廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

Come Sunday に込められた許しと祈り

2019年12月30日 | Jazz LP (Columbia)

Duke Ellington and His Orchestra featuring Maharia Jackson / Black, Brown And Beige  ( 米 Columbia CL 1162 )


奴隷制度と人種差別をテーマにした組曲ということで煙たがられる作品だろう。娯楽の中にそんなものを持ち込むなよ、というのが大方の本音だろう。
まあ、そういう気持ちはわからないではないが、これはそういうのを抜きにしてもただただ素晴らしい音楽だ。先入観抜きに愉しめばいいと思う。

例えば、ドイツという国はナチスの歴史を国を挙げて悔やみ、恥じ、2度と繰り返すまいとしている。学校で先生の質問に子供たちが手を挙げる際は
真っ直ぐに挙手せず、人差し指を立てて合図するという。一方、アメリカはどうだろう。奴隷制度という黒歴史にどう向き合っているのだろう。
人間の暗部や恥部に向き合うのは辛いことだけど、エリントンは正面切ってそういうものに取り組んでいる。

でも、そういう重苦しい雰囲気はここにはない。エリントン楽団だけが出せる芳香漂うアンサンブルで空間が埋め尽くされる快楽度の高さ。
オーケストラがまるで生きているかのように音楽をドライヴする。

マヘリア・ジャクソンの歌が始まると、鳥肌が立ちっぱなしになる。心は震え続ける。彼女の抑制された感情の移ろいがそのままこちらに乗り移る。
背後で鳴るエリントンのピアノのなんと美しいことか。このアルバムのエリントンのピアノの音色は本当に美しい。

Come Sunday という主題が様々な形で変奏され、寄せては遠ざかる波のように音楽を揺らす。B面は完全にオペラで、エリントン楽団の繊細で精緻で
洗練を極める演奏が圧巻。まるで欧州の名門オーケストラを聴いているかのようだ。

全体的に穏やかで優しい旋律で奏でられて、それは心を慰撫し癒す。この中に込められたそういう想いは深く、音楽の隅々にまで行き渡っている。
何かを糾弾し煽動しようとする要素は微塵もない。許しと祈りの音楽で、それを物憂げでそれでいて明るい色調に纏めた素晴らしい音楽だと思う。

コロンビアの録音も相変わらずの見事さで、こういう音楽の受け皿はやはりこのレーベル以外には考えられない。1943年の初演の際の評価は
芳しくなかったそうだが、素直に音楽を享受するには難しい時代だったのだろう。以来15年間、エリントンはこの企画を温め続けて、マヘリアという
歌手が現れるの待ち、録音技術が整ったこのタイミングで再演した。音楽を聴く意味を噛みしめることができる、素晴らしいアルバムである。


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異端の音楽

2019年12月29日 | Jazz LP (Columbia)

Duke Ellington and His Orchestra / Masterpieces  ( 米 Coolumbia ML 4418 )


デューク・エリントン楽団の音楽はジャズのビッグ・バンドの世界においては異端の音楽である。少なくともボールルームで人々がダンスを踊るための
音楽ではないことは確かだ。そういう音楽がジャズ界で第一人者という評価になっているのは不思議だ。彼らが日常的にどういう演奏をしていたのかは
よくわからないけれど、レコードに刻まれた音楽を聴く限りではこれをかけて、さあ踊ってくださいという目的で録音されてはいないことはわかる。

豪華な大編成で演奏されるから目立たないけれど、内省的な音楽だ。タイトルも独特で、孤独とか幻想とか雰囲気とか洗練という陽気なジャンルには
似つかわしくない言葉が用いられ、クラリネットの独白にそういう言葉の意味を担わせている手法も他のビッグ・バンドでは見られない特徴だ。
このアルバムで初披露された "The Tatooed Bride" は明るい色調を帯びながらも、花嫁の肌には刺青が施されているという婚礼の華やかなイメージ
にはおよそタブーとも思える暗いイメージが付加されている。

エリントンの音楽にはそういう陰と陽のコントラストが独特の色調を帯びながら重層的に施されていて、複雑で微妙に揺れ動く無数のイメージを
聴いている側に想起させる。ジャズという本来はシンプルで単純な音楽の中にそういう込み入った内省観を持ち込んだところに、この人の他にはない
重要な価値があるように思える。そして、そういう面を正統的に引き継いで音楽化したのは、私の知る限りではマイルス・デイヴィスただ一人だった。

