廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ヒップホップに学ぶ

2018年09月07日 | Jazz CD




8月に一番たくさん聴いた音楽はたぶんヒップホップだった。 暑すぎる日々で何も考える気になれず、頭の中をカラッポにするにはうってつけの音楽だった。

ロバート・グラスパーなんかを聴いただけで「私、現代ジャズのことがわかってます」的態度をとるのって、そういうのはどうなのよ? という違和感が常々あって、
今まで手を出してこなかったヒップホップをいい加減本腰入れて聴く必要があるな、と思うようになったのが最近のこと。 

私がこの音楽のことを認識するようになったのは学生時代に観ていた「ベストヒットUSA」にRun DMCがチャートインするようになった頃だった。 その時は
「何なんだ、この頭の悪そうな連中は」と眉を顰めて無視を決め込んでいた。 私の周りの友達たちも皆同様の反応で、変な世の中になってきたねえ、と
溜め息をついたものだ。 ちょうどこの頃を境にアメリカのポップチャートが面白くなくなってきたこともあり、番組も観なくなった。


それから30年が経ち、ようやく聴いてみようという気になるのだから、自分のアンテナの感度の悪さにホトホト呆れてしまう。 どこから手を付ければいいのか
さっぱりわからないから "HIP HOP 名盤" で検索してみると、こういうのがズラッと出てきて、きちんと解説も付いている。 有難いことだ。
一応このあたりは過去の名盤だそうで、この世界では金字塔ということになっているらしい。

薄々気付いてはいたけど、こうやってちゃんと聴いてみるとわかることが色々ある。 当時のヒップホップは、歌(というか、リリック?)とバックの演奏が
まるでグラスに入れられた水と油のようにきれいに2層に分離している。 バックの演奏は奇妙に冷めた感じの安定したリズムを打ち続けていて、これだけ聴くと
ひと昔前に流行ったユーロビートなんかを思い出させるところがあったりする。 そして、そういう層の上にもう一つ別の層があって、そこでリリックが
ラジオのDJ的に語られていく。 ヒップホップはそういう元々あった色んなものが姿を変えて創り上げられているのかもしれない。

どれを聴いても同じようにしか聴こえないという先入観は間違っていて、やはりアルバム毎に雰囲気が違うという当たり前のことにも気付かされる。
この中ではやはりビースティー・ボーイズだけが異質だった。 黒人音楽とは根本的に違う感じで、発声の仕方といい、リズムのノリといい、ここまで違うのか、
というのは驚きだった。 一応ヒップホップという扱いらしいけど、どちらかというとハード・コア・メタルなんかの方が近いのかな?





そして現代ヒップホップの最高峰であろう、ケンドリック・ラマーも押さえておく。 これを聴くと、上記のアルバム群が "ヒップホップ・クラシックス"
なんだなあということが実感できる。 それくらい音楽的には進んでいるのが素人目にもはっきりとわかるのだ。

この人の音楽は以前の2クラスター構造みたいなものが解消されていて、音楽的にすべてのものが統合されて進んでいる。 ヒップホップが登場する以前の
ポピュラー音楽へと先祖返りしているようなところがあって、そういう意味では私なんかには従来のヒップホップには無い肌触りが心地良い。


まだいい音楽だなという感覚は全然湧いてこないけれど、それでもジャズミュージシャンがこの音楽に接触しようとするのは当然だよな、ということは
よくわかるようになった。 グラスパーの "ブラック・レディオ" シリーズは本当によく出来ている、と改めて思う。 それはジャズの側から見ただけでは
わからないことなんじゃないか、という直感は間違っていなかったということなんだろう。


コメント
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