1月はモータースポーツ関係の記事になりそうな話をいくつか予定していたのですが、そんな中でとても悲しいニュースがありました。
モータースポーツジャーナリストとして、またフジテレビのF1中継で解説を長く務められてきた今宮純さんが年明けに急逝されました。ご冥福をお祈りいたします。
今宮さんはフリーランスのモータースポーツジャーナリストの草分け的な存在でもあり、国内レース、さらにはF1の取材等で活躍されてきました。地上波でF1中継が無くなった後も、最近ではさすがに登場回数も減っていましたがCSのF1中継でも解説をされていたほか、雑誌等活字メディアへの寄稿もされていましたし、ツイッターも昨年末まで発信されていたそうです。
私自身、F1中継に「意識して」チャンネルを合わせるようになったのはF1ブームの真っただ中のことでした。1987年以降の地上波での全戦放送や、セナ・プロスト対決は知っていましたし、模型誌でもよくF1の記事が掲載されていた、そんな時代でした。当時とてもお世話になっていたフジテレビの深夜番組の中に「F1ポールポジション」という情報番組があり、中継を観なくともたまにこれを観ればF1の様子がなんとなく理解でき、そこで解説役を務められていたのも今宮さんでした。
そんな中、偶然深夜の中継を観てF1にハマり、レースの中継がある日は録画してでも観るようになるわけですが、今宮さんの解説はバランスが取れた視点で、過度にマニアックにならず、モータースポーツとそこに関わる人たちへの愛情も感じられる、分かりやすいものでした。ご本人も自著の中で「たまたま深夜にチャンネルを合わせた人のために初歩的な話をレースの流れに即して話すようにしなければならなかった」と述べていますが、それが(まさに深夜に偶然レースの模様を観ていた私のような)初心者にも受け入れられ、いわゆる「F1ブーム」を支えたことになったのでしょう。初心者にもわかる解説というのは、ご本人もそうだったと記していますが「ミーハーこそマニアが通る道」であり、ミーハーの人たちにも深く理解してほしいという気持ちがあったからだと思います。また、今宮さんは20代から主に国内で豊富な取材経験を重ねており、上位から下位までの選手、チーム関係者、レース後に片づけをしているメカニックなど、なるべく多くの関係者を取材して、そこから雑誌に掲載するレポートを書かれていたそうです。こういった経験が、バランスの取れた視点を生んでいたのではないかと思います。
テレビ解説だけでなく、スポーツ誌「Number」でもF1特集が組まれた際に取材の裏話などのコラムやエッセイを執筆されており、それを読むのも好きでした。こちらもテレビ中継と同じく、「Number」誌が様々な読者層を対象にしていることもあるとは思いますが、分かりやすく、また後味の良い文章が多かった気がいたします。今日のようにインターネットで海外の情報がリアルタイムで入ってくるわけではなく、また個人が海外での観戦記をブログなどでアップしていたわけではない時代でしたので、サーキットの風景やパドックでの出来事、移動中にあった話などを通して、私もF1や海外に憧れを強めていくのでありました。
厳しい意見をされていたのは今はなくなってしまった「F1倶楽部」誌での、やはりベテランジャーナリストの赤井邦彦氏との対談記事くらいだったかと思います。それもご自身の取材など、確かな裏付けのあるコメントでしたので、説得力があるものでした。
また、今宮さんとテレビ中継というと、1994年にアイルトン・セナがイモラサーキットで事故死した際のコメントを覚えている、という方も多いようです。ご本人は「涙が止まらず、みっともないコメントだったと今でも恥じている」と語っていましたが、フジテレビの当時のプロデューサーは、本当に辛かったのは現地にいた彼ら(今宮さんや実況の三宅アナ)であり、今でもあのときの彼らに感謝している、と後にインタビューで答えています。あの場所で、生でああいったことを目撃された方に、機械のように感情を交えずに伝えろ、というのも酷なことではあります。セナのレース人生、そして事故死に関連しては私も書きたいことがあるのですが、きちんとまとめるにはまだ時間がかかりそうです。
今宮さんは多くの著書を遺されていますが、F1中継の解説者に至るまでの道のりをつづった「モータースポーツジャーナリスト青春篇」(三樹書房)は私の好きな一冊で、本稿も同書を参考にしています。また、夫人の今宮雅子さんもジャーナリストとして活躍されていますが、二人の馴れ初めについては夫人が執筆された「サーキットへいらっしゃい」(大日本図書)に触れられています。
さて、私も国内だけではありますが「現地観戦」するようになりますと、鈴鹿で今宮さんご本人の姿を生でお見かけすることもありました。都内の電車の車内ですれ違ったこともあり、ここで遭遇するとは、とちょっと驚いたこともありました。直接お話をしたことはありませんでしたが、昨年亡くなったニキ・ラウダといい、サーキットで当たり前のように見かけた方ともう会えないというのは、なんとも寂しく感じます。
セナやラウダをはじめ、あちらに旅立った関係者も多く、また、チームのインサイダーから文章を書く側に回った元ホンダの中村良夫さんも亡くなってから随分経っています。きっと向こうでこういった方たちと再会して、取材をしているのでしょうか。どうか日本のモータースポーツを空の上から見守ってください、と願いつつ、本稿の結びといたします。
