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たまたま池袋に行ったときにプラレール博を開催してたので入って以来、毎年行ってます。 男の子に付き添うお母さんを見てると、13回忌を迎える母を思い出します。 今の子供は「電車」ですが、自分には「汽車」。 それは昭和40年まで住んでいた、南宮崎の駅前のビルから入れ換えをする蒸気機関車が、自分の鉄道の原点なのです。 同じ世代の方は「電車」に馴染みがありますが、自分は「汽車」なのも地方に育った影響でしょう。 屋上で洗濯物を干してたので、その間ずっと駅の方を見てました。 今もC57が入れ換えをしてるのを覚えていますし、南国は日が長いので遅くまで見てました。 時々夕飯も屋上で食べさせてたことから、やさしい母親でした。
入院で13回忌ができなくなりましたが、亡くなる2ヶ月前にヨーロッパに連れて行きました。 ローマからパリまで「パラティーノ」の1等寝台車で「終着駅」の気分を満喫させ、夜行列車で国境越えを経験し、パリからチューリッヒはTGVで昼間の国境通過手続きをさせるなど「鉄」でないと考え付かない旅程でした。
自分は孝行息子だと思ってないので、むしろ学校では問題児でしたが、プラレール博でお母さんに付き添われてる子供を見てると「親孝行もしてね」といつも思っています。