セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

読書ノート:上田秀人「流転の果て」勘定吟味役異聞(8)(講談社文庫)

2009-01-11 22:50:20 | 文化
8日(木)9日(金)と日経の経済教室のノートをさぼってしまった。だが両日ともどうでもいいような内容ではない。8日は経済に政治が介入する際のコストの問題とその対策が書いてあった。でもこれからずっと経済に政治が介入し続けるかのような前提には疑問。9日は直接の影響を受けなくても、先進国の不況から影響を受ける発展途上国の問題についてであった。どちらも重要。でもいろいろ他のことに気を取られてなかなかノートできなかった。その他のことの一つが、待望の勘定吟味役異聞のシリーズの新刊の発売だ。

とうとう、勘定吟味役異聞シリーズの最終となってしまった。しかしこの最終巻の「流転の果て」の内容は、今までの巻より展開があっけなく早く終わったような気がする。あまりに長編になりすぎたので、無理にこの巻で終わりに持っていったのかな。8代将軍の座をめぐる暗闘もあっけなかった。尾張徳川家はこの巻ではもう将軍の座をあきらめたみたいでからんでこない。藩主の葬式と代替わりが続いて藩財政が疲弊したことが原因みたいだが、この巻の尾張藩主が継友になっていて以前の吉通でないこともあるかもしれない。柳沢吉里の目は結局はなかったことだった。「流転」とはこの将軍の座のことについてかもしれないが、長編になりすぎた話の結末ともとれる。

ハッピーエンドのようでそうでもない結末だ。だって、水城聡四郎が剣士であることを棄て、旗本になりきるというのだもの。つまりダーティ・ハリーが、これからは役人道にまい進しますというようなもの。あ、ついでに言えば、前に剣の師は、右肩の骨を折って道場を閉めてしまっているが、この巻では弟子の水城聡四郎も、また聡四郎の家士になった弟弟子の大宮玄馬も右肩負傷。そのためだけではないけれど、水城聡四郎は旗本に専念するし、大宮は怪我がなくても元々太刀の軽さから一放流は次げないから、一放流は結局絶えるのかな?

前までの間では、食えない男だった紀州藩主徳川吉宗が、この巻ではまあ良い人間になってきた。養女にした人入れ屋の娘の紅を聡四郎と結婚させた。町人の娘のままでは旗本と結婚が難しいためだが、この方がむつかしい気がした。というのは、御三家の紀州藩主は、篤姫の養父の島津の殿様より官位がぐっと高いのだよ。そんな御三家の養女と要職の旗本とはいえ550石の布衣で守の官職名もない者との婚姻はかえって難しくなるのではないのか?むしろ娘の父の人入れ屋は幕府御用達で苗字帯刀もしているのでまだ問題がないような気がする。なお旗本と大名の婚姻自体は頻繁にあることだ。旗本は石高が低くても官位は大名並みのものも多いし、旗本自体が大名家の一族という場合も多いから。でも水城聡四郎は550石だもの。しかもこの巻の終わりに吉宗が将軍になってしまって、聡四郎は将軍の娘婿になってしまった。その後のことは何も書かれていない。聡四郎は婚姻直後、吉宗の勧めもあり肩の怪我を理由に、勘定吟味役を退職した。2年後将軍となった吉宗は、聡四郎の使い道を考えているところで話は終わった。勘定奉行か長崎奉行になるかは知らないがそんな出世話でいいのか。

こういう結末では話の性格が違うような気がする。そうそうこの巻では始めからなんか調子が違うぞ。仕事を回してもらえない孤立した勘定吟味役だったが書類が回ってくるようになった。大奥の調査を行ったが、相手の言うことを鵜呑みにしたみたいで、おまえ農水省の役人か。と言いたくなる。で旗本になりきるといったと同時に、徳川家の閨閥に入り込み、勘定吟味役を辞するときは、特別待遇で3000石以上の大身とおなじ扱いの寄合席にしてもらった。え!?これでいいのと、脱藩浪人である拙者は思うわけである。

