つれづれなるままに

ひぐらしパソコンに向いて・・・・・・・

エジプト旅行 (最終日:カイロ市内)

2006年12月17日 | Weblog
最終日は、ピラミッドと共にエジプト旅行のハイライトであるエジプト考古学博物館を見学しました。
ここには、ツタンカーメン王の黄金のマスクや純金の棺、秘宝、ラムセス2世を初めとする多数のミイラなどが展示されており、それらを極めて間近に見ることが出来ました。

残念なことに、ここはカメラは持ち込禁止のため、写真がありません。
ヨーロッパの美術館・博物館などにはストロボを光らせなければ撮影OKのところも多いのですが、エジプトではピラミッドや神殿の内部などは撮影禁止のところが殆どでした。(数年前は撮影できた所もあるようです)
==================
余談になりますが、観光客の撮影マナーを見ていると、それも仕方がないと思います。
有名な展示物や建造物を写真に撮りたい気持ちは多くの人が持っています。
しかし、こうした場所では、他人の見学の邪魔をしないことが最優先の筈です。
一番良い場所から撮りたい気持ちを抑えて他の観光客の邪魔にならないように離れた場所から撮影しているときに、無神経にその展示物や建造物の前に立ち、仲間が交代で写真を撮っている人達が沢山います。(決して日本人だけではありませんが、日本人と最近増えた中国人が目立ちます)
また、ストロボを発光させないようにと事前に注意を受けながら、オートのままで発光させてしまう人も沢山います。(自分のカメラを発光禁止にする方法を知らない人も多いのです)
こうしたマナーの悪さが重なって、次第に撮影禁止が広がっているような気がしてなりません。
写真を撮ることを大きな目的に旅行する者にとっては、大変残念な事態です。
==================
ついで、モハメド・アリ・モスクを訪れました。
こちらは撮影は自由でした。(宗教施設で、実際に祈っている人も多くいましたから、発光させないのが当然ですし、広い建物の中で遠くを写すのに、ストロボは全く無意味なのですが、やはり光らせている人がかなり見られました。)

モスクの天井ドームはどこも綺麗ですが、このモスクの天井も綺麗な緑色をしていました。
=======================
<その他>
カイロの人々住居は大部分が共同住宅だそうです。(1戸建ては一部のお金持ちだけ)
比較的裕福な人々は新しい高層アパートに住んでいますが、貧しい人々が住むスラム街のように見える地区も結構見かけました。
下の写真左はカイロの高層アパート、右は郊外で見た住宅です。
右の写真は郊外で撮ったものですが、同じ構造の住宅が多数集まった地域はカイロにも沢山ありました。
これらの住宅の壁は、貧しい地域では日干しレンガ、少しマシなところは焼きレンガで出来ており、屋根は数本の棒を渡した上をココ椰子の葉で葺いてあります。その上に風で飛ばないようにするためかどうかは分かりませんが、色々な物(バケツやポリタンクなど)が無造作に載っているため、非常に汚く見えます。
所が、、その間からパラボラアンテナが見えたりするため、我々の感覚からするとかなり不思議な光景です。


イスラム教の女性達の服装は、地方の年配の人は黒いベールを被り、黒いガラベーヤ(ゆったりした民族衣装)を着ている人を多く見ました。
カイロでは黒も見ましたが、若い女性は勿論のこと、かなり年配の女性達の服装もなかなかカラフルでした。
彼女達は決して強制されてベールを被っているわけではなく、ファッションとして楽しんでいるのだそうです。

ベールについて若干不思議に思ったのは、現地で見たテレビ番組に登場するニュースキャスターの女性は、私が見た限りでは例外なくベールを被ってはいないことでした。

=================
今回も時空を超えた異文化に接し、沢山の感動を得た12日間(実質10日間)でした。
コメント (6)

エジプト旅行 (第9日:カイロ郊外)

2006年12月15日 | Weblog
この日は一日カイロの近郊であるサッカラ、メンフィス、ダハシュールをバスで巡りました。

この辺りには大小のピラミッドがありますが、中でも最も初期のピラミッドと言われる「階段ピラミッド」、途中で傾斜角が変わっている「屈折ピラミッド」、最も古い2等辺三角形の真正ピラミッドと言われる「赤のピラミッド」が有名です。

これらのピラミッドはギザのピラミッドと違い、各々離れて砂漠の中にポツンとあるピラミッドでした。

この辺りはカイロの近郊とは言いながら、のどかな田舎の風景が見られました。
村には商店が集まった一角があり、人々が談笑したり買い物をしているらしい光景を見ましたが、動いているバスから見ただけなので、店の詳細は分かりませんでした。




