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セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

投資信託の官製カルテル

2012-01-29 16:53:24 | 社会経済

127日(金)の日本経済新聞の朝刊の1面の大見出しは「投信 配当しすぎ歯止め」で小見出しで「過度な運用リスク制限『法改正検討』」と「毎月分配型 運用益に限定」とあった。要するに金融庁は投資信託の「配当のし過ぎに歯止めをかけ、個人投資家が安心して商品購入できる環境を整える」をことを目的に2013年の通常国会の投資信託法改正を目指すとのことだ。

            

僕の現在の生活の糧たる収入は共済年金と投資信託の配当が主でそれに株の配当がちょっと。退職金はもう無い。結果として退職金の特例加算も年金の増額も再雇用も拒否した僕が脱藩して悠々自適でいられるのは投資信託の配当があるからだ。でも計算したわけでも一時の感情の高まりで辞めたわけでもない。よいと思う道をたんたんと選んだだけた。でも気がつけば高配当の投資信託があるから不自由なく生活していける。昔の職場の友人が年賀状や麻雀仲間の人づてに、自分も辞めたいが生活出来なくなるが僕がどうして悠々自適な風なのか不思議だということを伝えてきた。「恒産なければ恒心なし(存在が意識を規定する)」という考えがあるがこれも洗脳論語(苫米地英人『洗脳論語』三才ブックス)かな。恒心あれば恒産もついてくる気がする。

 

そんなわけでこの記事は興味をひいた。毎月分配の投資信託の配当の原資は株や債券などの配当・金利収入、株や債券などの値上がり益、投資家の元本、の三種類である。は普通分配金で当然所得だから源泉税をひかれる。は特別分配金で資産の取り崩しだから源泉税はない。だから特別分配金つまり損している月の分配金は受け取り額が多くなるという逆転現象がおきる。ちなみに僕が明後日31日に受け取るのは特別分配金だ。

 

記事によると、日本では①②③とも可能だが、米国でははダメ。英国・フランスは②③がダメ。日本でもトラブルが増える傾向があるためを禁止しようというわけだ。でも毎月分配の投資信託を持っている高齢者のなかには、分配金の元本を取り崩していることを知らない人もいるだろうが、知っていて年金の不足を補う意味で定額の分配金を望む人も多いと思う。元本は相続人のものだからあまり気にしないとしてだけど。

 

同じ新聞の7面の解説記事で分かったことがある。よく「通貨選択型」という言葉を聞くがよくわからなかった。「・・ブラジルレアルなどの高金利通貨の金利収入や為替差益も、上乗せする・・」なるほどこういうものか。

 

さてこの記事の内容から金融庁は野放しの強欲資本主義を規制しようとしているようにみえる。これなら規律ある資本主義論の共産党から主流派経済学者まで大歓迎だろう。でも僕には官製カルテルだと思えてならない。つまり投資信託では月分配ができないと顧客が他に逃げるから特別分配金をやめられない。だから元本の維持のため特別分配金をしない方がいい場合もあるが自社単独では無理だ。そのため金融庁を介してカルテルを結ぶことになったと思う。だがタイミングが必要だ。基準価格や純資産総額が減少する中で規制をぶち上げると危機感をあおり投資信託市場から資金が急速に流出するかもしれない。でも今なら良いと判断されたからだ。大和投資信託のブラジル・ボンド・オープンの例でいうと、ギリシャ危機の影響でブラジルはじめ世界の株価か下落していたが最近株価が再びあがっている。このため11月に最低となった基準価格が年末から上がりはじめている。だからいまがこの官製カルテルの打ち上げのチャンスということになる。

 

法律の改正が2013年通常国会ではのんびりすぎるという意見もでてくるかもしれない。でも官製カルテルは法律ではなく役所が発した時に成立する。いいかい官製カルテルは役所が国民のために作るのではなくて、企業が自分の利益のために役所の手を借りることだ。だから役所の意向を理由にぼちぼち特別分配金をしない投資信託もでてくるだろう。でも今は世界的に株があがっているから、131日は特別分配金だが2月分は普通分配金になるだろう。そうかな?そうならいいな。

      

本当は投資信託側が自己の判断で配当方法を決め、顧客も自己の判断で投資信託を選ぶのがいいのだ。機械的に横並びで特別分配金を廃止するのではなくて、中長期で業績の回復が望めるなら短期的には元本割れでも特別分配金を出す投資信託があってもいいと思う。だって月々安定した収入が必要な人もいるもの。でも金融機関も国民も隣り百姓(隣りを見ながら農作業の時期をきめる)だからなあ。

 

 

 

 


遅ればせながら、あけましておめでとうございます

2012-01-08 16:45:09 | 社会経済

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

 

ええっと何から書こうかな。今年どんな年になるかは書かないよ。「〜になるような気がする。あると思います。」程度のことは感じるけど、それを預言みたいに吹聴したら僕はニセ預言者になっちゃうからね。狼少年はいつかは当るかもしれないけど、ニセ預言者は当ることはないもの。

 

まず最初は昨年末にインターネットを見ていて何がなんだかよくわからなくなった話をしよう。名古屋市内在住の新左翼活動家の横井邦彦氏のブログ『労働者の新世界』の1225日の記事「江田法務大臣と佐賀地検に釈明を求める」を見たことから始まった。

http://blog.livedoor.jp/kodama1872/archives/2011-12.html?p=2#20111225

 

ちなみに横井邦彦氏は以前ちょとした全国的な有名人になったことがある。国政選挙に立候補したことじゃないよ。実は横井邦彦氏の週刊誌に載った発言(証言)が話題になった。1978年に北朝鮮に拉致されて2002年に帰国した蓮池薫さんに1986年に日本国内で会ったと言うのだ。当時愛知県内の小学校の教師をしていた横井氏は学校の体育館で蓮池薫さん(と思われる人物)を含む数人により危うく北朝鮮へ拉致されそうになったという。拉致の目的は北朝鮮在住の日本人共産主義者の指導者にするためだ。よど号ハイジャックグループの田宮ではダメだそうだ。まあ荒唐無稽の自慢話にみえるが、日本共産党や毛沢東の影響がなく、北朝鮮をスターリン主義国と批判するトロツキスト系(中核、革マル、第4インター)でなく、党派のトップでもない横井氏に目をつけたのは合理的でもある。

 

話がそれたので本筋にもどすと、横井氏は週刊『プレイボーイ』を見て京都の行政書士が佐賀県庁での原発抗議デモの山本太郎氏について告訴状を提出して佐賀地検が受理したことを知った。あ、もとい、このことをこのブログで初めて知ったのは僕だ。横井氏はこのこと自体は知っていたかもしれない。横井氏が『プレイボーイ』の記事を見て知って怒っているのは、その行政書士が社労党(社会主義労働者党)の党員だったことがあり社労党が原発推進派だったと書いてあるからだ。

