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神奈川県の西部にある「小さな町」で暮らす私777>日々の生活の様子、見たこと、感じたこと、思ったことを綴っていきます。

ワクワクしてます!

2003-07-31 | インポート
ちょっとだけ、夏の太陽が顔を出した今日、気温も30度近くになりましたし、何といっても蒸し暑い!
久しぶりにエアコンをつけています。

明日は、大好きなTDRへ行くつもりです。
夏休み中は、子ども達でかなり混みますし、暑いしで、なるべく行くのは止めようって、思っていたのですが・・・
忙しさに追われていた7月の疲れを取るためには、やっぱり「夢と魔法の王国」に入らなくては駄目なようです(笑)。

昼の「ポルト・・」や「アリエル・・」「アンコール」「ミスティック・・・」のショーだけを見てくるつもりです。
そして、夜は久々に息子とデートです!
ちょっとワクワクしてます。(笑)




虹を見ました

2003-07-30 | インポート
一日中、国際交流ラウンジでのボランティアの日でした。
忙しくもなく暇でもなく・・終った一日でした。

夕方、雨も上がり、薄日も射し始めた中、帰りの電車に乗りました。
何気なく窓の外へ目を向けると「虹」が!

鉛色の海の上に、アーチ型の半分だけでしたが、大きな大きな、鮮やかな色が・・・
思わずお隣の方に「虹ですよ」と声をかけてしまいました。(笑)

何ヶ月ぶりの虹かしら?・・・この前見たのはいつだったかしら?・・

デジカメ持ってなかったのが残念です。

叔母の退院

2003-07-29 | インポート
3週間の入院を終り、今日叔母が退院しました。
「10時までに来て欲しい」と連絡がありましたので、家を出たのは午前7時。
かなり強い雨が降っていましたし、ラッシュの電車で暑かったしで、少々疲れました。

退院前の診察後、諸手続き、支払いをすませてタクシーで叔母の家へ。
留守にしていましたので、なんか匂いが・・
窓をあけ、軽く掃除をし、食料品の買いものや、お世話になっているご近所の方々へのご挨拶にもまわりました。
叔母は、思った以上に回復が早いようで、元気、元気。
まだまだ、一人暮らしも大丈夫なようで、ほっとしました。

おばの家の近所にある、おいしい「蕎麦屋」さんでお昼を食べました。
ここは、近所に住む「笑点」に出ている落語家「歌○」師匠も、よく食べにみえるとか。
お値段も味も満足でした!

夕方、帰宅しましたが、疲れていたので横になったら眠ってしまい、気がついたら外は暗くなっていました(苦笑)。

忙しかった7月は、もうすぐ終わります。

8月は、何組かの泊まりのお客様が見えますので、これもまた忙しくなりそうですが・・・
頑張ろう!





貴船祭り・・・②

2003-07-28 | インポート
本祭りは、花山車と鹿島連が、それぞれ定められて場所から、同時に出発をし、その中間地点ですれ違い挨拶をする(あいちがい)朝の儀式から始まります。

鹿島連がお神輿を納めてある「お仮殿」に到着すると「発與式」が行われ、その後、鹿島踊り、花山車が奉納されると、いよいよ町中に祭りのムードがより一層高まるのです。
花山車、鹿島連、神輿、はやしが町内を巡るのですが、「花山車・鹿島連」と「神輿・はやし」の二手に分かれての巡幸、町内渡御となります。
この他に3台の神輿の練り歩きもあり、町中のいたるところで、賑やかなかけ声や太鼓、笛ガ聞こえる一日なのです。

夕方、町内を巡ったお神輿が再び「お仮殿」に入り、鹿島踊りが奉納され、終ると、神輿は船に乗り神社へ帰るのですが、ここが祭りのクライマックスともいうべき「還幸祭」です。

ですから、神輿が納まると祭りの終わりが近ずくこととなるため、担ぎ手たちは、祭りを長引かせるために、お仮殿へ納めるのを嫌います。
納めようとするもの、それを阻止しようとするもの・・・とにかく、神輿が出たり入ったりと、繰り返す、この時間がすごくおもしろいのです。

