【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

焔色の向こう側 Ⅱ~言の葉の美

2009-09-29 17:40:17 | 心の宝石箱

   今日は、天気予報通りの空となりました。
  と言っても・・朝早い時間に降っているかいないかのような雨が、パラッと来ただけ。
  その後は、一度も降っていません。重苦しい空です。

   気温の方も、最近高めが続いていましたが、ほっと一息です。
  ただ窓を開ければ寒い、閉めれば暑い・・といった落ち着かない? 気温になっています。

   でも、一歩庭に出れば・・。
  冒頭の写真のような雨粒の宝石や、木々に張り渡した蜘蛛の巣も、
  晴れた日とは違った趣を見せています。それは、こんな風に・・。

   “木々に懸け渡した蜘蛛の巣が銀の糸のように光り、
  樅の枝と花々が親しげに囁き交わしているかのように思われた。”

                                          【「赤毛のアン」 第9章】



     さて、今日も蝋燭の焔が似合う 1日 になりました。
    こんなお天気ですから、華やかな気分に浸りたくて。
    
     それには何と言っても薔薇茶が 1番 ですね。題して 「薔薇尽くし」。
    テーブルクロスも薔薇ならカップも薔薇。薔薇、ばら、バラ・・。
    
     久し振りに、お香も薔薇の香りにし、ずっと以前に作った、
    トールペイントの薔薇のメニュー板も取り出して来ました。
    これでは連日の 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』、開店ですね。
     
     そうそう、少々見えにくいですが、木靴のお香立ては、例のアッセンデルフトです。
    うっかりしていましたが、【先日】 のそれも。勿論、土産物です。
    
     話は、ガラッと変わって。昨日も記しましたが、オルコット作 『若草物語』
     『赤毛のアン』 と同様、あまりにも有名な本ですから、
    愛読書としていらっしゃる方も多いでしょう。

     実は、こちらでも何度か紹介しています、
    暮らしの手帖版 『素敵なあなたに』 の作者の方が、
    一番好きな本として、この 『若草物語』 を挙げていらっしゃいます。

     この本も、名作に興味が湧いて来る年頃になれば、
    ごく最初に読まれる本でしょう。私もそうでした。

     でも 『赤毛のアン』 と違って、こちらの本は、
    繰り返し読む事をしませんから、細かい所は、ほとんど忘れています。
    そんな訳で、今回久し振りに紐解いてみました。

     先ず最初の驚き。昨日も記しましたが、言葉の美しさ。
    私も今では、すっかり音読が身に着いてしまっていますから、
    声に出しますので余計に感じるのかも知れませんね。

     次に敬語。それは家族間でも普通に会話されています。
    妻は夫を。子供達は、両親を。自然に、さり気なく。例えば・・。

「そうです、長い良いお手紙です。
私達が案じていたほどでもなく、
寒い季節を無事にお過ごしになれそうだと言ってお寄こしになったのです。
お父様はクリスマスの祝辞と一緒に、
あなた方めいめいに特別の御伝言を下すったのです」
母は、まるで宝物でも入っているように、胸のポケットを叩きながら言った。
【↑母親、マーチ夫人の言葉  ↓長女メグの言葉】
「お父様は本当におえらいわ、出征なさるにはあまりにもお年が行き過ぎ、
それに兵隊になるほどお丈夫ではないからというので、
軍隊慰問のために戦地へお出かけになったんですものね」
と、メグはしみじみと言った。


   この物語が書かれたのは、100年以上前、
  日本で言いますと明治元年です。『赤毛のアン』 よりも少し前ですね。

   話を敬語に戻します。翻って現代。
  全てが悪いとは申しませんが、夫婦間も然る事ながら親子間の友達のような会話。
  逆に嬉々として子供に敬語を使う親すらいます。

   この 『若草物語』 も、アン同様、夢のある素敵な物語です。
  それ以上に今回、言葉というものに、殊の外衝撃を受けてしまったような気がします。
  現代があまりにも乱れているという事なのでしょうか・・。
  
   男女同権だから女性が男性のような言葉を使っていいとは思いませんし、
  人間平等だから目上も目下もない・・という事はないと思います。
  
   敬語って、素敵だな・・と思った次第です。ある意味、新鮮な驚きでした。
  『赤毛のアン』 も、『若草物語』 も、どちらも大層素敵な家族ですから。