ビストロ レアール

石川県小松市にある「ビストロ レアール」のシェフがつづるあんなことこんなこと

(グラン)プチ ブルー?

2005年07月31日 | フランスこぼれ話
サントロペのレストランの
ギャルソン

若干15歳

ジェローム

社会に出て
働きながら専門学校に通う
青年というより
少年でした

皆でいる時にも
ちょっと浮いていたかなぁ
何か話題で盛り上がっているときに
ドキッとするような
汚い言葉を言って
皆を驚かせていました

こんな彼も
サーヴィスに入ると
一生懸命きびきびと
良く働いていました
体力的に
まだ 子供
サーヴィスが終わると

へなへなでしたが
相変わらず
口だけは元気でした

この顔立ちから
みんなから
”グラン ブルー”と呼ばれていましたが
口の悪さだけは
”プチ ブルー”でした。

ひまわり畑

2005年07月29日 | シェフのコラム
この時期になると
はじめて見た
広大な土地一面に咲誇る

ひまわりを思い出します

アジャン市はボルドーから
さらに内陸に列車で二時間程の
所にありますが

そこから私の師
ミッシェル トラマ師のレストランが
あるピュミロール村までは
17km離れていて

7kmは街中を通り
後の
10kmは
一箇所ゆるいカーブを除いて
高低さはあるものの
一直線!

その道の
右も左も
咲誇るひまわりで一杯になっていて

「ハー これがひまわり畑かー」と
おどろいていました

走っても走っても見えるのは
ひまわりばかり

フランスではひまわりの
種からひまわり油を採って
食用油としています
huile de tourne sol

私が
レストランのある
ピュミロールからアジャンに向かう時には
右を見ていました

また
アジャンからピュミロールに向かう時には
左を見ていました


なぜかと言えば
道の反対側のひまわりは
背中を向けていたので
緑一色だったのです

いつもみなさまに
こちらを向いていただく為に
頑張ります

おいしいもの何処にある

ここにある

レアールにアール!

ひまわりのような
笑顔でお待ちしておりまーす




花つくしディナー

2005年07月28日 | シェフのコラム
私がフランスに行く
きっかけになったのは
この写真の花つくしディナーでした

この時
名古屋のホテルの宴会場のシェフをしていたのですが
料理を盛り付けて演出したり
色彩感覚を身につけたい
と 思っていたところ

ホテルの入り口に
花を生けて下さっていた
先生に頼んで

お弟子さんの中に
入れていただきました

習って行くうちに
生け花と料理に接点が
あるのにヒントを得ました

ウイキョウの花は生け花に
茎は料理に

蓮の葉や花は生け花に
根は料理に

また朝鮮あざみの花は生け花に
花のがくは料理にと

そして
せっかくだからと

メニューも
飛び出す絵本のように
メニューに
一人ずつ違う花の柄を切り抜き

ワインもフルーリーと言う銘柄

布ナプキンの折り方も
すべて花 花 花でした

ディナーが終わって
先生のお友達から
おほめのお言葉をいただき
その後の 一言
「フランス料理をやってらっしゃって
 フランスに行かれていたんですか?」

ガ ガ ガ-ン

そこで

あっ フランス料理作っていて
フランス 知らないや!!!!

それからは
来る日も来る日も
フランスに行かなければ
との思いで一杯でした

そんな訳で
花花しくフランスデヴュー出来ました。

いつまで経っても○月○日

2005年07月28日 | フランスこぼれ話
(雰囲気を演出する為にフランスの新聞に変えてあります)






フランスでの生活では
田舎に行くほど
日本語から離れ
普段 本や新聞などあまり見ない
私でも日本語の
活字が恋しくてしかたなくなりました

そのため
手紙を日本の友人知人に書きまくって
返事を首を長くして
待っていたものです

半年に一度ぐらい
パリに上がるのですが
そのとき

先輩のアパートにたまっている
日本の新聞をもらって働いている田舎の
レストランに持ち帰るのですが
隅から隅まで
何度も読み返すのです

読みつくしても
きっと何かに使えると
そのクシャクシャになった
新聞も捨てれられずにいました

新しい日付けの新聞の記事を見ると
目まぐるしく世の中が
変わって行くのに驚きました


今こうして生活していて
目まぐるしく変わっていく中で
フランスの片田舎での
思い出は

私がクシャクシャになっても

いつまで経っても○月○日のままです。

イワン レンドル?!