神輿と鹿島連、神主さんたちの乗った台船と、提灯に灯がともされた東西の小早船、はやし船が2艘の櫂伝馬に引かれて、激しく打ち込む太鼓の音とともに海上を渡って宮ノ前海岸へ向かいます。
空には美しい花火があがり、この還幸祭に色を添えます。
そして、お神輿は、あの急な100段の階段を登って神社に納まるのです。

この「貴船祭り」には、昔からいくつかの厳しい作法がありましたが、時代の流れでしょうか、ずいぶんゆるやかになったり、変わってしまったものもあります。

以前は、「女、子どもは関係ないお祭り」で、男性のみが職種によって、役割が決められていたのです。
が、今はそうも言ってられなくなったのでしょう・・・はやし連に女子中学生がいたり、鹿島踊りのほとんどが小・中学生の男子だったりしています。
もちろん、神輿にもたくさんの若い女性が参加しておりました。
「祭り=神輿」というイメージのせいか、400人位の人が担ぎ手に集まってきていたようですが、そのうちの2割くらいは女性だったような気がします。

鹿島踊りは神聖なものですので、絶対に高い場所から見下ろしてはいけないというルールがあり、道路沿いの家の2階の窓から見物しようものなら「降りろ~」と役員が大声で叫びます。
この踊りの輪の中に赤ちゃんが入ると「丈夫に育つ」と言われていますので、役員の方が頼まれた赤ちゃんを交代で抱いて入るのですが、恐がって泣き出す子、暴れる子、ニコニコしている子・・・とおもしろいものです。

鹿島を踊っている間は、絶対に太鼓は叩いてはいけないという決まりもあります。
鹿島の歌と踊りが終ると同時に、一斉にはやしの太鼓が打ち鳴らされる様は、力強く、私はその瞬間が好きです。

いろいろ保存会等も出来ているようですが、後継者を育てながら、時代にあわせての伝統を守っていく・・・大変なことだと思います。
(旅・町・思い出に写真をUP)


貴船祭り・・・①

2003-07-28 | インポート
私の町の祭りは、7月の27日、28日に行われる、国の「重要無形民族文化財」に指定されている「貴船祭り」というものです。
宮城県・塩釜神社、広島県・宮島神社と並ぶ「日本三大船祭り」の一つでもあります。

17世紀中ごろから行われていると言われていますが、特色は、神輿が「海上渡御」により村里へお出ましになるという船の祭りです。
生活の基盤を「漁業、石材採掘業、石材回漕業」などにおいていたこの町の人々が、厳しい自然の中で危険にさらされながらの日々を送っていた中で、漁業や海運業、石材業界における、大漁や安全の祈願とともに、日常の安泰な生活への加護に深い感謝の心を込めて行う「恩返しのまつり」とも言い伝えられてきました。

神輿の「海上渡御」を飾る花形は、東西に華を競う「小早船」です。
長さ12~3mの船体に屋形が組み立てられて、船の前後左右を華やかな色の装飾で飾ざり、船底には土俵を積んで重心を下げ船の転覆をふせぎます。

「海上渡御」のさい、神輿船、小早船2隻、囃子船2隻の計5隻を曳航するのは、2隻の「手漕ぎの大型伝馬船」です。
曳航にはかなりの力を要し、航行の途中からは競漕も行われます。
かっては町が東西に分かれ、この競漕で激しく競い合ったこともあり、それぞれのチームの漕ぎ手には多大の期待がかけられていました。
私の父は石材海運業に関する仕事でしたので、「東」のリーダーとして長いことその任を負っておりました。
お祭りでこの櫂伝馬を見るたびに、父の祭り装束の姿をなつかしく、思い出します。

囃子船で打ち鳴らされる「真鶴はやし」は「江戸神田はやし」を取り入れたという説もあるようですが、定かではないようです。
祭りを賑やかに盛り上げる最大のものであることは間違いありません。