それから徒歩目付永渕啓輔の剣の腕前が意外に強くなかった。だって吉宗の側近の紀州玉込め役の川村仁右衛門に簡単に取り押さえられてしまうのだもの。そうそう永渕啓輔というのは柳沢家の家来だったが、柳沢吉保の推薦で綱吉により幕臣に召しかかえられたのだ。
それを恩にきて幕府の徒歩目付でありながら、柳沢吉保の為に動いている。でもおかしいと思うのは、徒歩目付って御家人か下級旗本みだい。成長している柳沢家にいたらもっと石高の多い重臣になっていた気がするのだが。

今日の日経「経済教室」:2009/1/7

2009-01-07 22:28:26 | 社会経済
シリーズタイトルとNo.:危機を超えて 世界新秩序と日本 3
タイトル:中東の混迷も見落とすな
筆者:山内昌之(東京大学教授)

【要旨】
ドイツの社会経済学者、グナル・ハイゾーン教授の指摘した「ユース・バルジ」(過剰なまでに多い若い世代)の問題こそが、経済不安にも匹敵する危機として世界の未来に暗い影を投じている。北アフリカを含めた中東では多子若齢化が進んでいる。中東では人口の6~7割を25歳未満が占める。これこそが20%台半ばという世界最高の失業率を中東で産む背景だ。欧州の人口膨張の歴史的経験にみて、4人の息子がいる家族だと2人は手近なところで就職できるが、あとの2人に残された道は、国外移住、犯罪、国内クーデータ、内戦または革命、集団殺害と追放、越境戦争の6つしかない。ユース・バルジにおける失業とテロルには明らかに相互関係がある。ユース・バルジの力はすぐに衰えるとは思えない。しかしトルコの世俗主義経験は転換モデルとして学ぶに値する。
雇用機会の少ない中東の若者をテロや戦争に掻き立てないため。多数の移民を受け入れる選択肢もあるが、世界史的不況の中で欧米でも納得できる職が得られず、ユース・バルジの暴力が再生産される危険性も高い。

【小耳の知識】
中東の人口は1970年に約1憶9千万人だったのが、現在は5億に達し、2020年には6億人となる見込み。「戦闘に最適な年齢」の男性(15-29歳)の分布では、2005年の段階で欧州は1000人あたり89人、北米は39人だが、イスラム圏では280人で、2020年では300人になる見込み。

【我がノート】
危険な現実があるということだ。歴史の大きな波動の中で人類が繰り返し経験することで避けられないかもしれない。いかに悲惨な結果を回避するかが重要だ。日本社会も異質な生活習慣の集団が多量に流入するのはコストが多いかもしれないが、人類史的には避けられないかもしれない。

今日の日経「経済教室」:2009/1/6

2009-01-06 21:04:23 | 社会経済
シリーズタイトルとNo.:危機を超えて 世界新秩序と日本 2
タイトル:希望再興へビジョン描け
筆者:村上龍(作家)

【要旨】
サブプライム問題発生以前から、日本社会の各層、各組織相互の信頼が失われつつあったが、経済危機でさらに表面化した。経済は悪循環を起こしているが、政治は空転し不信がさらに増幅される。既に始まっている悪循環への対応策は、1つは短期的な対応として、複数の対立項を結ぶ情報の開示と正確な現状認識(アナウンスメント)、2つめは中期的な対応策としては、悪循環が始まっているシステムと考え方から離れ、新しい別の社会システムを築くことである。1つ目については、マスメディアの報道が対立と不信を増幅させる面があるので、客観的な情報の提供と事実のアナウンスメントが求められる。2つ目のあたらしいシステムとして重要なのは、「環境」と「家族・世間などの親密で小規模な共同体」である。