2005年07月28日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーのレストラン
マノワー ダスティンの魚料理担当の
我が親友の一人

フランク

いつもジョークで人を
笑わせてくれて
賄いの時にはクリストフと(後に紹介します)
よくしゃべりまくっていました

フランクは
アラファト議長が頭に被っていた
白と黒のスカーフの様な
布をマフラーにしていて

ポケットにはいつも
サムソンという

紙巻たばこ

この紙巻たばこも彼に教わりました

当時 月給が2000フラン
フランス人の最低賃金が
その時4500フラン

15.16才の見習いでも
4500フラン貰っていたのに

半分以下

仕事は倍以上

2000フランと言うと約4万円ですが
物価が日本とは違うので
大体 月2万円位の感覚で
1ヶ月残るお金といえば200フラン位で
シャツが一枚買える程度でした

それでも楽しく遊んで苦しい生活!

そんな訳で
ある日

フランク:マサおまえ給料安いんだから俺みたいに
     紙巻タバコに変えろよ
     フィルター付きのタバコの四倍は
     もつぞ
 
と言われ
さっそく購入

西部劇でよくカウボーイが
クルクル パク シュボ フウゥーとは
なかなかいかずにいました
が 
慣れてくると
おつなもので

キャフェかなんかで
ポケットから出して

クルクル パク シュボ フゥーとすると
周りのフランス人も
(おっと このジャポネ粋だね)
と言った感じでした            ホント ホント


彼は調理場では三枚目を仕事が終わると
二の線で気取るのですが
途中ですぐに地がでてしまい
2.5枚目になります

フランクにはいろいろな
所に連れて行ってもらいました
モンサン ミッシェル
オンフール
ウィストリヤム
ポンレベック その他いろいろ

フランクの家族と
彼女のキャトリーヌとその家族
友人や幼馴染の家など
ホームパーティーがあると
必ずさそってくれました

パーティーでいつも話が盛り上がって
くると必ず私を引き合いに出して
「恐怖の電話事件」のことを話すのでした   (この話も後に書き込みます)


写真はフランクとキャティの
結婚式でのスナップです
プロテニスプレイヤーのレンドルに
似ていません?
後ろの美人はキャトリーヌです
似たもの夫婦とはよく言ったもので
キャティもしゃべる散弾銃でした。(そのうえ早口)

と言っている私は
類は友を呼ぶってやつでしょうか。

ペガサスのマダム

2005年07月27日 | フランスこぼれ話
休憩時間になると
着替えて
ペガサスブリッジの橋のたもとにある
キャフェに通ったものです

いつも二人のマダムが笑顔で
ボンジュール マサ サヴァ?(こんにちわ まさ ごきげんいかが?)


フランス語もままない私に
英語とフランス語で
コミニケーションをとってくれました

観光名所の一つでよく
イギリス人をのせてバスが来て
小休止していました

イギリス人にもいろいろな人がいて
いきなり英語で

ワン カーフィー プリーズ!

なんて言ったら
マダム達の感にふれてしまい

クワ?ジュ ヌ コンプラン パ

何?私わかんなぁい!(女子高生ではありません)

とイギリス人を一撃!
フランスに勝利!