 

ちなみに横井氏は中央委員や愛知県委員長をつとめた社労党の幹部であった。社労党は党の実体がなくなったとしてマルクス主義同志会に変わり、その後横井氏は組織を離れた。

 

僕はさっそくインターネットで検索した。すると告訴状を出した京都市の行政書士は地域政党の京都党の党員をなのっていが社労党なんてどこにも出てこない。行政書士のブログをみると28才なので社労党があった時はもっと若いそんな若い左翼活動家が今どきいるわけないし。でも横井氏が社労党のことの記事を読み間違えることはないだろうしこれはどうしたことだろう。

 

そこで僕はこう推理した。『プレイボーイ』の記事が間違っているがそれは取材から記事作成の過程で伝言ミスが生じたからだと。つまり行政書士は京都党をなのっているが、「京都党」=「きょうととう」「きょうろうとう」=「共労党」となり、記事を書く段階で「えーと、たしか新左翼政党で何とか労党だったけど、正確を期すためインターネットで確認しよう。あ、あった社労党か」と、こんな風に想像した。

 

横井氏はブログで、自分は社労党の幹部だったが××氏(行政書士の氏名)という党員は聞いたことがないし社労党は原発推進をしたことはないと怒りが収まらない。僕からみればよくある週刊誌の誤報だが、横井氏からみれば自分が担ってきた政治運動に対する許すことのできない侮辱に思えるのだろう。

 

ところがこの後事態は変な風に展開する。1227日の横井氏のブログ「本当の党員だったとしてもその罪が消えるわけではない」によると、当の行政書士が横井氏に確かに社労党員だったと証拠書類を添えた手紙を送ったそうだ。手紙の差し出し名は行政書士が党員活動で使用していた筆名であった。横井氏は、確かにその筆名(組織名)は聞いたことがあるが社労党は本名で活動することに決議したのにと不満そう。そしてそうだとしても社労党が原発推進派だと偽るのはケシカランと立腹だ。

 

でもWikipediaで社会主義労働者党を検索すると「原子力発電所増設や米輸入自由化の推進を訴え、それに反対する党派を『保護貿易主義者』と非難するなど、政策においても他の党派とは一線を画した」と書いてあるよ。国会議員が自分の党のマニフェストを知らないのはよく有ることだが、左翼組織の幹部が組織の重要方針を知らないのは信じられない。日本共産党なら指導者の提案に全会一致だから記憶に残らないかもしれないが、社労党でも路線論争は無かったのかな。もちろんWikipediaが間違っているかもしれない。それなら横井氏が訂正しなきゃ。

 

あそうそう佐賀地検は山本太郎氏を不起訴としたよ。


TPP問題に思う

2011-11-10 22:29:30 | 社会経済
しばらく書いていないと、もうやめたのかと思われるかもしれないので、そろそろ書かなきゃ。書きたい話題はいくつか浮かぶが、今日はTPPについて。とは言っても、比較優位だとか国家主権の侵害や食糧安保を掲げて、TPPに賛成反対を論じるわけではない。それ以前に引っかかる点があるのだ。

まず第一にTPPって最初は、南米とオセアニアと東南アジアの比較的小さな(経済の面で日米中等と較べてという意味)いくつかの国が、太平洋をはさんでの隣人であるので経済共同体を作って共に繁栄していこうとしたものだと思う。隣人だけど離れた地域なので産品が異なり互いに補い合うことができるものね。そこへアメリカが入るといい、アメリカから日本も加入を迫られているわけだね。

でもさあ、元々の国々はアメリカと日本の参加をどう感じているのかな、と思うのだが。これって、例えで言えば、区役所の中で何人かの職員が課や係を越えて職員 が食事をしたり旅行をしたりする中で自分の仕事の内容と問題点を出し合い意見を述べ合う私的な会を作ろうとしたとしよう。もっと仲間を募ろうと、設立趣意書を作りそれを使ってこれと思う人にあたることにした。発起人の中に係長級が一人いた上にさそいたい人の中にも係長がいたので、参加資格は主事(ヒラ職員)としないで、単に○○区役所職員とした。ところが、事務室の机の上に放置された設立趣意書を見た区長は自分も参加したいと言い出した。区長の言い分は自分も区役所職員で参加資格があり、日頃接する機会の無い末端職員の意見を聞きたいということだ。区長は自分の意見に反対した事がないJ部長にも参加を強要した。J部長に参加させたい訳は、管理職が自分一人では不安なことと、J部長は区長には反対しないがJ部長の管轄下のことについては時としてのらりくらりとして進まないので、本当のJ部長の腹の中を知りたいからだ。

こんな例が思い浮かぶので、TPPの元々の国々はどう思うのかなと思うのである。まあ区役所の場合なら、区長が個々の行事には参加しないで寸志だけたっぷりくれると歓迎されるのだけど。アメリカは歓迎されるのかな。

TPPについて次に思うのは、我が国の交渉担当者の問題だね。我が国の官僚(そして政治家も)の作法は問題の先送りなのだものね。過去の外交でも、担当者が自分の任期中に必ず解決するという気概を持っていたら3つの領土問題のうち1つか2つは解決していたと思う。だから交渉項目で無定見に先送りして返って不利な事態におちいることも考えられる。先日みた映画『カイジ2』では「(ギャンブルに勝つには)勇気、度胸、そして覚悟だ」といっていたけど。日本の公務員は覚悟が足りないよ。児童虐待も児童相談所に覚悟があれば悲劇的な結末は避けられたかもしれない。え!「お前が公務員だったときそれほど覚悟があったか?」って。僕には覚悟不足を補う運の良さがあったから、運の良さのない公務員は覚悟がなきゃ。え?「運がいいわりには出世してない」って。いいの!僕は管理職になりたくなかったの。

ストローマンからyasuさんへの返書

2011-08-21 15:29:16 | 社会経済
自分自身の備忘と思考整理ために書いているブログだがやはり他の人々が読んでいてくれるかは気になる。とりわけ名古屋市職員や名古屋市政に興味のある人々以外はどれだけ読んでいるのかなあ、と思う。でもyasuさんがコメントを寄せてくれて、思った対象者の思ったとおりの反応でストライクと言う気分。これが論理的理性的に反論の余地のないよう誤りを指摘されたら困ってしま・・、いやいやポパー信奉者ならそれは悦ばなきゃ。ともかく今日のところはストライクで満足。