このアルバムから録音時間が長くなり、エリントンのそういう特質が顕在化するようになる。レコード技術の進化の恩恵をいち早く享受したのは
エリントンだったのではないか。だから、エリントンの音楽の良さを知るにはこのアルバム以降のものを聴くのがいい。3分間の演奏ではそれを
表現するのも聴き取るのも難しい。自作の代表的なタイトルが3曲含まれているけれど、ここでの演奏は "Popular Ellington" のようなアルバムに
含まれるものとは本質的に異質な音楽である。エリントンの音楽はメロディーの美しさやリズム感の良さで聴かせるような一般的な音楽ではなく、
複雑に編み込まれた内的なイメージを聴く音楽なのだ。


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代理体験としての中古漁り

2019年11月09日 | Jazz LP (Columbia)

Art Farmer / Plays The Great Jazz Hits  ( 米 Clumbia CL 2746 )


中古レコード漁りをしていて一番嬉しいのは、こういうレコードを拾えた時。人気がない安レコで内容がいい、そういうレコードを見つけた時だ。
これに勝る快楽はない。

例えば、今年に入ってからバド・パウエルの "The Scene Changes" を一体何枚見ただろう。20枚くらい?いや、もっと見ているような気がする。
人気があって高い値段で売れるレコードは頻繁に流通する。だからあとは自分のタイミングで買えばいいだけで、こういうのはさっぱり面白くない。
売り手にしてみればこんなに扱いやすいレコードはないだろうけど、探す行為が好きな私からすれば一番うんざりする代表格。

ところがこのファーマーのレコードときたら、この数年で店頭で見かけたのはこの1枚だけ。人気がなく、売っても金にならないからだ。
でも、私はこのレコードをずっと探していた。コロンビア時代のファーマーは誰からも相手にされないけど、私は好きだから秘かに探していた。
でも全然ぶつかることなく時間は流れ、すっかり忘れかけた頃になって急に遭遇することになる。この瞬間がたまらない。この快楽のためだけに
レコード屋に通っていると言っても過言ではない。手に入れるまでのプロセスが大事で、一瞬の快楽が強烈で、手に入れた後は興味が失せる。
言うまでもなくそれはセックスの快楽そのもので、男が中古漁りにハマるのはそこに代理体験を見ているからなのかもしれない。


ファーマーがジミー・ヒースと組んで、シダー・ウォルトンのトリオをバックに当時のヒット曲を演奏するという、何とも安易な企画内容だ。
演奏時間も短く、芸術性とは無縁と言ってもいいかもしれない。でも、私はこのクインテットが醸し出す雰囲気がどうしようもなく好きなのだ。
ファーマーの淡くくすんだ音色とジミー・ヒースの硬くダークな色彩の対比が素晴らしい。バンドとしての纏まりは完璧だと思う。

ブルーノート4000番台の世界観を損なうことなく、もっとポピュラリティー高くまとめた演奏でいかにもコロンビアのアルバムらしい。
でも、このアルバムはそこがいい。このバンドの演奏なら何をやっても好きになってしまう。


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ブルーベック・カルテットの凄みとは何か

2019年10月13日 | Jazz LP (Columbia)

The Dave Brubeck Quartet featuring Jimmy Rushing / Brubech And Rushing  ( 米 Columbia CL 1553 )


ブルースが弾けない、スイングしない、歌心がない、と言われて硬派なファンからは完全無視されるブルーベック・カルテット。 大手コロンビアと
契約したおかげで稀少盤もなく、コレクターからもまったく相手にされない。 わかりやすいもの、メジャーなものは価値がないという思い込みが
素直に音楽を聴こうとする姿勢を邪魔する。 ブルーベック・カルテットの演奏の凄みを本当の意味で知るには、 "Time Out" なんかを聴くよりも
このジミー・ラッシングとの共演を聴く方がいいのではないかと思う。 そしてこの共演盤とラッシングの別のアルバムとを比較することで浮かび上がる
相対化されたブルーベック・カルテットの演奏の本当の価値に唖然とすることになるだろう。

