私の町の祭りは、7月の27日、28日に行われる、国の「重要無形民族文化財」に指定されている「貴船祭り」というものです。
宮城県・塩釜神社、広島県・宮島神社と並ぶ「日本三大船祭り」の一つでもあります。
17世紀中ごろから行われていると言われていますが、特色は、神輿が「海上渡御」により村里へお出ましになるという船の祭りです。
生活の基盤を「漁業、石材採掘業、石材回漕業」などにおいていたこの町の人々が、厳しい自然の中で危険にさらされながらの日々を送っていた中で、漁業や海運業、石材業界における、大漁や安全の祈願とともに、日常の安泰な生活への加護に深い感謝の心を込めて行う「恩返しのまつり」とも言い伝えられてきました。
神輿の「海上渡御」を飾る花形は、東西に華を競う「小早船」です。
長さ12~3mの船体に屋形が組み立てられて、船の前後左右を華やかな色の装飾で飾ざり、船底には土俵を積んで重心を下げ船の転覆をふせぎます。
「海上渡御」のさい、神輿船、小早船2隻、囃子船2隻の計5隻を曳航するのは、2隻の「手漕ぎの大型伝馬船」です。
曳航にはかなりの力を要し、航行の途中からは競漕も行われます。
かっては町が東西に分かれ、この競漕で激しく競い合ったこともあり、それぞれのチームの漕ぎ手には多大の期待がかけられていました。
私の父は石材海運業に関する仕事でしたので、「東」のリーダーとして長いことその任を負っておりました。
お祭りでこの櫂伝馬を見るたびに、父の祭り装束の姿をなつかしく、思い出します。
囃子船で打ち鳴らされる「真鶴はやし」は「江戸神田はやし」を取り入れたという説もあるようですが、定かではないようです。
祭りを賑やかに盛り上げる最大のものであることは間違いありません。
貴船祭りは、「鹿島踊りに始まり、鹿島踊りに終る」と言われている程、祭りとはきってもきれない見所の一つが鹿島踊りです。
この鹿島踊りは、相模湾西岸、小田原西部から伊豆北川までいずれも「石材産出」に関わった地域の神社で行われる神事だそうです。
各地の踊りの衣装、形には多少の違いはあるようですが、私の町では「浴衣姿」に3色に色帯、そろいの手甲で着飾ります。
他の市町は白装束が多いとか。
私の町は自然の良港を通して、江戸から文化が流入しやすかったようで「小江戸」とも呼ばれていて、華やかで解放的な土地柄であったことから、あでやかな女装かをとってきたようです。
今日は「宵宮」でした。
最大の見所はもちろん神輿の「海上渡御」ですが、海を渡って上陸した神輿が、東西の海に入るという場面も見逃せません。
いつもの年ですと、梅雨も明け、真夏の暑い太陽に照らされて、海の中も気持ちがいいようで、担ぎ手もなかなか、上がってはこないのですが、今年は梅雨も明けず、曇りで気温も低め・・・早々に上がってきた神輿でした。(苦笑)
海を渡るために神輿が、本殿から降りる様も圧巻です!
100段の階段を一気に下ってきますが、前の方を担ぐ人たちと後の担ぎ手との息が合わないと危険です。
「ソイヤ、ソイヤ」の掛け声とともに、清めの水を浴びながら、数分で下ってきた神輿でした。
明日は何台もの神輿が町中を練り歩き、辻、辻では鹿島踊りが奉納されたり、重さ80kgという「花山車」も力自慢の男達によって町内を巡行します。
町中が祭り一色になる一日なのです。
(旅・町・思い出写真集にUP)
宮城県・塩釜神社、広島県・宮島神社と並ぶ「日本三大船祭り」の一つでもあります。
17世紀中ごろから行われていると言われていますが、特色は、神輿が「海上渡御」により村里へお出ましになるという船の祭りです。
生活の基盤を「漁業、石材採掘業、石材回漕業」などにおいていたこの町の人々が、厳しい自然の中で危険にさらされながらの日々を送っていた中で、漁業や海運業、石材業界における、大漁や安全の祈願とともに、日常の安泰な生活への加護に深い感謝の心を込めて行う「恩返しのまつり」とも言い伝えられてきました。
神輿の「海上渡御」を飾る花形は、東西に華を競う「小早船」です。
長さ12~3mの船体に屋形が組み立てられて、船の前後左右を華やかな色の装飾で飾ざり、船底には土俵を積んで重心を下げ船の転覆をふせぎます。
「海上渡御」のさい、神輿船、小早船2隻、囃子船2隻の計5隻を曳航するのは、2隻の「手漕ぎの大型伝馬船」です。
曳航にはかなりの力を要し、航行の途中からは競漕も行われます。
かっては町が東西に分かれ、この競漕で激しく競い合ったこともあり、それぞれのチームの漕ぎ手には多大の期待がかけられていました。
私の父は石材海運業に関する仕事でしたので、「東」のリーダーとして長いことその任を負っておりました。
お祭りでこの櫂伝馬を見るたびに、父の祭り装束の姿をなつかしく、思い出します。
囃子船で打ち鳴らされる「真鶴はやし」は「江戸神田はやし」を取り入れたという説もあるようですが、定かではないようです。
祭りを賑やかに盛り上げる最大のものであることは間違いありません。
貴船祭りは、「鹿島踊りに始まり、鹿島踊りに終る」と言われている程、祭りとはきってもきれない見所の一つが鹿島踊りです。
この鹿島踊りは、相模湾西岸、小田原西部から伊豆北川までいずれも「石材産出」に関わった地域の神社で行われる神事だそうです。
各地の踊りの衣装、形には多少の違いはあるようですが、私の町では「浴衣姿」に3色に色帯、そろいの手甲で着飾ります。
他の市町は白装束が多いとか。
私の町は自然の良港を通して、江戸から文化が流入しやすかったようで「小江戸」とも呼ばれていて、華やかで解放的な土地柄であったことから、あでやかな女装かをとってきたようです。
今日は「宵宮」でした。
最大の見所はもちろん神輿の「海上渡御」ですが、海を渡って上陸した神輿が、東西の海に入るという場面も見逃せません。
いつもの年ですと、梅雨も明け、真夏の暑い太陽に照らされて、海の中も気持ちがいいようで、担ぎ手もなかなか、上がってはこないのですが、今年は梅雨も明けず、曇りで気温も低め・・・早々に上がってきた神輿でした。(苦笑)
海を渡るために神輿が、本殿から降りる様も圧巻です!
100段の階段を一気に下ってきますが、前の方を担ぐ人たちと後の担ぎ手との息が合わないと危険です。
「ソイヤ、ソイヤ」の掛け声とともに、清めの水を浴びながら、数分で下ってきた神輿でした。
明日は何台もの神輿が町中を練り歩き、辻、辻では鹿島踊りが奉納されたり、重さ80kgという「花山車」も力自慢の男達によって町内を巡行します。
町中が祭り一色になる一日なのです。
(旅・町・思い出写真集にUP)
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