陽明学もオーストリア学派も主観主義だから人々を操作できるという考え方を「思い上がり」として嫌う。でもこれも主観主義だからかもしれないが、特定の個人や集団を操作して行動することがある。王陽明は中国明朝の儒学者で文官だが不敗の軍事指揮官でもある。寧王が反乱を起こしたとき寧王の行動を操作誘導して罠に誘い込み寡兵でもって鎮圧した。あまりに早期にやすやすと鎮圧したので、かえって朝廷から反乱軍との内通の疑いをうけた。なぜ特定の個人や集団なら操作出来るのかというと、ある種の人はある事象が起きたらその全体を認識しなくて必ずステレオタイプの場当たりな行動をとるからだ。陽明学(そしてオーストリア学派)はそうした思考方法との闘いだから、かえってそうした人の思考が手に取るようにわかる。

そんなわけで、リフレ派に限らずマルクス主義者など人々を操作できると考える者や自分達だけしか通用しない論理で市民を見下している市職員始めとした公務員を見るとちょっと突っつきたくなる。だからそうした人から嫌われるのだけど。今回も反応ありで書いた甲斐あり。さあエンターテイメントの開幕だ。

さてさて、それではyasuさんのコメントを吟味しよう。

「経済学者でリフレを支持する者に、『インフレになれば万事解決』なんて主張する人はいない・・」
おやおや、僕は「リフレ派の人は・」と書いたのに、「経済学者でリフレを支持する者」に変わっているぞ。もし、リフレ派=経済学者でリフレを支持する者、でなかったらこれこそ藁人作りだね。まあオッチョコチョイだと思ってパスしよう。でも8月14日の池田信夫blogで「リフレ派も経済学界ではほぼ壊滅したが、」と言っているから、経済学者でリフレを支持する者は、主張にかかわらずいないから、僕のブログとの関わりを離れれば、yasuさんの言説は否定できない「真」となる。
まあ冗談はさておき、さて「リフレ派」にしろ「経済学者でリフレを支持する者」しろ「『インフレになれば万事解決』なんて主張する人」は本当にいないのかな?僕はいるかもしれないと思うけど、yasuさんが悉皆調査(全件調査のこと:役所用語)したかもしれないので認めてもいい。でも、それが僕の文章となにが関係あるの?僕の書いたのは「インフレにすれば万事解決みたいな事をいうが」だよ。「みたいな事」とそのものズバリは明らかに別の内容だよ。例えば「腕時計を盗んだのは高橋氏だよ」と言うのと、「あの時間に更衣室に入ったのは高橋氏だけで様子もおかしかった」と高橋氏が犯人みたいなことを言うのは似た内包をもっていても明らかに区別される。これも藁人形だね。
一つの行に2つも言葉のすり替えがあるなんてと思うが、細工して誤魔化そうとする悪意をもっているとは信じたくないし、なによりそんな知能はなさそうだもの、まあオッチョコチョイだからすぐ繰り返すと思おう。役所でもいるもん。
それで「みたいな事」を例示しよう。
リフレ派の経済評論家の上念司氏の『デフレと円高の何が「悪」か』(光文社新書)と言う本がある。この本はタイトルから察せられるように、デフレと円高は悪いと言う本。それでその本の20ページから21ページに、「しかし、断言しますが、『良いデフレ』というものはありません。なぜなら、デフレというのはモノの値段が下がるという現象に付随して、様々なデメリットを同時に発生させるからです。最大の問題は失業です。他にも住宅ローン破綻が増える、企業の倒産が増える、といった問題もあります。」と書いてある。上念氏はデフレによるデメリットを3つあげている。ニュアンスからしてまだありそう。そうすると、少なくともこの3つはデフレがなくなれば解決することになる。論理的にはデフレでもインフレでもない状態でも良いはずだが、上念氏はインフレを目指す。114ページでは「デフレというものは、・・・お金不足が原因ですから、お金を刷って供給すれば、かならずいつかデフレから脱却することができます。これは当たり前のことなのです。」と書いて、このあと「バーナンキの背理法」なるものを持ち出して、115ページで、「中央銀行は通貨発行を通じて単独でインフレが起こせるという当たり前の結論になりました。」と結論づける。ちなみにこの「バーナンキの背理法」なるもの日本で名づけられ日本のみで流通しているらしいけど、僕はには本人はジョークのつもりでいったとしか思えない。ほら「インフレにすれば万事解決みたいな事を言っているだろ。
なに?「失業と住宅ローンと倒産では万事ではないって? だから「みたいな事」なのだけど。そりゃ人間にはもっと難問の老・病・死・別離の4大問題があるから万事ではないか。おおそうだ壊滅していないならいまでもリフレ派の経済学者の松尾立命館大学教授に『不況は人災です!』(筑摩書房)がある。絶滅危惧種のマルクス派としても生きのびているから生命力強いものね。それによると自殺も離婚も不況(デフレ)のせいだから死と別離はクリアだ。ただし僕の見るところ松尾氏は「お金ジャバジャバでインフレ」を都市伝説みたいに思って信じてないが、それを利用して大衆がインフレ期待をもてば不況脱出てきると思っている気がする。でもなあ、日銀か金融緩和したと聞いてこれはインフレになるぞと思う消費者なんていないよ。スーパーでも自動車デーラーのショウルームにでも行ってお客に聞いてごらんよ。過去にそんな経験したことないというから。企業家がインフレ期待をもつかもしれないって?生知識により一旦そう思いかける可能性はあるけど、近年と現在の経験則からほぼインフレ期待は打ち消すのだね。だから間違った前提でも数式をたてればそれらしく見えるけど役にたたないんだ。
これに「わたしを日銀総裁にしなさい。そうすれば日本が良くなります」という森永卓郎しも例示に加えられるかも。森永日銀総裁か。顔をみると日銀総裁には違和感があるが、呼んでみるとそうでもない。何故だろう?
こんなとことで「インフレにすれば万事解決みたいな事をいう」人がいると分かってくれるかな?わからないならそれはyasuさんの判断が僕と違うので後は読む人各自の判断にまかせるしかない。

「藁人形を作って攻撃。実に虚しく情けない。」
そうでしょうね。同情します。でもオッチョコチョイからの事と善意に解釈しますからあまり気にしないように。

「インフレで解決で解決出来ることはインフレで解決しておけば、その他の問題解決や構造改革も痛みを少なくしてやりやすくなるという主張なのに。」
最初のバラグラフの意味が違っているからそれを受けたこのバラグラフは無視するべきだが面白いので取り上げよう。
この文はスーと抵抗なく聞けて同意しそうになる。どうしてだろうと思ったら内実がないからだ。つまり「インフレで解決出来ること」というのは、無限でもほとんど無しでも含みうるわけ。だから無内容にして当たり前の事をいってるだけなのだ。これは役人が答弁でよく使う手だ。例えば「法令で定められたことは法令に則り遂行して、それ以外のことは上司の支持に従います」、これは法令に特段の定めがなくて上司の支持がなかっなら何もしないということ。本当は眼前の問題を担当者がどう引き受けて解決に持ち込むかが重要なのにと、ダーティ・ハリーは思うわけである。だからこんな役人みたいな無・・、ハッ!yasuさんひょとしたら公務員まさか名古屋市職員だったりして。おおこわ、野間荘に出入り禁止になるかも。そうだよなこんなローカルのブログだもの、みんな疑って警戒しなきや。