メンフィスにはラムセス2世の巨像がありました。
横たわった巨大な像ですが、室内にあって大き過ぎるため、適当な構図には収まりませんでした。

またその近くには優しい顔をした10mほどのスフインクスや、ラムセス2世の立像などもありました。
コメント (2)

エジプト旅行 (第8日:砂漠、ワディ・イル・ヒタン)

2006年12月14日 | Weblog
カイロから約120km離れたワディ・イル・ヒタンへ行きました。
ここは、2005年に世界遺産に指定された場所で、現在は砂漠の中ですが、太古には海岸または海底であったことを示すマングローブの化石や、鯨の祖先の骨の化石などが多数点在しています。

砂漠には、一人ずつ警備員が同乗した4WDの車に分乗し、銃を構えた軍隊の車に先導されて向かいました。

この辺りが特に危険ということではなく、旅行客の安全に万全を期すということと共に、多くの国民に仕事を与えることも目的ではないかと思います。

エジプトの砂漠にも色々な所があるようですが、この辺りは「土漠」と言われる場所も多く、砂ばかりの土地ではありません。奇岩が並び、トルコのカッパドキアを思わせるような所もありました。
それでも風が吹くと細かい砂が舞い上がり、マスクをしないと口の中がザラザラしてきます。


「土漠」の中にも、砂ばかりで、いかにも「砂漠」という感じの場所もありました。小さいながら「風紋」も出来ており、ここから始まるというリビア砂漠の様子を垣間見た思いがしました。


鯨の骨の化石は砂の上に無造作に置かれているという感じでした。
一応小さな石を並べたり、簡単なロープで仕切ったりしてありましたが、盗難などもかなりあるようです。

特に発掘をしなくても見つかったものが囲ってあるだけで、砂の下には沢山の化石が眠っているものと思われます。

弁当を持ち、トイレは往復の途中各1箇所しかない、9時間の小旅行でしたが、なかなか面白い体験でした。
コメント (4)

エジプト旅行 (第6,7日:アブシンベル、アスワン)

2006年12月11日 | Weblog
クルーズ船を降りて飛行機でアスワンからアブシンベルへ向かいました。

アブシンベルはエジプトの南端、スーダンとの国境近くにあります。
アブシンベル神殿に着いたのは夕方で、夜には「音と光のショー」を見ました。
それも素晴らしかったのですが、丁度新月の頃にあたり、久しぶりに見る「満天の星」に感激しました。


この神殿は、隣のアブシンベル小神殿と共に、アスワンハイダムに水没する運命にあったものを、ユネスコが主体となって今の場所に移築したものだそうです。
これが世界遺産を保護する活動の契機になったと言われています。

翌朝は5時半にホテルを出て、アブシンベル神殿の日の出を見に行きました。
1年に2回だけ、この朝日が神殿の奥まで射し込み、中の4体の神像の内、夜の神を除く3体の像に光が当たるのだそうです。


日の出を見た後、飛行機で再びアスワンに戻り、「切りかけのオベリスク」を見ました。

オベリスクは先の尖った石の塔で、パリのコンコルド広場やバチカンのサン・ピエトロ広場などにもありますが、元は古代エジプトの神殿にあったものです。
コンコルド広場のオベリスクはルクソール神殿にあるものと対を成していたのですが、19世紀にパリへ運ばれたのだそうです。

「切りかけのオベリスク」は、古代に石切り場で途中まで作られたところで亀裂が入り、放棄されたものと言われています。そのため、オベリスクの作り方を知ることが出来るというのですが、本当はまだ良く分からないようです。“木の楔を割れ目に打ち込み、楔に水をかけて、木が膨張する力で岩を砕いた”という説が有力だったそうですが、ある人が試したみたが割れず、その説は否定された、との話も聞きました。


カイロ行きの飛行機に乗るためにアスワン空港へ向かう途中、昼食に立ち寄ったレストランの近くに、アガサ・クリスティが「ナイル殺人事件」を執筆したというホテルがありました。
そういえば、イスタンブールには「オリエント急行殺人事件」を執筆したというホテルがありました。
彼女は優雅に各地の高級ホテルに滞在しながら名作を書いていたのですね。
コメント (7)

エジプト旅行 (第5,6日:アスワン)

2006年12月09日 | Weblog
アスワンはアスワンハイダム(ナセル湖)で有名ですが、イシス神殿もあります。
本来この神殿があったフィエラ島は、ダムが出来ることによって水没する運命にあったのですが、その前に現在の島へ移築されたものです。


神殿は似た形のものが多く、巨大の塔門と列柱室、至聖所などから成っています。
塔門や柱、壁には多数のレリーフが彫られていますが、これらは単なる飾りではなく、それぞれが、神や、神を擬した王の物語りとなっているようです。