貴船祭りは、「鹿島踊りに始まり、鹿島踊りに終る」と言われている程、祭りとはきってもきれない見所の一つが鹿島踊りです。
この鹿島踊りは、相模湾西岸、小田原西部から伊豆北川までいずれも「石材産出」に関わった地域の神社で行われる神事だそうです。
各地の踊りの衣装、形には多少の違いはあるようですが、私の町では「浴衣姿」に3色に色帯、そろいの手甲で着飾ります。
他の市町は白装束が多いとか。
私の町は自然の良港を通して、江戸から文化が流入しやすかったようで「小江戸」とも呼ばれていて、華やかで解放的な土地柄であったことから、あでやかな女装かをとってきたようです。

今日は「宵宮」でした。
最大の見所はもちろん神輿の「海上渡御」ですが、海を渡って上陸した神輿が、東西の海に入るという場面も見逃せません。
いつもの年ですと、梅雨も明け、真夏の暑い太陽に照らされて、海の中も気持ちがいいようで、担ぎ手もなかなか、上がってはこないのですが、今年は梅雨も明けず、曇りで気温も低め・・・早々に上がってきた神輿でした。(苦笑)
海を渡るために神輿が、本殿から降りる様も圧巻です!
100段の階段を一気に下ってきますが、前の方を担ぐ人たちと後の担ぎ手との息が合わないと危険です。
「ソイヤ、ソイヤ」の掛け声とともに、清めの水を浴びながら、数分で下ってきた神輿でした。

明日は何台もの神輿が町中を練り歩き、辻、辻では鹿島踊りが奉納されたり、重さ80kgという「花山車」も力自慢の男達によって町内を巡行します。

町中が祭り一色になる一日なのです。
(旅・町・思い出写真集にUP)






猿のメインディッシュ?

2003-07-26 | インポート
恒例の週末農業の日です。

「多分、きゅうりが10本くらい、大きくなっているんだろうなぁ~。」
「ナスはお猿さんのバイキングでなくなっているかも」
「とうもろこしは、大きくなったかしら?」

ウキウキと出かけた私たち夫婦でした。

畑に到着して、ビックリ!
「何?これっ?」
とうもろこしが全滅状態なのです。
倒れているもの、途中から茎が折れているもの、実がぶらさがったもの・・・
畝の間には、とうもろこしの皮と毛がいっぱい!
30本以上、あったのですが・・・

そして、きゅうりも、まったく実がないのです!
「そ、そんな~」
今までにも、絹さやだって、ナスだって、きゅうりだって、かぼちゃだって、スイカだって・・・全部食べられていたのですが、主人と二人で、冗談を言いながらの作業が楽しくて、休憩の時のお茶やおにぎりもおいしくて、「猿のバイキング料理を作っているの」って、笑っていたのですが・・・
今回は、「ひどすぎ!」と思いました。

「とうもろこしも食べられてしまうんだろう」とは予想はしていましたが、これほどひどいとは・・・
「今日のメインディッシュはとうもろこしだあ~」とばかりに、あっちをかじっては捨て、こっちをかじっては捨てたのでしょう。
中途半端に歯型がついた、たくさんのとうもろこしが畑中に散らばっていました。
(・・・がっかりしながら拾い集めたとうもろこし・・・画像掲示板にUPしました)

でも負けない!(笑)
絶対、お猿さんに食べられないようなものを作ってみせます!(爆笑)。

先週、植えた「わけぎ」の芽もいくつか出てましたし、「二十日大根」もたくさん芽がでました。
とうもろこしは、全部引き抜き、その後に何か植えたいと耕してもきました。

今日は、何の収穫もなく、手ぶらで帰っってきましたが、(苦笑)頑張って、これからも「週末農作業」は続けます!!

ストレス解消に・・・

2003-07-24 | インポート
先週に引き続き、今週も予定が・・・
月曜日・叔母の病院へ。往復4時間は疲れます。
火曜日・小学校統廃合推進協議会。眠くて困りました。
水曜日・国際交流ラウンジボランティア。午前中日本語教室、午後は、O市が友好姉妹都市を結んでいる、アメリカ・カルフォルニアからの使節団の方々の歓迎会の準備のお手伝いでした。
インドカレーとたこ焼きのメニューがどこかで決められてきましたので(笑)、それを作るお手伝いでした。
木曜日・原稿書き、英会話教室のプログラム作り。秋から始まる、公民館の英会話教室の募集にあたっての細かい計画つくりです。
金曜日・ボランティア仲間の友人とのランチです。楽しみ!