「また、期待インフレを単なる心理的なものと思っているのも物笑いのタネだ。そんな漠然としたものではなく日々数字で確認可能なもの。」
エエ!そんな心情まで確認してしまうスーパービックブラザー見たいな物(者)がいるの!とびっくりしたが、なんのことはない、またyasuさんの言葉のすり替えだ。これではオッチョコチョイと言うより病気かなあ?僕は「期待インフレ」なんて言葉は一度も使っていない。使ったのは「インフレ期待」だ。「期待インフレ」ならインフレなのだから数字で表せるだろう。たぶん現実のインフレ率の中に推定である数字を割り当てたものだろう。虚構に感じるが。
で、僕が言ったのは「インフレ期待」。文脈からしてインフレが発現する以前のインフレを起こさせる心理的要素を指しているのは明らかで、現にインフレが起こっている中の按分されたインフレ率とは別のものだ。でも僕にもいけないところがある。僕はイメージで文章を書いたので、松尾氏が、「インフレ予想」と書いたのを頭の中で似たイメージの「インフレ期待」に転換してしまったのだ。それを、多分国語的修練がされなかったのだろうね、修飾語と被修飾語の区別とか文脈で理解することが苦手中のyasuさんがトンチンカンな文を書いたのだ。安心してよ、僕は物笑いのタネにしないから。だつて僕だって「インフレ期待」だなんて、インフレを期待する人なんて普通ではあり得ないのに、どうして取り違えただろう。はずかしい。
でもyasuさんは名古屋市職員でないことが分かったよ。読解力が採用試験の水準からかなり離れているもの。

「もっとも、たとえ心理現象にしたとろで、客観的現象と同時に満たすのが論理矛盾なんていうトンデモロジックは理解できないけど。・・」
フウう。トンデモロジックはyasuさんの頭の産物。僕が書いたのは「『インフレは貨幣現象(=客観的社会現象)」と「インフレ期待(=心理現象)を持たせなければならない」という論理矛盾を平気で主張する。」つまり、これはある村人が「雨は自然現象だ。雨季になればかならず降る。間違いない」と高らかに主張していたが、雨季に入る頃にもサッバリ降らない。すると彼は「本当は天候の変化を待つだけではダメで、龍神様の沼に若い娘を人身御供に沈めることも必要だ」と言った。これって論理矛盾だろ。yasuさんは、文脈を無視して自分の一知半解の知識の領域に持ち込もうとする。そんなにひけらかしたいのかな。素人と思って、まあ素人だけどさ、反論されないで恥をかかないと思ったのかな。それ以前に国語力の問題が大きすぎ。中学生にも足元をみすかされるぞ。こういう人は共通して必ず、文章に「理解するだけの知識」とか「知能」とか「知性」を多用するな。コンプレックスの成せる技だろう。でもこう言う人、嫌いじゃないんだ。だからストライク。
それはさておき。僕がこの部分を書いたのは、上念氏が「インフレは貨幣現象です」と大見得を切りながら、日銀が通貨供給を増やしても一向にインフレにならないためか、ブースターがいるなんて言っているから。同じ客観的現象の物理との類推で言えば、ゴム風船に空気を入れと内部の圧力が高まるため膨らむ。膨らむことができないなら、ゴム風船を破るか、注入口を逆流する。何故なら高まった空気の圧力はなんらかの形で発散しない限り現に存在し続けるから。だからインフレが貨幣現象なら貨幣の供給量が生む圧力が客観的に存在し大きければ必ずそれ自体の圧力でインフレが発現せざるを得ないはずだ。貨幣的措置だけでインフレが起こらなければ、ポパー的に言えば、インフレ貨幣現象説は反証されたことになる。
ところで上念氏の「ブースター」ではなくて松尾氏の「インフレ期待」もとい「インフレ予想」を「インフレは貨幣現象」と矛盾するものとして対峙させたのは、客観的社会現象と心理現象の対称性が面白いからもあるが、インフレ貨幣現象説がリフレ派の共通認識だと思ったからだ。でも松尾氏はちょっと違う気がしてきた。かれは『図解雑学 マルクス経済学』(ナツメ社)で「金に力があるというのは共同の思い込み」と言っている。僕はこの共同幻想論とインフレ貨幣現象論は結びつきにくい気がする。そうした気で『不況は人災です!』を読むと、僕には「人々がインフレ貨幣現象説を信じているから、それを利用して量的緩和をして(パフォーマンスで)インフレ予想を起こさせ消費行動と投資行動をさせるのが不況脱出の道。インフレ貨幣現象説の正否は関係ない」と思っていると読めるのだなあ。彼はデフレとインフレという言葉は単独で使わないで他の経済用語の一部分でしか使わない。替わりに「不況」と「景気」を使うのは興味深い。
インフレ貨幣現象説が反証されたとして、僕はどう思うかというと、インフレ・デフレ、通貨高・通貨安というものは、コモディティの裏づけのない不換紙幣の信頼度で変化するものだとおもう。これだと今の円高もハイパーインフレーションの発生も説明できる。共同幻想論と似てるけど、マルクスは不換紙幣兌換紙幣を問わず共同幻想論。僕はオーストリア派だからコモディティの裏付けのある兌換紙幣を望む。
「たとえば・・」以下はその前の部分を受けてだからコメントの必要ない。戯言を独りでつぶやいているようにしか思えない。

「まあ、『リフレ派の主張は最新の経済学研究の成果』というのに反論しようとし出してくるのが高橋教授では、・・」
そもそも「最新の経済学研究の成果・・」の文と、「高橋洋一氏に至っては・・」の文は並列だ。片方が他方の反論とか論証とか例示とかいう関係はない。
高橋洋一氏がリフレ派の弱点なのははた目から見ても感じられる。今度の文章で出した上念氏や森永氏も弱点だと思われていると思う。でも弱点ばかりを狙って出してきたわけでない。この三人がメディアに露出が多いからだ。でも数式のゴタクを取り去ったら結局残る本質は三人の表現方法になるのではないの。だいたい過去に失敗した方策を理屈づけが変わっても成功するわけではない。
僕が「最新の経済学研究の成果」云々をだしたのは、上念氏の本に出てきたから。上念氏には権威主義的なところがあり、僕にはそれが鼻つくからだ。「当たり前です」「小学生でも分かる話」とか。FFB議長のジョークが「バーナンキの背理」という神託か公理のように扱われる。そんな背景で出してみた。

