今年(2024年)はマルコ・ポーロの没後700年にあたるそうです。日本で最も知られたヴェネツィア人と思われますが、そんなマルコ・ポーロに因んだものなどが、今日のテーマです。
彼の人生を改めておさらいしますが、1254年ヴェネツィアに生まれたとされており、一族は商人でした。17歳のときに父と叔父と共にヴェネツィアを発ち、東方を目指します。中東どころかアジアまで目指した彼らは当時アジアの多くの地域を支配していた元の皇帝・フビライに謁見しています。フビライに気に入られたマルコは元の役人として朝廷に仕え、時には外交使節として各地を訪れていたといいます。約25年にわたって外国での日々を過ごし、ヴェネツィアに帰国した時には年齢も40代に達していました。帰国後は同じ豪商のバドエル家の女性と結婚、子供にも恵まれました。その後はヴェネツィアに腰を落ち着けるようになります。ちょうどこの時代のヴェネツィアは、ライバルである都市国家・ジェノバと地中海の覇権をめぐって100年間にわたって争っていた時期でもあり、マルコも自らガレー船を用意し、参戦しますが、戦いの中で捕虜となります。そこで同じ房にいた作家に口述筆記させたのが「東方見聞録」とされています。この書物で紹介されている中国大陸のさらに先にある黄金の国・ジパングにはマルコ自身は訪れることは叶わなかったのですが、後々まで多くの冒険家たちにインスピレーションを与えることとなります。ちょうどマルコ・ポーロが元にいた時期は、日本にとっては元寇の時代でした。随分前に放映されていた大河ドラマ「北条時宗」にもマルコ・ポーロが登場しましたね。
ヴェネツィアという国は都市国家であり自国に資源を持たないため、交易で生き続けることが国の使命となります。共和国という形をとっておりますが、国の指導層も豪商出身者が「貴族」という形で占め「企業経営のスタイルで国を治めた」と言われるほどでした。彼らは地中海各国、中東、欧州、黒海沿岸あたりまでを商売のテリトリーとしていたようですが、マルコ・ポーロ以外にもインドあたりまで行った、といった商人や、やはり中国まで赴いたという商人もいたそうです。マルコ・ポーロのような事例は少ないかもしれませんが、15歳を過ぎれば商売のイロハを学びはじめ、親族に同行して海外に赴き、40代まで海外を拠点に仕事をして、帰国後は(一族の家長ともなれば)政治に参画する、というのは当たり前のように多くの商人、貴族たちが行ってきたことでした。このため、海外に赴任する大使も豪商出身者の貴族ですし、普段交易に使われるガレー船も有事ともなれば軍艦として戦いました。
私が子供の頃、NHKで「アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険」というアニメと実写を融合させた番組を放映していました。NHKらしい丁寧なつくりだったことを覚えています。記憶が間違っていなければ冒険の旅のことは人々から忘れられてしまい、不遇の晩年だったみたいな終わり方だったように思います。子供心にあれだけの大冒険をなしえた人がなぜ、と思ったものですが、実際には前述のように豪商の娘を妻に迎え、有力貴族たちのように大運河沿いではないものの、屋敷を構えることができたのですから、悪くない後半生だったのではと思います(ちなみにゴンドラに乗ると必ずといっていいほど、マルコ・ポーロの屋敷があった建物の近くを通ります)。前述のように「遠征」する商人が他にもいたことを考えると、ちょっと遠くまで出向いた商人という捉え方をされていたのではと思います。ヴェネツィア政府も対ジェノバ戦で手一杯だったでしょうから、アジアのさらに先の事象より地中海で起きていることの方を優先したのでしょう。
さて、マルコ・ポーロに因んだものを二つご紹介です。

一つ目はこちら。ドイツが発祥の玩具プレイモービルにこんなものがあります。これはフランス版のデアゴスティーニの書物についていたマルコ・ポーロの人形です。衣装などは中世の商人の格好として考証的に正しいのかはわかりませんが、中東で商売を行うヴェネツィア商人らしく、髭を生やしています。
絵本がついていて、こんな感じです。これまでレオナルドダヴィンチの本なども出ており、購入しています。