この間に、家事はもちろんしてます!(苦笑)
ふうっ~という感じです。
おまけにず~っと雨かくもり・・・太陽が恋しい!
ストレスもたまってきました!

こんな時の解消法は、二つです。
① TDRへ遊びに行って、ミッキーマジックにかかってくること。
② 自分のためのお花を買って、飾ること。

時間がなくて、TDRへは行けないので、とりあえず「お花」を買ってきました。
「カサブランカ・ヒベリカム・トルコキキョウ・姫ひまわり・グロリオサ・スプレーカーネーション・アストロメリア」です。

気分が明るくなるように、華やかなオレンジが中心です。
これで、気持ちもす~です。(笑)
(画像掲示板にUPしてあります)


ちょっと気になった言葉・・・

2003-07-23 | インポート
今朝のテレビで、警察関係の人が・・・・
「以前は、子どもたちに、犯罪に巻き込まれないように注意しなさいと、言っていたのですが、最近は、犯罪に関わらないようにしましょう、と言ってます」

新聞に載っていた話・・
14歳の中学生3人が、通行人を殴ってお金を奪う事件をおこした。
「弱々しそうなやつを狙った。殴っているうちに、ぐったりしてきて抵抗出来なくなってくるのが面白くて、ストレス解消になった」

児童買春の被害女児の低年齢化傾向が続いている。
買春に応じた動機は「携帯電話代が欲しかった」というのが目立つそうです。

背筋が寒くなるような言葉・・・
いったいどうなってしまったのでしょうか?

この何年かの間におきた、信じられないような殺人事件・・・
これは、精神状態に問題のある、ごくごく一部の子どものことと、思いたかったのですが、そんな甘い考えではいけないのかもしれませんね。

まだまだ、純真な子どもたちもたくさんいると信じてはいますが・・・子どもたちの心の中が見えない・・・

長いこと、青少年の健全育成のためにと、いろいろ活動をしてきましたが、自信がなくなりそうです・・・






いろいろあった日・・

2003-07-22 | インポート
21日の祭日・・
午前中、スーパーの開店とともに入店。
あわてて買い物をすませてから、横浜の病院へ。
手術後の叔母の様子をみるためです。
思っていた以上に元気でほっとしました。
今は、手術後、できるだけ早く歩いて、お腹の中の臓器の働きを促進させるのだそうです。
点滴のビンをつるした物を、ひっぱりながら、あちこち運動してました(苦笑)。
院内のコインランドリーで汚れ物の洗濯・乾燥を済ませて、お話をして、帰ろうと思ったら、すごい雨!
止むまで待とうかしらとも思ったのですが、予定がつまっていましたので、病院の売店で傘を買い駅へ向かいました。
地下鉄の駅まで、5~6分なのですがスカートのすそも、足もビッショリになってしまいました!
道路もみるみるうちに川のようになり、まいりました!

そのひどい格好で寄ったのは、地下街の某「宝クジ売り場」(苦笑)。
サマージャンボを買うためです。
ここは、3億円・2本、1億円・1本が出ているとかで、長い行列ができていました。皆、「夢」をみているんですね~。
30枚ゲット・・・フフフ。
これで、また、しばらく「夢」を見る私です。(笑)

夜、甥が二人、食事に来ることになっていましたので、デパ地下で、食料品をたくさん買い込んで、電車を乗るためにホームへ。
「集中豪雨のため、電車が遅れている」というアナウンスに、ちょっとあせりました。
7時から、知人のお通夜に出席しなけらばならなかったからです。
なんとか、乗りつぎ帰宅したのは、午後6時すぎでした。
病院への往復で4時間は、ちょっと遠いです。

あわてて、喪服に着替えたのですが、「ガ~~ン」「きつい!」(苦笑)
どうしよう~・・・主人に「ファスナー上げて!」って頼みました(トホホ)。
何とかOKでしたが、これにはショックでした。
喪服を着る機会が多くあるのはいいことではありませんが、近いうち、新しく買い直しておかないと・・・

