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工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

KATOの90年代日産車でまだ遊んでいます

2020年08月22日 | 自動車、モータースポーツ
 ちょっと前のブログでKATOのNゲージ用Nアクセサリーの90年代日産車をご紹介しましたが、あのブログの最後の方でカラフルなパルサーのレースカーもご紹介していたかと思います。あの車たちのジオラマを作りましたので、ご紹介する次第です。あるモータースポーツジャーナリストの懐旧談風に書いてみました。
「僕がサーキットに出入りするようになったのは1980年代のことだった。大学時代の友人がアマチュアでレースに出ていて、お手伝いと称して遊びに行っていたからだった。友人が出場していたのは入門向けのワンメイクのレースだったが、自動車メーカーも準エース格の選手を出場させており、なかなかレベルが高かった。僕もやがて他の選手たちやサーキットの関係者と知己を得るようになり、このクラスのレースのレポートを書いたところ、メーカーの広報誌やモータースポーツ誌に載るようになったり、レースプログラムにプレビューを書かせてもらうようになった。モータースポーツジャーナリスト稼業の始まりというわけである。
 ある日曜日、この日も友人が出場するレースを観にサーキットにいた。

 年間7戦で行われるこのレースには20台程度が参加していたが、上位8台には秋に行われるグランプリのサポートレース出場が約束されていた。国内各地の上位選手が集まるレースを目指して、僕の友人のようなプライベーターも真剣勝負をしていた。
 土曜日の予選でトップに立ったのは青い1号車だった。こちらはメーカーの準エース格が乗っている。F2やF3000の出走経験もあって、今年はGTカーや耐久レースが主戦場なのだが、メーカーの威信をかけて出場していて、当然スポンサーも有名どころがついている。ドライバーはピットウォールにもたれて監督とレース前の打ち合わせである。

 二番手のマシンにはサーキット内が驚きに包まれた。

 36号車をドライブするのは20歳の新人だった。地方のディーラーが発掘して連れてきたらしい。同じマシンと言いつつもパーツから何から違うワークス勢に割って入ることなど、通常では考えられず、いったい何者なんだろう、と誰もが驚いている。ゼッケンは若い数字はワークス勢が、プライベーターは大きな数字をつけているので、36という数字とスポンサーもついていない白いマシンと白いレーシングスーツが余計に目立っている。僕が昨日の予選の後で監督とドライバーに聞いたところではだいぶこのコースを走りこんで練習を積んできたとの由。新人対象のレースでは既に頭角を現していたが、メジャーデビュー戦である。監督は「最初の5周はラップタイムを2分3秒台でキープすることだけ考えればいい。無理に競争してぶつけたらもったいないぞ。でも後半になったら勝負をかけていい。少なくともお前の力なら2位でゴールできる」とアドバイスをしている。
 三番手はまたワークス勢である。
 
 説明の必要はない有名なタバコのブランドがスポンサーについている。これに乗るのは若手の有望株だが、やはり同じ若いプライベーターに予選で敗れて心中穏やかではない。レース前もスタッフとグリッド上で話し込んでいる。何が自分には足りないのだろう・・・。
 四番手にはワークスのベテラン選手が入った。若手の教育係も兼ねての出走である。

 その昔はル・マン24時間にも出場しており、なかなか手ごわいドライバーだった。年をとったけど、巧みなステアリングさばきには定評がある。グリッドには孫だろうか、小さな子供も応援に来ている。レーシングスーツに貼られたたくさんのスポンサーのワッペンが、キャリアと人気を物語っている。
 五番手にはプライベーターが入った。

 四番手とはタイム差がだいぶある18号車を駆るのは僕の友人である。プライベーターとは言ってもスポンサーもついたし、今年は年間の順位も上位8位に入れるかな、なんて言っている。ピットウォールにはガールフレンドが腰かけ、エプロン姿のメカニックと三人でレース戦略を練っている。「ワークス勢の7号車がタイムが出なくて後ろからのスタートだから、どこまでブロックできるかなあ・・・」。
 ピットウォールの内側の様子はどうだろう。マーシャルカーやドクターカーが待機している。


