「植草一秀の『知られざる真実』」
2019/08/12
日航ジャンボ機123便墜落事件の真相を解く鍵
第2404号
ウェブで読む:https://foomii.com/00050/2019081215170257365 ──────────────────────────────────── いまから34年前の1985年8月12日、日航ジャンボ機123便が群馬県 の高天原山(たかまがはらやま)の尾根に墜落した。
御巣鷹山に墜落と言われたが、事実は違う。
高天原山の尾根である。
この尾根は高天原山の尾根であるが、御巣鷹の尾根と命名されることになっ た。
「高天原山」の名称が隠され「御巣鷹山」の名称が用いられたことに何らかの 意図があると考えられる。
乗員乗客524名のうち520名が死亡した。
改めて謹んで哀悼の意を表したい。
事件から34年が経過した今日、墜落地点が所在する群馬県上野村で、遺族ら が慰霊登山を行なっている。
午後6時には追悼式典が執り行われる。
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4章 「捏造と隠蔽と」 NO.5「日航ジャンボ機123便」の嘘
に日航ジャンボ機墜落事件について記述した。
多くの人々は、ジャンボ機墜落「事故」と受け止めているが、重大な謎は残さ れたままである。
本稿ではあえて、日航ジャンボ機123便墜落「事件」と表記している。
アマゾンプライムで動画「9/11: 爆破の証拠 - 専門家は語る」 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B079ZLMD2P
を視聴できる。
2001年9月11日に発生したニューヨーク・マンハッタン島のツインタ ワービルへの旅客機突入、ビル崩落等の重大事件についても多くの謎が残され ている。
ツインタワービルは旅客機の突入によって崩落したのではなく、解体崩落で あったとの見解が示される。
この事件について、NHKは2001年10月10日に
特別番組「あすを読む:新しい戦争と世界」
を放映し、NHK解説委員主幹である長谷川浩氏が8名のパネリストのうちの 1人として出演した。
長谷川氏は、自らの徹底した調査に基づいて、世界貿易センタービルの犠牲者 の中に奇妙にもユダヤ人がいなかったことに触れた。
そして、9.11同時多発テロの首謀者がアラブのテロリストであるというブッ シュ大統領の声明を鵜呑みにすることについて、視聴者に注意を促した。
その長谷川氏がテレビ出演での発言から、わずか5日後に職場であるNHKの 敷地内で横たわっているのが発見され、亡くなられた。
長谷川氏の死去は「事件」によるものである可能性が高かったが、警察は検死 もせずに「自殺」と断定。
メディアは「事件」をほとんど報道しなかった。
この世には巨大な闇がある。
私たちは、その「闇」に光を当てなければならない。
日航ジャンボ機墜落事件の謎を解く鍵は、コックピットから発せられた一つの 言葉にある。
その言葉とは「オレンジエア」である。
1985年8月12日、自衛隊機は墜落現場を早期に特定しており、墜落直後 から救出活動を始動していれば、多数の乗客が救出されたと考えられる。
123便に搭乗し、生存を果たした4名の乗員、乗客のなかに、日航客室乗務 員の落合由美さんがいた。
落合さんは、墜落直後の状況に関して重要な証言を示していた。
「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりでは なく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全 体からです。
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」
公式発表の事故調査報告書は、
「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」
としている。
両者の間に決定的な相違がある。
事故調査報告書の執筆者は事故当時の現場にいない。
事故当時の現場にいたのは、救出された4名の乗員・乗客だけである。
事故直後の状況については、当時の状況をはっきりと記憶されている落合さん の証言によるしかない。
それにもかかわらず、事故調査報告書には
「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」
と記述された。
事故調査報告書は信用できないものであることが証明されている。
謎を解く最大のポイントは、ボイスレコーダーに記録された123便の衝撃音 発生直後にコックピットで発せられた音声にある。
8月12日18時24分に大きな衝撃音が発生した直後、コックピットで重大 な言葉が発せられた。
事故調による音声書き起こしの表現は「オールエンジン」。
実は、この音声がテレビの特別番組でメインテーマとして取り上げられたこと がある。
2000年11月9日放送のフジテレビ番組「ザ・ノンフィクション『15年目 の検証』」である。
この番組が上記のボイスレコーダー音声を徹底解析した。
音声解析の専門家、海外の専門機関までが登場した番組の結論は、「オールエ ンジン」ではなく「ボディギア」ではないかとの推論だった。
問題の音声はいまも確認することができる。
https://www.youtube.com/watch?v=hyB_MXmMkRE
誰がどう聴いても、その音声は、
「オレンジエア」
でしかない。
私が指摘したのは、これらの事実の不自然さである。
誰がどう聴いても「オレンジエア」としか聴き取れない音声を、事故調は「 オールエンジン」と表記し、フジサンケイグループの特別番組は「ボディギ ア」と表現した。
奇怪極まるのは、フジサンケイグループ特別番組で、一度も「オレンジエア」 の表現が紹介されなかったことだ。
「オレンジエア」と聴き取れるとの判断を元にして、本当に「オレンジエア」 との聴き取りで間違いないのかを検証するのなら理解できる。
ところが、誰がどう聴いても「オレンジエア」としか聴き取れない音声につい て、「オレンジエア」の表記を一度も用いないで特別番組を編集することが不 自然極まる。
犯罪の真相は、このような些細な事実から発覚するものだ。
落合さんは飛行機に衝撃音が発生した直後の状況についても証言している。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい 音がしました。
テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。
「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。
急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。
前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」
「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見た ときには、もうありませんでした。
白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。
すっと消えた、という感じだったのです。」
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じ ませんでした。
しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあ たりを見まわしていました。」
落合氏はさらにこう述べた。
「あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗 務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席か らはベントホールは見えない位置にあります。
ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」
圧力隔壁が破損すれば、急減圧で機内に濃い霧が発生する。
過去の機体破損の事故で共通して起きている。
だが、123便では、その霧は「数秒」で消えており、空気の流れも生じな かった可能性が高い。
圧力隔壁の破損が生じたとの事故調報告は落合さんの証言内容と完全に矛盾し ている。
衝撃は18時24分に発生し、123便は18時56分に群馬県多野郡上野村 の高天原山の尾根(あとから「御巣鷹の尾根」と命名)に墜落した。
墜落から20分後には米軍機が墜落現場を確認し、午後9時頃まで海兵隊ヘリ と米軍機が救援活動を展開したが、横田基地の司令部から帰還を命じられた。
それでも米軍機は午後9時20分頃に日本の自衛隊機が現場に到着まで現場上 空に滞留した。
しかし、日本の自衛隊捜索隊が現場で救出活動を開始したのは墜落現場確認か ら11時間以上も経過した13日午前8時半だった。
誰が聴いても「オレンジエア」としか聴き取れない音声の表記を「オールエン ジン」や「ボディギア」に「改ざん」した事実に、巨大な「謎」と「闇」を明 らかにする決定的要素が潜んでいる。