絵本はフランス語のため読めませんが、船の描写などはちょっと年代が新しいかな?という感じでした。
そしてこちらはマルコ・ポーロの肖像画(版画)です。

活版印刷を守り続け、メディアでも紹介されているヴェネツィアの「ジャンニ・バッソ印刷所」(Gianni Basso Stampatore)で購入しました。今の寓居に住まうようになってから飾りましたが、実際にはもっと前から我が家にいたと思いますので、購入してからかれこれ20年くらいは経つと思います。マルコ・ポーロは黄金の国を夢見ながらその夢を果たせなかったわけですが、700年後のジパングに安住の地を得ることになりました。マルコ・ポーロはヴェネツィアの空港にその名を残しましたし、彼の物語がジパングと呼ばれた国の一人の男の子にインスピレーションを与え、成人してからヴェネツィアに幾度も訪れるようになりましたから、決して今も「忘れられた」わけではないでょう。
彼の人生を改めておさらいしますが、1254年ヴェネツィアに生まれたとされており、一族は商人でした。17歳のときに父と叔父と共にヴェネツィアを発ち、東方を目指します。中東どころかアジアまで目指した彼らは当時アジアの多くの地域を支配していた元の皇帝・フビライに謁見しています。フビライに気に入られたマルコは元の役人として朝廷に仕え、時には外交使節として各地を訪れていたといいます。約25年にわたって外国での日々を過ごし、ヴェネツィアに帰国した時には年齢も40代に達していました。帰国後は同じ豪商のバドエル家の女性と結婚、子供にも恵まれました。その後はヴェネツィアに腰を落ち着けるようになります。ちょうどこの時代のヴェネツィアは、ライバルである都市国家・ジェノバと地中海の覇権をめぐって100年間にわたって争っていた時期でもあり、マルコも自らガレー船を用意し、参戦しますが、戦いの中で捕虜となります。そこで同じ房にいた作家に口述筆記させたのが「東方見聞録」とされています。この書物で紹介されている中国大陸のさらに先にある黄金の国・ジパングにはマルコ自身は訪れることは叶わなかったのですが、後々まで多くの冒険家たちにインスピレーションを与えることとなります。ちょうどマルコ・ポーロが元にいた時期は、日本にとっては元寇の時代でした。随分前に放映されていた大河ドラマ「北条時宗」にもマルコ・ポーロが登場しましたね。
ヴェネツィアという国は都市国家であり自国に資源を持たないため、交易で生き続けることが国の使命となります。共和国という形をとっておりますが、国の指導層も豪商出身者が「貴族」という形で占め「企業経営のスタイルで国を治めた」と言われるほどでした。彼らは地中海各国、中東、欧州、黒海沿岸あたりまでを商売のテリトリーとしていたようですが、マルコ・ポーロ以外にもインドあたりまで行った、といった商人や、やはり中国まで赴いたという商人もいたそうです。マルコ・ポーロのような事例は少ないかもしれませんが、15歳を過ぎれば商売のイロハを学びはじめ、親族に同行して海外に赴き、40代まで海外を拠点に仕事をして、帰国後は(一族の家長ともなれば)政治に参画する、というのは当たり前のように多くの商人、貴族たちが行ってきたことでした。このため、海外に赴任する大使も豪商出身者の貴族ですし、普段交易に使われるガレー船も有事ともなれば軍艦として戦いました。
私が子供の頃、NHKで「アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険」というアニメと実写を融合させた番組を放映していました。NHKらしい丁寧なつくりだったことを覚えています。記憶が間違っていなければ冒険の旅のことは人々から忘れられてしまい、不遇の晩年だったみたいな終わり方だったように思います。子供心にあれだけの大冒険をなしえた人がなぜ、と思ったものですが、実際には前述のように豪商の娘を妻に迎え、有力貴族たちのように大運河沿いではないものの、屋敷を構えることができたのですから、悪くない後半生だったのではと思います(ちなみにゴンドラに乗ると必ずといっていいほど、マルコ・ポーロの屋敷があった建物の近くを通ります)。前述のように「遠征」する商人が他にもいたことを考えると、ちょっと遠くまで出向いた商人という捉え方をされていたのではと思います。ヴェネツィア政府も対ジェノバ戦で手一杯だったでしょうから、アジアのさらに先の事象より地中海で起きていることの方を優先したのでしょう。
さて、マルコ・ポーロに因んだものを二つご紹介です。

一つ目はこちら。ドイツが発祥の玩具プレイモービルにこんなものがあります。これはフランス版のデアゴスティーニの書物についていたマルコ・ポーロの人形です。衣装などは中世の商人の格好として考証的に正しいのかはわかりませんが、中東で商売を行うヴェネツィア商人らしく、髭を生やしています。
絵本がついていて、こんな感じです。これまでレオナルドダヴィンチの本なども出ており、購入しています。

絵本はフランス語のため読めませんが、船の描写などはちょっと年代が新しいかな?という感じでした。
そしてこちらはマルコ・ポーロの肖像画(版画)です。

活版印刷を守り続け、メディアでも紹介されているヴェネツィアの「ジャンニ・バッソ印刷所」(Gianni Basso Stampatore)で購入しました。今の寓居に住まうようになってから飾りましたが、実際にはもっと前から我が家にいたと思いますので、購入してからかれこれ20年くらいは経つと思います。マルコ・ポーロは黄金の国を夢見ながらその夢を果たせなかったわけですが、700年後のジパングに安住の地を得ることになりました。マルコ・ポーロはヴェネツィアの空港にその名を残しましたし、彼の物語がジパングと呼ばれた国の一人の男の子にインスピレーションを与え、成人してからヴェネツィアに幾度も訪れるようになりましたから、決して今も「忘れられた」わけではないでょう。