「・・DSGEとかの経済学については理解するだけの知識も知識も持ってないってことだうね。・・」
DSGEといのは計量経済学のモデルだね。じつはこの機会をまっていた。前回のブログでは書くきっかけがなかったから書けなかった。だから物足りない思いをしたがチャンスはすぐ来たわけだ。
でも僕が計量経済学の知識をもっているわけではない。理解する知能ももっていないだろうな、もう老年だもの。だからyasuさんのようにあきらかに老人より知能が劣っていて傲慢な獲物を見ると老化防止にからかいたくなる。
でももし若い時でも知能があるかないかに関係なく計量経済学には絶対に手をそめなかったと思う。
需要曲線・供給曲線と言うのは知ってるよね。経済学の入門書に必ず載っている二つの曲線の交点つまり均衡点で価格が決まるというやつだ。僕はこのグラフを見たときかなり胡散臭く感じた。最初はマルクス経済学にかぶれていたから、なぜ均衡点が例えばその10倍の金額の地点でないのか、それが問題なのじゃないかと思った。つぎに思ったのは、どうしてこのグラフが公理のように前提とされるかということ。だって自然科学のように実験室で他の条件を同一にして再現実験を繰り返して統計をとることができないのに、こんなグラフを公理のように前提にして話しを進めるのはまやかしではなのかと思った。たしかにスーパーで午後6時をすぎて400円の刺身が50%引きの200円になったのを見て買ってしまうことがある。しかしそれは400円が200円になったのを見たからのこと。同じ品がはじめから200円だったら見向きもしなかったかもしれない。ひょとしたら始めからの値段が200円でも400円でも売れる量は変わらないかもしれない。製品によっては値段が高い方が売れるものも有るだろう。必需品品なんかは多少値段が上がっても販売量は変わらず(つまり水平線のグラフ)、ある値段を超えると代替え品にとって替わられ数量は激減する(垂直のグラフ)かもしれない。供給線についても市況の値段が下落して多くの製造企業が利益がでなくなっているとき、ある企業は生産ラインを拡充して他社の追従できない販売価格で大量に販売して他社を廃業させ市場の支配を狙うかもしれない。
とまあこんな訳で、この胡散臭いグラフが公理のように扱われる近代経済学(マルクス経済学との区別のための経済学の当時の呼称)には勉強する気になれなかった。僕は対象に対する自分の内的必要が感じなければ何もする気になれない。外的からの価値判断は僕の行動の動機にならない。だから怠け者ということになる。別に悩んでいたわけではないが、親鸞と王陽明の思想に触れてすっきりした。これでいいのだ、いやこれがいいのだとね。
ところが近年オーストリア学派経済学を知ってグラフの根拠になっている需要と供給の法則を知った。オーストリア学派を知ったのはリフレ派にたいする嫌悪感からだが、なんとオーストリア学派経済学というのは陽明学の経済学版という内容だった。これはリフレ派に感謝しなければならない。
話はもどって、需要と供給の法則というのは、それは限界効用(逓減・均等)の法則によるものだ。経済学の「限界革命」が作りだした根拠により需要曲線を書けなくはないが、現在の主流はほとんど忘却していて、根拠を忘れたがゆえに怪しげな物になったなグラフをのせている。これは野口悠紀雄さんも切実に感じているらしく学生に「需要曲線はなぜ右下がりかを説明せよ」の問題を出しても正解者は1人もいなかったと嘆いている。無批判的にあのグラフを受け入れた人の中から虚構を虚構と疑わない経済学者が生産されてくるのだろう。「価格が下がると需要が増える」はその理由こそが設問なので不正解。正しい答えは限界効用の法則によるもの。ちなみに野口悠紀雄さんはリフレ派を邪教と呼ぶ反リフレの巨匠、だから地に足がついてる。でもやはりグラフを使うのでやや違和感がある。
グラフというのは数式化に便利だから根拠を忘却して、ご都合主義的に使われる。だから計量経済学って虚構の産物だという気がする。
でも心惹かれるオーストリア学派はどうなんだろうと心配になった。
限界効用の法則による把握は方法的個人主義・主観主義であるオーストリア派経済学の1丁目1番地なので橋本努・尾近裕幸編著『オーストリア学派の経済学』(日本経済評論社)にも根井雅弘『経済学の歴史』の「第六章 カール・メンガー 主観主義の経済」にも詳しく説明されている。需給と供給の法則を認めてもなお僕があのグラフを「怪しげな」と思う理由は、根井さんの本のメンガーの記述ではっきりした。ずっとさきに『オーストリア学派の経済学』を読んだが、たぶん以下のことと同じ内容が書かれていたはずだが記憶に残ってないのは、当たり前と思ったのか問題意識がなかったからなのか。
「また、交換における等価交換の不在は、需給と供給の一致による均衡価格という考え方とは異質の価格論にもつながる。メンガーによれば、価格は、経済的な交換が成立する範囲内で、交換当事者の交渉力によってある一点にきまるものだという。」(上書p201)そうだよ、そのとおりだ。

そんな訳で、知能に関わらず計量経済学は学ぶ気はしないよ。計量経済学で真理がわかるなら、労働者は搾取されていることになる。そうなると価値の創造者は労働者ということになり労働者価値学説が真理として復活して現代経済学の根底がひっくり返るぞ。松尾氏によると、「利潤の存在と労働の搾取が同じだということは、1950年代に置塩信雄が数学的に厳密に証明し、『マルクスの基本定理』と呼ばれていますが、・・」(『図解雑学 マルクス経済学』p96)純粋数学なら「厳密に証明」されたなら誰にも否定できないが、計量経済学では事情が違うようだ。任意の前提や係数がそれが架空のものであっても数式を使えば体裁が調ってしまう。だから逆の結論でもひねり出せるのだ。

財政破綻からのハイパーインフレと財政破綻を経ないハイパーインフレ

2011-08-18 11:08:16 | 社会経済
【財政破綻への懸念】
いろんな書物でいろんな形で財政破綻への懸念が述べられている。これは国債消化の大本の原資である国民の預貯金の残額が残り少なくなってきたことといわゆる団塊の世代が65歳を越えはじめ社会保障費の急増が目前の日程に上がってくるという従前からのスケジュールに加え東日本大震災による財政支出増と税収減が避けられないからだ。これにリフレ派の人達が主張している国債の日銀直接引き受けなどが行われたら、それこそ国債暴落、財政破綻のトリガーになりかねない。