イシス神殿のある島にはブーゲンビリアが綺麗に咲いていましたが、この時期、エジプトでは花の種類は少ないように感じました。


アスワンハイダムはナセル大統領の時代に、ソ連の協力を得て作られた巨大なダムですが、ナイル川の氾濫がなくなった代償として、近年は気候が変わったり、下流域に塩害が拡大するなど、マイナス面を無視できなくなっているようです。
コメント (4)

第3,4日: クルーズ船、ホルス神殿、コム・オンボ神殿

2006年12月05日 | Weblog
ルクソールからナイル川のクルーズ船に乗りました。
4泊5日でアスワンまで川をさかのぼります。

私達の乗った船は「アマルコ1世」という船ですが、似たような船は200隻以上もあるとのことでした。


この船にはホテルのツインルームとほぼ同じ部屋が約50室あり、デッキには小さいながらプールもあります。外洋航海の豪華客船と比べるのは無理ですが、とにかく4連泊できるのは楽です。


途中の港に着くと、一斉に小船が寄ってきて、絨毯?などをを買ってくれと叫んでいました。買った人を見ませんでしたので、どうやって品物とお金を交換するのか分かりませんでした。船が止まる前に近寄ってきますから、かなり危険な場面も見ましたが、彼らの必死の様子を見ていると、やや複雑な思いがしました。


エドフではホルス神殿を、コム・オンボではコム・オンボ神殿を見ました。

ホルス神殿には港から2人ずつ馬車に乗って行きました。


古代エジプトには沢山の神がいましたが、ホルス神は鳥の形をしています。


コム・オンボ神殿を訪れたのは夕暮れ時で、ライトアップされた神殿がとても綺麗でした。
コメント (7)

エジプト旅行 (第2日:ルクソール)

2006年12月04日 | Weblog
2日目は早朝カイロからルクソールへ飛びました。

初めはハトシェプスト女王葬祭殿へ行きました。
ここは1997年に観光客が過激派に襲撃されて、日本人10人を含む観光客50名が亡くなった場所です。我々のツアーの添乗員の先輩もそのとき亡くなったのだそうです。
確かにこの場所で不意に襲われたら、逃げられないと思いました。

この事件の後、エジプトの警備は凄く厳重で、いたるところで警察官を見ましたし、遺跡や博物館・ホテルなどの入口には、空港にあるような金属探知機が設置されていました。(中には稼動しているか疑わしいものもありましたが・・・)

その後、王家の谷へ行き、いくつかの墓に入りました。
ツタンカーメン王の墓だけは盗掘を免れて、埋蔵品はカイロの考古学博物館に収蔵されていますが、その他は壁などにレリーフが残っている程度でした。
これからも未発掘の墓が見つかる可能性があるとのことでした。



次にルクソール神殿、カルナック神殿などへ行きましたが、写真と記憶が混乱していて今のところ区別がつきません。



この日から4泊するクルーズ船に着いたのは、ちょうどナイル川に夕日が沈む頃でした。
コメント (5)

エジプト旅行 (第1日:ピラミッド)

2006年12月02日 | Weblog
念願のエジプトへ行ってきました。

昨年のトルコも素晴らしかったのですが、古代エジプト遺跡のスケールの大きさには圧倒されました。
ありふれた写真も多いのですが、数回に分けて紹介します。

初日の朝、ホテルの窓のカーテンを開けたら、目の前にピラミッドが見えました。
前夜遅くホテルに着いたときはシルエットも見えなかったので、感激の一瞬でした。


朝食の後、早速ピラミッド見物に出かけました。

左がクフ王のピラミッド、右がカフラー王のピラミッドで、共に高さは約140mです。
写真では砂漠の中にぽつんとあるように見えますが、実際は前の写真で分かるように、街の近くにあります。


クフ王のピラミッドは中に入ったのですが、残念ながらカメラは持ち込み禁止でした。(尤も、写真の題材になるようなものはありませんでした)

ピラミッドには現地の子供たちも大勢見学に訪れていました。
子供たちはどこでも人なつっこく手を振ってくれます。
左端の子供のように、都会では携帯電話を持った子供も見かけました。


このピラミッドの近くには、守り神としてスフインクスがあります。
いつか「トリビアの泉」でやっていたように、このスフインクスの視線の先には確かにケンタッキーフライドチキンがありました。


スフインクスの鼻はアラブ人に削られ、あごヒゲは英国人に持ち去られたそうですが、砂岩でできている胴体部分も明らかに風化が進み、全体に痛々しい印象です。
修復もしているようですが、遺跡の修復とはどこまで許されるのか、難しい問題のようです。
コメント (8)