このアルバムを聴けば、ブルースができない、スイングしない、という話がでたらめだということがわかる。 ブルーベックはきちんとブルースの
フレーズでオブリガートを付けているし、ジョー・モレロのブラシ・ワークがスイングしまくっている。 ラッシングの歌が一区切りついてデスモンドに
リードが引き継がれて間奏が始まる時の雰囲気がガラリと変わる瞬間の凄さはどうだろう。 古い素材がデスモンドの透明な世界の中で安定しながら
何の違和感なく同居する不思議さ。 ジミー・ラッシングの個性を殺すことなく音楽が完成していく様子が驚異的だと思う。



Jimmy Rushing / The Jazz Odyssey Of James Rushing ESQ.  ( 米 Columbia CL 963 )


ジミー・ラッシングのアルバムの中で1番好きなのはこのコロンビア盤。 ラッシングの代表的歌唱が凝縮された至宝だ。 アーニー・ロイヤル、
ヴィック・ディッケンソン、ハンク・ジョーンズ、ミルト・ヒントン、ジョー・ジョーンズらが演奏する古き良きスタイルの演奏を聴いていると、
そこから1直線に伸びていく道のはるか彼方にブルーベック・カルテットの演奏があって、この2つはしっかりと繋がっているのを感じることができる。
ブルーベック・カルテットの演奏は洗練の極みを見せていて外形上は違うスタイルだけど、それでもこの2つの演奏は道から外れることなく、途中で
寄り道することなく、1本の線で繋がっているのがよくわかる。 そして、ブルーベック・カルテットの演奏が何気に極めた頂点にいることもはっきりと
わかるのだ。 そうやって比較するとその凄さがわかるのに、単独で聴いている分には敷居の高さなどまったく感じさせることがない。 
ブルーベック・カルテットの演奏というのはそういう演奏だと思う。

ブルーベックをバックにラッシングが歌う "Evenin'" がとても好きで、これを聴くと世俗の憂さなどどうでもいいや、という気分になる。
幸せをもたらしてくれる素晴らしいアルバムだ。

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スタン・ゲッツとハービー・ハンコックの共演

2019年03月24日 | Jazz LP (Columbia)

Bob Brookmeyer / Bob Brookmeyer And Friends  ( 米 Columbia CL 2237 )


これは聴けば腰が抜ける驚愕の大傑作だけど、そう語られているのは見たことが無い。 たぶんボブ・ブルックマイヤー名義なので、大方の人がスルー
しているだろうし、レコードもエサ箱ではお馴染みの安レコで廃盤価値もゼロ、そういう観点で注目されることもない。 でも、これは傑作なのである。

コロンビアならではの大物が集められた豪華な録音で、実質的にはスタン・ゲッツとの双頭リーダー作。 ゲッツが第一リードを取る曲とブルックマイヤーが
第一リードとなる曲が混在し、ブルックマイヤーはオリジナル曲を3つ用意していて、それなりに気合いが入ったレコーディングだったようだ。
ゲッツとハービー・ハンコックの共演はこれ以外では聴いたことがなく、そういう意味でも非常に貴重な演奏だと思う。 ただし、ハービーはまったく
やる気のない演奏で、彼にとっては単なる小遣い稼ぎだったようだが、それでもその控えめに抑えたプレイが素晴らしい。

1965年のリリースだが、フリーやニュー・ジャズがジャズ界を焼け野原にしてしまったこの時期、コロンビアはポップでキャッチーなジャズでリスナーを
取り戻そうと考えたに違いない。 呆れるほどわかりやすくポップな内容になっている。 ブルックマイヤーが作ったオリジナルは非常にメロディアスで、
冒頭の "Jive Hoot" なんかはCMで使えばヒットしそうな曲だ。 制作意図がはっきりとわかる、何とも明るく朗らかな音楽だ。

でも、だからといってこれをバカにするのは間違っている。 クオリティーの高さがハンパなくて、ちょっとヤバいのだ。 こういう大物が集まれば、
やっぱり出来上がる音楽は凄いことになるんだなということがよくわかる。 特にスタン・ゲッツの演奏は神々しいまでに美しく、コロンビアの録音の
良さがそれを後押ししていて、鳥肌が立つくらいだ。 ハービー、ロン・カーター、エルヴィン、ゲイリー・バートンは当時彼らがやっていた音楽を考えれば
退屈な仕事だったに違いないけれど、それでもその演奏には他の誰にもできない凄みがあって、本物の違いがビンビンに伝わってくる。