【小耳の知識】
資料として掲載されている折れ線グラフで「現在の生活に対する満足度」は1963年ぐらいからのものだが、常に満足が不満を上回っている。長期的な傾向は読み取れないが、中期的には1995年が満足と不満の差が大きい(つまり満足がかなり多い)く、そこから急速に差が縮まっていたが、2003年ごろとまり2006年にはいったん満足が増えたが、2007年から急に不満が増え始めた。なお歴史的にみて折れ線グラフ上1974年ごろが満足と不満がほぼ50%で拮抗していた。つまり不満が一番多かった。
「今後の生活の見通し」のグラフ(1968年頃から)「同じようなもの」が常に「良くなっていく」と「悪くなっていく」を押さえて1番多く、またずっと上昇傾向である。「悪くなっていく」は1995年まではあまり変わらなかったが、1996年以後は上昇傾向になっている。「良くなっていく」は長期的に低下しているが、1996年からははっきりと「悪くなっていく」を下回っている。

【我がノート】
村上氏は、マスメディアが派遣労働者や期間工の窮状を主に報じるが、需要減で赤字になった輸出企業が雇用をそのまま維持すればどうなるかという経営側に状況はほとんど知らされていない、という。一応の指摘ではある。ただマスメディアもそんなに無責任に煽りたてているのではないと思う。派遣切り等で焦点になっている輸出企業は史上最高額の内部留保を持っている大企業だというのも経営側の状況だ。だから単純に雇用を維持するとすぐつぶれるとは言い切れない。しかし、村上氏の言うように、「個別企業ではなく、セーフティーネットなどの社会システムの見直しが求められる。」というのは正論だ。欧米では職能別の労働組合なので、労働組合が失業組合員の生活費を支給するということもある。日本も企業別組合でなくて、派遣社員・正社員も・期間工・子会社の人・競合他社の人も、自動車を作っている人は同じ組合員として助けあったどうだろう。

今日の日経「経済教室」:2009/1/5

2009-01-05 20:33:31 | 社会経済
今日の日経「経済教室」:2009/1/5
シリーズタイトルとNo.:危機を超えて 世界新秩序と日本 1
タイトル:「多様性の利益」で課題解決
筆者:青木昌彦(スタンフォード大学名誉教授)

【要旨】
金融危機の結果、金融市場のグローバル化の勢いが弱まると、各地域経済が、それぞれにかかえている独特のアジェンダ(課題)が浮かびあがる。米国は、「消費の過剰、外国からの貯蓄供給によって支えられていた経済構造の転換。中国は、調和のとれた社会の建設のためには10~20年かけて2億人以上の人を農村から移動させなければならないが、それには少なくとも毎年8%以上の経済成長が必要である。日本は、人口、経済社会構造の変化に応じた世代間の関係を、コミュニティーとして再構築しえていないことから生じる「不安」の解決が求められる。これらの各国のアジェンダはこのように多様であるが、それらの国々は互いに他の国のアジェンダの解決に役立つものを持っている。だが、補完関係によるこれらの課題の解決はせっかちに作られる単一の国際機構を構想することでは対処しきれない。2国間、多国間、地域内、多極間、国際間などのさまざまなレベルにおいて多様で地道な協力関係を試行・選択を通じて進化していく。《具体的な補完関係と内容は記事を参考にせよ》
金融手法は、同質の数理モデルを用いるがゆえに同じような間違いにすすんだ。量から質への競争の焦点の変化により、金融市場は「多様な可能性」に関する「多様な評価」を集約するという情報機能を担う場に進化しなければならない。

【小耳の知識】
オバマ政権の産業政策のキーワード―――「グリーンジョブ」「クリーン・テクノロジー」

【我がノート】
文章の枕に、今世紀初めのエール大学法学部教授の評判になった『会社法の歴史の終わり』という論文について書いてある。株主支配による会社統治の優位性は世界的に疑いもなく確立したという趣旨の論文である。もちろん筆者(青木名誉教授)は皮肉の意味で触れたものである。ただ僕はこの青木論文の内容とは別に、派遣切りなど今の日本の様子からエール大学教授の論文趣旨と現実との比較を考えてしまう。つまり会社は誰のものか。会社が株主のものでなく被雇用者のものなのか?これを仮に被雇用者のものだといいきると、次に役所は誰のものか?軍隊は誰のものか?ということもどう考えたらいいのか?ということ。それをご都合主義でなく一貫した論理で解明する必要がある。

