a vacant mind

虚無と音楽

2007-04-26 | 音楽等
キセルの「旅」を引っぱり出して聞いていた。
キセルのアルバムもシングルもそう言えば出てないなぁーと思っていたら、インディーズに活動の拠点を移したようだ。
「旅」が自分にとっては一番聞いているキセルのアルバム、一般的な売り上げの面とかでメジャーとの確執があったのかと思ったりもします。同業のミュージシャンには受けがよかったようですが、ショップ店頭でアルバムが手に入らないのかも。ネットで買えば済むことではあるのですが。
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分析の果てに

2007-04-25 | Diary
自分を見つめなさいとよく言われたものだ。
どんなに外を見たとしても内側を見つめなくては問題の解決にはならないということだった。
分析するのは他人ではなくて結局は自分だということになるのだと思う。
しかし分析しすぎて混乱することも少なくはありません。
どうありたいのかということをまず自分に問う必要があるのですけれど、そんなものは何処にもないのだと思い込んでしまえば、どうなりたくもない自分がそこにいたりもします。
他者がいくら分析したところで本人が自覚できないのであれば、助言も寝耳に水でしかないのです。
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精神とは・・・

2007-04-24 | Diary
全く鈍感になってしまってはいるが、精神について考えれば考えるほど疑問符が湧いてくるもの。敏感であるととてもじゃないが精神がもたないと心底思ったものだ。
こんなに歪な精神論ばかりだと拠り所となるのもなんて皆無に等しい。
あらゆる媒体がどこかしら一方通行的なものの見方しかできなくなっている昨今、これじゃ何も育たないどころか魔女狩りを煽りかねない状況にあるのかもしれない。
ちょっとしたことで一気に雪崩のようにあらゆるものを巻き込んでしまう、まあそんなことばかりしていれば自滅するしかないのだけれど、全体で既に末期的状況なのだから精神は病的なほどに侵されているのかもしれない子供も大人も。


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心とか闇とか

2007-04-23 | Diary
心の闇という表現をよく耳にするし見ることも多い
闇は別に特別でもなんでもなくてそこら辺に転がっているもの
抱え込むことは誰にでもおこりうることではある
ふとした闇が顔を覗かせるとき細心の注意が必要なのだが
案外と人は無防備だったりもするから
激しい感情のままに突き走ることがある
制御できなくなったものほど手のつけられないものはない
やってはならないことが抜け落ちてしまう
心の闇がそうさせるのではなくて
その人の中に燻っているものが表に出たに過ぎないのです
思いもしないことでは決してないのです
それは過去にあったことかもしれないし
長年培ってきたものなのかもしれません
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どこにでも闇はある

2007-04-22 | Diary
神に仕えるものであれ
隙間のような闇が拡がっていく
精神分析も本質に近付くほどに振れが生じてしまう
闇でしかないものを簡単に見過ごしてしまうのだ
心の闇が無限の連鎖へを引き起こしているのかもしれない
自己完結させて見るものでしかないとしても
世界中どこにいても人がいるというだけで浸蝕が発生する
最早暴走は止めれない大地や大気の凄まじい共振によって何が一体残るのだろう?


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