モータースポーツジャーナリストとして、またフジテレビのF1中継で解説を長く務められてきた今宮純さんが年明けに急逝されました。ご冥福をお祈りいたします。
今宮さんはフリーランスのモータースポーツジャーナリストの草分け的な存在でもあり、国内レース、さらにはF1の取材等で活躍されてきました。地上波でF1中継が無くなった後も、最近ではさすがに登場回数も減っていましたがCSのF1中継でも解説をされていたほか、雑誌等活字メディアへの寄稿もされていましたし、ツイッターも昨年末まで発信されていたそうです。
私自身、F1中継に「意識して」チャンネルを合わせるようになったのはF1ブームの真っただ中のことでした。1987年以降の地上波での全戦放送や、セナ・プロスト対決は知っていましたし、模型誌でもよくF1の記事が掲載されていた、そんな時代でした。当時とてもお世話になっていたフジテレビの深夜番組の中に「F1ポールポジション」という情報番組があり、中継を観なくともたまにこれを観ればF1の様子がなんとなく理解でき、そこで解説役を務められていたのも今宮さんでした。
そんな中、偶然深夜の中継を観てF1にハマり、レースの中継がある日は録画してでも観るようになるわけですが、今宮さんの解説はバランスが取れた視点で、過度にマニアックにならず、モータースポーツとそこに関わる人たちへの愛情も感じられる、分かりやすいものでした。ご本人も自著の中で「たまたま深夜にチャンネルを合わせた人のために初歩的な話をレースの流れに即して話すようにしなければならなかった」と述べていますが、それが(まさに深夜に偶然レースの模様を観ていた私のような)初心者にも受け入れられ、いわゆる「F1ブーム」を支えたことになったのでしょう。初心者にもわかる解説というのは、ご本人もそうだったと記していますが「ミーハーこそマニアが通る道」であり、ミーハーの人たちにも深く理解してほしいという気持ちがあったからだと思います。また、今宮さんは20代から主に国内で豊富な取材経験を重ねており、上位から下位までの選手、チーム関係者、レース後に片づけをしているメカニックなど、なるべく多くの関係者を取材して、そこから雑誌に掲載するレポートを書かれていたそうです。こういった経験が、バランスの取れた視点を生んでいたのではないかと思います。
テレビ解説だけでなく、スポーツ誌「Number」でもF1特集が組まれた際に取材の裏話などのコラムやエッセイを執筆されており、それを読むのも好きでした。こちらもテレビ中継と同じく、「Number」誌が様々な読者層を対象にしていることもあるとは思いますが、分かりやすく、また後味の良い文章が多かった気がいたします。今日のようにインターネットで海外の情報がリアルタイムで入ってくるわけではなく、また個人が海外での観戦記をブログなどでアップしていたわけではない時代でしたので、サーキットの風景やパドックでの出来事、移動中にあった話などを通して、私もF1や海外に憧れを強めていくのでありました。
厳しい意見をされていたのは今はなくなってしまった「F1倶楽部」誌での、やはりベテランジャーナリストの赤井邦彦氏との対談記事くらいだったかと思います。それもご自身の取材など、確かな裏付けのあるコメントでしたので、説得力があるものでした。
また、今宮さんとテレビ中継というと、1994年にアイルトン・セナがイモラサーキットで事故死した際のコメントを覚えている、という方も多いようです。ご本人は「涙が止まらず、みっともないコメントだったと今でも恥じている」と語っていましたが、フジテレビの当時のプロデューサーは、本当に辛かったのは現地にいた彼ら(今宮さんや実況の三宅アナ)であり、今でもあのときの彼らに感謝している、と後にインタビューで答えています。あの場所で、生でああいったことを目撃された方に、機械のように感情を交えずに伝えろ、というのも酷なことではあります。セナのレース人生、そして事故死に関連しては私も書きたいことがあるのですが、きちんとまとめるにはまだ時間がかかりそうです。
今宮さんは多くの著書を遺されていますが、F1中継の解説者に至るまでの道のりをつづった「モータースポーツジャーナリスト青春篇」(三樹書房)は私の好きな一冊で、本稿も同書を参考にしています。また、夫人の今宮雅子さんもジャーナリストとして活躍されていますが、二人の馴れ初めについては夫人が執筆された「サーキットへいらっしゃい」(大日本図書)に触れられています。
さて、私も国内だけではありますが「現地観戦」するようになりますと、鈴鹿で今宮さんご本人の姿を生でお見かけすることもありました。都内の電車の車内ですれ違ったこともあり、ここで遭遇するとは、とちょっと驚いたこともありました。直接お話をしたことはありませんでしたが、昨年亡くなったニキ・ラウダといい、サーキットで当たり前のように見かけた方ともう会えないというのは、なんとも寂しく感じます。
セナやラウダをはじめ、あちらに旅立った関係者も多く、また、チームのインサイダーから文章を書く側に回った元ホンダの中村良夫さんも亡くなってから随分経っています。きっと向こうでこういった方たちと再会して、取材をしているのでしょうか。どうか日本のモータースポーツを空の上から見守ってください、と願いつつ、本稿の結びといたします。