お焼香だけして戻ってきたら、甥が二人、ちょうど来たところでした。
兄は、今春から社会人、弟は大学生になったのです。
家を離れたいた弟が、帰省してきたので、久しぶりに二人で顔を見せに来てくれたのです。
嬉しいですね!
二人とも息子同然ですから、食べたりしゃべったり、テレビを見たり・・・10時過ぎまでいました。

本当の息子が仕事から帰ってきたのは、12時過ぎ・・・遅い・・
忙しかったとか。身体を壊さぬよう、気をつけて欲しいものです。

ちょっと忙しかった一日でした。



猿より早く・・・

2003-07-20 | インポート
朝のうち雨がパラパラしていましたが、たいしたこともなく止みましたので、早速、畑へ。
「猿のためのバイキング料理」を作っている私たち夫婦の農作業です(爆笑)。
多分、今回も収穫なしと思いつつ行きました。
車を止めたとたん「おぉ~、きゅうりがあるよ~」って主人が嬉しそうな声を上げました!
「本当?」と駆けて行った私。
なんと、ちょうどいい大きさのまっすぐな、きれいなきゅうりが2本、残っているではありませんか!
すご~っく嬉しくて、嬉しくて・・・

ナスと、かぼちゃはやっぱり全滅でした。
とうもろこしも実が付きはじめていましたが、枝が折られ、柔らかそうな実が取られていました。
食べられる大きさになるまで、一本でも二本でも残っていてくれるといいのですが・・・

猿より一足早く、収穫しなければならないんですが、週末農業のゆえに難しい(笑)。

猿が嫌いな作物って何だろう?と考え、「わけぎ」と「二十日大根」に挑戦してみることにしました。
ピーマンには目もくれていないようですから、辛いもの、匂いの強いものの方がいいのかと考えたんです(苦笑)。
さあ~、どんなものでしょうか。
お猿が勝つか、私たち夫婦が勝つか・・・(笑)

夕方からは、家の周りの「雑草取り」と「ムカデ予防の薬まき」をしました。
夏になるとみかける「ムカデ」・・・ここ数年、5~8月中に何度か薬をまくせいか、少なくなってきました。

ここに引越しをしてきた時、役所に行って「ムカデが出るんだけど、町全体で退治するとか、薬を配布するとか、ないんですか」と聞きにいき笑われた私です。
役所の答えは「自然がいっぱいということで・・・」でした。
だって本当にこわいんです(苦笑)。

汗をたくさんかいて、ちょっと疲れたけど、気持ちのいい作業をした日でした。

二つ目、クリア・・・

2003-07-19 | インポート
昨日、今日と一泊で、箱○へ行ってきました。
神奈川県社○教○協会からの表彰を頂くことと、「お話」をするためです。

ご連絡を頂いた時は、「私なんかが?」と恐縮してしまいましたが、せっかくのご好意ですのでありがたく頂戴いたしました。
「国際交流」と言う活動を、ごく自然に、日常の中で続けてきた・・・それだけのことなんですが、このように評価をいただいたことは大変嬉しく、心から感謝を申し上げてまいりました。

この協会は、社会教育主事資格を持ち、社会教育の現場でお仕事をしたことのある、教師の会です。
ですから、当然集まったのは全員、教師・元教師の「先生」方ばかりです。
総勢70名、そんな方たちの前でお話をする・・・ちょっと心配でしたが、何とか終ることができました。

テーマは「私たちは地球人・~Hand in Hand~」

生まれた国、育った国が違っても、肌の色、髪の毛の色が違っても、心は通じ合えるものです。
地球という星に住む、一つの家族として、お互いに助け合ったり、教え合ったり、しながら、仲良く暮らしていきたいと考え、始めた国際交流活動です。

そんな活動の中から、人と人の輪がどんどん広がっていくおもしろさ・・そんなものも含めてのお話をさせていただきました。

特に、先生がたの集まりということで、学校での「国際理解授業」のあり方、考え方を中心にお話を組みました。

私の町の小中学校に赴任されてきた、歴代の校長先生方は、皆さん「国際交流」に非常に理解を示してくださいまして、また、「やってみましょう」と手を上げてくださる先生方も多くおりましたので、私の活動もしやすかったのです。