【能天気なリフレ派】
リフレ派の人はお金をジャバジャバ印刷してインフレにすれば万事解決みたいな事をいうが、現在のアメリカの混迷をどう見るのだろうか。そもそもリフレ派の主張は最新の経済学研究の成果と言いながら、「インフレは貨幣現象(=客観的社会現象)」と「インフレ期待(=心理現象)を持たせなければならない」という論理矛盾を平気で主張する。高橋洋一氏に至ってはテレビで「お金ジャバジャバでも日本はデフレだからハイパーインフレにならない」とこれだけなら同意できないがまあ一つの主張として聞けるが、続けて「もしハイパーインフレになりそうだったらお金の供給をとめればいい」と言った。これは「高血圧になりそうなら心臓を止めればいい」と同じ理屈で非常に無責任。貨幣の供給を国内の経済取引の全面停止なしではやめられなくなったからハイパーインフレになるのだ。

【求められる経済構造の転換】
ここ20年間アメリカが幾ばくかの経済成長をして日本が停滞したのは金融政策の違いによるものではない。アメリカは産業構造を金融業やIT産業など生産性の高い産業にシフトさせてきたが、日本は規制などにより産業構造の転換が遅れてきたうえに従来の工業がキャチアップしてきた新興国との激しい競争にさらされてきたからだ。日本の停滞を人口構造の高齢化にみる考えかたもある。たしかにこの間アメリカはラテンアメリカから若い労働力、アジア(中国韓国インド)から専門的高学歴者を多量に受け入れて先進国の中での一番の人口増化率をほこっている。だからそうした人口構造の面も否定できないが、僕は産業構造の転換の遅れに心引かれる。というのは40〜20年前の日米の構図(繊維〜自動車貿易紛争)が現在の日中の構図と相似であるならば日本もアメリカがしたように産業構造を変えざるをえない(変えなければ停滞する)。これは野口悠紀雄さんの説。

【非伝統的金融政策の本質】
そもそも非伝統的金融政策の本質は、むかしながら(だからある意味伝統的)の自国の通貨安による近隣国炎上政策と、株式買い上げによって株価を人為的に吊り上げ株式を保有している企業や金融機関の含み資産を膨らませる詐術にあると思う。自国の通貨価値を毀損しての通貨安による輸出競争は過去に世界経済を荒廃させたので表立ってはできなくなっている。また株式は市場で取引されている物はほんの一部だが、市場での株価は株式全体の価格と見なされる。だから中央銀行が株式を購入するのは貨幣を社会に行き渡させるためではなく、株式を多量に保有している大企業や金融機関の含み資産を増やすことなのだ。それらの経済倫理にもとるとして否定された手口を非伝統的金融政策とか新しい知見などと表紙だけ張り替えただけなのだ。それは経済発展のためには害こそあれ益はないのだか、それがアメリカで幅をきかすのは、選挙までの間でも経済指標をよく見せたいという政治的要請があるのだろう。


さて話は本題に戻るろう。野口悠紀雄さんといえば、幸田真音さんと『日本人が知らない日本経済の大問題』(三笠書房)という本をだしているね。これは昨年(2010年)の本だから国債暴落(金利上昇、インフレ)が10年以内に起きるといっているが、本の中心は産業構造とかビジネススタイルの転換の必要性だ。しかし大震災をへて、復興財源がとりざたされるなか、リフレ派の蠢動が活発化しており、国債の扱いいかんによっては近々の財政破綻が予想されるので、それを警告する本が最近目だっている。須田慎一郎『国債クラッシュ』(新潮社)、池上彰『先送りできない日本』(角川oneテーマ21)、上野泰也『国家破局カウントダウン』(朝日新聞出版)などである。

【幸田真音『財務省の階段』と高橋是清とバーナンキ】
余談だが、幸田さんは最近『財務省の階段』(角川書店)という経済スリラーという新ジャンルの小説本を出した。その中に本の表題にもなっている短編『財務省の階段』は財務省の階段下の書庫に保管されている昭和初期の記録文書を研究していた若手官僚が不審な自殺をするというもの。大蔵大臣の高橋是清は満州事変の勃発による戦費調達のためやむなく一時的な措置として国債の日銀の直接引き受けをおこなった。だが翌年度は大幅な緊縮予算を組み軍部の大きな恨みをかい2・26事件で殺された。若手財務官僚の原田は高橋是清の苦闘と当時と現在の類似を感じとり、決して国債の日銀直接引き受けなどは許してはならないと苦慮するが軍部の亡霊に殺されたというのがその内容。幸田さん、ネタバレになって本の売り上げが落ちたら御免なさい。でも本の目的は上記の主張の仮託だと思うのだから許してくれるかも。

アメリカのFRB(中央銀行、日銀のようなもの)のバーナンキ議長は、日本の高橋是清が日銀の国債直接引き受けで恐慌脱出したのを研究して非伝統的金融政策を打ちたてという。でもバーナンキはまともに研究してなんかいないよ。ただ高橋是清が国債の日銀直接引き受けを行なったことと日本がいちはやく恐慌から脱出したことをもつて自己の非伝統的金融政策理論の実証にしたのだ。でも幸田さんも言うように国債の日銀の直接引き受けは一時的な緊急財政手当であり貨幣供給増を意図した物ではない。実際に高橋是清は日銀が引き受けた国債を市中銀行にすみやかに引き取るように依頼している。だから意図も実状もバーナンキの考えるような貨幣の大量供給ではない。バーナンキが高橋是清を持ち出すのは実証主義手法の悪い例であり擬似科学の見本である。ついでに高橋是清は日本のケインズと言われ従来から金融政策よりも財政政策を評価されてきた。国債を発行して政府支出を増やして景気を回復したというもの。しかしそんなにケインズ的財政政策って有効かな?アメリカでも大恐慌から本当に回復したのはニューデール政策の公共支出の時ではなく第二次世界大戦にはいってからという。だから日本が早く大恐慌から抜け出したのは満州事変とその後の関東軍の拡大を始めとする急速な軍備拡張のせいかもしれない。

なお一昨日(8月16日)の「経済教室」で小黒一正一橋大准教授は、『限界に近づく日本財政 国民貯蓄減で生産縮小も』という論文のなかで、高橋是清蔵相の言葉を引用している。「多額の公債が発行されたにもかかわらず、いまだ弊害が表れずかえって金利の低下や景気回復に資せるところが少なくないので、世間の一部にはどしどし公債を発行すべしと論ずる者もあるが、これは欧州大戦後の高価なる経験を無視するものである」