コロンビアも単に大衆にアピールできるアルバムを作ろうとしただけなのに、まさかここまでのレベルになるとは思っていなかったのではないだろうか。
メジャー・レーベルの強みが生み出した、想定外の傑作だったのだろうと思う。



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レイ・エリス・オーケストラの美しさが乗り移った最高傑作

2019年01月20日 | Jazz LP (Columbia)

Billie Holiday / Lady In Satin  ( 米 Columbia CL 1157 )


ヴォーカル・アルバムの成否はバックの伴奏の出来で決まる。 歌手の歌唱がどんなに良くても、伴奏の演奏がつまらないとアルバムとしての魅力は無くなる。
更に、バックの演奏は歌手に大きな影響を与える。 伴奏が雄大であれば歌もそうなるし、バックが薄っぺらいと歌唱も自然と表面的なものになる。
そういう意味で、ヴォーカル・アルバムは総合芸術的色合いが強い。

ビリー・ホリデイ晩年の最高傑作であるこのアルバムを聴けば、この音楽的感動はレイ・エリスのオーケストラの素晴らしさに依るところが大きいのは明白だ。
そして、この伴奏がやつれたビリー・ホリデイの歌唱を前へ前へと強く引っ張っていっているのがよくわかる。 そういう相互作用が働いている様子が生々しく
捉えられているところに、このアルバムの深みの1つがある。 単にビリーの歌声や40人編成のフル・オーケストラの弦楽の重奏の美しさだけでは、ここまで
感動させられることはなかっただろうと思う。

それにしても、彼女のしゃがれた歌声とオーケストラの美しさの対比の凄さは壮絶すぎる。 オーケストラの美しさが彼女の声を際立たせながらも、
その美しさが彼女に乗り移っていく様が凄すぎる。 ビリー・ホリデイ自身の人格やその背景の物語を大きく超えた力がこのアルバムには働いている。
そしてコロンビアが最高の音質でこれを録音した。 圧倒される音場の広さと深さで、すべてを録り切っている。 この音の良さはちょっと次元が違う。
この録音がコロンビアで本当に良かった。

このアルバムは1958年2月の録音で、彼女は翌年の7月に亡くなる。 この録音時の彼女の酷い衰え様にレイ・エリスは驚いたそうだし、マイルスは1959年の
初め頃に彼女に会ったのが最後だったそうだが、その時のクスリを買う金を彼に無心してくる彼女は見るに忍びない様子だったという。 そんな状態で録られた
というのがとても信じられない、傑作という言葉だけでは表現しきれないアルバム。 これは何があっても外せない1枚である。

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中古レコード漁りの楽しさの原点

2019年01月13日 | Jazz LP (Columbia)
中古レコードを漁るようになって35年が経つ。 その前の7年間は中古レコードなんてものの存在は知らなくて、レコードを買うと言えば駅前のデパートへ行って、
その中にあったレコード屋で新品の国内盤を買うのが当たり前だった。 それは何とも平和な日常だった。 中古レコードの存在を知って、それを漁るようになって
状況は良くも悪くも一変する。 そして、最近は本当に贅沢になってしまったなあと思う。

オリジナル、オリジナルと騒ぐのが未だに気恥しいし、オリジナル盤を買うことに今でも後ろめたい気持ちがある。 よく考えてみると、中古漁りをしていて
一番楽しくて幸せだったのは、中古の国内盤を探して買っていた学生時代だった。 それは間違いない。 とにかく定価で2,500円するレコードが半値以下で
買えることが驚異的で何よりも嬉しかった。 少ない小遣いの中で、1枚買うのにも呻吟に呻吟を重ねたものだ。 それが今じゃどうだ。

中古漁りの本当の楽しさを忘れないようにするためにも、時々は原点回帰する必要があるとつくづく思う。 だから、最近は改心して国内盤も丁寧に漁っている。
そうすると、こういう素晴らしい音楽に出会えて、忘れかけていた楽しい気分も蘇ってくる。



Jeremy Steig / Monium  ( 日本 CBS/Sony SOLP-244 )

