまま放置されている建物も多数ありました。
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