いろんな禁じ手は、それに手を染めて結果として厳しいしっぺ返しを受けた時は、もう二度としないと反省するが、世代が替わり体験をしていない人たちが経済活動の担い手になるとまた同じ誤ちをしたくなるらしい。でも記録はげんとして残っているので知らないはずはないのだが、彼らは愚か者に共通の万古不変の言葉を吐く。「今度は違う、なぜなら・・・」ってね。バブルなら「IT産業は永続するブームでバブルではない」とか、「土地価格は決して下がらないので不動産投資はバブルではない」とか、「ノーベル賞級学者が作った金融工学を使えば損失を回避できる」などと言われたが結果はいつも同じだ。国債乱発の場合のものは「あたらしい経済理論」とか「現代的通貨システム」とかね。これは今現在のアメリカの混迷をみれば結果は同じだ。アメリカの二度の量的緩和も発動し始めた時の目標は失業率の改善だが結果は失業率には変化がなく、回復したのは主に企業収益(特に銀行のもの)と株式市場だけだ。これはabz2010[http://d.hatena.jp/abz2010/ ]さんのアメリカの学者の記事の紹介によるが、上に書いた非伝統的金融政策の本質からすれば当然の結論だ。アメリカでは企業関係者から再度の量的緩和つまりQE3を求める声があるが、それはないな。だってエリザベス女王(QE)は現在の2世(QE2)までしかないから。

【金融政策の行き詰りと非伝統的金融政策の出現】
ここで伝統的金融政策と非伝統的金融政策の違いを述べると、伝統的金融政策とは以前は普通に金融政策と呼ばれたもので、おもに中央銀行が銀行へ貸出す金利を下げることや銀行の持っている国債を買い上げて銀行の手持ち資金を潤沢にして、銀行が企業などに貸し出す金利を下げて景気を刺激しようと言うもの。しかし先進国の多くで中央銀行の金利が0%かそれに近い超低金利にすでになっているから金融政策を実行する余地がなくなってきた。そのため出てきたのは非伝統的金融政策または量的緩和政策だ。金利を操作してお金をいきわたさせるのではなくて、中央銀行が市中の債権や株式を買い上げで直接に市中に多量のお金を流通させようというもの。中央銀行の国債直接買い上げはこの極端なもの。この政策の主旨はインフレを起こして景気を良くしようと言うもの。でも本質はこの文の上記に書いたとおり。

でも非伝統的金融政策は論外としても、金融政策自体が害が益よりはるかに大きいのだ。もともと金利というのは取引きで決まるお金の値段だ。それは起業家が事業資金計画をたてるための貴重なシグナルとなっていた。ところが金融政策で人為的に金利が操作されると正しい情報が市場に伝わらなくなる。人為的に低くされた金利は投機対象を見つけた投機家・金融機関・企業に潤沢な投機資金を提供してバブルを起こさせるが、一度バブルがはじけて投機対象を見失うといくら金利を低くしても誰も借りなくなるうえに景気を考えると金利をあげられない。リフレ派の人たちはインフレ期待を煽るため、中央銀行(日銀)にずっと金利を上げないと宣言せよという。そうなるとどうなるかな?本来なら金利が下がった今なら融資を受けて事業を拡大(or起こす)するチャンスととらえるのだが、人為的な低金利が続くと思うとしばらく市場動向を見てみようということになる。金利の動きに反応するのは金利のシグナル性があるからなのに、シグナル性を奪ったもので人々を反応させようとするのは矛盾だね。リフレ理論の本質は、人々を操作[manipulate]できると考えるその社会主義性(マルクス教にせよワルサス流にせよ)にある。

リフレ派の人たちはバブルを起こした方が景気は良くなると考えているふしがある。それはバブルとインフレは双子の兄弟みたいなものだから。バブルは、はじける前にうまく抑制すれば良いと考えているみたいだけど、一度のったら途中でおりることが困難で、膨らんだら必ずはじけるのがバブルなのだよ。

【財政破綻に対する僕の考え】
ここで僕の考えを述べておくと、財政破綻は理屈からは回避できるが、現実には避けられないうえに日本社会にとって必要かもしれないと思う。もちろん財政破綻により多くの公共機関はストップし生活保護なども多くの自治体では(国庫負担分の)減額か不支給になり自殺者や飢え死にする人もでるかもしれない。また公共需要で商売していた業者は突然に注文や支払いがなくなって倒産するだろう。財政破綻に続くインフレーションは多くの人から財産を奪い、ハイパーインフレションになれば経済機構は壊滅するだろう。だから避けられれば避けた方が良い。

理屈では避けられるというのは、日本は消費税率が他の先進国に較べて低いから課税の余地があり、例えば先進国並みに消費税率を20%にして政府支出も減らせば財政は均衡するだろう。そうなればいくら国債残高があっても(ただし国債の利率が経済成長率より高いと話しは別)破綻は避けられる。というのは今国債を購入している人が考えているように「国家には寿命がないと期待される」から。つまり定年や寿命がある人間には住宅ローンで借りられる金額が限定されるのと反対の理屈。これは小泉祐一郎さんの『経済学バトルロワイヤル』(ナツメ社)から知ってなるほどと思った。

寿命がなくて無限に後の世代に先送りできるなら、早晩壁にぶち当たるのが致命的なネズミ講から壁を取り除いたようで便利このうえないと言えるだろう。でもそれは財政が均衡してこれ以上国債残高が増えない場合の話。今のように毎年新規国債を発行し続ければ、間もなく国民の預貯金を食い尽くし国債の買い手が無くなるだろう。そうなったら海外資金を求めれば壁は突破できると思うかもしれないが、この段階での外国資金の目的は空売りで暴落させて利益を得ることだ。

だから財政破綻を避けるには早急に財政を均衡させることだが、そのためには増税が必要だが、国家財政に寄生する不当利得者や不合理非効率な支出が目に余る現状では大胆な行政改革なしではとても増税は国民に受け入れないだろう。並みの大臣なら官僚に対する自己の無力さに気づき自己の任期中だけの安寧を求めて官僚と妥協屈服するだろう。

かくして財政破綻を回避できるとしたら、国の指導者に、強い意志とアピール力と官僚にごまかされないブレインと大衆支持のバックアップが必要だ。ヒトラーについて言っているようだが小泉純一郎にも当てはまるかも。でも今の日本ではもう無理な気がする.一番の理由は、大なり小なりの既得権益を持っている人が日本社会に広範に存在して、本質的に被害を被っている者も別の面では既得権益者でありうる。また一般的の人々の多くが不条理で不正と感じていることを取り上げようとすると必ずポピュリズムとの批判を受ける。これは既得権益者が広範にいるという面と、今までの政治家が選挙で言うのみで、実行面では貫く意志も能力もなかったせいであろう。分裂しがちな国民の意志をまとめあげてそれを背景に大胆な行政改革を行なうのは至難の技だ。だから僕は不可能と断じる。

右翼的な意味(個人的心情や主義)でなくても国民精神とか民族精神とか言うと、ヘーゲルが嫌いなはずのポパー信奉者らしくないのだが、僕はそうした物があるような気がしている。第二次世界大戦での対米開戦も日中戦争で収拾がつかなくなった日本国民の敗戦とそれによる軍閥の清算を求める無意識の集合体が引き起こしたと思っている。だから、不当利得と既得権益にまみれたこの日本を洗濯するために財政破綻の業火の洗礼は避けられないと思う。財政破綻すれば不要なものは暴力的に剥ぎ取られ、真に必要なものだけが残るはずである。しかしこの民族精神なるは個人を識別しないので罪の無い人々も苦しむことになるかもしれない。でも避けられないものならそれを契機とした社会機構の刷新と急速な回復を図らねばはらない。