ジェレミー・スタイグがエディ・ゴメス、マーティー・モレルのエヴァンス勢と組んで、ティンバレスを加えて自身のフルートをオーヴァーダブした力作。
フルートは強く吹けば吹くほど音がかすれて尺八のような感じになるが、そんなのお構いなしで疾走する。 不思議なもので、スタイグがそうやって力めば力むほど、
音楽の純度が上がっていくような感じなる。 そういう意味では、この人は天性の音楽家だったのかもしれない。 1974年のリリース作品で時代を感じるサイケで
第三世界的要素が濃厚だけど、不思議と心惹かれて止まないお気に入りのレコード。 700円。 ジャケットの絵はスタイグ本人の自筆だそう。




Dollar Brand / This Is Dollar Brand  ( 日本 Trio Records PA-7063 )

名盤100選の常連であるこの人の代表作 "African Piano" は、どうも私にはその良さがわからない。 歴代の大先生たちはこぞって褒めていたけど、
その裏には黒人文化へのコンプレックスが見え隠れしていて、そういう教条主義が胡散臭くて鼻につく。 

それに比べて、こちらは驚愕の大傑作。 こんなに心に刺さるピアノは滅多にない。 "Kanazawa Jazz Days" の kenさんから国内盤の音が良いと教えられて
いそいそとユニオンに行くと、簡単に見つかった。 500円。 この日本Trio盤、本当に音が良い。


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ビクター・フェルドマンが残した功績

2019年01月04日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / Seven Steps To Heaven  ( 米 Columbia CL 2051 )


バンドを再構築するための過渡期の録音でアルバムに作品としての統一性がないため、このアルバムもたいていはスルーされる。 でも、私の認識は違う。
これは非常に重要なアルバムで、且つ愛聴してやまない名演が詰まった傑作。 私自身は "王子様" なんかよりはこのアルバムのほうが遥かに好きだ。

まずは何と言っても、ヴィクター・フェルドマンとフランク・バトラーが加わった3曲の凄さ。 ある意味、マイルスが元々想い描いていたスタンダード演奏の
究極のイメージに最も近づいた瞬間がこの時だったのではないかと思える、透明度が高くキリッと冷たい空気感の中で浮遊する超・モダンな世界。
フェルドマンのバッキングのセンスは凄くて、それまでのガーランドやケリーらとは明らかに一線を画す異次元の感覚。 既定のコードを踏み外して無重力になる
瞬間が何度も出てくる。 この感覚は次のハービーに上手く引き継がれており、この西海岸のセッションは後の方向性に一定の布石を打った重要な瞬間だった。

もう1つは、次の第二期クインテットの重要なレパートリーとなる表題曲や "Joshua" がここで定義されていること。 スタジオ録音なので短い演奏ではあるが、
ジョージ・コールマンがショーターに負けない貫禄の素晴らしい演奏をしている。 そしてこの2曲はフェルドマンが作曲している、というのがミソである。
ヴィクター・フェルドマンの残した功績は大きかったと思う。

マイルスはフェルドマンをバンドに入れたかったが、ハリウッドのスタジオミュージシャンとして大金を稼いでいた彼はその席を望まなかった。
富と名声、両方手にできれば一番いいが、どちらか一方を選ばなければいけない時もある。 彼は前者を選び、マイルスは新しいピアニストを探した。
その重要な瞬間がこのアルバムには記録されている。


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魅力を語り尽くせず

2018年09月23日 | Jazz LP (Columbia)

Duke Ellington / Piano In The Foreground  ( 米 Columbia CL 2029 )


ここで演奏されているエリントンの自作は他のレコードでは(おそらく)あまり聴けない珍しいタイトルが並んでいる。 エリントンの場合、その作曲の全貌は
私にはよくわからないし、本当に他の録音がないのかどうかまでは把握しきれない。 だから一連の有名な作品群には含まれず、演奏される機会もほとんどない
であろうこれらの楽曲の素晴らしさを手軽に享受できるこういうレコードは貴重だと思う。 