そういう意味からも、先生方への感謝も込めて、汗をかきながら努めてきた時間でした。

とりあえず、終ってほっとしてます。


一つ、クリア・・

2003-07-18 | インポート
叔母のオペも無事に終わりました。

午後1時開始予定でしたので、「12時までに来院ください」という連絡で行きましたが、午前中の方のオぺが長引き、叔母の手術が始まったのは1時間遅れの午後2時でした。

途中、何が起きるか分かりませんので、病院内での待機ですが、一人きりですので「さぁ~どうしましょう」という感じでした。
一応、読みたい本は持っていったのですが、なぜか落ち着かず、集中できませんでした。
そこで、私が何をしたかというと・・・
ついつい世話好きの性分が出てしまい、同じ病室の方たちのいろいろなお手伝いをしてしまったのです。(苦笑)

4人部屋で、手術直後の方ばかりのようで、思うように身体が動かせず、ことある毎にブザーで看護士さんを呼んでいました。が、忙しくてすぐには来てくださらないのと、度々で申し訳ないと言ってましたので、「私がしましょう」となったわけです。

ベッドへの上がり降り、トイレや洗面、食事・・・そんな時、ちょっと手を添えて上げることで役に立てるのです。
そして、もちろん「おしゃべり」(笑)。
痛みを忘れるには、何かに気を紛らすことが必要ですから、これはよかったようです。

そんなこんなで時間もつぶせ、チョッピリ持っていた手術への不安も忘れることが出来ましたので、私の方が病室の皆さんに感謝です。

午後8時、無事オペも終了しました。
先生からのお話ですと「特に問題もなく、このての手術としては、標準的な時間でした。後は合併症とかが起きないように、こちらでしっかり管理しながら術後をみていきます」ということで、先ずは一安心でした。

本人は、麻酔から完全にはさめていませんでしたが、声をかけたら、うなずいて「うん、うん」と言ってました。
完全看護の病院ですから、「お引取り下さい」ということで、昨夜は帰ってきました。

とりあえずほっとしてます。

今週は・・・

2003-07-17 | インポート
毎日出かけてる・・・少々、疲れ気味です。
先週末のオフ会の「笑い疲れ」も、まだ抜けてないのかも(苦笑)。

高校での評議員会議、お盆のお墓参り、国際交流ラウンジでのボランティア、中学生海外派遣の事前研修・・・を昼・夜とこなしてきて、今日は叔母の手術の立会いです。
予定では、5時間位らしいんですが・・
そして、明日・明後日と一泊二日で「箱○」へ行きます。

この合間に買い物、食事の支度、掃除、洗濯と主婦も適当にこなしています(苦笑)。
ちょっと慢性的に寝不足の感じはいなめない・・・

こんな調子だと、そろそろストレスたまりそう・・・
ミッキーマジックに当たって来たい!(笑)
と思い、来週の予定を見たら、なんとまたもや空いてない。
31日まで駄目みたい・・・つまらない!

近くなら夜だけとか、ショー時間だけとかにインできるのに、ちょっと遠すぎです。

さて、どんな方法でこのモヤモヤを解消しましょか・・


オフ会(観光編)…③

2003-07-14 | インポート
夜のうち降っていた雨も、何とか止み、涼しい2日目の朝。

軽井沢方面への道は、車・車・車・・・すごい混雑です。
日曜日ということもあり、アウトレッドに向かう車の列だと思います。
これでは、旧軽井沢あたりまでたどり着くのも時間がかかりそうと、予定を変更し、裏道を通って「鬼押し出し」へ向かいました。

途中、緑の木立の中に、いろいろな形の別荘風の建物がチラチラ、見え隠れしていました。
やっぱり「軽井沢」と言う雰囲気です。

鬼押し出し・・・おもしろい名前ですが、その由来は・・・
「浅間山の火口内で鬼が暴れて岩を押し出しているようだ」
との言い伝えから来ているとか。

天明年(1783年)の4月に突然の噴火を始めた浅間山。
7月7日の七夕の日に鳴動をし、大地が揺れ、火砕流が発生しました。
その翌日の8日、午前11時ごろには、山頂が光ったと思った瞬間、真紅の火炎が数百メートルも天に吹き上げ、大量の火砕流が一気に山腹を駆け下った。
山腹の土石が溶岩流によって削り取られ、土石なだれとして流れ、ふもとの鎌原村を直撃しましたが、その間、わずか十数分だったようです。
家屋・人々・家畜をふくめ、村全体が土石に飲み込まれてしまいました。
生存者は人口570名ちゅうわずか93人のみ。
この爆発で流れ出した溶岩が作っている岩の海・・・これを鬼押し出しと呼んでいるのです。

