つれづれなるままに

ひぐらしパソコンに向いて・・・・・・・

南イタリア紀行(第3日)

2011年04月29日 | Weblog
タオルミーナはイタリアきっての高級リゾート地で、ここを舞台にした映画などもあるそうです。
朝の散歩に、ホテル近くの市民公園へ行きました。
公園から遥か下の方にタオルミーナの海岸や鉄道の駅などが見えますが、街の中心部はこの公園よりさらに少し高いところにあります。
写真の右上に見える山はエトナ山(標高3,323m)で、何度か噴火を繰り返し、今も僅かながら噴煙を上げるヨーロッパ最大の活火山です。


市民公園の近くに古代ギリシャ劇場の遺跡がありました。
紀元前3世紀に造られ、ローマ時代の2世紀に円形闘技場に改造されたものです。写真の右手前に扇状に配置された観客席があります。観客席は改修されていて、現在も夏には演劇・コンサート・バレエなどの催しが行われているそうです。


ここを見学している小学生の一団に会いました。
旅行中何度も同じようなグループに会いましたが、先生がさしている日傘が蛇の目傘風の珍しいものだったので写真を撮らせてもらいました。日本人は旅行先でもよく日傘をさしますが、ヨーロッパで現地の人がさしているのを、私は初めて見ました。


ヨーロッパの大抵の街には中心部に教会がありますが、タオルミーナにも「大聖堂」(Cattedrale)がありました。実際は小さな聖堂でしたが、13世紀に創建され、改修を繰り返してきたものだそうです。内部の造りは前日などに見た教会に比べればシンプルでした。


午後のフリータイムにはロープウエイで海岸に降り、現地に住む日本人ガイドの案内で小さな舟に乗って海岸線を回りました。このガイドさんは銀行員を辞めてガイドになり、イタリアに住みついた後、この海のウニが食べたくてダイビングを習ったのだそうです。ウニのおいしさが解るのは、世界中で日本人とイタリア人だけだとか。


海岸には洞窟がいくつかありますが、その内の一つに入りました。カプリ島の青の洞窟ほど有名ではありませんが、これも通称青の洞窟と呼んでいるそうです。(日本人だけ?)
写真の右上の人は、私が乗っ舟の船頭さんですが、普段は漁師をしているそうです。JALの機内誌5月号のシチリア特集に載るということなので、一足先に公開(?)しました。


洞窟の内部は青い光に満ちていました。
恐らく、カプリの洞窟の方がより神秘的なのだと思いますが、こちらの洞窟は訪れる人が遥かに少ないので、ゆっくり見て写真を撮ることができました。(カプリの洞窟に入れる時間は1コーラスくらいだとか・・・)
添乗員から、この洞窟に入っておくとカプリの洞窟に入れない時の保険になる、と言われていたのですが、結果的には行って正解でした。(つまり、カプリの洞窟には入れませんでした)


シチリアは2次大戦中ドイツに占領されましたが、その時に造られたトーチカ(円内)が残っていました。トーチカの左には釣りをしている人が写っています。


海から上がった所にレモンの木がありました。旅行中は至る所でレモンの木を見ましたが、その実は何れも大きくてごつごつした感じでした。
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南イタリア紀行(第2日)

2011年04月26日 | Weblog
2日目の朝はホテルの窓を開けたら丁度日の出の時間でした。


パレルモの観光の前に、8km南西のモンレアーレへ行き、ドゥオーモとベネディクト派修道院の回廊付き中庭を見物しました。
このドゥオーモが造られたのは12世紀半ばですが、中のモザイク画は見事です。この辺りはイスラム教の影響を強く受けていますから、これらの絵が創建時のものかどうかは分かりません。(ガイドから説明があった筈ですが……)


回廊付き中庭はスペインのアルハンブラ宮殿の中庭に似ていました。
左端の柱の様に、中庭を取り囲む沢山の柱には非常に鮮やかな色彩が施されていますが、中には観光客に削り取られたものも沢山ありました。


形は違いますが、噴水があるところもアルハンブラと同じです。


その後はパレルモに戻りましたが、途中の道路は大混雑していました。
一人が1台ずつ車を持ち、自宅には駐車場が無いため路駐が普通で、道路の2重駐車も珍しくないそうです。


日本では殆ど見かけなくなったオート3輪を見ました。旅行中かなりの頻度で見ましたから、相当な数が現役で動いているようです。南部のイタリア人は皆車好きですが、ボロでも傷だらけでも気にしない人が多いのだそうです。古い物を大切に使うという文化もさることながら、きれいな車は盗まれやすいからだとも聞きました。


パレルモのパラティーナ礼拝堂にもモンレアーレのドゥオーモと同じようなモザイク画がありました。キリストの絵は見比べないと区別が付かないほどよく似ています。


周囲の壁にはイスラム式と思われるモザイク模様が見られます。
また床には12星座を表すモザイク画がありました。ガイドは、天井の穴から差し込む光線がその絵を順次照らすと言っていましたが、それがどういう時なのか忘れました。


この後、地中海沿岸を走る電車でチェファールへ向かい、街を散策した後、バスで次の宿泊地タオルミーナへ向かいました。
途中で見た地中海の色は見事なまでに澄んだ青でした。
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南イタリア紀行(第1日)

2011年04月24日 | Weblog
4月10日から19日まで、南イタリアへ行ってきました。
ツアーの日程としては、シチリア島4泊、アルベロベッロ1泊、カプリ島1泊、ナポリ2泊の8泊10日ですが実質は7日間です。
「紀行」と言うにはいささか気が引けますが、沢山撮った写真の一部を紹介します。

イタリア半島も異常気象で、南部は例年より寒いとのことでしたが晴天には恵まれました。

シチリアは地中海の要衝として様々な異民族に支配されてきた歴史があります。
初日は古代ギリシャ人が沢山の神殿を作ったアグリジェントの遺跡訪問から始まりました。

シチリア自治州の州都パレルモからアグリジェントへ向かう途中には「ユダの木」が沢山咲いていました。
ユダがこの木で首を吊ったという伝説からついた俗称で、日本名は「セイヨウハナズオウ」というそうです。

遺跡へ向かう道路脇にはサボテンが自生していました。サボテンはシチリアだけでなく本土でも多く見かけました。
私が見た範囲には、サボテンの葉に書かれた落書きの中に日本の文字が無くてホッとしました。


神殿の谷と呼ばれる一帯には多数の神殿(多くは崩れている)が存在しますが、コンコルディア神殿は比較的原型を留め、実物を見たことはありませんが、写真で見るギリシャのパルテノン神殿によく似ていました。
神殿の左に見えるオブジェはシチリア出身の芸術家の作品らしいのですが、私には邪魔物にしか思えませんでした。(他にもいくつかありました)


左はジュノーネ・ラチニア神殿(通称ヘラ神殿)、右はエルコレ神殿(通称ヘラクレス神殿)です。


近くにある州立考古学博物館にはアグリジェントや近隣で出土した品々を展示していました。


パレルモとの往復の途上で車窓から風力発電機やソーラーパネルを沢山見ることができました。特に風力発電機は本土の丘の上にも林立(少々オーバーですが)しており、イタリアが自然エネルギーの活用に熱心なことを窺い知ることができました。風力発電機は一昨年クロアチアを訪れた際にも見かけましたが、原発問題に不安を抱く今の時期に見たせいか、当時より強い印象を受けました。


観光地にはどこにも同じようなお土産屋さんが並んでいます。
中央の3本足の焼き物はシチリアのシンボルだそうです。
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