セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

名古屋市の定期人事異動報道をみて思うこと

2013-03-30 22:27:32 | 名古屋

スキャナーが戻ってきた。故障してヤマダ電機にもって行ったのは23日土曜日で戻ってきたのは昨日29日の金曜日だから一週間で戻ってきたことになる。今回は前の修理の三カ月以内で無料だから料金の確認が不要だからすぐに修理に取りかかってくれたのだろう。今回も修理方法は基板の取り替えだ。前の書き込みで「同じトラブルなら無料」と書いたけど修理報告書にある正確な表現は「同じ箇所の故障」だった。外部装置の物理的な破損でないなら大抵は基板が故障箇所となるだろう。たからスンナリ無料修理にしてくれたのだ。

でも基板の故障にしてもそのなかの一つのコンデンサーが悪くなったかもしれないし、メモリー内の設定が何らかの電磁的な影響で狂ったかもしれないのに基板まるごとの交換は勿体無いような気がする。でも悪い部品を特定出来たとしてもそこだけの交換は不可能かもしれない。また悪い部品の特定も大変な手間かもしれないので基板の交換が労力的にも合理的なのだろう。でも僕が修理担当の技術者ならきっとトコトン原因を調べてその部分の交換をやってしまいそうだ。そうすると非効率だとクビになるだろうな。

故障原因の究明が技術の向上に必要だと思うけど。多分外された基板はエプソンの研究所におくられて故障原因の究明は常に研究されているかもしれない。でもトラブルのある箇所は基板でも原因は基板の外にあって異常な負荷が基板にかかったかもしれない。ほら新型ジャンボ機のバッテリー内部が焼け焦げたけどバッテリー自身の故障とは言い切れないのと同じだ。だから故障箇所の取り替えだけではなく原因の究明もして欲しいのだ。ひょっとしたら原因はわかっているが素人には説明困難だから修理報告書に書かないだけかも。でも前回修理後からそんなに経っていないのに故障したのは真の故障原因がわかっていないのかも。前回修理と同じく今回も基板取り替えではまた直ぐに故障するかもしれないな。

ところで名古屋市の定期人事異動だが退職者の僕には中日新聞で知るしかない。今年は3月29日金曜日の朝刊に載っていた。しかしこれはチョットびっくり。いや内容ではなくて載ったのが朝刊だということ。僕の記憶する限りでは20年以上にわたって常に夕刊に載ってきた。それが今年は朝刊だ。市の希望で変わったのか、それとも中日新聞の編集上の都合か。市の発表資料の提出が遅れて28日の夕刊に間に合わず29日朝刊になったという単純な理由ではないと思う。だって25日月曜の午後4時の内示があった時点で課長以上の管理職には市役所役職者の異動一覧の冊子が渡されているはずだからその時には製本されている。ひょっとしたら内示のあと一悶着あって内示された内容では4月1日に辞令交付出来ない事態となり手直しがあり中日新聞に変更を依頼して掲載時期がずれたかもしれない。これは全くの空想。たとえあったとしても僕には知る由もない。まあ関係ないしね。

ところで今年の人事異動を見たって知っている人は少なくなって人事異動自体にはほとんど興味がなくなった。同期の人は高卒の人はまだ残っているが、大卒の人は去年と一昨年で退職してしまったからね。で中日新聞のこの人事異動報道をみて気がついたのは退職者のこと。退職者の欄を見ていて気がついたのは係長級の退職者のスペースが課長級より小さいこと。もちろん活字の大きさは同じだよ。すると係長で退職者する人は課長で退職する人より少ないのかな。局長級と部長級を加えると課長級以上の退職者はもっと多くなる。そこで数えてみた。消防局はもともと別の欄だから除くけど医師や保育園長が混ざっているので行政職ばかりではないので正確な判断はできないけど。

局長級は14名。部長級は31名。課長級は90名。すると課長級以上で退職する人は135名となる。係長級は70名だった。すると定年退職者の役職者の三分の二近くは課長以上になっていることになる。係長試験に受かって係長になった者で係長のまま退職する者は三分の一か。少なくとも平成24年度中に60歳になった人についてはそう言える。でもそれが名古屋市役所のずっとこの傾向とは言えないかもしれない。課長級以上の役職がインフレ気味で多くなってきたが係長級のポストは機構改革で少なくなっているのかもしれない。団塊の世代が多くいた時に局長級を始めとして高位の役職を量産して年限のきた下位役職者を収容したが団塊の世代がいなくなってもそれらのポストを減らさずに児童館や障害学習センターそして税収関係の係長職を減らしている。だからこれ以後はどうなるのかは僕にはわからない。

県では大抵の人は定年前に課長になるらしい。名古屋市では大卒でも係長試験に受からなければ係長になれない。大卒でもあえて係長試験を受けない人も多くいる。名古屋市の係長以上と主事の退職者の比率について僕は知らない。

地方都市ではキャリア制みたいなものをとっているのか大卒では割と早く課長になるみたいだ。昔のことだが三重県の某市に勤める大学時代の友人にあった時「また係長か、遅いな」と言われことを思い出す。

え?僕も係長で退職だろうって。その通りだけと僕の場合は定年前の退職。推理作家の斎藤栄も横浜市役所を係長で退職した。だから斎藤栄と変わりない。でも斎藤栄は「あのまま市役所にいれば局長にはなれた」と言っていたが、僕は課長になれたかな。まあなれなかったけど退職した理由の一つは人間を管理なんかしたくないし評価なんかなおさらしたくないから管理職になりなくないということもある。うんリバタリアンらしいな。


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2 コメント

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めぐみです! (めぐみ)
2013-04-06 01:46:48
このあいだコメントしためぐみです!覚えてますか?覚えていてくれた嬉しいですw(^ー^* )フフ♪せっかくなのでメールできませんか?私ブログとかやってないのでお話がしたいです、アドは nekomegumi77あっとyahoo.co.jpです、待ってますね!(。-_-。)ポッ

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マルテンサイト千年 (グローバル・サムライ)
2024-07-05 18:59:47
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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