あけましておめでとうございます。

2009-01-01 18:46:16 | 文化
新年あけましておめでとうございます。

さて、今年の元旦は僕にとっては過去ウン十年の元旦とは違っています。つまり無職で迎えた元旦です。建て替えで新築した家に持ってきた荷物がまだ片付かないので気が落ち着かないのと、外構工事が完成しない点をのぞけば、気分は軽快です。

世の中では職を失って生死の問題を抱えている人が非常に多くいますが、僕の場合さしあたっては食べる心配もない(?しない)ので、申し訳なく思います。僕がやめた6月30日はリーマンショックもトヨタショックも起こる前でしたが、就職難が予想される今年4月に結果としてですが市に採用される人が1人増えることになったのは良かったと思います。貯金や退職金ですぐやめても生活費に支障のない公務員は、ワークシェアリングのつもりで定年前の早期退職をしたらどうでしょうか。60歳まで勤めてさらに数年間嘱託等として役所近辺で働かなければならないと考えている方、それは思い込みではありませんか?金銭的には有利であっても、はるかに失うものが多くはありませんか?

本日ついた年賀状のなかに、退職した理由に、よっぽどのことがあったのかと心配しているものがありました。また数日前にあった大学時代の友人たち(公務員ではない)も理解できない様子であった。そこで説明しよう。

僕が退職したのは、懲戒処分によるものでもないし、病気によるものでもない。セクハラ等の不都合なことを起こしていたたまれなくなったわけでありません。仕事ができなかったのではと?これは僕からはなんとも言えませんが、数字的には他の同じような職場と比して上位できちんとやっていることになっています。まあ職場環境が他とくらべて良い点もありましたが。そんなわけでそれも違います。ただ僕の性向に合う仕事ではありません。管理関係の仕事なので、管理が嫌いな僕は、かなりリバタリアンに共感してきました。だから冗談に、リバタリアン(政府の介入を極端にきらう自由主義者)が役人になっているわけにはいかないから退職したといいます、とマルクス主義者の友人は苦い顔をします。

そんなわけで退職は僕の自主的な判断による。理由も直截な契機となるものがあるが、それ以外に多くの積極的な理由がある。言い換えれば、これはやめることが正しい行動と思ったとき、再任用や嘱託を含めて60数歳まで市にいるのが当然と思っていたことが、単なる思い込みであることがわかった。それからは早く退職日の6月30日が来るのがまちどおしかった。

直接の契機は、退職前の職場は朝が早いが、僕は家庭の事情で早く眠られない上に、就眠中に2・3度目が覚める。このため、慢性的な寝不足状態で、就業中に居眠りすることが多い。問題なのは公用車を運転して長時間運転する必要が時々生じることです。私的だが過去に睡眠不足のため運転中に意識を失い事故をおこしたこともあります。そんなわけでその旨を身上書に記載したがまったく無視された。しかし運転を拒否し続けると仕事にならないし職場に軋轢を生む。しかし運転することは第3者を巻き込む未出の故意の犯罪になる。そこで自己にたいする倫理上の要請として退職することになったのです。

しかし退職すると決めてからは、これはいいことに気がついたと思いました。啓蒙という言葉の、蒙(おおわれてくらいさま)を啓(ひら)くとはこういうことですね。いつできるか思いもつかなかった家の建て直しができるし、読んであげられないかった数千冊の蔵書を読んであげることができる。またこのまま勤めると悪く(?)すると、定年間際に管理職にさせられて人事評価をしなければいけなくなるのが、避けられる。

そんなわけでたとえ1ヶ月後に人事異動を行うといわれても、絶対に退職するつもりで4月の中頃に6月30日で退職したい旨の退職願を出しました。4月の中頃のわけは、それより前は翌年3月31日でやめる早期退職者の受付期間だから、退職金の上積みを餌に1年待てと言われ断るのが面倒だからだ。1年まてばその間に事故や発病が起こる確率が高い。事実、5月に母が骨折して入院した。入院中はいいがその後は、僕が退職して家を建て直していなかったら非常に困ったことになっていただろう。