「植草一秀の『知られざる真実』」
2018/07/31
日航ジャンボ機123便墜落事故の真実
第2100号
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今年もあの日がやってくる。
1985年8月12日、羽田空港1800発大阪伊丹空港行き日本航空123
便が18時56分に、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の
尾根」)に墜落した。
乗員乗客524名のうち520名が死亡した。
生存者(負傷者)は4名だった。
夕刻の便であり、お盆の帰省ラッシュとも重なっていた。
死者数は、墜落事故および単独機の航空事故で世界最多となった。
1987年6月19日に航空事故調査委員会は、同機が1978年6月2日に
伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後のボーイング社修理が不適切であった
ために圧力隔壁が破損したことが事故原因であるとの報告書を公表した。
しかし、この報告は信用できない。
123便は外部からの衝撃で尾翼を失い、これが原因で操縦不能に陥った疑い
が強い。
また、123便は横田基地に緊急着陸を検討した模様だが、着陸を断念した
か、何らかの誘導により進路を山岳地帯に変更したうえで山岳地帯で墜落した
可能性が高いと思われる。
それでも、123便墜落時には多数の乗客が生存していたと見られ、墜落直後
に米軍機によって墜落場所が特定され、夜間の救助活動が可能であったはずだ
が、救助は行われなかった。
事故あるいは事件から33年が経過するいま、私たちは「知られざる真実」の
解明を行う責務を負っている。
『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』
(河出書房新社・最新刊)
https://goo.gl/auvNJY
「日本航空123便墜落事故を検証する」
http://www.link-21.com/JAL123/index.html
「日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)」
https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg
などの情報を総合すると、1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機1
23便墜落事件の全体像がかなりはっきりと浮かび上がってくる。
元日航客室乗務員の青山透子氏が昨年、真相に迫る著書を刊行された。
『日航123便墜落の新事実』
https://goo.gl/auvNJY
日航ジャンボ123便は8月12日18時12分に羽田を離陸。
離陸後順調に飛行を続け、18時24分に大島上空を通過し、相模湾上空に差
し掛かっていたとき、大きな衝撃音がして機体に異常が発生した。
その模様を123便生存者で日本航空CAを務めていた落合由美氏が次のよう
に証言している。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい
音がしました。
テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。
「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。
急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。
前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」
「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見た
ときには、もうありませんでした。
白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。
すっと消えた、という感じだったのです。」
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じ
ませんでした。
しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあ
たりを見まわしていました。
あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務
員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席から
はベントホールは見えない位置にあります。
ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」
18時24分に衝撃があり、機体に異常が発生して、結局、18時56分、1
23便は群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜
落した。
捜索隊が墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過した13日午前8
時半ころとされている。
救難活動が遅れて、乗員乗客524名のうち、520名が死亡したとされてい
る。
上記落合氏の証言によると、
「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりでは
なく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全
体からです。
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」
という状況であった。
