曲学阿世:真実を追求し、虚実の世間に迎合するようなことはしたくない。

真実を曲解し不正な情報によって世間の人々にこびへつらい、世間にとり入れられるような、ことはしたくない。

デジブック 『バラ庭の花たち2』

2015年05月02日 17時09分38秒 | 危機にある憲法

デジブック 『バラ庭の花たち2』

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🔣コメント、今や、憲法が破壊の日が近づきつつあることを認識し、

新たに大事な、個人の基本的人権や尊厳を守り抜かねばなりません。

 それらが骨抜きにされないように。

 

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「砂川事件」最高裁判決が出る怪

2014年04月20日 15時09分31秒 | 危機にある憲法
「砂川事件」最高裁判決が出てくる怪


2014/4/15


小林 節

 集団的自衛権を内閣の憲法解釈により解禁しようとしている自民党が、憲法9条は集団的自衛権の行使をもとより認めていない…とする反対多数派に対する反論として、すでに最高裁が判例の中で集団的自衛権の行使を認めている…と主張し始めている。砂川事件最大判(1959年)である。

 その判決の中で、最高裁は、「憲法9条…によりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、…わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」としている。

 確かに、そこで最高裁は、個別的自衛権と集団的自衛権を区分してその内のひとつに限り認めるとは言っていない。だから、一見して二種類の権利の行使を認めているようにも見える。

 しかし、そのような見解は本質的に間違っている。つまり、司法権の本質を忘れている。裁判というものは、具体的で個性的な事件について当事者のどちらが正しいか?を判断する権能で、その事件の解決に必要な限りで、前提(判断基準)になる法令の解釈も確認する。

 砂川事件とは、米軍基地に乱入した人々を刑事責任に問えるか否か?が争われた事件で、その前提問題として、在日米軍の合憲性が問われた。だから、そこで争われたのは、米国が米国の集団的自衛権を行使して派遣してきた軍隊にわが国が守ってもらうことの合憲性である。ところが、今、わが国で深刻な論争の対象になっていることは、わが国がわが国の持っている集団的自衛権を(これまでの禁止を解いて)行使して海外派兵することの合憲性である。

 だから、両者は明らかに対象となっている事実が異なる。

 しかも、当時は、海外派兵を禁止した(専守防衛の)9条の下で、厳格に規制された自衛隊が創設された直後であり、もとより、わが国が集団的自衛権を行使することなど考えられてもいなかった時代である。だから、日米安保条約も典型的な片務条約として締結されていた。そういう意味で、これまでは「砂川事件が集団的自衛権の行使を認めた」などという見解はひとつも存在しなかったが、当然である。

(慶大名誉教授・弁護士)

※小林節一刀両断コラムより「転載」

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