ちなみにこの溶岩は「両輝石安山岩」だそうです。

鬼押し出し園の中は、散策しながら、広く、めずらしい岩の海を見ることができます。
また、園全体に自生している高山植物を楽しんだり、春から秋までしか見られないというヒカリゴケも楽しめました。

いぜんこの鬼押し出しを訪れたのは40年近く前でした(笑)。
その頃から比べると、岩全体にたくさんの緑が生えていました。
自然の力ってすごいものだと感心しながら、奇観を楽しんできました。

途中、いくつかのシュルターのようなものも作られているのを見、「浅間山は活火山なのだ」と改めて思い、思わず空を見上げてしまった私です。

帰りは「安中榛名」駅から新幹線に乗車しましたが、本当に山の中の駅!
一日に止まる新幹線も数本・・・政治駅?

一泊二日のオフ会は、地元のメンバーの方々の温かいおもてなしで、楽しい、楽しい思い出の時間になりました。
皆さん、本当にありがとうございました。
多謝・多謝です。
(写真集・・・旅・町・思い出にUP)

オフ会(観光編)・・・②

2003-07-14 | インポート
高崎駅より車で20分くらいでしょうか、安中藩の武家長屋と郡奉行役宅がありました。
安中は、中仙道の関東の入り口にあたるため、代々、徳川家譜代の大名が勤めたと言われています。
そして、安中城内には家臣の屋敷も立ち並んでいましたが、一部は長屋で、4軒長屋、5軒長屋になっていました。

今、残っているのは当時の図面をもとに、平成になって、となりの奉行役宅とともに復元したものとか・・・
「一部の材料は、200年位前の物も利用しています」と案内の方がおっしゃっていました。
「屋根の萱は、今時葺きなおしがたいへんでしょうね。材料は手に入るのですか」とたずねましたら「むずかしい」というお返事でした・・・やっぱりそうでしょうね。

次に向かったのは、昼食場所。
横川・軽井沢周辺に行ったら、当然「峠の釜飯」です。
日本最古のお弁当やさんである「おぎのや」で、おいしい釜飯の昼食を食べた後は、すぐ近くの「碓氷峠鉄道文化村」へ。

惜しまれながら廃線になってしまった信越本線・横川~軽井沢間の歴史資料を展示しな建物や、廃線になるまで使われていた「検修車庫」をそのまま公開してあったり、たくさんのなつかしい車両が屋外に展示されてあったりと、鉄道ファンにはたまらない場所だと思います。

ミニSLの運行や、イギリスから持ってきたという本格的蒸気機関車に乗車もできます。
しばし、子どもの頃に返って、電車で楽しんだ後は「めがね橋」へと、緑の林の中を走るのですが、これが気持ちの良いこと!
「緑が目にしみる」といいますが、まさにその表現とおり・・・

めがね橋は、明治25年に完成したレンガ造り4連のアーチ式鉄道橋です。
その後、電化された信越線は、もう少し奥に石造りの橋ができましたので、この「めがね橋」は、今は貴重な近代化遺産として保存され、周りの美しい緑の中に静かにたたずんでいます。

橋の上は歩くことができますので、登ってみました。
かなりの高さがあります。
橋を渡り、トンネルをくぐるミニハイキングコースをブラブラと散策しましたが、ちょっとひんやりした空気と静けさに気持ちも洗われました。

次に寄ったのは「碓氷関所跡」です。
江戸時代に設置されていたという関東への入国の関門です。
「入り鉄砲に出女」を事の他厳しく取り締まったようです。
いつの世も、「女が鍵」は変わらないのでしょうか(苦笑)