廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

取り留めのない話

2016年10月02日 | Jazz雑記
先々週末から風邪をひき、一週間以上心身ともに調子が悪かったせいで、ブログの記事の筆が進まない。 なので、今日は雑文でお茶を濁そうと思う。

最近、CDをあまり買わなくなった。 理由はいくつかあるけれど、1番の理由はレコードがかなり値崩れしてきていて、以前よりも随分買い易くなったからだ
と思う。 地方在住で実店舗が近隣にないとわからないことだと思うけれど、今は店頭で流通しているレコードの値段はマクロ的に見れば、明らかに値段は
下がっているというのが実感だ。 

私がレコード漁りを再開した3~4年前はネット上のほうが遥かに値段が安くて、さすが固定費を持たないネット販売はリーズナブルだなあ、流通革命だなあ、
欲しいレコードを探す手間も遥かに少なくて楽だし、これじゃ実店舗が地上から姿を消すのも時間の問題だな、と思った。 まあ送料が馬鹿にならないけれど、
それでも本体価格の差の開き方がそれ以上に大きかったから、私もネットで買う比率のほうが圧倒的に高かった。

ところが、今は状況が完全に逆転している。 一部の老舗専門店は元々が高過ぎる値付けなので比較対象から除外するとしても、もはやネット上でこれは
ラッキーだと飛び付くようなことは皆無になっている。 ネットによる価格情報の均一化という要素もあるけれど、一番の問題は市場価格を無視した無茶苦茶な
値付けをして憚らない素人商売なんじゃないだろうか。 その最たるものが、言うまでもなく、「ヤフオク」だ。

プロが経営する専門店は、昔から厳しいコレクターたちの無言の評価の眼に晒されながらここまで生き残ってきている。 変に色気づいた商売をしたり、
勘違いした偉そうな姿勢を出そうものなら、あっという間にそっぽを向かれ、自然淘汰される。 彼らはレコードに「DUにはないコンディション」だったり、
「DUにはない独自の価値観」を付加価値としてアドオンして商売している。 その一方でDUは「規模の経済」による流通の速さと単価の安さで勝負していて、
この両者は正しいポートフォリオ戦略に沿ってお互いが競争している。 だからこそ、我々消費者は自分達の都合に合わせてこの両者のいいとこ取りをしながら、
自分達なりの愉しい猟盤生活を送ってきた。

この均衡の中で、第三翼のネット販売はその隙間を縫うように発展していけばよかったのに、プロたちの上っ面だけを真似た素人たちがサラリーマンや
リタイア組の副業程度のノリで粗製乱発する転売を展開し始め、まわりが見えなくなったマニアの異常な落札価格が両者の価格にも影響を与えるように
なった。 コンディションのコントロールもされておらず、まあ酷い状況だと思う。

少し前にこんな話を聞いた。 この2年ほどの間に高額廃盤ばかりに1億円をつぎ込んだコレクターが日本にいるそうだ。 サイトに新着商品をアップすると、
いつもこの人が根こそぎ買ってしまう。 ある日、この人が電話をかけてきて、〇〇のレコードはあるかと言う。 店主が「あなた、2カ月前にうちの店で
40万円でそのレコードを買ったじゃない?」と答えると、「えっ、そうだっけ?」と言った、この人は覚えてなかったんだね、でも、40万円の買い物を
普通忘れたりする? と私に言っていた。 こういう人は値段が高くないと買ってくれないんだそうだ。 こうやって、ネットの世界ではレコードの値段が
おかしくなっていく。

そんなこんなで、最近はネットがらみではほとんど買わなくなってしまった。 DUの週末のセールリストですら真剣に見ることもなくなった。 だって、いつも
同じような顔ぶれだからだ。 今は、時間の空いた時に特に目当てもなくDUの店頭にふらりと立ち寄り、リストには決して載ることのない新着品をパタパタと
めくっていき、その中で「おっ、これは」というものを引っこ抜き、週末にゆっくりと愉しむ。 そういう猟盤が1番楽しい。





最近買ったのはこんな感じで、これらはいわゆるミドルプライスという位置づけでリストには載らない。 以前は1万円じゃ買えなかったようなものまで
混ざっている。 ディック・ヘイムズなんて、昔はくたびれた傷盤でも2万円近い値段だったけど、今じゃ無傷なのに1千円台だ。 こうやって値崩れして
いるのは、個人がネットで簡単に海外から買えるようになって、桁違いに日本にたくさんの中古レコードが流入してきているからだろう。 そういう状況が
DUの場合はちゃんと値段に反映されている。 だから、ネットを見るとその落差の大きさに驚いてしまうのだ。

この先もこの傾向が進むのは間違いない。 中古レコードの流入が止まることはないのに反して、オリジナルにこだわる買い手の数は確実に減っていく。
今のDUのジャズフロアにいるお客の半分以上が老人なのだ。 だから、もう高い値段のレコードは何だか怖くて買えなくなってしまった。 将来暴落して
紙切れ同然になるのがわかっている債券をわざわざ買ったりするだろうか。

今はブルーノートの値段が異常なことになっている。 元々相対的に値段の高いレーベルだったけれど、今の状況はまあちょっと普通じゃない。 これは、
他のレコード群が値崩れしていることへの店側の危機感の現れだろうと思う。 何かの値段を上げなければ利益を維持できず、店はつぶれてしまう。
その際、ブルーノートは値上げする口実を一番つけやすい。 未だにブルーノート神話は健在だからだ。 でも、本当にそうなんだろうか。

私の感覚では、ブルーノートは基本的に、当時の20代の貧しい黒人の若者たちが当時の最もポピュラーなスタイルで演奏した極めて初歩的で単純な音楽の
集合体だったということだ。 もちろん奇跡的な名演もたくさんあるけれど、数としては平均点かそれ以下の演奏のほうが多いというのが事実だと思う。
名演が多いというのは、それだけ普段から手慣れた音楽をやったに過ぎないからだろう。 一貫したサウンドカラーとパッケージの意匠が統一したブランド
イメージを醸成して、100枚近い数の一群が1つの大きな音楽の塊りのように錯覚させている。 4000番台に入ると新しい才能によって音楽は高度になって
いくけれど、少なくとも1500番台はそういう音楽のカタログだ。 だからこそ初心者が最初にはまるのがブルーノートなんだし、ベテランが時間が経ってから
褒めるようになるのは、どちらかと言えばノスタルジーの感情からだろう。

だんだん取り留めのない内容になってきたが、要するに素晴らしい音楽はたくさんあるから、猟盤はそれらと邂逅するのを愉しむのが一番いいなあと思う。
体調が悪いとなぜかジャズは聴く気にはなれず、今週末はバックハウスの古いベートヴェンばかり聴いていた。





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