つまり、多数の乗員、乗客が生存していたのである。
しかし、事故調査報告書は、「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに
近い状況であった」としており、この点でも調査報告書の信ぴょう性は極めて
低いと言わざるを得ない。
上掲書を刊行した元日航客室乗務員の青山透子氏は2010年に刊行した著書
『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド、2010年
4月刊)
https://goo.gl/FmG2dF
で、事故当時に横田基地に配属されていた米空軍の輸送機U130のパイロッ
ト、マイケル・アントヌッチ中尉の証言を紹介している。
1995年8月27日付「星条旗新聞」=” Stars and Stripes”の記事であ
る。
この証言を米田憲司氏の著書
『御巣鷹の謎を追う』(宝島SUGOI文庫)
https://goo.gl/uuwskt
から紹介する。
「当機は、陽が長くなった夏の夕日が沈みかけていたころ、機首を北北西に進
路を取った。午後7時15分、航空機関士が1万フィート付近で雲の下に煙のよう
なものが見えるのを発見したので、ゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向け
た。御巣鷹山の周辺はとても起伏が多かった。地表からおよそ2000フィートま
で降下する許可を得た。墜落機残骸を発見したのは、あたりはだんだんと暗く
なり始めていた時だった。山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上が
り、空を覆っていた。時刻は7時20分だった。
当機の指揮官、ジョン・グリフィンは、墜落機残骸の上空2000フィートで旋回
していた。私は地上との高度をモニターし、横田までの位置関係を確認した。
事故現場から横田までの緯度、経度、方向と距離を連絡した。墜落後、およそ
20分で当局は墜落機残骸の位置をつかんでいたのだ。横田管制から、我々の現
在地から約40マイルの厚木基地から、米海兵隊が救難に向かう準備をしてるこ
とを聞いた。1時間で到着できただろう。」
「当機は8時30分まで先回を続けた。そのとき、海兵隊のヘリコプターが救助
に向かっているので方向を知りたがっている、といわれたので、墜落現場まで
の方位を教え、当機のレーダーで地上から空中までを探してみた。8時50分ま
でに救援ヘリのライトを視認できた。ヘリは偵察のため降下中だった。
午後9時5分に、煙と炎がひどくてとても着陸できないと海兵隊が連絡してき
た。われわれに、司令部に連絡してくれと頼んできた。私が司令部に連絡を
取った。
将校は「直ちに基地へ帰還せよ」「日本側が向かっている」といったので「司
令部、海兵隊は救助続行をきぼうしている」といったが、「繰り返す。即刻、
基地に帰還せよ。海兵隊も同様」と命令された。私は「了解。基地に帰還す
る」と応答した。」
C130は午後9時20分に、最初の日本の飛行機が現れたのを確認して現場
を引き揚げた。
もう一つ重要な事実は、18時24分に大きな衝撃音が発生した直後に、コッ
クピットから重大な言葉が発せられていることだ。
事故調査報告書に記載のあったボイスレコーダーの音声の解析結果が、200
0年11月19日のフジテレビ番組「ザ・ノンフィクション『15年目の検
証』」で紹介された。
番組では、記載された記載されたボイスレコーダーの「オールエンジン」とい
うフレーズが、「ボディギア」ではないかとの分析結果を伝えたが、調査報告
書もフジテレビ番組も、意図的に音声を誤記しているとしか考えられない。
音声はネット上に公開されている情報
「フジテレビ『ザ・ノンフィクション』」
https://www.youtube.com/watch?v=7poQ8oyuBQM
の22分35秒以降の部分で確認できる。
衝撃音の直後に「スコーク77」が発せられ、その直後にフライトエンジニア
が発した言葉は、何度確認しても
「オレンジエア」
であり、「オールエンジン」でも「ボディギア」でもない。
事故報告著もフジテレビ番組も、誰がどう聞いても「オレンジエア」としか聞
こえないフレーズを、なぜ「オールエンジン」や「ボディギア」としているの
か。
「オレンジエア」と表記することに、何か重大な支障があるとしか考えようが
ない。
この素朴な疑問に問題の本質が隠れている。
当該ジャンボ機123便に搭乗していた乗客の小川哲氏(当時41歳)が、
ジャンボ機に接近する謎の飛行物体に気がつき、それをカメラに収めていた。
写真は事故から5年後の事故から4年後の1990年10月14日に朝日新聞
朝刊に掲載された。
上掲書著者の青山透子氏によると、この写真をパソコンで拡大するとオレンジ
色になり、画像処理の専門家による写真の検証では、
「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、こ
の物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見え
る」
という。
「オレンジエア」は航空自衛隊演習用兵器の呼称であると考えられ、日航ジャ
ンボ機123便は、「オレンジエア」によって尾翼の大半を喪失。
操縦不能に陥り、最後は山中に墜落したとの疑惑が濃厚に存在している。
そして、自衛隊機ファントム2機が123便を追尾したとの有力な目撃証言も
ある。
もし、この仮説が真実であるとすれば、自衛隊および政府内部に真実を知る者
が確実に存在するはずである。
「天網恢恢疎にして漏らさず」という。
私たちは必ずこの事故=事件の真相を明らかにしなければならない。
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