真っ赤なワーゲンバスに乗るのはサーキットドクターである。

長年レースを見てきたドクターに、36号車の新人の印象を聞いたところ「あの速さは本物だねえ、10年後にはグランプリドライバーとしてここにいるかもしれないよ。マシンの特性をすべて引き出しているように見えるね」とベタ褒めである。この人の予想はよく当たるが、それが本当になるとは、その時点では誰も気が付かなった・・・。
 レースは1周目の1コーナーで2号車が36号車のインを突いて2位に浮上し、そのまま数周が過ぎたが、6周目に36号車がアウトから2号車をぶち抜いて2番手を取り返し、そのままの順位でゴールした。
 このシーズンが過ぎた後で36号車の彼はライバルメーカーに引き抜かれた。彼自身がもともとフォーミュラカーに興味があり、ライバルメーカーの方がフォーミュラカーのレースに力を入れているというのも理由の一つだった。僕もこのシーズンの後で、ある通信社からスポーツ取材の仕事をいただくようになり、サーキットだけでなく、サッカー場、アイスホッケーのアリーナ、スキー場とあちこちの競技会場に出向くようになったが、モータースポーツの取材を中心に据えていた。彼がF3、F3000にステップアップしていくのと共に、僕もジャーナリストとしてこれらのカテゴリーを追いかけるようになった。デビュー戦で最初に取材に来たのがあなただったから、という理由で彼は僕の取材をいつでも快く受けてくれた。国内ではこの日の2号車のドライバーともライバルとして切磋琢磨していった。そして、このレースから10年も経たないうちに、僕も36号車の彼も、ジャーナリストとドライバーという関係で、F1の舞台に立っていた。彼はF1ドライバーとして活躍した後は、国内レースの監督としてサーキットで姿を見かけるが、彼のチームのマシンには36という数字が今も使われている。彼が私の取材を快く受けてくれるのも、あの時と変わらないのである・・・」
 物語がだいぶ長くなってしまいましたが、模型の説明もしましょう。レースカーに使ったのはカトーのパルサーです。パルサーは実際にレースにも出場していたようですが、改造を受けておりスタイルも細かいところが違うようです。ただし、このクラスの自動車についてはホンダがシビックのワンメイクレースを行うなど、レースでも人気がありました。特にどこのサーキットのどのシリーズということでもありませんので、小型車のワンメークレースをイメージしたジオラマということでご勘弁ください。車体をばらして色を塗り、レーシングカーのキットで余ったデカールや別売りデカールから使えそうなものを切り出して貼ったというところです。一部の車には車体後部に空力付加物もありますが、実際に役に立っていたかどうかは不明です(汗)。
 ドクターカーのワーゲンバスは昔懐かしいWIKING製、マーシャルカーはカーコレクションのトヨタセリカの屋根に透明のプラ材で灯火を追加したものです。実際にセリカは80年代にアメリカで開催されたF1ロングビーチGPのオフィシャルカーとして使用されたこともあり、タミヤがモデル化していました。
 ジオラマのサイズは持ち運びを考慮して100均で売っているケースに収まるものとし、そこに車や人を配置していきました。ベースは3ミリのスチレンボードで、その上に0.5ミリのプラ板を貼りました。路面の色はGMカラーの35番ダークグレーですが、タミヤのウェザリングマスターBのスス、同Dのオイルなどで軽く汚しています。白いラインはデカールで、スタートラインのチェッカー柄も「STUDIO27」というメーカーのデカールを使用しています。チェッカーの駒を切り離してマシンのゼッケンにも使用しています。ピットウォールやコントロールタワーはプラ板、プラ材で作りました。ピットウォールの内側は足を乗せられるように段がついていたりしますのでプラ材で再現し、ウォールの支えも兼ねています。
 人形たちは多士済々、さまざまなメーカーのものを使っています。ドライバー、メカニックの多くはトミーテックの「工場の人々」、「現場の人々」、「消防署の人々」などを塗り替えています。また、コースマーシャルはカトーの鉄道作業員の胴のところに色を差し、ビブをつけているように見せています。F1ならばスタート前のグリッドはメカニックたちで大賑わいでしょうが、このクラスのレースではグリッド上での作業も少なく、メカニックの人数も多くありません。ワークス勢は工具箱なのか、チームのカラーに塗られた箱状のものを持ち込んでいます。
 こうしてこのジオラマが出来上がりました。今回は鉄道模型のアクセサリーを使いながら鉄道模型とは全く違う世界になりました。


 
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