ところが
同じイギリス人でも

マダーム ジュ ジュ ジュ ジュ ジュブズワン

アー アー アー アン カカカァ 

キャキャキャフェ

プリ プリ プリーズ

ノー シルシル 

スウィル ヴー プレェ

などとフランス語がへたでも
わかってもらいたい と 一生懸命な
イギリス人には

達者な英語で
オーケー アンダースタンドと言ってから
私を見てウィンクしながら
エスプレッソマシンにカップをセットしていまいした


やっぱり人間性だよなーとつくずく思いました。

胸に輝くいぶし銀

2005年07月27日 | シェフのコラム
先日
知り合いの銀細工アーチストに
お願いしていた
お鍋のブローチが出来上がって
持ってきてくれました

大中小のお鍋は
燻してあってしぶい輝きで
そのお鍋のあいだには
レードルがぶらさがって
ちょっと
お洒落でしょ!

大きいお鍋の底の部分には
Leshallesのロゴ入り
それに
レードルにはちゃんと穴が開いていたり
お鍋の柄にはリベット留めの
ポッチがあったり
芸が細かい!
ちょっと私みたい


燻し銀のようなしぶい
料理人に成れるように
これ着けて頑張ります

燻製は得意なんですけど。


めざせペガサス!

2005年07月24日 | シェフのコラム
(写真の河に見えるのは運河です
尚 このアングルはペガサス側からです)
休憩時間になると
着替えて 
歩いて20分程の所に

ペガサスブリッジと言う
羽橋があり 
運河を通過する船があるときに
橋がワイヤーで空に向けて持ち上がるのです

第二次世界大戦では要の橋だったそうで
映画「ノルマンディー上陸作戦」の中にも
出ていたそうです

なーんにも無いでしょ
ここを良くアキダを連れて歩いていました

海が近いせいもあって
風向きによっては
ちょっと潮風が感じる道でした。

窓から見える中庭

2005年07月24日 | シェフのコラム
ノルマンディーのレストランの
私の部屋の高い位置にある窓から
中庭がみえました

敷地を囲む塀にツタが絡まり

一面の芝生

石作りの椅子とテ-ブルが置かれ

所々に石作りのエンジェルが配置されて

なかなかいい雰囲気でした

すてきでしょ

ここのテーブルで飲んだビールは旨かったー
(本当はワインかシャンパンが飲みたかったのですが)



シェフには内緒だぞ!

2005年07月24日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーのお魚は
フランスとイギリスの間に
ドーバー海峡があり
潮の流れが速く
摂れた魚は身がしまってプリプリ

驚いたのは
平目(trbot:テュルボ  車のターボではありません)
の大きいこと日本の平目の3倍はあります

それに
オマール海老

オマールと言うとほとんどが
カナダかアメリカ産
フランスブルターニュ産は
日本の牛肉より高いのですが

その身の旨味と歯ごたえは
すごい!

ときどき
大物が混じっていますが
片手では持ちきれない大きさで
80センチ位大きくて
爪のおおきさが
私の手の平ほどで
2、3キロはありました

とにかく
魚はみなプリプリ ピンピン(キトキト)

ある日朝の
仕込みの時 新鮮なホタテが入荷
アプランティー(見習い)のセドリックと
ホタテの下ごしらえをしている時

そのホタテの身の大きさとプリプリ感に
日本人の私にホタテさんが言いました

ホタテ:ボンジュール キュイジニエさん

私:あ ボ ボ ボンジュール

ホタテ:私の身 プリプリで美味しそうでしょ?

私:あ あ ウ ウ ウイ

ホタテ:セドリックの目を盗んで 食べてもいいよ

私:ほ ほ ほんと!

手に取ったホタテさんは
透き通るように白く
ふっくらとして白玉のように
もちもち プリプリ

セドリックの目を盗んで
官能的美味しさに
ニンマリ と セドリックは
私がホタテさんを食べちゃった事に気が付いたらしく

セドリック:マサ何を食べてんだ?

私:ホガァヶ

セドリック:エッー ホタテ!!!!

私:シェフには内緒にしてくれよ

セドリック:わかっただから もう一度食べてみてくれ

私:いいの?

