工作台の休日

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バンパイア練習機とT-1練習機への道

2020年03月09日 | 飛行機・飛行機の模型
 先日までのブログでバンパイア練習機が日本に輸入された経緯などについて触れました。すでに新しい練習機の設計はタンデム(前後)の座席配置が決まっていたのに、なぜ「サイド・バイ・サイド」のバンパイアが輸入されたか、ということですが、そこに至るまでには紆余曲折もあったようです。
 戦後の航空機開発の再開、昭和29年の航空自衛隊創設で、国産機開発にも拍車がかかります。すでに国内の各航空機メーカーがジェット練習機について研究を進めており、防衛庁もその流れに乗り、各社からの聞き取りを行っていました。
 ただし、この時点では座席配置をどうするのか、というところまでは固まっていなかったようで、新三菱重工(当時)はサイド・バイ・サイドで設計を進めていました。海外でも練習機の座席配置にサイド・バイ・サイドを採用しているケースとタンデムを採用しているケースがあり、それぞれの長所・短所があったので、比較検討の必要は十分にあったのでしょう。私の手持ちの資料ではバンパイアは昭和31年1月に購入とされていますし、T-28は既に新三菱重工が取得していたものを昭和31年4月に防衛庁が買い取ったと言われています。官庁のことゆえいきなり購入ということは難しいでしょうし、既に現物が日本にあったT-28と違い、海外から運んでくる必要もありますから、時間をかけて検討を進める中でバンパイアを取得する話が出てきたのではないかと思います。
 こうした研究開発が本格化していくなかで、同盟国というよりこの時代ではついこの間まで日本を占領していたアメリカからも動きがあり、当時開発中だったT-37練習機を導入してはどうか、という話もあったようです。T-37はアメリカ、セスナ社の練習機で、アメリカを始め世界各国で使用されました。

(写真はポルトガル空軍アクロチーム アシャス・ド・ポルトガル仕様の1/72キット)
 見ていただくと分かるとおり、T-37はサイド・バイ・サイド配置です。T-1の開発にあたって座席配置をタンデムにした理由として、独立心を養うためにはタンデムがよい、という航空自衛隊草創期を支えた旧軍出身のパイロット達の意向があったとも言われています。そもそも旧軍時代から日本ではタンデム配置による乗員の養成が一般的でしたし、サイド・バイ・サイドで開発指示を出そうものならアメリカから圧力がかかるかもしれないという心理も働いたのではないか、という気もいたします。もちろんこれは私の推論の域を出ないところではありますが、わざわざ参考用に機材を購入したということは、時間をかけて比較検討することを当初は想定していたのではないでしょうか。ところが、アメリカからのT-37の売り込み、老朽化したT-6の交代を早く進めなければならないなど開発の方向性を早く出さなくてはならない状況となり、その結果わざわざ購入した機体が宙に浮いてしまったのではないか、と思うのですが・・・。

写真はあらためてバンパイア練習機(手前)と奥の581号機がT-28練習機です。
 かくして、富士重工の案に対してゴーサインが出ました。昭和31年7月のことで、各社が基本設計計画書を提出して3か月と少しでした。富士重工の案だけが後退翼を採用したラディカルなもので、そこから試作機のロールアウトが昭和32年12月ということで1年半程度ですから、今とは比較か難しいくらい開発のスピードが速いですね。

 T-1は昔のジェット機らしい後退翼、口を開けたようなインテーク、スマートな胴体と、私も好きな飛行機ではあります。
 
 次回はバンパイア練習機の短い「現役」だった頃のことと、私が初めてバンパイア練習機と出会ったときのことを話しましょう。

 
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