廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ESP が残してくれたもの (3)

2015年08月17日 | Free Jazz


■ New York Art Quartet  ( ESP 1004 / ESP CD 1004 )

ロズウェル・ラッド、ジョン・チカイの双頭リーダーによる室内楽的で実験音楽的な内容です。 やはり、白人とヨーロッパ人が組むとどうしてもこういう
内容になるんだなあ、と思います。 2曲目は詩の朗読だったりするし、全体的に停滞して澱んだ感じがします。 サックス奏者たちのリーダー作の中で
聴くと非常に大人しく感じるので、ESPレーベルの "MJQ" という印象です。

中にはチカイのサックスが唸る曲もあるのですが、全体的に内向的過ぎて、私はこういうのは苦手です。 聴いているこちら側へ何かが伝わってくるものが
感じられない。 フリージャズは観客を置き去りにして云々・・・、と言われることがありますが、この音楽は違う意味で聴いている人に背を向けているような
ところがあります。 そこに革新性があるということなのかもしれませんが、私の心には何も響くところがありません。 少し考え過ぎだったように思います。


■ Sunny Murray  ( ESP 1032 / ESP1032-2 )

2本のアルト、トランペット、そしてピアノレスという変則的なフォーマットですが、3管のせいかサウンドに厚みと重みがあり、とても聴き応えがあります。
また例によって、サニー・マレイがドラムを叩きながら低い声でずーっと "ウー、オー" と唸り続けています。 これと比べるとブレイキーの唸り声なんて
かわいいもんです。

サニー・マレイのリーダー作ということもあってドラムの音が1番目立つような演奏になっていますが、さほどうるさいところもありません。 この辺りの
フリーの音盤を聴いていて不思議に思うのは、どの音盤もドラムが他の楽器たちよりも大人しいな、ということです。 まあ、大抵が管楽器やピアノが
最大ボリュームで演奏されることが多いので、その中では大人しく聴こえるだけなのかもしれませんが、ドラムというのはリズムを刻まないと楽器としての
本来の持ち味が大きく損なわれてしまうものなのかもしれません。

サニー・マレイは数多くのフリーの現場に立ち会っているせいか、ここでの音楽にはかなりの貫録が漂います。 きっと誰よりも(音楽プロデューサーよりも)
耳は肥えていたはずで、無名の管楽器奏者らをうまくコントロールしていると思います。






■ Milford Graves / Percussion Ensemble with Sunny Morgan  ( ESP 1015 / Venus Records TKCZ-79132 )

ミルフォード・グレイヴスとサニー・モーガンの2人のドラマーによるデュオ録音。 ドラマー2人だけの録音ですよ、しかもそのドラムがリズムを拒否した
ドラム、というんだから、もはや言葉を失ってしまいます。 たぶん、フリージャズとしてはある意味究極の内容かもしれません。

フリージャズが既存のジャズのすべてを否定する音楽なのだとしたら、ここでは調(キー)を否定し、メロディーを否定し、和音を否定することで管楽器
やピアノやベースを否定し、自らもリズムを否定することを徹底しており、「4分33秒」の一歩手前まで近づいたと言えるかもしれません。
だからこそ、フリージャズ信奉者は彼を神棚に祀り上げるのかもしれない。 (これを「人類の至宝」だ、とまで言う人もいる)

が、正直な話、ここまでくると私には滑稽に思えます。 「子供が太鼓を好き勝手に叩いている」とまでは言わないにしても、あまりに毒気の抜けた
雰囲気に拍子抜けしてしまいます。 もっと呪術的でおどろおどろしいのかと思ったら、ドレッシングをかけずに食べるパサパサの野菜サラダのような
味気無さです。 そこにどれだけ芸術上の意味があったとしても、感動できなければ意味ないじゃないか、と思うのです。


■ Paul Bley Trio / Closer  ( ESP 1021 / Venus Records TKCZ-79128 )

1曲目の "Ida Lupino (アイダ・ルピノ)" はその名前は知らなくても、たぶん誰もがこのメロディーは知っているでしょう。 カーラ・ブレイが作曲した
名曲です。 ESPの音盤を聴いているはずなのに、と誰もが面喰う瞬間で、まるでキースの "マイ・バック・ページ" を聴いているかのようです。
この優美なメロディーを一筆書きのようにさらっと撫でて、2曲目からはゴツゴツとした無調の曲が始まります。

ただ、どれもおとなしい曲調で、聴きやすいものばかり。 ESPの中では一服の清涼剤のような印象があります。 どの曲も短いし、ポール・ブレイ自身は
素っ気ないほど淡泊にピアノを弾いています。 ベースのスティーヴ・スワローが対照的に熱心に弾いていて、トリオを補強しています。
甘美な美メロのピアノトリオに食傷気味の時に聴くと、すっきりとしていいかもしれません。

しかし、どうも全体的に音がよくありません。 ヴィーナスが復刻したこのESPのCDは全般的に音質は良好なのですが、このポール・ブレイや他のピアノの
音がくすんでいてザラザラとした感じでよくない。 レコードだとそんなことはないんでしょうか? 



ESPに録音されたこれらの作品は、その大半が演奏家のデビュー作、ないしはそれに近い時期の作品です。 そういう時期的なものもあるのかもしれませんが、
全体に共通して感じるのは、どれも「かなり急ごしらえで作られた音楽」だということです。 テイラー、オーネット、アイラーという3人の音楽が
アメリカに生まれて、それに感銘を受けた若い音楽家たちがそれらを熱心に研究し、自分たちもそれらを模倣することから始めたばかりのまだ柔らかい
状態のものを、たまたまタイミングが合ったので録音してみた、という感じがします。 もちろん、別にそれが悪いと言っているのではありません。
ただ、そういう印象を受ける、ということです。

ここになにかしらの「間章的」解釈を施すことは可能だと思いますが、そんなことよりもこの後彼らとその音楽がどうなっていったのかを見ていくこと
のほうが重要な気がします。 ミルフォード・グレイヴスは当時のフリージャズのことについて、それは「黒人差別をなくせ」「人権を保障しろ」という
公民権運動そのものだった、と言っていますが、それは実現したのでしょうか。 私はそれが知りたい。

ESPはアメリカのフリージャズの代名詞(古いですが)であることは今も変わりませんが、これを聴いたくらいで一端のフリージャズマニアだと思うのは
勘違いも甚だしい。 現在もフリーをやっている若者はたくさんいるわけで、50年前のこれらの音楽が現代にどう繋がってくるのかが知りたい。 

彼らはこの報われない音楽にその一生を捧げることを決意した人々です。 我々のような傍観者とは訳が違う。 愛好家として我々にできるのは、
彼らのことを忘れず、その作品を聴いていくことしかありません。 そして、彼らがやろうとしたことを少しでも理解しようと努めるしかないのです。

ESPが残してくれたこれらの音盤は、そう教えてくれます。



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