それらは演奏時間も短く、まるで一筆書きで描かれた薄墨による水墨画のように簡素で淡く儚いものではあるけれど、楽曲の核心部分がエリントン独自の
優雅なタッチによって示唆されており、曲が終わってもその余韻がいつまでも部屋の中や自分の中に漂っているような感じがある。 エリントンのピアノアルバムは
何枚かあるけれど、そういう静かな感情を喚起させるようなレコードはこれだけかもしれない。

"Fontainebleau Forest" や "A Hundred Dreams Ago" という魅力的なタイトルが付けられた小品はどこまでも抒情的で、こんなにも人間の感情の
ある側面を上手く曲にできるなんて、何と凄いことだろうと思う。 いろんなエピソードを読む限りでは俗っぽいところのある人だったみたいだけど、
こういう曲を聴いていると、そういうのが何だかうまく信じられない。

エリントンの魅力を語り尽くすのは難しい。 それはあまりに巨大で多面的で重層的で、何を語っても、どこに触れても、全然足りないような気分になる。
近寄れば近寄るほど遠ざかっていく蜃気楼のようにそれは永遠に触れることができず、その追いかけっこは果てしなく続く。 それがデューク・エリントンの
魅力なのかもしれない。

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暗黒時代だなんて、誰が言った?(3)

2018年09月17日 | Jazz LP (Columbia)

Art Blakey and The Jazz Messengers / Hard Bop  ( 米 Columbia CL-1040 )


メンバーの名前や写真が一切載っておらず、バンド名と "Hard Bop" の文字のみ、という大胆なデザイン。 アメリカのレコード制作の常識ではこういうのは
普通あり得ないことだけど、マクリーンはプレスティッジとの契約関係が残っていて表向きには顔も名前も前面には出せないし、他のメンバーも似たような
状況だったのかもしれない。 ジャズはメンバーが流動的に動くから、契約関係の整理が色々難しかったのだろう。 それがこのアルバムでマクリーンの
快演が聴けるという認知を邪魔している。 

メジャー・レーベルらしくスタンダードも織り交ぜた明るい内容で、マクリーンの数少ない有名作 "Little Melonae" もあり、3枚の中では一番聴きやすい。
ファットなトーンがしっかりと捉えられていて、彼のアルトを堪能できる。 この時の録音でこのアルバムに収めきれなかったものが別のアルバムの片面に
収められている。

こうしてせっかく録音は順調に進んでいたのに、マクリーンはドラッグの不法所持でキャバレーカードを取り上げられてしまい、バンドから離脱することに
なってしまう。 その穴埋めをジョニー・グリフィンが応急処置的に務めたのちに、ジャズメッセンジャーズはベニー・ゴルソンを迎えて大きく躍進することになる。
高名なこのバンドには常時レコーディングやコンサートのオファーがあったので、その気になればいくらでも活躍できるチャンスがあった。 にもかかわらず、
それを活かし切れなかったジャッキー・マクリーンは自業自得とは言え、その力量を考えるとただただ勿体ないことをしたと思う。

この時の2人は音楽をトータルプロデュースする能力には欠けていたけれど、演奏一筋で来ただけあって、アルバムはどれも聴き応えがある。 もう少し長く
活動していれば有能なプロデューサーがいるレーベルでレコーディングする機会もあっただろうし、そうすれば後世に残る傑作が残せたはずで、そういう予感が
あるだけに残念だった。 ミュージシャンは音楽のことだけ考えていればそれでいい、ということでは決してないということなんだろう。


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若者らしいデビュー作の疾走

2018年07月04日 | Jazz LP (Columbia)

Jeremy Steig / First Album  ( 日 CBS/Sony SONP 50217 )


いいジャケットだ。 オリジナルのコロンビア盤(Flute Fever)では買う気になれなくて、国内盤のこちらで聴いている。 国内盤も捨てたもんじゃない。

ジェレミー・スタイグを知るきっかけになったのは、ご多分に漏れずエヴァンスとの共演盤だった。 エヴァンスのアルバムらしくない荒々しい仕上がりに
驚いたものだが、その中の "So What" のカッコよさにはシビれた。 あれはマイルス以外のこの曲の演奏に興味を持つようになったきっかけにもなった。

このアルバムはエヴァンス盤にも負けないいい出来で、それはひとえにバックのザイトリンのトリオの演奏に依るところが大きい。 ベン・タッカーのベースは
相変わらず大きく太い音で唸っているし、何よりザイトリンのピアノが新鮮だ。 このピアノ・トリオが何か新しいことを予感させるような雰囲気を持っていて、
そこいらのありふれたジャズとはどこか違う、というちょっとドキドキさせる感じがある。