セドリック:ああ シェフには内緒にしておくから


「パクッ」

セドリック:おーい 皆ー マサがホタテ生で食ったぞー!

私:シッー セド おい 

と言っている間にキュイジニエ達が集まって

マサホントかー?

私:ごめん

キュイジニエ:もう一回俺達の前で食べてくれ

私:えーいいの?

「パクッ」

一同:うわー げっー やめろー うそー ほほー 
  マサおまえ死ぬぞー

騒ぎにシェフが来て
キュイジニエ:シェフ!マサがホタテを生で食べたんです!

シェフ:(ニヤッとして)日本人は刺身と言って
    新鮮な生魚をたべる料理があるんだ



シェフ:マサあまり食べ過ぎるなよ
    お客様に出すホタテが無くならない様にな と

私:ほっと胸をなでおろしました


みんな 俺は生きてるぞー!

今年も出来ました

2005年07月23日 | メニュー紹介
香りを付けて

炒めたい時
焼きたいとき
和えたい時など

毎年 完売の
ガーリックオリーヴオイル バジル風味

茹でたパスタにかけてあえれば 
アーリオ オーリオのバジル風味に

トーストのバターを替えて
ガーリックオリーヴオイル バジル風味
にすればヘルシーなスペイン風?

バゲットの上に
刻んだトマトにガーリックオリーヴオイル バジル風味
を和えてのせれば おしゃれなブルスケッタに(冷えたワインがすすみます)

ピザやサラダに一振りすれば
気分はレストラン!

お魚やお肉に塩コショウしてガーリックオリーヴオイル バジル風味
を一振りしてから調理すればワインが足りなくなるかも

お刺身や牛肉のたたきを
お皿に広げ塩コショウとルッコラなどを添えて
ガーリックオリーヴオイル バジル風味を一振りすれば
カルパッチョ!

声を大にして伝えたい
美味しさ 便利さ カッコよさ?

250g 1瓶 ¥950(税込)


うちの妻がこっそり持ち帰っているの
知っているんだぞー


アランが手入れしていたハーブ畑

2005年07月23日 | シェフのコラム
レストランで使われるハーブは
全てアランの育てたハーブが使われていました

ローリエ タイム セルフィーユ
ローズマリー パセリ オゼイユ
ミント バジル コリアンダー
ディル セージ オレガノなどです

そのほかに敷地内には
ノアゼット(へーゼルナッツ)
洋ナシ シードルに使う小さな林檎がありました。

ジャルディニエのアラン

2005年07月23日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーで働いていた時
私の部屋の隣りに
アランの仕事古屋がありました
仕事小屋と言うほどのものではないのですが
庭仕事の道具が置いてあり
よく ジャンルーやキュイジニエの溜まり場になっていました

それも そのはず
彼の穏やかな人柄でだれにでも
好かれていました
彼が怒ったのを見たのは一度だけ

ハーブ園のセルフィーュを
誰かが
いいかげんに刈り取って
セルフィーュの所だけ
ぐちゃぐちゃになっていた時だけです

アランには二人の娘がいて
確か5歳と七歳で超かわいかったのを覚えています
アランの家に夕食に呼ばれた時
夕食前にガレージでアランと卓球をしていると
ドアのかげから二人で
はずかしそうなものめずらしいそうな
かんじで目が合うと
ニコッとしてうつむいて
フランス人形のような
愛らしい子達でした

夕食の時間になり
アランと奥さんと二人の娘達二人と
5人でテーブルに

私が持っていったワインを開け
前菜にサラダとジャンボン ド パリ(豚のもも肉を整形してあるハム)
メインディッシュはピザ ワンカット!
地元特産ご存知
カマンベールチーズ
(フランスの発音ではCから始まる単語はキャと発音するので
ここでは正しくはキャマンベールです)
残りのワインを開けて
じつに一時間