【財政破綻とインフレ】
財政破綻したインフレそれも悪性インフレが来るというのが財政破綻を心配している論者の共通認識だ。リフレ派はもともと財政破綻はないと言っているから関係ないけど、彼らが好都[convenience]と考える年3%には収まらなくて最後はハイパーインフレまでいくかもしれない。でも国債清算上の要請からいえばインフレ率は高いほど好都合だ。財政破綻したから国債はチャラではないかって?財政破綻は国債は償還できない(つまり金は返せん)と宣言することを含むが、それで債務が無くなるわけではない。国家が続くかぎり償還義務は残る。しかしハイパーインフレになれば額面800兆円の国債残高も、戦闘機1機の値段と同じになるかもしれない。実は世界史的にみても国家財政を破綻させるほどの借金はほぼ例外なくハイパーインフレによって清算してきたのだ。日本がハイパーインフレになるかはわからないが悪性インフレにはなるだろう。それでも国債残高は実質なん分の1にはなるだろう。悪性インフレはハイパーインフレの下だから、仮にこれをスーパーインフレと呼ぶと、財政破綻はコンビニを素通りしてスーパーに入るのだ。お後がよろしいようで。

《これからが本題》
【松岡圭祐『万能鑑定士Qの事件簿』1・2の中のハイパーインフレーション】
悪性インフレなりハイパーインフレの前に財政破綻とか経済崩壊が先行することは通念だけど、ハイパーインフレが財政破綻と経済崩壊をもたらす面もある。では財政破綻や経済崩壊が先行しない前にハイパーインフレが起こるとしたらどんな原因だろう。そんなハイパーインフレが松岡圭祐『万能鑑定士Qの事件簿』(角川文庫)の1冊目を読んだら出てきた。そして2冊目でそのカラクリがあきらかにされた。

僕がこのシリーズを読みだしたのは、最新の10冊目をふと書店で手に取ってみると、主人公の凛田莉子が万能鑑定士の能力を身につけた秘密がこの10冊目であかされるという。ちなみに「万能鑑定士」というのは公的な資格とか称号ではなく、博学と観察力でなんでも鑑定する仕事をするとういう屋号なのだ。ぼくは大いに興味をひかれた。でも10冊目から読んでも今までの経過がわからなくなる。それでAmazonの中古でまず1冊目を取り寄せて読んで見ることにした。もし面白くなかったらそれでやめれば良いから。ところが第1冊目から日本がハイパーインフレーションになる場面がでてきたのだ。それも財政破綻は関係なしに。主人公は犯行声明をマスコミにした偽札団を追って東京と自分の故郷でもある沖縄を駆け回る。1冊目で解決しないので2冊目も注文した。

ところで政府の財政破綻が原因ではないハイパーインフレーションの方法は昔から知られており実際に実行されようとした。『ヒトラーの贋札』という史実に基づいた映画がある。僕はレンタルDVDで見た。主人公は偽造書類の作製を得意とするユダヤ人の画家だ。第二次世界大戦中にナチスの収容所に収容された彼は他のユダヤ人とともに収容所内でイギリスのポンド紙幣のニセ札づくりを命じられる。目的はそのニセ札を飛行機により多量にイギリスにばら撒いてイギリスにハイパーインフレを起こさせて経済的にイギリスを壊滅させようとしたもの。見本ができスバイがイギリス国内の銀行で鑑定させたが本物との鑑定がでた。後は量産するだけとなったが、ポンド作製をやめてドル紙幣のニセ札を作れという命令がきた。戦争に必要な資源物資を購入するためだ。

飛行機でお札をばら撒くなんて、他にも聞いたような、と思ったら、ヘリコプターならあった。ヘリコプター・ベンのことだ。ヘリコプター・ベンと言うのは、アメリカのFRB議長のベン・バーナンキがお金の流通量を増やせばインフレになって景気がよくなる。そのためならヘリコプターからお金をばら撒くのも良い方法と言ったことによる(最初に言ったのはフリードマンの説あり)。バーナンキはアメリカ経済を繁栄させるために、ヒトラーはイギリス経済を破壊するために、同じ方法を行なおうとしていたのだね。いやひょっとしたらバーナンキも潜在意識ではアメリカの破滅を望んでいるのかも。マチガイナイ。方法が同じなら結果も同じだもの。

『万能鑑定士Qの事件簿』1・2のなかでもニセ札の大量流入が原因と思われた。偽造団をなのる者からマスコミ各社へありえない同じ番号の一万円札が送られてきて、どちらも本物としか鑑定されなかった。一万円札の図柄を描いた工芸員が警察の捜査をふりきり失踪する。それより決定的なのは、日銀が民間金融機関に供給するマネタリーベースは93兆2171億円なのに、政府調査で推計され流通する通貨量はそれを20兆円以上上回っていた。

僕がまず思ったのは、20兆円という大量の紙幣が日本経済に流入したのなら必ずその流入口の痕跡がわかるはずだ。全国の金融機関の統計をとるだけでも、どこの地方のどの業種からお金の流れが異常に増えたことがわかるはず。つぎに93兆円が117兆円に増えたぐらいでハイパーインフレになるかなということ。貨幣数量説的にいうと倍の物価にもならないことになる。この小説ではそんな貨幣数量説は相手にせず(それは正しい)、流通しているお札にニセ札が多量に紛れこんでいると思われるが、それを誰も識別できないうえに、政府がニセ札を容認しない姿勢を貫くため、お札に対する信頼性が著しく失われたことがハイパーインフレ発生の原因らしい。

この本のネタバレになるけど、真相はこうだ。実はニセ札は存在しなかった。マスコミに送られた2枚の1万円札は実は2枚とも本物で、書き変えしやすい数字が1字違いになっている番号のお札を数字を変えて、同じ番号にして送ったのだ。細かい字を書ける画家が墨を使って手をいれて、特許のため公表されている札とおなじコーティングをして墨を紙と融合させたので番号の偽造も見破れなくなっていた。20兆円のマネタリーベース増はニセ札が多量に出回っていると信じた国民がタンス預金をとりだして銀行に預けたため。でも古くからのタンス預金なら本物にちがいないのにね。誰も本物と証明できないから銀行に預けて通帳上の数字にした方が安心かな。これがハイパーインフレになったのは上記にも書いたように、貨幣に対す信頼かくずれたため。大変凝っていて説得力もある。でもこの方法も人々を操作できる前提に立っているがそれは間違っているだから現実には不可能だ。だから小説にできるかな。