スタイグが現れるまで、こういう情に委ねるようなフルート演奏をした人は果たしていたのだろうか。 ボビー・ジャスパーにしても、ハービー・マンにしても、
こういう演奏をしていたのを聴いた記憶がない。 ドルフィーの演奏ですら、知の塊のように思える。 

でも、それはただ感情的なだけではない。 バンド全体の演奏をドライヴし、音楽をグイグイと前へと推し進めていく機能を果たしている。 やみくもに感情に
溺れているわけではなく、しっかりと音楽へ没頭しているだけなのだ。 だから、意外なほどバンドとしての纏まりはいい。

このアルバムに収録された "So What" もカッコいい。 全員が一丸となって疾走していく。 最後のザイトリンのソロもハービー・ハンコックばりの斬新さ。
収穫の多いデビュー作だったと思う。


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30年後にわかる事実

2018年05月19日 | Jazz LP (Columbia)

Wynton Marsalis / Black Codes ( From the Underground )  ( 米 Columbia FC 400009 )


ウィントン・マルサリスの音楽が総じてつまらないのは間違いないけれど、そんな中でこれは一番まともな出来で、私もこれは割とよく聴く。 
1985年1月の録音で、なんともう30年以上も前の演奏なのだから、時の流れの速さには驚いてしまう。

彼が矢継ぎ早に作品を発表していた当時、「ウィントン・マルサリスは果たしてホンモノなのか?」という議論があった。 今となっては懐かしい
「新伝承派」という言葉がその疑問を更に助長する形で話は進んでいた。 不思議なもので、ウィントンの音楽には確かに聴いた人に自然と
そういう疑念を抱かせるようなところがあった。 でも、結局のところ、当時はその議論に対する結論は出ていなかったように思う。

そして30年の月日が流れた現在、このアルバムを聴きながら思うのは、結局、その後ウィントンの音楽を脅かす存在は現れなかったし、
誰も彼がニセモノだったと証明することができなかったよな、ということだった。 

現時点、そして過去10年くらいの主流派の音楽を振り返ってみても、この "Black Codes" そっくりの音楽ばかりで溢れかえっているし、
始末の悪いことにそれらはこのアルバムよりも明らかにグレードが低いのだ。 その構図は60年代のマイルス・バンドとそれを取り囲む
全体の状況と酷似している。 でも、それはウィントンが傑出していたと騒ぐよりは、対抗馬を立てられなかった業界の深刻な人財不足を
嘆くべき話なのかもしれない。

ウィントンはこの時23歳で、ブランフォードもケニー・カークランドもジェフ・ワッツらバンド・メンバーもほぼ同世代。 演奏力の高さは
他を寄せ付けない。 バンドとしての纏まりも完璧で、勢いがあり、全体が影のある物憂げな雰囲気で統一されていて、これは最後まで
一気に聴かされる傑作だろうと思う。


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J.J.ジョンソンのキラー・チューン

2018年05月05日 | Jazz LP (Columbia)

Count Basie and His Orchestra / Classics by The Great Count Basie Band  ( 米 Columbia CL 754 )


ジミー・ラッシング最高の名唱 "Goin' To Chicago Blues"やドン・バイアスが幽玄なソロをとる "One O'Clock Jump" など、ベイシー・オーケストラの
代表トラックが並ぶ大傑作だが、このアルバムのハイライトは J.J.ジョンソンがベイシーと共作して必殺のソロをとる "Rambo"。 これを聴くために、
このレコードは存在する。 マンハッタン・トランスファーが "Vovalese" で再現したのがこのトラックだった。

トロンボーンという楽器の最大の武器であるシームレスな音階を最大限に屈指したメロディーラインは正に人が歌っているかのようななめらかさで、
フレーズの階段状の構成も素晴らしく、こんなトロンボーンの演奏は他では絶対に聴けない。