「シンプルでしょもちろん
寮に帰った時には
サンドウィッチを頬張りました!」

食事中はつたないフランス語で
あれやこれや話しました
娘さん達に折り紙の鶴を折って
プレゼントすると
みんな驚いて
作り方を教えてほしいと言われ
子供達とアランと奥さんも一生懸命になって
出来上がったときには
みんな大感激!でした

次の日に
アランが
「マサこれうちの娘達から」と
渡された封筒のなかには
娘さんたちがクレヨンで
一生懸命に書いた絵が入っていました

下の娘さんが家の絵を(後にグランメゾン ミッシェルトラマ)
上の娘さんの絵にはフランス国旗はためく白い船に
ボーダーのシャツを着た船員さんが描かれていて
(後に船で行くクラブメッド グルメツアー
フランス ニューヨーク十四日間船の旅にと勝手にこじつけています)
二枚とも
大きかったり小さかったりのアルファベットで
pour massaマサへと書かれていて
最高にうれしかったのを覚えています

そんな温かい家族で
ノルマンディのレストランを
上がる時には
「マサ フランスで何かあったら 電話しろよ」と
言ってくれたアランも私の良き友達でした。



アラン!
今だから言うけど
セルフィーュ刈り取ったの
セドリックだぞー



お待たせいたしました

2005年07月22日 | レ・アールについて
ボンジュール トゥ ルモンド!
みなさんこんにちは!

やっとパソコンが治ってまいりました

コメントの書き込みが少ないので
あまり読まれていないのかと
思いきや
以外に 

まだなおらないの?

楽しみにしているんですよ。

うちのパソコンで書き込めば?

とか言っていただき
読んでいただいているんだなー
ありがたいなーと思いました。

そんな 温かいお言葉にご期待できる様に

がんばりたいと思います
また 皆さんからのコメントいただけると
励みになります是非
お店ともども気軽に入って来てください

料理のコツや作り方の質問なんかも受け付けます!


Jan-luc ジャンルー

2005年07月07日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーのレストランの
古株の一人
プロンジュ 洗い場係りの

ジャンルー

いつも賄いの時
隣りに座るメートルドテルの
ムッシューコルディエと
なにかにつけて物事を

ミッテラン派とシラク派に別れて

ジャンルー:あんなことしているからシラクはだめなんだ!

コルディエ:ミッテランだってあれは あーだこーだ!

ジャンルー:オララー セ パ ヴレー(ウソダロー)

コルディエ:スィースィー(イイヤ ソウダ)

などと言い合い
まわりにのキュイジニエ達は

目をあわせながら
また始まったとほほえみ
頭を左右に振りながら
皿に残ったソースを
ちぎったバゲットでぬぐい
口に運ぶ者

「ジャンルーもっと付け合せいらないか?」

「ムッシューコルディエイチゴのタルトは?」

などと勧めることで仲介する者

どっちが正しいか真剣に聞き入る者

毎日こんなやり取りでした
彼はワインの倉庫:カーヴの係りも兼務していて
よく仕事の終わる頃に
シードルをくれました

冗談が好きで

ジャンルー:ヘーイ マザー(彼だけは私の名をフランス語読みで)
      おまえ また 休憩時間に
      ペガサスブリッジにカルバドス飲みにいくんだろー
      飲みすぎて酔っ払うなよー
      ピュータンジャポネ(チクショー日本人)

とか言って
からかわれました
その時決まって

左手で右のひじの内側を押さえながら
右手のこぶしを
天に向かって挙げました

そして 決まって私は
(はしたないですが)

ピュータンフランセー(チクショーフランス人)と
中指を立てて応戦!

ひざを曲げず 腕もひじを振りながら歩く姿は
イギリスあたりのメイドさんが歩いているのによく似て
気のいい よくしゃべる
いいやつでした

ノルマンディーの店を上がる時も
「マザーが居なくなると
賄いの時飲むワインの量が少なくなっちまう」と
冗談を言ってくれました。