古い演奏を集めたものなので、サウンドもマイルドでうるさくない。 本来の持ち味である剛性感高くドライヴする演奏も最高だけど、こういう落ち着いた趣きで
洗練された音楽もとてもいい。 メジャー・レーベルだからこそできた録音で、それがこうしてコンパクトにまとめられているのは素晴らしい。 名盤だらけの
ベイシー楽団だけど、その中でもこれは絶対に外せない殿堂入りの1枚。


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ゴールデン・ウィークの成果

2018年05月01日 | Jazz LP (Columbia)

The Dave Brubeck Quartet / Time Out  ( 米 Columbia CS 8192 )


やっと見つけた、新品同様のステレオ初版。 このコンディションの良さに意味がある。 GW前半に歩いて探した猟盤の成果である。

ここまでモノラル・プレスとステレオ・プレスの差が大きいレコードも珍しい。 その中でも一番違いが顕著なのが、ジョー・モレロのドラム。
もう、部屋のあちこちの角度からドラムやシンバルの音が身体に刺さってくる。 スピーカーは2つしかないのに、なんでこんなにいろんな角度から
ドラムの音が飛んでくるんだろう。 "Take Five" の中間部でモレロが叩くフロア・タムの音が急に私の背後から聴こえて、思わずビクッとなる。
これは一体、どういう原理なんだろう。

そういう空間表現に長けているだけではなく、楽器の音の艶もモノラルとステレオではまったく違う。 濡れて雫が飛び散るようなシンバル、
灯りが消えた深夜の街に静かに鳴り響くようなアルト、和音が濁らず音が分離しているピアノ、どれをとっても楽器の音の実在感が違う。

1959年の夏のニューヨークでの録音だから、音がいいといってもそれはHi-Fiな良さということではなく、あくまでその時代相応の良さであるけど、
それがどうにも音楽をより音楽的に響かせているようなところがあって、不思議だと思うのだ。

こうまで音場感が違うと、音楽そのものも違うものを聴いているような錯覚に陥る。 普通こういう場合はモノラルにはモノラルの良さがある、と
擁護されるものだけれど、このレコードに関してはわざわざ倍の値段が付くモノラルを聴く必要はないんじゃないだろうか。  


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サイドメンバーたちの華麗なるキック

2018年04月29日 | Jazz LP (Columbia)

Gene Krupa / Gene Krupa's Sidekicks  ( 米 Columbia CL 641 )


ジーン・クルーパ本人にはさほど興味はなく、各曲のソリストの歌や演奏が聴きたくて手にした。 クルーパはドラマーとしての顔とバンド・マスターとしての顔の
2つを持っていて、これはSP期にコロンビアに録音された曲を集めてLPとして切り直したもの。 コロンビアのLPの初期のものにはこういう編集ものが
たくさんあって、結構面白い。 

ヘレン・ワードが歌い、ジェリー・マリガンが吹き、デイヴ・ランバートが歌い、ヴィド・ムッソが吹く。 ベニー・グッドマン楽団のオーディションに落ちた
アニタ・オデイをクルーパが拾ってやったのは有名な話だが、そのアニタも歌っている。 

1938年にベニー・グッドマン・オーケストラを卒業したクルーパは自身のオーケストラを持ち、最初のスタジオ録音をした際にこのヘレン・ワードの歌う
"One More Dream" も含まれていて、これは貴重な音源になっている。 このアルバムを企画したのはクルーパ本人だが、この楽曲は編集の際には
思い入れがあって外すことができなかったようだ。 

この時期の白人オーケストラは皆フレッチャー・ヘンダーソン楽団をお手本にしていて、誰の楽団であろうがどの演奏であろうが違いがなく、正直言って
あまりあれこれ聴く意味はないような気がするけれど、唯一、各楽団お抱えの歌手の歌を聴くのが楽しみだ。 楽団側もそれがわかっていて、新人歌手の
発掘には熱心で、そのおかげで多くの歌手たちが楽団を卒業してソロ活動しながらレコーディングして、膨大なレコード資産が残されたのだ。

ここに納められたのは1930~40年代のアメリカの商業音楽の中心だったもので、このレコードをかけているとなんだか古いラジオ放送を聴いているような
気分になる。 正対して聴くというよりは、何か家事でもしながら聴く「ながら聴き」が一番相応しいのかもしれない。 楽団に在籍して色を添えた
サイドメンバーたちの華麗なるキックを愉しめればそれでいい、幸福なレコードだ。


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